独り旅 10
後宮 その日の夜
セバスチャンは、後宮内に割り当てられた客室で一人、静かにその日の出来事を思い返していた。
昼間、王妃が自分の手を取ってくれた瞬間が何度も頭をよぎる。
彼女が、自分に対して何か特別な感情を抱いているのではないかと、微かな期待を抱いていた。
ふと、明日の予定を確認しようと、王妃の客間を訪れることにした。
セバスチャンは、今いる場所が後宮だと言われても、それが何を意味するのか深く考えていなかった。
先ほど訪問した豪華な客間のドアの前に立ち、軽くノックしてからそっと覗き込むと、部屋は誰もいないように見える。
しかし、暗がりの中、窓の向こうに見えるバルコニーの人影に気づいた彼は、一瞬息を止めた。
バルコニーには、二つの人影。
月明かりの下、女性が肩を寄せられ、彼女の肩を抱いているのは、昼間会ったあの青年——いや、国王その人だった。
二人は並んでバルコニーに立ち、リラックスした様子で飲み物を口にしながら、穏やかな会話を交わしているのが見て取れる。
国王は、優しい表情で王妃に耳を傾けており、彼女もまた、微笑みを浮かべながら旅の出来事を話している様子だ。
セバスチャンは、その光景を遠くから見つめたまま、胸の奥がズキリと痛むのを感じた。
昼間、彼女が手を取ってくれたあの瞬間に期待してしまった自分が、今は恥ずかしくさえ思える。
あれは、ただの王妃としての優しさ、日常の彼女の自然な振る舞いに過ぎなかったのだ。
自分が特別に思われているわけではない。
「やっぱり……そうだよな……」
そう呟くと、彼は目を閉じて深呼吸をした。マディラの手に触れた瞬間の温もりが、今では遠い幻のように感じる。
国王と共にいる彼女の姿は、どうにもセバスチャンが入り込む余地のない現実を突きつけていた。
自分の片思いは、まるで届かない空の星に手を伸ばすようなものだ。
セバスチャンは、心の中でそれを認めざるを得なかった。彼女は国王の愛する妻であり、自分のような者が入り込む場所など最初からなかったのだと。
だが、その一方で彼の心の中には、静かな決意が芽生えた。
たとえ彼女への想いが叶わぬものであっても、彼女のために、そしてこの国を守るために、自分の力を尽くすことができる。
そう思えば、少しずつ彼の心は落ち着きを取り戻していく。
「……この国を守るために、彼女のために俺は尽くそう。」
そう決意したセバスチャンは、もう一度王妃と国王の姿を見つめた後、静かにその場を後にした。
彼の中で、愛する人への片思いは消え去ることはないが、それ以上に彼は強く、確固たる使命感を抱いていた。
セバスチャンの失恋。
バルコニーで、ひと組のカップルが仲睦まじく過ごしているように見えたが、彼はまだ、ジュリアンがマディラを「とんでもない」と表現したその意味を理解していなかった。
――――――――――
バルコニーにて。
「無事でよかったよ、怪我とかなかった?」とジュリアンは何気なく質問をする。
毒矢に後ろから当たったり、カインの攻撃を浴びて地面に叩きつけられたことを思い出しながら、「あ……まぁ、ないわけではないけど……」と、しどろもどろに答えるマディラ。
「それは何かあったんだね……。期限までに元気な姿で帰ってきたので、追求しないでおくよ」
などとバルコニーで会話をしていると、奥の方の林のあたりで、何か動いているのがわかる。
林を抜け出して二人をに見上げているのは、フードを深く被った大男。
彼のその巨体と独特の風貌から、マディラが声をあげる。
「やだ、ちょっとあれ、ガロスよ」
「え、賞金首の?」
「ちょっと行ってくる」
そう言ったかと思えば、マディラが瞬間移動で彼の元に降り立つ。
「あなた、ここで何をしているの?」
大声を上げると衛兵が来るので、そっと大男に話しかけるマディラ。
「あんた、俺との別れ際にカードを探してるって言ったろ。先日、森の中で木の葉に埋もれたこのカードを偶然見つけたんだ」
