無と有 2
王都近郊の離島の地下水槽にて
「1000年の時を経て蘇り対立している大臣に、王位譲り、親子3人でひっそりと暮らそう」
思ってもみなかったジュリアンの提案。
マディラは少し黙り込んだ後、静かに言葉を紡いだ。
「多分、大臣が欲しいのは国の実権だけではなくて、私もよ」
「え?」っと、ジュリアンは思わず聞き返し、彼女の表情を覗き込む。マディラはその視線を避けるように小さく笑い、続けた。
「正確には、私じゃなくてもいいと思うけど。当時の王妃、エリザベスとの婚約が破談になったことも恨みに思っているなら、彼の野望はそっくりそのまま貴方と入れ替わることよ」
その瞬間、彼の表情が硬くなり、深いため息をついて「それはダメだ。前言撤回」と、やや険しい口調で言い放った。
ジュリアンの即答に彼女は苦笑し、自分の体の前で組まれている彼の手に、自らの手を優しく重ねる。
「提案、ありがとう。私は大丈夫だから。」
そう言ってマディラは見上げるように振り返り、二人は軽く口付けを交わす。
そしてまた海の中に広がる美しい世界を眺め続け、二人の心を少しずつ落ち着かせていた。
神秘的な静けさを楽しんだ後、ゆっくりとしたペースで二人は地上へと戻ってくる。
その時。
声をかけられた気がして、「今、誰かに呼ばれた?」と、あたりを見回すマディラ。
「まさか、バレてないよ思うよ。警護の者はいるかもしれないけど、彼らが呼びかけるとも思えないし」と、返事をするジュリアン。
小旅行で得たリフレッシュ感と心の絆を胸に、二人は王宮へと帰還した。
帰りの船で、ジュリアンは外を眺めていた時、視界の一部が歪むように感じられ、海上にも関わらず一瞬だけ木々がゆっくりと揺れる幻を目にする。
また城にて、彼が日常業務に戻る中、突然として大地の奥深くから低く響くうめき声のような振動が体全体を襲う。
ジュリアンはこの異常な感覚に立ち止まり、国土のどこかに深い乱れが起きているのを感じる。
そして城内のバルコニーから、国全体に結界を張っている巨大樹、エルニドの方を眺めていた時、船上で感じたような視界の一部が歪むような感覚と、一瞬だけ木々がゆっくりと揺れる異常を目にした。
今回は、バルコニーに手をかけていた左手の指輪のあたりに、違和感を感じる。
聖なる木とその周辺に異変が起きていると考え、彼はマディラにその話をする事にした。
マディラもまた帰城後、後宮で侍女に遠出の思い出を話をしていると、エルニドに呼ばれている気がした。
地下水槽から出た時に聞こえた声は、彼だったかもしれないと思い返す。
普段は樹の中にいる時しか話さないので、とても珍しい事である。
ジュリアンを含め誰も知らない事だが、結界のエネルギー源はマディラであり、そろそろ「補給」の時期だったかもしれないと思い、彼女は樹の中に行く。
すると、滅多に話しかけないニドから、樹の広大な根元、麓の地面が大変だと聞かされる。
麓は基本的に樹海が広がっているが、1箇所、上流の川と森が接近する一帯だけ、森と共生している集落があり、そこが何者かに侵略されているのが遠目に見えた。
マディラは直感的に、5大将軍の誰かの侵攻ではないかと考えた。
――――――――――
エルニドの東側の集落
エルニドの麓の集落は穏やかな日常を送っていたが、その空気はある日突然破られた。
周囲に植えられた木々がざわめき、土の匂いが強く立ち込める。
地面がわずかに揺れ始め、村人たちは不安げに空を見上げた。
その時、重厚な音が遠くから響き渡り、地響きが徐々に近づいてきた。
大地の将軍、テラが姿を現した。
彼は大地の巨人とも言えるほどの巨体で、大地そのものから生まれたような重厚な存在感を放つ。
暗褐色の甲冑に包まれた彼は、鋭い槍を片手に持ち、その背後には数十人の地の者が続く。
