赤の国 1
緑の世界、グリーンフレードム国と赤の世界、ニーベル国を繋ぐ扉
マディラ、ジュリアン、そしてセバスチャンは、アルバス城敷地内の古びた祠の奥にある、一見なんの変哲もない扉を開けた。
人が通るのに十分な高さの、石造りのたった数メートルのトンネルの先には、先ほど開けたのと同じような扉がある。それは城の地下へと続く扉だった。
ジュリアンが慎重に扉を開けると、ひんやりとした空気が彼らを包み込み、その先には広がる石造りの長い通路が続いていた。
その瞬間、ジュリアンとマディラの風貌が変わる。
ジュリアンの高身長ですらりとした体格に、高貴さを感じさせる整った顔立ちや、胸あたりまで伸びた髪の毛を軽く結わえ前に流しているのは変わらないが、銀髪が濃紺に変化し、瞳もアメジストのような紫から濃い緑色になっていた。
セバスチャンは彼を見て、先日の国王暗殺未遂の時にマディラが連れていた旅人らしき不審な人物は、この姿だったのだと再認識する。
ジュリアンは、セバスチャンの視線に気付き、説明する。
「一部のニーベル人は、異世界に行くと外見が変わるんだよ。つまり、これが僕の本来の姿だね」といって、穏やかに微笑む。
ふと隣を見ると、マディラも変化していた。
ジュリアンより一回りほど小柄で、繊細で細くしなやかな手や腕、透き通るように白い肌は変わらない。
しかし、胸の下くらいまでの長さの金色のストレートの髪が、エメラルドグリーンに変わり、緩やかに波打つように広がった。
まるで大自然の湖を思わせる鮮やかさで、見る者を引き込むような美しさだ。
彼女の瞳は深い藍色で、冷静で落ち着いた光を宿すその瞳は、一見クールで遠い存在にも感じられた。
ジュリアンは、妻の変化に密かに息を呑んだ。
彼女のその高貴な存在感は、本来のマディラの人格のイメージが抜けず、かつて彼が「高嶺の花」と感じていた頃を思い出す。
そして威圧感に似た緊張を生み出し、彼の心臓が突然ドキリと跳ねた。
内気な王妃の人格が今ここにいるかもしれないと思った瞬間、彼は顔に血が上り、頬が赤くなるのを感じながら、思わず言葉を詰まらせてしまう。
「マディラ……、あの……」
だが彼女の口調は、相変わらずの気さくなものだった。
「ああ、こんな感じだったわね、この空気感。なんともいえない重さがあるのよ、この世界」
と、彼の方を向きながらいつも通りの調子で話す妻に、ジュリアンは何故かほっとした。
そして、彼はいつもの冷静さを取り戻して通路の向こうに目をやると、ニーベル国の使用人が待っていた。
使用人は、すでにこの訪問を予期していたかのように、深々と礼をしてから丁寧に案内を始めた。
「ようこそ、ニーベル城へ。応接室にご案内いたします」と、使用人は丁寧な言葉遣いで告げ、薄暗い地下通路を通って一行を上階へ導いた。
城の応接室に通された彼らを迎えたのは、マディラにとって故郷の空間だった。
重厚な木製の家具、緑と金の繊細な装飾が施されたカーテン、そして暖かみのある石造りの壁。
彼女は一瞬、懐かしさで目を細めたが、その表情はすぐに無表情に戻った。ここは彼女の実家であり、かつて彼女が育った場所だ。
「懐かしいな……」と、彼女は誰に言うでもなくつぶやいた。
一方、ジュリアンはニーベル城に対して少し異なる感情を抱いていた。
「あれからもう10年以上経つのか。ここは変わらないな」
かつて、この城で秘書官として仕えていた時の記憶が蘇る。
国王に忠誠を誓い、日々の政務に追われていた若き日の彼が、この部屋に訪れていた頃を思い出した。
今は他国の王としてこの場所に戻ってきたことに、彼は複雑な感情を抱いていたが、その内心を表に出すことはなかった。
「すごい……本当に異世界なんですね」と、セバスチャンは呟くように言い、少し落ち着かない様子でマディラを見つめた。
