親と子 12
マディラの様子が明らかにおかしいので、滝の鑑賞の様子を護衛に確認したジュリアン。
ジュリアンは椅子に深く腰掛け、手元のカップをそっと持ち上げ、軽く口をつける。温かい茶の香りが広がるが、その心は別のところにあった。
もしも本当に交戦していたなら——。彼の手が一瞬止まり、無意識にカップの縁を指で撫でる。
ハンスは彼女を見失ったことを深く詫びていたが、もし護衛も戦闘に巻き込まれていたら、それこそ命の保証はなかっただろう。
国王は軽く眉をひそめ、心の奥に押し込めていた記憶がよみがえる。
先日の自分の暗殺未遂。その時、ルカをはじめ崖から落ちて犠牲になった者たちの顔が浮かぶ。
そして、何よりセシリア——彼女もまた、自分に関わったことで闇に取り込まれてしまった。
彼は静かに、空のカップをテーブルに戻し、額に手を当てるようにして深いため息をつく。
本当に無事で良かった……。ジュリアンは再び背もたれに体を預け、窓の外の月をぼんやりと見つめる。
王妃の晩餐会後の彼への拒絶、そして護衛が言った「笑顔がなかった」という言葉が、どうしても頭から離れない。
あの表情——恐らく、護衛の仮説は正しいのだろう。彼女は、何かと対峙し、恐怖を味わったに違いない。
「肝心なことは、何も話してくれないんだな……」
ジュリアンはポツリと呟き、指先を机の上で軽くトントンと叩いた。その小さな音が静かな部屋に響き渡る。
アテナエルと同化した時もそうだった。彼女は、普段はジュリアンの意向を確認してから動くが、大事なことに限って、一人で決断をしてしまうのだ。
多分、自分に話したくないわけではない。ただ思い出したくないくらい、恐ろしい目に遭ったのだろう。
あの滝で、何が起こったのか——彼女がいつか話してくれる日が来るのだろうか。
彼は椅子から立ち上がり、窓際に歩み寄る。星空を見つめながら、そっと手を腰に当てた。
重々しい空気を感じながらも、彼は決意を新たにする。
しばらくは、彼女が話せるようになるまで見守るしかないんだな……。
彼はそう感じ、彼女を焦らせることなく、時間を与えることこそが今の自分にできる最善だと思った。
――――――――――
翌朝、国王夫妻は帰城のために馬車に乗り込んだ。
旅の途中、景色が流れる中で、ジュリアンは時折マディラに話しかけたが、彼女はうわの空の返事しか返さない。
まるで心が別の場所にあるように、以前の快活な彼女とはまるで別人のようだった。
彼は不安を感じながらも、彼女が何か思い悩んでいることに気づき、それを無理に尋ねることはなかった。
城に戻った後も、数日間、王妃は口数が少なくなり、誰かと積極的に会話をすることも避けていた。
城の使用人たちもその変化に気づいている。
「お妃様と、喧嘩でもされたのですか?」
そう、ジョナサンに心配されるほどであった。
ジュリアンはそんな彼女を心配しながら、どう接すればよいのか迷いがあり、彼女と距離を保ちつつ日々を過ごしていた。
数日後、マディラが窓辺に座り、外の景色をぼんやりと眺めていると、ジュリアンが静かに彼女の元へと歩み寄ってきた。
もうずっと、会話らしい会話をしていなかったので、彼は意を決し、優しく彼女の肩に手を置き、穏やかな声で話しかけた。
「何か、心配なことでもあるの?ずっと考え込んでいるように見える。僕は君のことを心配しているんだ。」
彼女はその言葉に驚き、はっと我に返り、数秒ジュリアンを見つめる。
しばらくの沈黙の後、彼女は自分でも気づかなかった事実に思い至った。
彼女はずっと、仮面の男をどう倒すか、どうやってこの国を守るかという考えに囚われていた。
それが原因で、彼を避けていたわけではなかったのだが、そうしているかのように見えたことに初めて気づいた。
フレデリックに会った当日は流石に、ジュリアンの顔を見るのが辛かった。
しかし、彼が行方不明になったのは昨日今日のことではなく10年ほど前な上、当時と姿が全く違っている。
数日も経てば、あれは幻だったのではないかと思い直すほど、記憶が曖昧になっていたので、ジュリアンを見ても辛い感情はさほど呼び覚まされなかった。
「ごめんなさい、あなたを避けていたわけじゃないの。ただ……滝からの帰り道からずっと大臣達のことを考えていたの。どうすれば彼らを倒せるのか、そればかり頭にあって……あなたを心配させてしまっていたのね。」
ジュリアンは彼女の言葉を静かに聞き、ハンスや自分の予想は当たっていたことを知る。
彼女はやはり、大臣側の誰かと接触をしていたのだ。
ジュリアンは微笑みながら話しかける。
「君が国のことを考えているのは知っている。だけど、君自身も大切なんだ。無理をしないでほしい。」
マディラはその言葉に少しの安堵を感じた。彼女は彼の優しさを感じ、感謝の気持ちが胸に込み上げてきた。そして、心に抱えていた重荷が少し軽くなったように感じた。
「ありがとう。あなたの言葉に、ずっと考えっぱなしだったことに気づいたわ。こんなんじゃダメね。きっと道は見つかるはずなのだから。」
王は頷き、二人はその場で静かに寄りそっていた。
――――――――――
その日の午後、マディラは静かな庭にニコラスを呼び寄せる。
柔らかな風が庭の花々を揺らし、遠くで鳥のさえずりが聞こえる中、彼女の表情はいつもとは少し違い、どこか緊張感が漂っていた。
「ニコラス、少し聞きたいことがあるの。先の大戦には存在した、とても強力なアテナエルの武器について、何か情報を知らないかしら?」
彼女はまっすぐに彼を見つめ、声にはほんのわずかな焦燥が滲んでいた。
ニコラスは一瞬戸惑った表情を見せ、彼女の真剣さに気付き、静かに答える。
「武器の話ですか……王妃様、申し訳ありませんが、家に伝わっている記録や伝承にはそのようなものは何もありません。そのような重要な情報、私に伝わっていたら良かったのですが……。」
マディラはその答えに僅かに眉をひそめ、沈黙の間が流れる。
彼女の視線は遠くを見つめ、心の中で何かを計算するような表情を浮かべた。
「そう……やはり何も伝わっていないのね」と彼女は小さくため息をつく。
「あれがないと、私たちは強大な敵に対抗できない。アテナエルの力があっても、あれがなければ、大臣達に勝てないかもしれないのよ。」
ニコラスは彼女の言葉に驚きつつも、その意図を完全には掴みかねていた。彼の目に映る王妃の姿は、いつも冷静で強いはずの彼女が、今は何か重い運命を背負っているかのように見えた。
「王妃様、彼女の武器とは一体……?」
ニコラスは問いかけるが、彼女はその質問には答えず、ただ静かに微笑む。
「……もし何か思い出したら、すぐに教えてちょうだい。ジョンソン家が何かを知っている可能性も捨てきれないわ。頼りにしているのよ、ニコラス。」
「もちろんです、家族に確認をしたり、書庫でも情報を調べてみます」
ニコラスは深く頭を下げ、王妃に敬意を表した。
彼は自分がその真実にたどり着くためにできる限りのことをしようと心に決め、その場を去るも、王妃の言葉は心に重く響き続けた。