テラの乗る馬も異常なまでに大きく、蹄を地面に打ちつけるたびに小さな振動が走る。
地震のような規模の揺れが、近づくたびに増幅していく。
「集落は私のものだ!」テラの低く響く声が空気を裂き、地面が大きく裂け始めた。
村人たちは恐怖に駆られて逃げ惑う。
彼らが慣れ親しんだ大地が、今や敵となり牙を剥いて襲いかかっているかのようだ。
ある家の地面が突然裂け、木材で作られた家が瞬く間に崩れ落ちる。
村人が声を上げる間もなく、次々と地割れが広がり、地面が崩壊していく。
テラの指示を受けた地の者たちは素早く駆け回りながら、村を蹂躙していく。
彼らは住民の不安を餌に力を得て村を制圧していく。
木々は倒れ、村の建物は一瞬で破壊されていった。
地の者の一匹が村人を追い詰め、槍を構えたその瞬間、地面から土の柱が勢いよく隆起し、村人を押しつぶそうとする。
「逃げろ! 大地が我らを裏切っている!」
村の年長者が声を振り絞り叫んだが、テラの支配下にある大地は彼らの逃げ場を次々と閉ざしていく。
大地の将軍テラの笑みが徐々に広がり、その巨体を震わせながら言葉を続けた。
「この地は、私の力の下に屈服するのだ。誰も、聖なる木すらも、この大地の怒りから逃れることはできない!」
彼が手を振り下ろすと、大地が再び大きく揺れ、集落の一角が完全に崩れ去った。
村人たちの叫び声が空を切り裂く中、テラの部下たちは集落全体を包囲し、さらなる攻撃を準備していた。
――――――――――
城下町 ガロスの家
マディラは、エルニドから帰ったあと、後宮を訪れたジュリアンにエルニドの麓の集落が危険に晒されているかもしれないと話した。
巨大樹と会話ができることを秘密にしているため、それとなく何かが起きていると仄めかしたところ、彼も、大地がざわついたり結界が不安定になっていることを感じ取っていた。
翌日、様子を見に行こうと思い立ったが、一人では流石にまずいと思い、ガロスを誘うことを思いついたのだ。
王妃が彼の住処に足を踏み入れると、そこにはガロスの他に、セバスチャンと、商人の娘がいた。
「あ、マディラ様どうされたのですか」
思いがけず彼女に会うことができて声が弾んでいるセバスチャンだが、彼女の服装を見て質問をする。
王妃は、旅のために王宮で見慣れた華やかなドレスではなく、動きやすい庶民風の旅の服装をしていた。
彼女は身体にフィットした黒いレザーのジャケットを羽織り、深い森の緑と自然に溶け込むような落ち着いた茶色のズボンを履いている。革のブーツで足元をしっかり守っている。
また、彼女の髪はまとめられ、腰には簡素ながら精緻な装飾が施された剣が収まっていた。
「ええ、ちょっとガロスにお願いがあってね。そちらのお嬢さんは?」
町の娘は少し緊張した面持ちで、王妃に対面した。
アナスタシアは、トーラーの宿舎でジョナサンに助けられて息を吹き返した後、タイミングが合わなくてマディラに挨拶ができていなかった。
町娘は一歩前に出て、少しおどおどしながらも礼儀正しく頭を下げる。
「初めまして、王妃様。私はアナスタシアと申します」
「彼女ですよ、死神のカードのトーラーの」と、セバスチャンが説明を付け足す。
「どうぞよろしくお願いいたします。」
マディラはアナスタシアの挨拶に微笑みを返し、静かに頷く。
「あら、あなただったのね。こちらこそ、よろしく。私の身分を気にせず、楽にしてね。」と優しく声をかけ、できるだけフランクに振る舞う。
「先日、いろいろあったから報告に来てくれたんだよ。」
そう、状況説明をするガロス。
トーラーの3人は、先日の城下町の一件で打ち解けた様子で、特にセバスチャンとアナスタシアはずいぶんと仲が良さそうだった。