彼にとって、ここはまるで未知の冒険の始まりであり、全てが新鮮であった。
手が触れた廊下の手すりの感触さえも、アルバス城とは違う質感で、別の空間にいることを実感させた。
3人がそれぞれの想いを胸に応接室で立っていると、使用人は「すぐに国王が参ります」といって退室する。
国王という言葉を聞いて、急に表情が固くなるマディラ。
「父上……」
彼女の表情が瞬時にこわばり、その顔には、恐れとも怒りともつかない複雑な感情が浮かんでいた。
かつて自分を異国の地に遠ざけ、彼女の能力を抑制し続けた父親——ニーベルの国王が、今まさにこの部屋に現れるかと思うと複雑な感情が胸にこみ上げていた。
彼女は父を憎んではいないものの、同時にどう対面するべきかもわからず、恐れが自分を覆う。
隣に立っていたセバスチャンも、彼女のその表情に気づいた。
彼は以前ジュリアンから、マディラの実父は彼女の存在を憎み、異世界の地に追いやった張本人だと聞いていた。
これから、どんな状況になるのか想像し難く、思わずジュリアンの方を見るも、彼は涼しい顔をしている。
セバスチャンはこの異様な空気を感じつつも、初めての異世界での緊張に加え、家族の複雑な関係にどう関わるべきか悩んでいた。だが、ここで発言するべきではないと察し、黙って様子を伺い続けた。
しばらくして、応接室の重厚なドアがノックされた。
控えめな音だったが、その一音だけで空気が緊張に包まれた。
しかし、ドアがゆっくりと開かれて現れた人物を見た瞬間、マディラの緊張は一瞬で別の感情へと変わった。
そこの現れたのは、背が高い、しなやかで鍛え抜かれた体格で、青を基調とした金の装飾が施された華麗な軍装を身に纏う、30代の男性。肩からは赤いマントが流れている。
ミディアムショートの柔らかく波打つ金髪で、前髪は自然に額にかかる程度。整えられているが、あえて作り込みすぎず、ナチュラルな動きを保って太陽の光を受けると輝くような美しさ。
優雅で貴族らしい顔立ちで、鋭すぎず、柔らかい表情が特徴的。高貴さを感じさせる細やかな顔の造形と、青い瞳は清涼感を漂わせていて、セバスチャンが普段接するマディラの瞳の色に似ていなくもない。
ニーベル国王が部屋に入ると、最初に彼が目を向けたのは、マディラとジュリアンだった。
彼の鋭い目が二人を捉え、少し口元を緩めて「二人とも、元気そうだな」と言った後、セバスチャンに目を向けた。
「隣の青年は見かけない顔だが」と、やや興味を引かれたような口調で続けた。
マディラはその声を聞いて緊張が解けたのか、思わず叫ぶように「お異母兄様!」と言い、ジュリアンも落ち着いた声で「お久しぶりです、パトリック様」と挨拶をした。
ジュリアンは、マディラと違ってニーベル国王が変わっていたことに少しも動じていない。
「知ってたの?」と、彼女が不満気に問うと、ジュリアンはあっさりと答えた。
「知ってるもなにも、国交を結んでいるのだから、何かあれば情報が入ってくる。国を出て以来会ってないけど……」と。
ジュリアンはすでに、ニーベル国の政変の話を聞いていた。クーデターによって代替わりが起こり、王位が彼の従兄弟に移ったことも知っていたため、この対面が予期せぬ展開であったとしても、冷静に事態を受け入れていた。
パトリックは目を細めて、懐かしそうにジュリアンを見つめた。
微笑むと、目元に軽いシワができ、穏やかで誠実な印象を与える。肌は明るく滑らかで、貴族らしい気品を感じさせる。
「しばらく見ないうちに、すっかり貫禄が出たな……昔はお坊ちゃん風で、ひよっこ貴族って感じだったのに」と言いながら、わずかな微笑を浮かべた。
二人の対面は、とても和やかで、かつて親密な関係だった様子が伺えた。
異世界の国に突然足を踏み入れたセバスチャンには、まだこの空気感が少し重く感じられるが、彼はその様子を静かに見守っていた。




