ふる傷 10
国王の執務室を出たところ。
「どうした、セブ」
閉まったばかりの執務室の扉を見つめていたセバスチャンに、ジュリアンが話しかける。
「あ、いえ……、なんでもありません。すみません」
さっきの感じ、なんだろう……と思いながら、マディラの方がなんだか緊急事態のようなので、慌ててジュリアンの後ろをセバスチャンは小走りについて行った。
「え?マディラが僕と口論して落ち込んでる??」
廊下を大股で歩きながら、エレナたちが急に執務室に来た理由を聞いたジュリアン。
二人が部屋に入ってきた時の硬い表情から、彼女に何かあったのだろうと予想していたが、身に覚えのない話が出てきて驚きの声を上げた。
「口論も何も、ここ数日は、スケジュールが合わなくて後宮に立ち寄れていない。ましてや、彼女と会話なんて、していないのだけど」
「陛下から、背中の古傷の事に触れられたり、最近の突拍子もない行動について叱責を受けておりました。そして貴族の方々から、王妃は力不足だからもう一人後宮に受け入れるような圧力がかかっているという話までなってしまい……」
エレナは、ここ数回の二人の口論の内容を、まとめて彼に報告する。
ジュリアンはそれを聞いて、心の中で舌打ちをする。
政治の駆け引きで、後宮に誰かを受け入れるようにという話は、彼が王位についてからずっと出ている事ではあった。
しかし、何回か検討したけど前向きになれず、慎重に検討すると濁して、自分のところで話を止めていたのに、誰がそんな話を彼女に……!
しかもどんな無神経なやつが、わざわざ言わなくてもいい彼女の傷跡について、今更口にするんだ。
そんなことを内心呟いていると、口論の内容を知ったセバスチャンがエレナに対して話しかける。
「そんなお話があったのですね。僕、全然知らなくて……」
「いや、知らないも何も、僕は彼女の前でそんな話をしたこともない。デマを信じないでくれ」
即座にその内容を否定をしながら、一の間の居間の扉を軽くノックし、断りを入れずにジュリアンが扉を開けて入室する。
彼が急に登場したせいもあるのか、自分を見つめる侍女たちの顔が一様に硬い。
「マディラは?」
そばにいた女性にそう短く彼が質問すると、怯えたような視線でこちらを見てくる。
それだけで、自分が不在の間に異変が起きていたことが読み取れた。
「私が退室している間も、寝室から出られてませんか?」
そうエレナが重ねて質問をすると、使用人は小さく頷きながら
「恐らく、まだいらっしゃるとは思いますが……」
そういいながら、何か言いたげな表情で口をつぐんでいる。
「君に何か非があるわけではないから。話してくれ」
そう、ジュリアンが続き話すようにを促したところ、彼女は遠慮がちに続きを話す。
「多分、お妃様だと思うのですが……その、チラリとご様子を伺おうとしましたところ、黒髪のお若い女性がいらしたのは見えましたが、それがお妃様なのかどうか……」
——誰がそんなに彼女を追い詰めたんだ!
