無と有 6
後宮 一の間
マディラたちが交戦中の頃。
一の間と呼ばれる、正妃専用区画の居間は緊張した空気に包まれており、王妃の部屋の使用人たちは不安な表情で互いに話し合っていた。
王妃が旅の服装をして剣を携えて出かけたことはすでに知られており、侍女たちはその行動に不安を募らせていた。
国王に報告すべきか、それとも戻るのを待つべきか、迷っていたのだ。
その時、廊下から足音が響き、ジュリアンが現れた。
部屋の雰囲気を察し、彼の表情は険しく、何かを思案しているようだった。
昨日、マディラとエルニドの異変について会話した記憶が、彼の脳裏に鮮やかに蘇る。
あの時、彼女も異変を察知していたが、あまりにもさりげなく話したため、彼は具体的な対応策まで彼女と話し合うことができなかったが、今や事態は明白だった。
彼女は、何も告げずにエルニドのもとへ向かい、そのまま戦闘に巻き込まれた可能性が高い。
そして、聖樹の周辺で何か重大な事件が起こっているのだろう。
「王妃様がどこへ行かれたか、誰も知らないのですか?」と、侍女長のエレナが心配そうに問いかける。
「ええ、それに……王妃様だけではありません。セバスチャンもいないのです。
彼なら何か知っているかと思って宿舎に行ったのですが、スターリングにそう言われてしまいました」
別の使用人がそう答える。
「でも妃殿下は、セバスチャンとは特に面会されてませんよね?島から戻られた後。」と、エレナは返事をする。
「その経緯は不明だが、彼女は危険に晒されている……聖樹も同様だ。」ジュリアンは静かに呟いた。
――――――――――
「大地の将軍」を撃退して安堵をしていたのも束の間、「鎧の将軍」と呼ばれる恐怖の存在が目の前に現れた。
瞬間移動をするには4人はバラけて座り込んでおり、この場から全員で姿を消すことは不可能だった。
「逃げて!」
マディラは叫びながら剣を構え、背後を流れる増水した川に目を向けた。
雨上がりの激しい流れが彼らのすぐ近くを通り、河岸には小さなボートがあった。
セバスチャンがすぐに動き、アナスタシアをボートに乗せ、「あなたも乗るんだ!」とガロスに叫んだ。
「だが、王妃を置いていくわけには……!」
「私なら大丈夫。早く行って!」マディラはガロスを急かした。
セバスチャンは一瞬躊躇したが、王妃の強い意志を感じ取り、ガロスをボートに押し込んだ。
マディラは、3人が乗り込んだのを見届け、すぐさま繋いでいたロープを剣で切ってしまう。
「マディラ様!」
ボートは素早く流され始めたので、もはや彼女を待つことは不可能だった。
「必ず戻ってくる……」セバスチャンは王妃にそう告げ、ボートのオールを漕ぎ始めた。
ボートが川を流れ始めたその瞬間、鎧の将軍が王妃に迫り、彼女を捕らえた。
「お前がやったのか。テラの敵討ちはさせてもらうぞ。」
マディラは冷静に新手の将軍を見上げながらも、捕まった腕を振り払えずにいた。
セバスチャンとガロス、アナスタシアが急流に流されていく中、遠目に、彼女は鎧の男に何かをされて地面に崩れ落ちるのを見た。
――――――――――
マディラと別れて数時間後、小舟は川の下流の宿場町に到着した。
そこで一泊をして、やっと城に戻ったガロスたちは、城全体がいつもと異なる緊張感に包まれているのを感じた。
入口の門番たちは少し落ち着きがなく、厳重な警戒態勢が敷かれている。
彼らが城に近づくとすぐに、騎士の一団が迎えに来て、セバスチャンやアナスタシア、そしてガロスを厳しい視線で確認した。
「王妃は一緒か?」と、騎士のリーダーが尋ねる。
「いや、別行動だ……」ガロスが答えると、騎士たちの表情がさらに硬くなった。彼らは急いで国王に報告することを決めた。
セバスチャンが、王妃を救えなかったという罪悪感と疲労で肩を落としながら、なんとかトーラーの宿舎に戻ってきた頃、すでに日が沈みかけていた。
彼らは王妃の計らいで無事に帰還したが、彼女が新手に攫われたことが心に重くのしかかっていた。
セバスチャンは、アナスタシアやガロスと共に、長距離移動の疲労と帰城できた安堵の入り混じった表情でみんなの前に立っていた。
