親と子 3
地下神殿
闇の将軍ノクスは、拠点にやっと戻ってきた。
数時間前、崖下の森の中、影の男は傷だらけの体で立ち上がった。
客車の落下による破壊を免れた彼の黒いマントは裂けていた。
全身に負った怪我の痛みを無視して、あたりを見回すも、馬と御者、護衛の姿しかいない。
河原には、川に向かって血の痕が伸びているのを確認し、ノクスは国王が川に流されたと結論づけた。
「今は深追いするべきではない……」そう判断した影の男は、闇に溶け込むようにして、先ほどここまで辿り着いたのだ。
そこに、仮面の男が通りがかり声をかける。
「なんだその無様な格好は。誰かと一戦交えてきたのか」
影の男は息を荒げながら、冷徹な表情を隠さず答えた。
「国王を仕留めてきた」
「ほう……奴の首はどこだ」と仮面の男は、わずかに興味を示し、手ぶらのノクスを見て、仮面の下から嘲笑が漏れる。
影の男は苦々しく顔を歪めるが、すぐに冷静を取り戻し、傷ついた体を隠して仮面の男を睨み返す。
「……崖から馬車で一緒に落ちたので、川に流されたはずだ……。河原に馬車の残骸はあるが、王の姿はなかった……」と、痛みを抑えながら答えた。
「奴は死んでいないぞ」と、仮面の男は一瞬の沈黙の後、笑みを浮かべた。
その言葉に、影の男は眉をひそめ、鋭い視線を相手に投げた。
「なんでそんなことがわかる。あの状況で生きているはずがない。川の下流を調べればすぐに死体が見つかるはずだ」
仮面の男は、まるで子供相手に話しているかのような軽い口調で答えた。
「あれはニーベル人だ。しかも上流貴族の血筋。落ちたくらいで死なないのは俺がよく知っている」
影の男は、拳を握りしめたまま声を低くした。
「お前はいつも、人のミスをあげつらってばかりで、何もやっていないじゃないか。テラもやられ、ジャックも去った。お前はなんの役に立ってるんだ」
その挑発的な言葉に対し、仮面の男は口角をわずかに上げ、余裕のある笑みを浮かべた。
「俺が出たら、全て一瞬で片付いてしまい、面白くないだろ。だから雑魚に花を持たせてやってるんだが……地下の生活も退屈だし、お前の失敗も見飽きたし、俺が動く時が来たかもしれないな」
そういうと仮面の男は短く笑い、影の男の前をゆっくりと歩き去った。
――――――――――
アルバス城 謁見の間
普段、この玉座にはジュリアンが座るが、カラスからの一報を受けて、マディラが正式な早馬を待っていた。
遡ること、ジュリアンの王宮出発直後。
国王が馬車に乗り込んで出発し、王妃が静かにその後ろ姿を見送る中、幼い姫は王妃のそばに立っていた。
小さな手で母のドレスの裾を握りしめ、じっと父が遠ざかるのを見つめていた。
しばらくして、馬車の姿が見えなくなると、姫はぽつりと口を開いた。
「お母さま……」
王妃は、娘の方にやさしく目を向けた。「どうしたの、ティナ?」
姫は不安げに眉を寄せ、口元を少し引き締めた。まるで言葉を探すかのように、ゆっくりと話し始めた。
「……あのね、さっき、目をつむったときにね、見えたの。」
「何が見えたの?」王妃は娘の頭を撫でながら、優しく尋ねた。
姫は一瞬、言葉を止め、混乱したように母を見上げた。
「……すごく暗くて……黒いものが、いっぱい。何かが……馬車のまわりにいたの。でも、よく見えないの。こわいもの……」一度言葉を切り、彼女は続ける。
「馬車が、すごく揺れて……お父さまが、落ちる……けど、谷みたいなところで……」
王妃の顔色が一瞬曇ったが、すぐに微笑みを浮かべ、娘を抱きしめながら優しく囁く。
「それは、ただの夢かもしれないわ。お父さまは強い方だから、大丈夫よ。」
王妃は優しい声で娘をなだめたが、その瞳の奥にはかすかな動揺があった。
「大丈夫、愛しい子。お父さまは必ず帰ってくるわ。」
しかし、彼女の予感が現実になるかもしれないという恐れが、一瞬、胸を締めつけた。
「アレクシウス、そこにいる?」マディラが呟く。
「呼んだかい?」
どこかから、男の声が聞こえ、彼のオーラを感じる。
「あなたなら、馬車に追いつけるかしら?万が一、のことを考えて、ちょっとお願いできないかしら。何かあったら現場の指揮に従って」
「分かったよ」そういうと、オーラが薄れていった。
「お母様のお友達も、お父様の応援に行ったから大丈夫よ。さ、あなたはもうすぐレッスンが始まるからお部屋に入りましょう」
そう娘に声をかけ、彼女の手を優しく握って、二人は後宮へと入っていった。
そうして先ほど、アレクシウスが戻ってきて、一報を受け取った。
「長距離の移動お疲れ様。そして状況報告ありがとう」
マディラは冷静にそうカラスにお礼を言ったかと思うと、近くの机の前に行き、何か紙に書き始める。
それを封筒に入れて封をすると、カラスに渡す。
「あなたならきっとクルガーディー地方の領主、アバコーン卿を知ってるわね。
明日の早朝にこれが届くように、飛んでくれないかしら。あなたにしか頼めない。
疲れているところ申し訳ないけど、お願い」
「他のやつだったら断るけど、あんたの頼みだ、仕方がない。」
そう言ってカラスは手紙を嘴に挟み、悠々と飛んで行った。
深夜の城内は、普段なら静まり返っているはずだったが、王妃は謁見の間で眠ることなくその場に留まっていた。
大広間の冷たい石床に足音が響くと、緊急を知らせる早馬が城に到着した。
「王妃陛下、申し上げます……」使者が深く頭を下げ、慎重に言葉を選びながら報告を始めた。
「国王陛下の御馬車が、ノスマンの峠越えで崖から落ちました。
残念ながら、御者と近衛隊長は即死し、馬車も大破いたしましたが、国王陛下はまだ見つかっておりません。」
その報告に、王妃の目が一瞬だけ閉じられた。
「捜索隊が現在、ノスマンの谷底を調査しておりますが、現時点では……陛下の安否は不明です。」
国王の行方が不明だという知らせを受け、王妃の顔は鋭く険しくなっていたが、周りが動揺しないように感情を押し殺し、冷静な態度を保っていた。
沈黙が広がり、周囲の臣下たちが動揺を隠せない中、王妃は深く息を吸い、震える手で玉座の肘掛けを掴んで立ち上がった。
胸の中で暗い波が押し寄せるのを感じながらも、その感情はまったく顔には表れない。彼女は静かに、しかし力強く言葉を紡ぎ出した。
「状況が確定するまで、公式な発表は控えます。まだ何もわかっていない以上、無用な混乱を招くべきではありません。」
「スターリングを呼んでください。そしてセバスチャンも一緒に」と、マディラは声を震わせながらも毅然と命じた。




