赤の国 7
ジュリアンの実家での茶会が終了した。
息子夫婦は使用人の手引きで庭を通り、城へ向かう馬車へと乗り込んだ。
美しい夕景の中、背後でジュリアンの両親が見送り、彼の母親が名残惜しそうに手を振る姿が見えた。
マディラとジュリアンは静かに手を振り返しながら、城へと帰っていった。
窓から差し込む夕陽がマディラの横顔をやわらかく照らし、彼女はまっすぐにジュリアンを見つめながら、静かに言葉を口にした。
「さっきの話、大臣との戦いを想定しているの?」
マディラは、ジュリアンが熱心に軍の配備の話を彼の父親としているのが印象に残っていた。
彼女の声には静かな緊張が漂い、彼もその問いを受け止めるように深く息をついた。
窓から遠くの景色を見つめながらジュリアンは応えた。
「まぁそれもあるけど、そのことを抜きにしても、うちが軍を持っていないのは常に不安要素だからね。」
馬車の揺れが二人の間に一瞬の静寂を作り出した。彼の瞳には、どこか思い悩むような光が宿っていた。
「だけど議会で審議しようにも、誰もその知見がないので、議論どころではないんだよ。
母親には悪かったけど、対話するにはいい機会だったよ。そして」
ふと目を彼女に戻し、ジュリアンは柔らかく微笑みかける。
「君がうちの親と打ち解けてくれてよかったよ。滅多に会わないとはいえ、気にはなっていたから。いつか、孫の顔を見せてあげないとね」
マディラは彼の柔らかな視線を受け止め、そっと微笑みを返した。
彼の手が妻の手を包むように握り、二人の手がしっかりと繋がる。
馬車はまた静かに、二人を乗せて穏やかな道を進んでいった。
――――――――――
夜の帳が降りた王宮の奥、ニーベル国王の私室には柔らかな灯りが揺らめいていた。
王の私室に通されたジュリアンは、一礼して席につく。
この部屋は、彼が家臣だった頃、前王の部屋として使用されていた時に何度か入ったことがあったが、今はパトリックが使っていることに不思議な感覚がする。
パトリックは満面の笑みを浮かべながら、手に持ったグラスを軽く掲げて再会の乾杯をする。
「別邸の話を聞いたぞ、大立ち回りしたんだってな。親父が、お前たちが帰った後、何やら考え込んでいたそうだぞ」と、金髪の青年が笑みを浮かべて言った。
ジュリアンも苦笑を浮かべる。
「まぁ……過去に色々ありましたからね。
僕に対する非難はいくらでも受け止めますが、彼女に矛先が向いた途端、ちょっと苛立ちを覚えました。
そこまでは良かったのですが、ふと、殿下が自分の義父だと認識した瞬間、家臣の時に飲み込んでいた言葉を我慢しなくていいんだと思いまして。
……ちょっと感情的になり過ぎました」
彼は控えめに答えたが、その表情にはどこか苦労の色が残っている。
マディラのことになると、どうしても冷静さを欠かす傾向にあると、彼は反省をした。
パトリックはその様子に笑いながらも、ふと真剣な表情を見せた。
「よく考えたら、俺たち、いつの間にか従兄弟から義兄弟になってたんだな、実感がないが。」
「そうですね、王宮内で暮らしているわけじゃないんで、僕も実感はないですよ。」
と、ジュリアンも少しばかり肩の力を抜き、穏やかに応じた。
パトリックは一瞬天井を見上げ、ため息をつくように言葉を続けた。
「もうこれだけ関係が長いと、父親は俺のいうことなんて聞かなくてね。また暴走しそうだったらお前を呼ぶよ。」
「当事者同士で解決してくださいよ、まったく……」
ジュリアンは困ったように笑いながらも、彼の冗談混じりの言葉には軽く肩をすくめるだけだった。
だが、その話題から自然と流れが変わり、ジュリアンの口調も少し真剣なものになった。
「結局僕たちが去った後、クーデターが起きたんですね。」
「ああ、そうだ。」パトリックはうなずき、少し遠い目をしながら言葉を続けた。
「お前が2種類の戦略プランを立ててくれて、比較ができたから決心がついたよ。いつまでも父親の暴政に目を瞑っていると、どれだけ国力が低下し、財源を圧迫するか。お前が試算してくれて助かったよ。」
