親と子 1
アルバス城 議事堂
議会の重厚な石造りのホールには、国の未来を論じる声が響いていた。
ジュリアンは王座に座り、真剣な眼差しで貴族や顧問たちの議論に耳を傾けていた。
突如扉が静かに開かれ、そこに、騎士団の指揮官と地方都市の貴族トマス・ボーフォートが息を切らして深刻な顔つきで入って来るとひざまずき、低い声で国王に伝えた。
「陛下、国の西側内陸部のカルアラで大地震が発生いたしました。規模は甚大で、一部では避難が始まっております。地割れも報告されております。」
議場が静まり返る。
首都は大陸の東部にあるため、貴族たちは揺れを感じておらず実感が湧かないようだったが、国王の眉間には深いしわが寄った。
「この国では地震は滅多に起きない。100年に一度の災厄か……」国王は低くつぶやく。
国は広大で、王都がある東部は、繁栄と安定を象徴している。
一方、西部は険しい山岳地帯や広大な平原が広がり、人口が少ないため災害も珍しい。しかし、ある日突然、西部で大規模な地震が発生した。
トマスの報告では、これまでにない異常な揺れに住民たちは動揺し、すぐに「次は疫病が広がる」「食料不足が起きる」といった根拠のない噂が広まり始めているとのことだった。
目を閉じて数秒の間、思考を巡らせた後、ジュリアンは決断を下した。
「私自らカルアラへ向かおう。あそこは王都に比べると人口は少ないが、金が取れる重要な地域だ。民の様子を見て、被災者を励まさなければ。」
侍従たちはすぐに動き出し、王宮の馬車の用意が命じられた。国王は立ち上がり、議会の一同に向けて静かに語りかけた。
「私はしばし西の地に赴く。この国のため、皆も引き続き力を尽くして欲しい。」
議会の重苦しい空気の中、国王は足早に退出し、王宮の中庭へ向かった。
やがて、馬車が用意され、広間の外では側近たちが準備を整えていた。
金色に輝く王室の紋章が刻まれた黒馬の前には、すでにジョナサンはじめ側近たちが集まり、ジュリアンも緊張感を漂わせながら馬車の周りに立っていた。
すると、報告を受けたマディラと幼い姫がそっとジュリアンのもとに歩み寄った。
王妃の表情は冷静そのものであったが、その瞳には夫への深い理解と憂慮が宿っていた。
「気をつけて行ってきて。どうか無事で……」
「心配はいらないよ。必ず戻るから。」
国王は優しくマディラの手を握り短く頷き、娘の額にキスをする。彼の言葉には力強さと確信があった。
マディラはそっと目を閉じ、国王の手を少し強く握り返し、祈りの言葉を呟く。
「民に、陛下のお心が届くことでしょう。どうか皆の安全をお祈りしております。」
そしてジュリアンと、ルカ・オルデン近衛隊長が馬車に乗り込むと重厚な扉が閉まり、馬の蹄の音が静かに響き渡る中、彼は長い旅路へと出発した。
ジュリアンは窓から一度振り返って、家族に最後の微笑みを送った。
馬のいななきが響き、馬車はゆっくりと動き出した。
西部の地方都市の災厄を目の当たりにするため、そして国を守るために。
――――――――――
数時間後 崖沿いの道
国王の馬車の一行がゆっくりと進む。
薄い霧が立ちこめ、太陽も雲に隠れている。静寂の中、突然、影の男が現れた。
馬車の上に黒い霧のように溶け込むその姿は、まるで周囲の闇そのものだった。
影のように忍び寄り、暗闇に紛れて人を襲う闇の将軍は、大臣から国王暗殺を命じられて以来、密かに城下町に戻っていて、この機会を逃すはずがなかった。
「単独で遠方へ向かう……絶好の機会だ」と、男は暗闇の中で嗤った。
国王の馬車は険しい峠道に入り、進む速度が遅くなっていた。
狭く曲がりくねった道は、片側が切り立った崖になっており、底が見えないほど深い谷が広がっている。辺りは徐々に霧に包まれ、風の音が不気味に響き渡った。
その時だった。突然不気味な影が馬車を襲撃し始めた。
影の男は指先を軽く振り、馬車の車輪にかけられた細かな鎖が崖の縁へと導かれる。馬が悲鳴をあげ、馬車は大きく揺れた。
