交わり 11
深夜近く
ジュリアンは予定より早く帰城したため、いくつかの公務に対応をしていたら、就寝が深夜近くになってしまった。
夜遅くまで侍女を働かせるのも悪いと思うので、深夜近くの就寝になる場合は、いつも執務室に近い小規模な寝室で寝ている。
しかし、先ほどのマディラの様子が気になり、後宮で寝ることにした。
流石にもう寝てるな、と思い、起こさないようにベッドに入り、マディラの顔をそっと覗き込む。
マディラがぱちっと目を覚まし、こちらをチラリと見たので「起こしてすまない」と彼は小声で言った。
「いや、なかなかタイミングが合わなくて、こんな時になってしまった」という彼女のその声はアテナエルだった。
目の前の彼女は、いつもの優雅さや落ち着きが消え、どこか冷たい笑みを浮かべていた。
声色も普段の柔らかさとは異なり、別人が支配していることがわかる。
月光が王妃の顔を照らし、その影が揺れるたびに彼女の表情は変化し、何か不穏なものが漂っていた。
しばらく無言で見つめあったところ、彼女は「マディラのこと、不安か」と、まるで挑むような声で問いかけてきた。
「え?不安とは」と、ジュリアンは戸惑いながら返した。
アテナエルはにやりと笑い、さらに言葉を続ける。
「そなたはかつて、後宮に閉じ込めてずっと彼女を独占したいと言っていた。」
その言葉に、ジュリアンの心が一瞬ざわめいた。
まるで彼の過去の思いを見透かされたかのように、鋭い一言が胸に突き刺さる。
王妃への独占的な感情を思い出し、彼は少し居心地の悪さを感じながらも、相手の言葉に耳を傾けた。
彼女は目を細め、さらに低い声でささやいた。
「外に出ることになると、自分の知らないところで、男と一度限りの関係を持つこともあり得るだろう。
大人同士のすることだ、そなたが嫌がると分かっていても、最終的には本人達の判断だ。
そんな彼女は、信用できないか」
部屋の静寂が深まり、時折、外の風が窓辺を揺らす音だけが聞こえていた。
ジュリアンはしばらく沈黙し、その問いかけの意図を探りながら、口を開いた。
「信用できないというより……」
上体を起こしたままで枕に寄りかかって少し考え込んだ後、言葉を慎重に選びながら、彼は続けた。
「今回のことに限って言えば、彼女本人が少し混乱しているように見える。不安とか不信感というより、心配する気持ちの方が強い」
その言葉に、彼自身の本当の気持ちが浮かび上がった。
マディラを信頼しているが、彼女の心の揺れや、近頃の言動に対する懸念があった。
彼は彼女の身に何が起こっているのかを知りたくて、同時に彼女を守りたいという思いが強く胸を締めつけていた。
アテナエルは、その答えを聞いて一瞬沈黙し、ふっと笑みを浮かべた。
「なるほどな」と言いながら、冷たくも理解を示すように返す。
「安心しろ、彼女が言った通り、クローヴィスはすでに死んでいる。1000年前にな」
彼の顔に驚きが広がった。
「え、それはつまり」と問い返すが、アテナエルは言葉を被せた。
「どうやら、ワラワの、というか先の大戦時の器、エリザベスの記憶が時折流れ込んでいるらしい。」
アテナエルの声には不気味な確信が込められており、その言葉はジュリアンの心に奇妙な安堵とさらなる疑念を植え付けた。
彼は眉をひそめ、彼女の言葉が持つ真実を探ろうとするように、王妃の姿をじっと見つめた。
しかし、目の前の彼女は依然として冷静で、何もかも見通しているかのような態度を崩さなかった。
部屋に漂う静寂の中、彼はアテナエルの言葉が持つ意味に心を乱されつつも、その裏に隠された真実を理解したい。
彼は静かにアテナエルの言葉を聞きながら、心の奥に広がる疑念と不安を整理しようとしていた。
目の前の王妃は、その表情から感情を読み取ることができず、冷たい眼差しを彼に向けている。
その不穏な雰囲気は、依然として別の存在が彼女の体を支配していることがわかる。
アテナエルは淡々と話を続ける。
「今は断片的なので、連続的な記憶として繋がらないうちは現実に起きていることと区別がつかず辛かろう。
連続的になったところでマディラが正確に理解するとも限らないいし、そもそもそれが事実かどうかなんて、どちらでも良い事だ」