彼らが命を懸けて将軍と戦ったこと、そして王妃が新手の将軍に攫われたことを報告した。
ニコラスが静かに立ち上がり、険しい顔でセバスチャンに視線を向けた。
彼は先日、王妃の命令で彼と共に別の敵将軍と戦った際、負けかけたことをまだ根に持っている様子だった。
あの時は、アナスタシアが傷を負ってしまったので、彼の采配を快く思っていない。
そもそも、彼はかねてからセバスチャンのことが気に入らない。
田舎から来た身分の低い者が、王妃に近づくことに強い不満を抱いていたので、ここぞとばかりに責める。
「貴様がまた失敗したのだな」と、彼は冷たく吐き捨てるように言った。
「王妃を守ることもできないどころか、あの方に庇われる形でおめおめ逃げ帰ってきたというわけだ。」
ニコラスは冷たく言い放った。「貴様のような者が、この国のために何かできるとは思えん。」
セバスチャンはその言葉に唇を噛みしめ、反論しようとしたが、疲労と無力感が言葉を詰まらせた。
「貴様がもっとしっかりしていれば、王妃が攫われることもなかったはずだ。
なぜ、ただの田舎者に重要な任務を任せるのか。俺は初めから反対していた。」
ニコラスの目には冷笑が浮かび、彼を見下すような視線を投げかける。
セバスチャンはただ、苦しそうに目を伏せた。
ガロスとアナスタシアが、セバスチャンをニコラスから守るように間に立とうとしたその時、ジョナサンが一歩前に進み、冷静に手を上げた。
「もう十分です、ニコラス殿」とジョナサンは静かながらも強い声で言った。
「彼らは王妃の命に従い、全力で戦った。誰が責める権利がある?
どんな戦いだったか何も知らぬ者が、軽々しく非難を口にするものではない。」
彼は続けてそういい、ニコラスのセバスチャンに対する過剰な叱責を牽制する。
「彼らは、あの将軍と戦い、勝利を収めたのです。それだけでも、称賛されるべきこと。
王妃が攫われたのは、新手の将軍が現れたからであり、誰の責任でもありません。」
ニコラスはジョナサンを一瞥し、さらに何か言おうとし、その場にいる皆が息を飲む中、ジュリアンがゆっくりと現れ、セバスチャンたちの前に立った。
彼の表情は穏やかで、しかしその奥には深い考えが透けて見える。
ガロスが口を開こうとした瞬間、ジュリアンが手を挙げて静止させる。
「何も言わなくていい。状況はおおよそ把握している。」
国王は重々しく言葉を続けた。
「王妃が強力な敵と戦うことになり、君たちがその場で全力を尽くしたことは理解している。
鎧の将軍が新手では、君たちにとって荷が重すぎたのも無理はない。」
セバスチャンは、悔しさを滲ませながら言葉を絞り出した。
「ですが、私たちは王妃を守れませんでした……私の力が及ばず……。」
国王は彼ら全員を見渡し、厳かに言葉を紡ぎ出す。
「よい、これ以上誰も責めるな」と、それでも謝罪を続けようとするセバスチャンを静止し、ジュリアンは落ち着いた声で話を続ける。
「今回のことは仕方がない。王妃が自らの意志で、君たちを救ったことも承知している。
今大切なのは、彼女を取り戻すために何をするかだ。」
ジュリアンは少しの間、考え込むように天を仰ぎ見た後、彼らを見つめ直す。
「セバスチャン達がどれだけ尽力したか、そして皆がどれほどの犠牲を払ったかも。
テラとの戦いで疲弊しながらも、無事に戻ってきたことを私は評価している。」
セバスチャンは顔を上げ、ジュリアンの言葉を聞いて驚いた様子を見せた。彼は続けて言う。
「君たちはよく戦った。
彼女が攫われたことは私にとっても痛恨の出来事だが、君たちが何もできなかったわけではない。
過去の戦いに囚われることなく、未来に目を向けよう。」
国王は優しい眼差しでセバスチャンを見つめた。
「疲れただろうから、少し休んで。そして、次の戦いに備えて、再び力を貸して欲しい。」
とジュリアンは彼の肩に手を置き、優しく言った。
セバスチャンは深く頭を下げ、彼の言葉に感謝しながら、王妃のために戦う覚悟を固めたのだった。