護衛たちは声を上げて武器を構えたが、彼らが反応するよりも早く、影使いの男が暗黒の刃を繰り出した。
剣先から放たれる影のようなエネルギーが護衛たちを次々に襲い、無力化していく。
「この者どもでは王を守るには足りぬな……」ノクスは冷笑を浮かべた。
馬が恐怖に震え、急に暴れ出した。
手綱を取る御者は必死に制御しようとしたが、影使いの襲撃により、馬車は制御不能に陥っていた。
馬は激しくいななき、峠の細い道から逸れ、次第に崖際へと追い詰められていった。
ジュリアンと同乗していたルカは瞬時に異変を察知し、国王に向き直った。
「陛下、何かが馬車に!」
だが次の瞬間、影の男は空中で飛び込むように馬車の中に入り込んだ。彼の狙いは一つ、国王の命だった。
「ここで終わりだ、国王……」と影の男は囁き、手を伸ばした。
この狭い客車内で呪文魔法を行使すると、狭すぎて自分にも技が跳ね返ってしまう。
咄嗟にそう判断したジュリアンは、反射的にジャケットを脱ぎ、ノクスの顔に素早く投げつけた。
影の男は一瞬目を眩まされ、動きが鈍る。
ルカは即座に剣を抜き、影の男の追撃を阻むように立ちはだかった。
影が国王を追おうとしたその瞬間、ルカの剣が鋭く影の体に突き刺さったかのように、彼の動きを止めた。
影の男はバランスを崩し、馬車と共に崖下へと落下していく。馬車は轟音を立てて崩れ、木々にぶつかりながら谷底へと消えていった。
――――――――――
国王の馬車が崖沿いを進んでいた時、それより先を走る馬車にはジョナサンと、被害状況を報告に来た地方貴族トマスが乗り、穏やかな会話を交わしながら進んでいた。
彼らが乗った馬車は、山道をゆっくりと進んでいた。
ジョナサンの瞳は冷静に景色を見渡しつつも、心は常に国王に寄り添っていた。
支援物資を運び、現地での指揮を取るための準備は万全だ。
国王が直接民を見舞うことが、どれほど彼らを勇気づけるか、侍従長にはよくわかっていた。
道は狭く、霧がかかっていたが、特に異常は感じられず、ゆっくりと進行していた。
しかし、突然、後ろからかすかな金属音とともに、馬の悲鳴が遠くから聞こえた。
ジョナサンはすぐに気づき、眉をひそめて車の窓を開けた。
「何だ?」と不安そうに外を覗き込む。
続いて、トマスも窓を開け、首を伸ばして後方を確認する。
「何かあったのか……?」
その瞬間、さらに異変が明確になった。国王の馬車が大きく揺れているのが見え、続いて近衛隊の馬が不規則な動きをしているのが確認できた。
隊列の後方にいた近衛隊の騎馬兵が声を上げ、何か叫んでいるのがかすかに聞こえる。
同時に緊急事態発生の信号銃が撃たれ、破裂音と煙で異変が伝わる。
ジョナサンはその様子を見て、「止めろ!馬車を止めるんだ!」と命じた。
護衛たちの叫び声、馬のいななき、そして轟音——それは、国王の乗る馬車の方向からだった。
一方、前方の騎馬の近衛隊は、信号銃の音で異変に気づき、反射的に手綱を引いて足を止めた。
先頭の馬車を護衛していた近衛騎士の一人は、馬を国王の馬車へと急がせ、何が起こっているかを確認しようと振り返りながら進んでいく。
「国王陛下の馬車が乱れている!何かが……!」彼は叫びながら合図を送り、全隊が一斉に異変を察知した。
先頭を走っていた馬も、すぐにその知らせを受けて停車し、後方の様子を注視する。
霧の中で揺れる国王の馬車、その周囲で慌てて駆け回る近衛隊員たち——事態が急激に不穏になっているのを、誰もが感じ取っていた。
「陛下!」ジョナサンは叫び、馬車が止まると、すぐさま外に飛び出した。
彼は崖の端に立ち、じっと谷底を見つめていた。霧が深く立ち込め、国王の馬車が落ちたと思われる場所は暗い影の中に隠れて見えない。
だが、彼の心にはただ一つの思いしかなかった——国王を探さなければ、そして救わなければならない。