その声には、過去と現在の曖昧さに対する冷淡な無関心が滲み出ていた。
アテナエルは、過去の出来事をただの記憶の破片として扱い、そこに感情を見せることはなかった。
彼は眉をひそめ、アテナエルの言葉に耳を傾ける。
彼女の「どちらでも良い」という言葉に、不安が募る。
彼にとって、事実確認は国の未来を左右する重要なことだが、目の前の人物はそう捉えていない。
アテナエルは、彼の思考を読み取ったかのように続けた。
「彼の件で言えば、あれは正確にはエリザベスに殺されたのではないが、彼女の解釈ではそうだった。
そもそも、彼女の精神状態もかなり危うかったので、その認識を正すことはもはや不可能だが」
ジュリアンはその言葉に驚きつつも、心の中で何かが繋がるのを感じた。エリザベスの感情——それは、事実ではなく彼女自身がそう信じているだけのことなのかもしれない。
「一つだけ確認したい。過去の記憶の事実確認は無駄だと言われた後ではあるけど」
ジュリアンは慎重に問いかけた。
アテナエルは軽くうなずきながら答える。
「ワラワが全てのことを記憶しているわけではない事を承知でか」
その答えに、王はさらに深く突っ込む。
「あの小屋で、エリザベスとクローヴィスが初めて出会ったのかい」
彼は静寂の中、彼女の反応を待った。
アテナエルは少し間を置いて、ゆっくりと語り始めた。
「あぁ、山の地形はともかく、恐らく何回か立て替えているとは思うが、まさか当時に似た建物があのままあそこにあるのは驚きだった。もっとも、ロッジというものが、1000年で劇的な進化を遂げるとも思えないが」
その言葉に、彼の心は少しずつ重くなる。1000年前、同じ場所で二人は出会っていたのだ。そして、その出会いがもたらした結果は今に影響を及ぼしている。
ジュリアンはさらに問いを続ける。
「二人の関係は?」
アテナエルは短く答えた。
「あれは敵だった。だが敵対する前に出会ってしまい、心を開いてしまっていた」
その言葉に、彼がふっと息をつき、過去の出来事とマディラの反応が繋がった気がした。
「それで、彼女のあの反応か。なるほど」
王妃が混乱していた理由が見えてきた。彼女の心の中で、1000年前の出来事が影を落とし、今の行動に影響を与えているのだろう。
部屋の中は、再び静寂に包まれる。月の光が静かに窓から差し込み、二人の影を長く引き伸ばしていた。
アテナエルが語る過去の真実が、ジュリアンの心に一瞬、桜の下で出会った各務蒼を思い出し、そしてその結末として時薬が必要だったことを思い出す。
「そなたにも迷惑がかかったようで、申し訳ない」そう言いながら、アテナエルは眠りにつきそうなのか、だんだん目が閉じていく。
「そういうことだったのか。状況、理解した。」
ジュリアンがそう言い終わった頃には、完全に目が閉じていた。
マディラは、アテナエルとの対話の後、まるで安らぎを見つけたかのように完全に目を閉じていた。
その表情は、いつものように緊張感や迷いがなく、穏やかさすら感じさせた。
彼女の呼吸は落ち着いており、今や夢の中にいるようだった。
ジュリアンはしばしその顔を見つめ、彼女の内面の葛藤を思い、心の中で寄り添うような感情が湧き上がってきた。
自分が理解しきれない領域——1000年前の記憶や魂の繋がり——それらが彼女の心をどれだけ縛っているのか、まだ完全にはわからない。
しかし、それでも彼女を守りたい、支えたいという想いは揺るぎなかった。
「辛いことがあったらちゃんと言ってね、それで気持ちが軽くなるなら、僕は受け止めるから」
彼の囁きは、静かな夜の中で優しく響き、彼女の眠りに寄り添うようだった。
王妃は反応することなく、ただ静かに眠り続けていた。
彼は彼女の髪をそっと撫で、その指先に感じる微かな温かさに安堵を覚えながら、自分も静かに布団に身を沈めた。
柔らかな布団の感触が身体に広がり、彼もまた、王妃のそばで少しずつ意識を手放していく。
窓の外では、夜の静けさが支配する中、月明かりが二人の寝顔をぼんやりと照らしていた。
千年の記憶や過去の影が何度もこの部屋を覆ったとしても、今はただ、穏やかな眠りが二人を包んでいた。
これで「交わり」は終了です。
次から「無と有」になります。




