親と子 8
偽国王の代わりに、被災地の災害対策本部でジョナサンに指示を出したマディラ。
「それでは失礼しますわ」と言ってマディラは立ち上がる。
「ジョナサン、陛下と離れないように、同室で就寝して、帰城までずっと一緒にいてください。セバスチャン、常に陛下の護衛をお願いします」と二人に指示を出す。
その言葉にジョナサンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにその命令に従うことを決心し、一方セバスチャンは深々と頭を下げた。
マディラはさらに一歩、偽の国王に近づき、優しく抱き寄せるように腕を回す。
愛情を見せるように微笑んでから「もう、側近達とはぐれないでくださいね。城でお待ちしております」と言いながら、彼女は誰にも聞こえないように、彼の耳元で囁いた。
「ずっと国王に変身していると、万が一、刺客がきたら危険だから、皆の見送りで馬車に乗り込む時以外変身を解いていいわ。あなたの身を第一に行動して。明日の昼頃にクルガーディーに迎えに行くから」と囁く。
その言葉に、偽王は一瞬動揺したように肩をこわばらせたが、すぐに表情を取り戻し、何事もなかったかのように王妃に微笑み返した。
彼の胸中には緊張が走っていたが、その場では完璧な王としての振る舞いを崩すことはなかった。
一方、ジョナサンはその瞬間を見逃さなかった。王妃が偽の王に何を囁いたのかまでは分からなかったが、その動きと表情に何か隠された意図を感じ取っていた。
だが、今は命令に従い、陛下を守り抜くことが最優先だと自分に言い聞かせた。
そうして、マディラは仮面の男と共に、瞬間移動で王都へと戻っていった。
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アルバス城 トーラー宿舎
「夕食を持ってきたわ。あと、着替えも。」
マディラは、雨戸まで完全に閉めた真っ暗な客室で、灯りをつけてベッドに横になっていたジュリアンに話しかける。
マディラ達が帰城したら夕方になっていた。彼女はジュリアンを宿舎に入れた後、一旦王宮の謁見の間に入り、再度彼の食事を持って宿舎に足を運んだ。
国の西側と東側に分かれているとはいえ、影武者と本物が同時に存在して指揮系統に混乱を与えないためと、本人は歩き回ってなかったとはいえ、ジュリアンの体力は限界に近かったので、家臣含め誰の目も気にせずにゆっくり休む必要があったので、宿舎に身を潜めている。
災害対策本部で、ジュリアンとセバスチャンは、周りに気づかれずにひとこと二言交わすことに成功したらしい。おそらく今頃、トーラー達の間で、本物の国王がどこにいるか共有されている。
偽王を本物と扱っていたマディラに対し、終始疑惑の目を向けていたジョナサンも、今頃きっと安堵しているはずだ。
明日の昼なら、帰城したと見せかけてジュリアンが堂々と城内に姿を現しても問題ないだろうと話し、今晩はジュリアンは宿舎で一泊することにした。
「マディラ」
そうジュリアンは優しく呼びかけ、彼はベッドで上体を起こして両手を広げる。
「今?」と、戸惑いながらマディラは尋ねた。
彼は小さく頷きながら、「やっと落ち着いて、二人きりになれた」と穏やかな声で言った。
その言葉には、ここ数日の緊張と混乱がようやく一段落したことへの安堵感が滲んでいた。
彼女はしばらくその場に立ち止まり、彼の疲れた顔を見つめた。
「あまり長居できないのだけど」とマディラはため息混じりに答えたが、彼はすかさず、低く甘い声で「少しだけ」と懇願した。
その響きは、彼の身体がどれほど疲れているかを物語っているのに、彼はそれでも妻との時間を求めていた。
マディラは思わず目を伏せた。「あなた、疲れてるんでしょう?少しでも体を休めないと」と優しく諭すように言ったが、彼は柔らかく微笑んで反論する。
「人肌の触れ合いは癒しの効果があるんだよ」
ここまで言って、反論されるならもう何を言っても聞かないと思い、彼女は諦めてベッドの方に行く。
「少しだけよ」と言って、マディラはベッドの脇に座り、彼に寄り添うように身を預けた。
その瞬間、満足そうに小さく笑みを浮かべ、彼の腕がゆっくりと彼女を包み込み、二人の間に静かな安らぎが満ちた。
「あんまり城から消えるといけないから、そろそろ戻るわ」とマディラが静かに言葉を発する。