ガロスが懐から出したカードは、どこか神秘的な光を帯びた、塔の絵が描かれたものだった。
マディラは息を飲み、そして困ったように確認をする。
「これを見つけたのは、部下や家族じゃなくて、あなたなのね?」
「おお、そうだ。俺が拾ったんだよ」
その時、背後にジュリアンが現れる。
「ねぇ、どうしよう……彼、トーラーみたい」
彼女が助けを求めるようにジュリアンを見つめ、彼は驚いた表情で二人を見つめる。
大男は二人のやりとりが見えず、質問をする。
「おい、なんだよ、これを持ってきたらダメだったのか?」
困惑した表情で、ガロスが持っているカードを見ながらマディラが呟く。
「いいえ。私が必要としているのは、このカード自体ではなくカードは持ち主で、あなたが拾ったならあなたが持ち主。」
そして、ガロスの方に顔を向けて、彼女は説明を続ける。
「私にはあなたの力が必要なの。この国にはある脅威が迫っている。
そして、私にはその脅威に対抗できる存在が必要なの。あなたは、そのカードに選ばれた。
つまり、私の力となる運命にあるのだけど、あなたは賞金首だから……」
戸惑いながら、そこまでガロスに説明をし「ねぇ、なんとかならない?」と言いながら、マディラはジュリアンの方を見上げた。
「なんとかって……彼は重罪を犯しているから、いくら使命があっても、その罪を見逃すわけには。
罪を免除するというのは、簡単な話ではない。
僕の名で強引に罪人を公然と赦すとなれば、他の貴族から反発が出るだろう。
それに、国民の目がある。」
はぁ……っと頭を抱えながら説明するジュリアン。
が、その時、後宮の建物の方が騒がしくなり、ジュリアンが早口でガロスに話しかける。
「まずい、人が来るかもしれない。
僕はあなたを見なかったことにするから、ひとまず城から出るんだ。
万が一捕まってしまったら、いくら僕でも庇いきれない」
「私、彼のアジトでお世話になったからその場所を知ってる。ちょっと送り届けてくる。すぐ戻るから」
そう言ったかと思ったら、マディラはガロスの手を取り、あっという間に消える。
――――――――――
「陛下!こちらで何を……どうかされましたか?」
マディラが消えて数秒後、灯りを持った衛兵数人に、ジュリアンは囲まれる。
「いや……このあたりで、何か光っているように見えたから来てみたけど、どうやら、何かに反射した月の光だったようだ。
相当疲れているのかな、僕は……」
そう言いながら、彼はため息をつきながら、右手でこめかみのあたりを押さえる。
国王にそんな風に言われてしまうと、どう反応していいか分からず、衛兵たちが立ち尽くしていたところ。
「陛下!」
そう言いながら、後宮の方から一人の女性が近づいてくる。マディラだ。
どうやら本当に、ほんの一瞬で戻ってきたらしい。
「急にお庭に行かれたので、びっくりしましたわ。大丈夫ですか?さ、お部屋に戻りましょう」
そう言って、彼女はジュリアンに近づき、彼を支えるようにして腰に手をまわす。
「皆様、見回りありがとうございます。持ち場に戻っていただいて大丈夫ですよ。」
マディラは衛兵にはそう声をかけ、二人は建物に向かってゆっくりと歩き出す。
(ナイス演技。ごめん、ありがとう)そう、小声で彼にお礼を言うマディラに対し
(まったく……。演技じゃないよ。ホント、疲れたよ。寝室に行くよ)
そう、ジュリアンは彼女の耳元に囁いた。
その後。
ベッドに入り、いつものように過ごしたところ。
マディラは、急にストンと深い眠りに入ってしまった。
その彼女の様子に、そりゃそうだよな、初めての一人旅で、いろいろ慣れないこともあって、とても疲れていたのだろうとジュリアンは思う。
「お疲れ様」
そう言って彼女の寝顔に優しくキスをし、ジュリアンも数日ぶりに、彼女の温もりを感じながら眠りに落ちた。
これで、「独り旅」は終わりです。
次からは、「ふる傷」です。