その静かな返答に、パトリックの感謝の言葉がしみ渡る。
ジュリアンは、彼が抱える重責を改めて実感しつつも、少しばかり照れたようにうつむいた。
「そう言ってもらえると、少し報われますよ。僕たちが選んだ道が、少しでも国のためになっているなら。」
パトリックはその言葉に満足げにうなずき、再びグラスを掲げた。
「そうだな。未来を築くために、俺たちは今を戦い抜かねばならん。」
そして彼は、ジュリアンの顔をじっと見ながら口元に冗談めいた笑みを浮かべた。
「一応、いまでも国はなんとか回っているがな……お前がいないと、やっぱりどこか物足りない、たとえ敵対を演出していたとしても」と、彼が家臣だった頃を懐かしむかのように口にした。
「……だからどうだ、戻ってこいよ。お前の席はいつでも用意できる。クーデターも終わり、俺たちが不仲だという茶番を演じる必要はない。お前自身も、人に利用されないように冷酷な人物を演じて他人を退ける必要もない」
冗談めかしながらも、どこか本気の響きを帯びたその勧誘に、ジュリアンも思わず苦笑した。
「国王陛下、今さらそんなお誘いをされても困りますよ。国が違う身ですからね、今では。」
その言葉に、パトリックも肩をすくめて微笑みを浮かべながら、グラスを揺らす。
「うちの国の扱いとしては、お前は除籍されたわけじゃない。異世界に出向中ってことだ。」
彼の視線が次第に鋭くなり、ふと声を低めて問いかけた。
「ところで、あいつの様子はどうなんだ。有事の際には、我が国を守るために動いてくれるんだろうな?」
ジュリアンは静かに頷いたが、その目に一抹の憂いが浮かぶ。
「国を守れるかどうかは分かりませんが、僕が止めるつもりです。お預かりしたものもありますし。
……ただ、それだけで受け止め切れるかどうかは、正直なところ分かりません。」
「あれは持っているのだろう?」と問いかけるパトリックに、
「ほら、ここに」と言いながら、ジュリアンがいつの間にか召喚魔法を唱えていたらしい。
木の精霊ドライアドが、パトリックが前回の別れ際にジュリアンに渡した木箱を抱えて出現した。
「相変わらずの見事な腕前だな、その二段詠唱は。タネを知っていても、未だにわからない」と驚くパトリック。
「マディラは見抜いていますよ。」と言いながらジュリアンは聖霊を下がらせる。
「彼女の前で見せすぎたのはありますが。だから、彼女にはこれは効かない。もっとも、二つの呪文を同時に詠唱したところで、威力もそれぞれ半減するだけのお粗末な芸ですよ」とジュリアンは自嘲する。
義弟は一瞬、遠くを見つめるような目をしながら言葉を続けた。
「ひとつ、報告事項がありまして。どうやら、彼女の中に『エルを持つ者』が入り込んでいるようなのです。彼女の魂と同化したと、本人も話していました。」
パトリックは思わず眉間にしわを寄せ、顔をしかめた。
「大丈夫なのか?そんなことをしたら、普通は正気を保てるもんじゃないだろう。そんなものを取り込まなくたって、あれは史上最恐の魔女だろ?」
ジュリアンは苦笑しながら首を傾げる。
「まったく、その通りですよ。ただ、だからこそアレに目を付けられたのかもしれません。
彼女がアレを取り込んでから、混乱する時期が一時あったようです。
自分が誰の記憶を見ているのか分からず、しばらくは苦しんでいましたが……
最近は少しずつ落ち着きを取り戻しています。とはいえ、今後も警戒は必要ですね。」
パトリックは、ため息をつきながらグラスを傾け、疲れた様子で微笑んだ。
「平和に見える国だと思ってたら、とんでもないな。お前の気苦労も、少しは察してるよ。」
ジュリアンもまた微笑み、グラスを軽く持ち上げた。「国王稼業、お互いに……ですね。」
二人は無言のままグラスを合わせ、再会の夜を静かに祝うかのように、互いの存在に安堵を感じながらその一杯を味わった。




