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不幸のどん底こそが最上の幸福だった。君といた地獄を、僕は一生忘れない  作者: 高橋 淳


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3/5

春に猛威を奮った疫病は、ようやく勢いを弱めたものの完全に落ち着くことはなく、領地の人々の胸にはまだ深い不安の影を残したまま季節はいつの間にか盛夏へと移ろっていった。

陽射しは力強く、侯爵家の広大な庭園や石造りの城壁、穏やかに揺れる麦畑や花咲く果樹園を眩いばかりの黄金のベールで包み込み、まるで幸福そのものを象徴するかのように輝いていた。

侯爵家の者たちは春の困難を乗り越えたことにほのかな誇りと安堵を抱いていた。


しかし、その光に覆われた領地の風景は、表面的な平穏に過ぎなかった。輝きの陰には、まだ癒えぬ疫病の爪痕が残り、疲弊した民の体力と士気は完全には回復していなかったのである。まるで嵐の前の静けさのように、夏の陽光の中に潜む影は静かに、しかし確実に領地を取り囲み、破滅の気配が忍び寄っていた。


ある日突然、空は不気味な鉛色に染まり、まるで神の怒りが領地を襲おうとしているかのように、異常な猛暑が続いた。熱風はまるで悪魔の息吹のように、命を奪うかのように吹き荒れた。森は枯れ、湖面は沸き立つ釜のように揺らめき、水面はまるで地獄の入口のように真っ赤に染まった。


そして、侯爵家の古い納屋に積まれていた干草が、猛暑のせいかあるいは運命のいたずらか、自然に発火した。

炎は瞬く間に勢いを増し、黒煙は空高く舞い上がり、夏の青空を呑み込みながら領地全体に不吉な影を落とした。

その光景は、まるで地獄の門が開かれたかのようで、風に乗った火の粉が遠くの麦畑や木々に飛び散り、わずかな油断も許さぬ猛威を見せつけていた。


民の家々も、長引く酷暑の影響で乾ききっており火はあっという間に民家を飲み込み、窓や屋根を赤々と照らしながら燃え広がった。

家々からは悲鳴が上がり、子どもや老いた者を抱えて逃げ惑う人々の絶望の叫びが炎の音と混ざり合い、空高く風に乗って領地の隅々まで届いた。

煙と火の匂いが街道を覆い、村人たちは慌てふためきながら水を求め消火に奔走したが、猛暑で乾いた大地は炎を一層激しく燃え上がらせ消火の手は次々と振り落とされていった。


炎と煙は夜の闇が訪れるまで消えることなく、領地を覆った。

人々は避難し、家を失い、叫び、泣き、そして怒りを抱いた。

だが、レオンハルトはその光景の中で、民を守り抜くための決断を冷静に積み重ね、手勢を動かし消火と救助にあたる人々を指揮した。

猛暑と火災、絶望の叫びと混乱の中で、彼の目にはただひとつ燃え広がる領地を守るという覚悟だけが静かに、しかし確実に光っていたのである。



焼け落ちた家屋の数、失われた備蓄、死者と行方不明者の名。

それらは一つひとつ、数字と記録として報告され、レオンハルトの前に積み上げられていく。

紙の上に並ぶ文字は整然としていたが、その裏には、二度と戻らぬ生活と、声を失った人々があった。


レオンハルトは領民の救済と復旧に奔走した。

彼は即座に命じた。

焼け出された者の仮設住居を教会と倉庫に設けること。

残った穀物の配給を再編し、秋までの食糧を厳格に管理することを。

騎士団には治安維持を、会計官には復旧費用の算出を命じた。


その判断は迅速で、的確だった。

誰も異を唱えなかった。


しかし、社交界では、そうはいかなかった。

まるで毒蛇のように、陰湿な噂が飛び交っていた。「身分違いの結婚が領地を穢した」という噂は、まるで癌細胞のように、急速に広がり、彼の努力を貶める声が絶えなかった。まるで、彼の愛が領地を滅ぼしたかのように、彼らの存在は呪われたものとして扱われたのだ。


28に続きを投稿します

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