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ふる傷 1

アルバス城 城下町


週末はマーケットが開催される。

普段は静かな街並みが一気に賑やかさを取り戻す。

城のそばに広がる広場に、色とりどりのテントや露店がずらりと並び、町中から、そして近隣の村々からも人々が訪れては、商品や食べ物を求めるために集まる。


マーケットが最も賑わう昼下がり。

一人の男がマーケットの端に近い雑貨や手工芸品が並ぶ区画を歩く。

ここは露店が密集し、通りがやや狭くなっており、買い物客がひしめき合っている。

彼はこのエリアで珍しい香辛料を売る屋台を見つけ、商品を手にとって見ていた。

シンプルなブラウンのレザーブーツに、ゆったりとしたグレーのシャツとダークグリーンのジャケットを羽織り、頭には目立たないように深めのフードをかぶっている。

中肉中背で、程よく筋肉がついているが、派手さはなく機能的な体格をしているのが上着を着ていてもわかる。


「——やられたか」と、彼は小さく呟く。

普段から人々を観察する目を持っている彼は、すぐに何かが盗まれたことに気付く。

落ち着いた動作で手をポケットに伸ばすと、そこには当然あるはずの財布がない。

背後から近づいてきていた、グレーのマントを羽織っていた女性に財布を巧妙にすられていた。


彼の鋭い目は、すぐに犯人を見つけ出す。

若い女性は素早くマーケットの人ごみの中を抜け、城壁近くの外れに向かって駆け出している。彼は冷静にその後を追いかける。


城壁内の、広場からずいぶん外れた場所で、ついに彼女を追い詰める、フードを被った男。

スリは身軽に建物の隙間をすり抜け、細い路地の奥に逃げ込もうとするも、そこに先回りした彼が、彼女の行く手を静かに塞ぐ。


「もう逃げられないぞ」と、彼は冷静な声で言う。

が、青に近い黒髪の女を追っていたはずなのに、目の前にいるのは淡い紫の髪をした青年。

いつの間にか、マントもボロボロの薄いものに変わっている。

だが、確かにこの少年が彼の財布を持っているのが、彼にはわかった。

「離せ、なんだよ、いきなり」

「盗んだものを出せ」

「そんなもの、しらねぇよ」

「では、この場でマントをとって、ポケットを全部ひっくり返してもらおうか。」


若い男は一瞬相手を睨むが、その後、ポケットから盗んだ財布を取り出し、投げ返そうとする。

「わかったよ、返すから見逃してよ!」と少年が叫ぶ。


フードを被った青年は財布を確認し、中から紙幣ではない、珍しいカードを出し、その無事を確認する。

「え、お前、俺のカードを取ったのか??」

カードの背表紙を見た少年が、驚いたように青年に問いかける。

(?。このカードに興味があるのか?)

少年の問いかけの、その意味を理解していない為、彼は特に返事をしない。


フードを被った青年は、少し考え込んだ様子でスリの少年を見つめる。

「腕前は見事だった……」

彼の目には怒りではなく、むしろその身軽さと巧みな手つき、何よりも彼のその変装能力に興味が湧いたようだ。

「お前のそのような才能を、こんな場所で浪費するのは惜しい。」

少年は彼の言葉に驚き、次に何を言われるのか警戒した様子で一歩後退する。


「一つ提案がある。私の知る仕事で、その腕を役立てる機会を持たないか?——もちろん、正当な報酬も出る。」

青年は、少しの間を置いて静かに話しかける。

少年は混乱した表情を浮かべながらも、この背の高い男の真剣な様子を感じ取り、次第に興味を抱き始める。

彼が、単に捕らえて罰を与えようとしていないことに気付き、彼の申し出に耳を傾けた。

「どんな仕事?」と、少しの好奇心と疑念が入り混じった声で少年は尋ねた。



――――――――――



マディラの帰城後


王宮の中庭の大きな木の下で幹に背中を預けて、ジュリアンは、ぼーっと景色を眺めている。

彼の出身である、ニーベル国のヴィンランド家の家系は土の加護を受けているので、彼は時々森の中にいると英気が養われる気がしている。

ただ、山奥に行ってしまうと、かえって木々のざわめきやそこに住まう生き物たちの気配が気になってしまうので、大きな木のそばで見晴らしがよく、小川が流れているのが見えるこの位置が、一番気に入っている。


マディラの周りが慌ただしくなってきており、ジュリアンは自分の存在価値がわからなくなっていた。

——自分だって彼女の役に立ちたい。

そう思ってはいるが、国家元首という立場でそう簡単に動けず、セバスチャンやガロスをはじめ、これから多くのトーラーが彼女の元に集結し出したら、彼女が自分と関わる時間の絶対量は減るのが寂しく思える。


今までがきっと、幸せすぎたのだ——。

彼女を後宮に閉じ込めて独占をし、好きな時に好きなだけ触れ合う事ができた日々。

本来、王妃はもっと活躍してもらって国の発展などに貢献してもらえる逸材なのに——アテナエルが言うように。

ふぅ、と小さくため息をつく。

頭でわかっていても、身勝手な自分が、それを受け入れられないでいた。


「やっぱりここにいた」

右肩背後から、そう声が聞こえた。

いつの間にかマディラがいたのに、気が付かなかった。

彼は声がした方に顔を向ける。

振り返るとすぐそばに彼女の顔があった。

彼女は自分の背後にチョンとしゃがみ込んでいたので、彼女の目の高さは、座っている自分とちょうど同じくらいだった。


「事務局のジャンが、式典の詳細で確認したいことがあるけど、あなたが見つからないって後宮まで探しに来ていたわよ。アポは取っていないそうだけど」

と話しかける彼女に、あぁそうなんだ、とジュリアンは気の無い返事をした。


「一人になりたい時は大抵ここにいるかなって思ってたから……。ジャンに、ここに行くようにいう事もできたけど、この場所を知られたくないかなって思って、私が来ちゃった。——いまいち元気がなさそうだけど、何かあったの?」

「別に何も……」

彼はそんな冴えない顔をしていた自覚はなかったので、質問に意表をつかれたが、咄嗟に何もないと言おうとして、途中で言葉を切る。

今後、当分ついてまわるこの問題を、ずっと先まで曖昧にしているのは良くないと思い直したからだ。


ジュリアンは遠くを見つめながら、重く沈んだ声で「……僕は、君のそばにいる資格はあるのかな、と思って」とつぶやいた。

彼女は、その言葉に驚きを隠せず、一瞬息を呑んだ。彼の横顔を見つめながら問いかける。

「どうしたの?急に」


彼は、言葉を選びながら、静かに続けた。

「君は、本来城の奥にこもって日々大人しく過ごすのが勿体無い人だ。——僕がよく知っている。

だけど、それでも敢えて政治に関わらせず、最低限の公務にだけ出てもらうようにしていたのは……、僕のわがままだ。」

一度言葉を切り、目を伏せて彼はつぶやく。

「それが、アテナエルを取り込み、外で活動するようになって、君本来のあるべき姿になろうとしている。

そうなったら、能力で劣る僕はそばにいる価値がないな、と思って。」

彼の声が徐々に小さくなるにつれて、マディラはその意味を考えた。

彼の心に深く根付く自己否定と不安が、今になって言葉として表れていることがわかる。

彼の横顔には影が差し、表情は沈んでいた。


「君にしてあげられることが、何もない。」

ジュリアンは声をさらに落とし、まるで自分自身に語りかけるように、そう呟いた。

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