赤の国 9
ジャンクワ山脈
マディラが地元部族に襲われ、背後から攻撃を受け、崖下に落ちる映像を見たジュリアン。
彼はセバスチャンと共に、赤の世界の正反対からこの山脈に瞬間移動をし、部族に立ち向かう。
力の入らないセバスチャンは、岩陰からその様子を見守るも、文官のジュリアンが剣で3人を相手にするなんて無謀ではないかと思った。
ジュリアンが静かに腰の剣を抜くのが見え、彼は鋭く研ぎ澄まされた意志をみなぎらせている。
無駄な動きを一切せずに、彼は部族の一人に気取られないまま接近し、奇襲で一人目を崖下へと突き落とす。
(…え?)
彼の見事な戦闘に、驚きに目を見開くセバスチャンの視線の先で、ジュリアンはすでに部族の二人目と剣を交えていた。
「お前たちが彼女に手をかけたのか?」とジュリアンの声が低く響き渡り、周囲の空気が一瞬で張り詰める。
二人目が激しく攻めかかるも、ジュリアンの剣は、寸分の狂いもなく相手の動きを封じていく。
そんな中、三人目が背後から彼に襲いかかる様子が見え、セバスチャンの心はさらに焦る。
しかし次の瞬間、ジュリアンはふと手をかざし、冷徹な視線で三人目を振り返り見ると、見えない力が三人目を襲う。
いつの間にか呪文の詠唱を終えていたらしく、一瞬のうちに敵を数百メートル先に弾き飛ばし、部族の男は頭を岩に強打したようで、血を流してその場に倒れて動かない。
最後に残った部族の男を、ジュリアンは一気に追い詰め、崖の縁まで追いやると、そのまま谷底へと突き落とした。
セバスチャンは、呆然とした表情でその光景を見つめる。
(……強いんじゃん!政務しかしていない姿に騙された!)
以前、マディラが「陛下は私より剣の扱いが上手くない」と冗談めかして話していたので、セバスチャンもずっとそういう目で彼を見ていたが、先ほどの戦闘で見せつけられたのは、並の騎士団員クラスの剣の腕。
先日の被災地訪問で、マディラに守られていた彼が、それほどの技量を持っているとは想像もつかなかった。
内に秘めた力を見せつけたジュリアンに対し、セバスチャンは驚嘆とともに、これまでにない尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
酸素の薄い高地のため、ジュリアンは動くたびにわずかに息が乱れるものの、疲れを感じさせない表情でセバスチャンを見つめる。
その目は冷静で、ついさっき無傷で三人の屈強な部族を退けたことが嘘のような、涼しげな顔をしている。
一方で、セバスチャンはただ呆然と立ち尽くしていた。
どうりで、彼は以前「緑の世界の者は修羅場体験に乏しい」と言っていたわけだ。
よくよく考えてみれば、ノクスに馬車ごと崖から突き落とされても見事に生還したし、昨日のニーベル国王との会話で、ジュリアンは父親から厳しい教育を施されていたようだったが、それは相当のものだったのではないか。
ジュリアンはセバスチャンの表情を見て、微笑みを浮かべながら声をかける。
「どうした、鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔をして。」
セバスチャンは慌てて姿勢を正し、「あ、いや……戦われている姿を初めて拝見したので……その……」と、言葉を濁す。
「杖以外は振り回せない、腰の剣はただの飾り物だと思っていた?」と、彼は冗談めかした口調で続ける。
「確かに、テラを倒したり、ジャックに手加減をする腕前を持つマディラに比べれば、剣は苦手だよ。できるなら扱いたくはないけど、有事の際にはそれなりに振れる程度の訓練はしている。」
ジュリアンのその言葉を聞き、セバスチャンは改めてその冷静な判断力と確かな技量に、敬意を抱かずにはいられなかった。
そんな彼を横目に、ジュリアンはふと険しい崖下に目を向け、真剣な表情で続ける。
「直前に見えた彼女の映像では、地面に倒れていた。マディラはおそらく、崖下すぐの歩道にいるはずだ。彼女を助けに行く。」
そう言ってジュリアンは、息を整える間もなく崖の縁に向かい、彼女の救助に向かうための準備を始めた。
彼は、崖の縁から慎重に身を乗り出し下を覗き込むと、数十メートル下に、人一人がやっと歩けるほどの狭い歩道があり、そこに彼女が倒れているのを見つける。