それを聞いた瞬間、ジュリアンの顔が激怒のあまり、冷酷な目つきの激しい表情に変わり、硬く拳を握った。
だがすぐに目を瞑り、数秒後に目を開いた時には、いつもの穏やかな彼に戻っていた。
「ちょっと、僕一人で話してくるから、誰も入ってこないように」
ごく冷静に、落ち着いた声でジュリアンは使用人たちに命令をする。
自分で国王を呼んできたものの、その一言を聞いたエレナが驚いて、ジュリアンの入室を止めようとする。
「だ、大丈夫なのですか?先程はかなり険悪な雰囲気になっておりましたが……。
このタイミングで陛下のお顔を拝見したら、マディラ様の精神が持たないのではないかと。
せめて、一度私がお声がけしてからの方が……」
「大丈夫だよ。彼女のことは、僕がよく知っている。今、室内にいるのは、黒髪の少女なのだろう?」
侍女長の提案に、伏目がちにそう言い残し、ジュリアンは寝室に消えていった。
――――――――――
寝室の入り口には、王妃のフラットシューズが散乱していた。
先ほどの侍女の証言が正しければ、脱ぎ捨てたのではなく、足に合わなくなり、脱げてしまったのだろう。
黒髪の10歳くらいの少年は、そっとその靴を拾いながら、この部屋の主を探した。
人影らしきものが、自分の立ち位置から見て真反対に見える。
ベッドと壁の隙間に黒髪の少女が、壁に背を預ける形で膝を抱えて突っ伏しているのを見かける。
静かにその隣まで歩いて行き、靴をそばに置いて、隣に同じように膝を抱えて座る少年。
彼と同じ年頃の少女は、泣いているわけでもなく、かといって眠りに落ちているわけでもなく、ただ静かにそこに存在していた。
どれだけ心無い言葉を浴びてしまったのだろうか。
この国の王妃は、心に無数の傷を負ってしまい、彼女の原点である少女時代まで、時を戻してしまっていた。
ジュリアンはそれに合わせて、当時の自分の外見に姿を変え、静かに、ただそばについていた。
ほんの数分だろうか、それとも十分以上経過しただろうか。
直前の自分たちは、かなり険悪な雰囲気だったと聞いていたが、今は彼が隣にいても、彼女は特に拒絶をする雰囲気ではなかった。
あの時と同じだろうか——
彼が彼女と出会ってすぐ、山奥にて、使用人と3人でひっそりと生活していた頃。
当時は、傷ついた彼女に何もしてあげれることがなく、数十日もの間、淡々とした毎日を過ごしていた。
——いや、今は違う。
自分は常に彼女と共にありたいと思うし、何が起きたかはわからないが、自分が彼女を傷つけてしまったらしいので、自ら動いた方がいいのだろう。
ジュリアンは、膝を抱えている少女の手にそっと自分の手を重ねながら、呟く。
「僕と同じ顔、同じ声、同じ名前の人がいたとしても、惑わされないで。
僕は君の過去も、未来も全て受け入れる覚悟をしたから、一緒にいることを選んだ。
そのままの君でいて欲しいと、僕は思っている。変わらなくていいし気にしないで。」
——本当は何があったか聞かせて欲しい。今どう思っているかも。
その衝動をグッと堪え、慎重に言葉を選び呟く。彼女の閉ざされた心を少しずつ解きほぐすために。
再び沈黙が部屋を支配する。だが、何かぽつりと聞こえた気がする。
「何?」
「……」
よく聞き取れなかったので聞き返すも、本当は何も言ってなかったのではないかと思い始めた頃。
「——知ってる」
そう、今度は小さいながらも、はっきりと彼女が話したことが聞き取れた。
その反応から、心を完全に閉ざすという最悪の事態には至っていないとわかり、少年はほっと胸を撫で下ろしつつ、彼女の髪を何度か優しく撫でる。
「それでも……、面と向かって、自分が温かい家庭に恵まれなかった事実を突きつけられたり、過去の発言を全否定されたら、やっぱり傷つく」
姿勢を変えないまま、再び声が聞こえた。
「それはそうだよね。守ってあげられなくて、ごめん。」
ジュリアンの声には後悔と無念がこもっている。守ると誓った人を苦しめた責任が、彼の胸を締め付けていた。
その一方で、心ない言葉を投げつけた人物と、今隣にいる者の区別はついているらしく、それがわかっただけでも、状況は全く違う。
彼は少女の頭を撫で続けながら、呟く。
「たとえ世界が過ちの色に染まろうとも
つないだ手は ずっと離れないと信じている
たとえ偽りと見なされようとも
君への想いは 変わらないから」
そうして、何度か頭をポンポンと叩いて、少年は立ち上がる。
「公務に戻らないと。きっともう大丈夫だと思う。またくるよ」
名残惜しそうにマディラを見つめながらそう言い、ジュリアンは静かに出口に向かった。
彼女から反応はなかったが、きっと自分の声は届いていると彼は信じた。