ジュリアンは、少し驚いたように顔を上げ、「これからどこへ?」と尋ねたが、その声には、ほんの少しの寂しさが含まれていた。
王妃はため息をつきながら、冷静な口調で答えた。
「今日は謁見の間のソファで仮眠して一晩過ごすわ。影武者組が全員無事に帰ってくるまで、気が気じゃなくて、後宮で落ち着いて寝ていられない」
その言葉に、国王の表情がわずかに曇った。彼は目を伏せ、疲れた声で言った。
「そうか……すまない、僕のせいでこんなことになってしまって」
彼の謝罪を聞くと、マディラの瞳には一瞬の動揺が走った。
しばし考えた後、彼女は静かに首を振り、「実は……」と口を開いた。
彼女の声は、今までになく重々しい響きを帯びていた。
「あなたが狙われているのは知っていたから、本当は一人で地方に行かせるべきじゃなかった」
そういいながら、アテナエルの記憶にあるクローヴィスがエリザベスの夫を殺したことを思い出す。
「けど、きっと大丈夫だと真剣に考えなくて、こんなことになってしまった。謝らなきゃいけないのは、私の方」
その言葉を聞いた瞬間、国王の眉が少し寄せられた。彼は静かに彼女の言葉を待ち続けた。
「1000年前、国王が殺された状況に似ている。大臣は国王の存在自体が憎いから、いつかあなたに刃を向ける日が来ると思っていた。」
彼女はそこで一瞬言葉を詰まらせ、深く息を吸った。
「だけど、一つだけ腑に落ちない点があって。今回はノクスだったのよね。
あれがもしもクローヴィスだったら、確実に悲劇が起きていた。」
王妃の声は静かでありながら、その中には複雑な感情が渦巻いていた。
「だから、あなたが襲撃された時に黒い霧が出ていたとの証言からノクスの仕業だと知り、現場捜索は難航するだろうと予想したけど、どこかで生きていると思っていた。そこがどうも……ね」
彼女はふと目を伏せ、そして続けた。
「そんなこと、考えても仕方ないわね。ともかく明日までゆっくり休んで。念の為、人よけの結界はしておいて。」
彼女はそう言って、ベッドからゆっくりと立ち上がった。彼は彼女の背中をじっと見つめ、手を伸ばそうとしたが、結局そのまま手を引っ込めた。
「じゃあね」と最後に言い残し、王妃は部屋の重い扉を静かに開けた。
扉が閉まる音が微かに響き、言われた通り、壁に手をついてジュリアンは結界を張る。
ジュリアンは再び深い静寂に包まれた部屋の中で一人、考え込んだ表情を浮かべていた。
「刺客がノクスだから死ななかったがクローヴィスだったら今頃生きていない……か」
そう呟きながら、ジュリアンは微かに眉をひそめた。
彼は拳を握りしめ、ベッドに横たわる自身の体に苛立ちを覚えた。自分の命が他者の手に委ねられているという無力感。
なぜノクスだったのか? なぜクローヴィスではないのか?
マディラの去り際の話から、ジュリアンは、先日のジャックからクローヴィスの手紙が渡された件を思い出した。
過去の王を暗殺したクローヴィス。彼は一体どんな手段で王を葬ったのか——その思考が頭を巡り、どこまでも冷たく、どこまでも深く、彼を不安の淵へと引きずり込んでいく。
彼が来るなら、どうするべきか。どんな策を講じても、クローヴィスが相手では無駄かもしれない。
ジュリアンは「悪魔の魂」の強さを正確には認識していない。ノクスとクローヴィスはそんなに違うのか。
ノクス。
どこかで聞いたことのある名前だと思った。ジュリアンは城下町の混乱を思い出した。
ノクスは闇に紛れて、民衆を巻き込んで恐怖を振りまいたが、ニコラス達が何とか撃退した。
大臣の主目的が、1000年前のように国王を亡き者にすることであれば、ノクスを城下町に送り込んだり、テラやジャックをエルニドに配備することなく、全勢力を持って自分を狙えばいいのだ。
今回ノクスが送り込まれた理由について、明確な答えは見出せなかったが、その背後に何か大きな陰謀が動いているのは確かだ。
そして魔法陣の展開といい、今の口ぶりといい、マディラとアテナエルの記憶の共有は、どこまで進んでいるのかと疑問に思う。
一度彼女とちゃんと話した方がいいのかもしれない。
彼の瞳には一抹の不安が残り続けていたが、静かに息をつき、再びベッドに体を預けた。
「今は、休まなければ……」
ジュリアンは自分にそう言い聞かせ、明日のために少しでも体力を回復させるべく、静かに目を閉じた。