彼はふわっと浮いたかと思うと、慎重にその歩道にゆっくり着地して、マディラの体をそっと抱き上げると、彼女はかすかに目を開け、意識を取り戻す。
「……ジュリ……?」と、微かに笑みを浮かべるマディラ。
その表情から、幸運にも重傷を負わなかったことが伺える。
打ち身と擦り傷こそあるものの、瞑想で体力が消耗しているだけで、致命的な怪我はなさそうだ。
ジュリアンが声をかけると、彼女の意識はすぐにしっかりとし、「探し物は……この世界にはないみたい」と、力のない声で告げた。
彼は頷き、「ならば、これ以上ここに留まる必要はない」と返事をし、優しくマディラを抱きしめ、彼女の傷の治癒と体力を回復させる。
ジュリアンは、崖の上から心配そうに覗き込んでいたセバスチャンにも声をかけ、3人揃ったところで、マディラは二人と共に早々に麓のラリオハに移動をした。
――――――――――
ニーベル城南方の山道
古道は、古びた風情と歴史の重みを感じさせる佇まいを持っている。
道幅は狭く、両側には鬱蒼と茂る樹木が生い茂り、木漏れ日が静かに差し込んでいた。
地面は赤っぽい土と石で覆われ、歩くたびに足元から微かな音が響く。
長い年月に耐え、滑らかな曲線を描く石畳が部分的に露出し、苔むした岩や根が道を縁取って、歩く者に過去の人々の足跡を感じさせる。
道の脇にはところどころ古びた道標が立ち、そこに刻まれた文字は時の流れに削られ、半ば読めなくなっているものもある。
先ほどの荒涼とした岩山と違い、静かな風が木々の間をすり抜ける音が耳に心地よく、鳥のさえずりや小動物の気配もほのかに感じられる。
古道は緩やかな坂となり、3人が歩き進むにつれて、昔の旅人や行き交う人々が、疲れを抱えながらもこの坂を登り降りしていた光景が浮かんでくるようだ。
「前は、こんなところじゃなかったわよね?」
青の世界の扉の場所について、マディラの記憶と違うところを進んでいるので、彼女は念の為ジュリアンに確認する。
「以前の場所は、城から少し遠かったのと、ニーベル側からのアクセスがしにくかったので、移築したんだよ。
何せ、空中にドアノブしか浮かび上がってないし、扉は景色と一体化して、青の世界の方からじゃないと識別不能だったんだ。」
ジュリアンはそう言いながら、さらに進むとやがて細く曲がりくねった道となり、両脇を高い崖や切り立った岩壁が挟み込み、昼間でも日光が差し込むのは限られた場所のみ。
道は苔むした石や滑りやすい地面が多く、雨が降るとぬかるみそうで、昔ながらの険しさを感じさせる。
道路脇の石積みの岩肌の一角。
一見ただの石壁にしか見えないが、「ここだな」と言いながらジュリアンがある岩壁を押すと、それは見事に周りと一体化した扉だった。
彼が秘められた合図を送ると、岩肌がわずかに震え、古びた線が浮かび上がる。
岩の隙間が徐々に開き、ひんやりとした空気と共に、古道から隔絶された別空間への入口が現れた。
石扉自体は人の背丈ほどの大きさで、表面は何世紀もかけて風化しており、触れると微かに冷たく、長年誰にも触れられていなかったかのように感じられる。
細かな刻印がびっしりと扉に施され、よく見るとそれは異世界の文字や符号であり、岩が開く時のみ、淡い光を放つようだ。
「さ、中に入って」
ジュリアンにそう促されて、マディラとセバスチャンは岩の中の空間に入っていく。
内部に入ると、狭い空間が広がり、床や壁は粗い石造りで、天井には小さな穴から微かな光が差し込むのみ。
湿り気のある空気が漂い、少し息苦しささえ感じられる。
空間の奥には、異世界への扉が静かに佇んでいた。
その扉は、他の石の壁とは異なり、黒曜石のような光沢を持ち、不思議な金属のように滑らかで、重厚さと異様な静寂をたたえている。
扉の縁には青い光を放つ細いラインが刻まれており、近づくと扉全体が脈打つように淡く光る。
マディラ達が扉の前に立つと、まるで自分がその風景の一部になったかのような感覚が湧き、未知の世界へと誘われるような錯覚を覚えた。
これで、「赤の国」は終わりです。
次から、「青の街」です。
青の世界、いわゆる人間界の、日本のとある街が舞台です。




