目覚め 9
後宮 一の間 夜
マディラは少し遅い夕食を終え、食堂から居間に戻ってきた。
侍女から「陛下がすでに寝室に入られております」と声をかけられ、思わずゲーっと変な声をあげてしまう。
トーラーの所在を確認した後、マディラは遅めの昼食を軽く取ったところで仮眠をし、目を覚ますとアテナエルの意識はどこかに行ってしまった。
彼女も、同化に挑戦中の数日間は不規則にしか休めず、何十回もマディラにぶつかれられて、ある程度は疲労を溜めていたはずだ。
侍女たちはマディラに対し怯えている節があったので、疲れのあまり人格が豹変したが、昼寝をしたら戻ったので大丈夫だと説明したら、なんとなく納得してもらえた。
正確には、午前中に入浴した際に意識自体は戻っていたが、自分ですら理解していなかったアテナエルとの同化の理由が聞きたかったので、マディラは表には出ずに一通り耳を傾けていたのだ。
当然、ジュリアンが激昂していたことも知っていた。
あんなに怒っている彼は、過去に1度しか見たことがない。それも15年ほど前の話だ。
なので、次に彼に会った時に、なんと声をかければいいかわからなかった。
怒られるよね……なんの説明もなしに離れに隔離して欲しいと強引に頼んだ結果が、これだもんね。
一通り済んだらちゃんと話すと約束した以上、そこは守らなくてはいけない。
それはわかっているが——。
居間などに彼がいるなら、不機嫌かどうか確認しながら、どう接するか作戦を立てることができたり、最悪接触も回避できる。
しかし、寝室に入っているなら、彼が今どんな雰囲気なのか確認しようがないし、1日の終わりには必ず寝室に行くので、接触は免れない。
自分が食事から戻ってきて、居間が多少賑やかなことに、彼ならきっと気づいている。
ここで寝室に行かずに、変に時間をかけていても、どうせまた何か言われるに決まっている。
マディラは観念をして、本日二回目の入浴を済ませて、部屋着に上着を羽織り寝室の扉まで移動をする。
しかし、ここにきて寝室に入るのを躊躇うマディラ。
扉を静かに開けて、中をそっと覗き込んで暫く様子見をする。
自分の寝室に入るだけなのに、なんでこんなことをしてるんだろうと、自分で自分にツッコミを入れたくなる。
ジュリアンは険しい顔をして書類に目を通している。
昼間にできなかった仕事を今、処理をしているのかもしれない。
彼は普段、後宮に仕事を持ち込んでも、寝室までは書類を持ってこない。
これは、絶対に妻を捕まえるという強い意志の表れに違いない。
そこまで妄想したマディラは、諦めてベッドのいつも自分が寝る方に行き、そっと布団の中に入る。
妻が隣に来たというのに、彼は一向に彼女に対して反応しないので、沈黙に耐えれなくなったマディラから声を発する。
「あの……こんなことになって怒ってるよね……ごめんなさい。」
再び沈黙。
ジュリアンが無表情で淡々と書類を捲る音だけが響く。
さらに謝罪を重ねるべきなのか、書類を見終わるまで話しかけないでいるべきなのか判定不能なので、マディラはとりあえずこの沈黙を受け入れるが——。
心細いので、彼女は思わず自分の背中にあるクッションを一つ取り、押し潰すようにぎゅっと体の前で抱えている。
数十秒後、文章の最後まで目を通し、紙束を整えたところでふぅっと大きく息を吐いて、ジュリアンがやっと顔をあげる。
そうして、ベッドサイドに書類を置いたかと思ったら、彼はおもむろにベッドから抜け出した。
仏頂面で、部屋にいた使用人全員に出ていくように国王は指示をし、王妃と二人っきりになったところで扉に手をついて、人よけの結界を施す。
これで、部屋の声は外に漏れないし、外から人が入ってこない上、そもそも誰もこの部屋に入る気すら起きない。
——みんなを下げて結界まで張って、どれくらいキツいお説教が待っているんだろう?
そう思うと、マディラの顔がいよいよ深刻を通り越して引き攣る。
「——怒ってないよ」
「え?」
あの沈黙はなんだったのかと思わせるほど、意外にあっさりとした声色でジュリアンから返事が返ってきて、彼女は思わず聞き返す。
「別に、怒っていない。だからそんな変な顔をするなよ」
もう一度そう言いながら、呆れた顔をするジュリアン。
その言葉にホッとして、マディラはぎゅっと押しつぶしていたクッションの手を少し緩める。
「だって、こんな早くに寝室に来て仕事して、おまけに結界まで張るから……」
「昼間は、ソフィア様やアテナエルが何を言うか見当がつかなかったし、後宮は制限エリアだから特に人を下げなかったけど、普通に考えたらあんな話、聞く人を絞るべきだろ」
よく考えたら、それはそうである。
国王ですら知らない話がバンバン出てきていたけど。
「だから、居間で君を待って人払いをするより、より人が少ないここの人を下げて話すことにしたんだよ。
あと、エレナにも指示を出しておいた。「自分も声を荒げてしまったけど、反乱といった、議会が何の情報も掴んでいない不確かな話しは、一旦聞かなかったことに」と。」
彼は一瞬、皮肉交じりに微笑んで肩をすくめた。
「——もっとも、議会の内容なんて、後宮では話さないけどね。」
そう言いながら、再びベッドに入るジュリアン。
エレナは、マディラがこの国に来た時から後宮にいる、一の間と呼ばれる後宮で最も格が高い部屋付きの侍女長である。
出会った頃はマディラと仲が悪かったが、優秀な彼女は今や後宮に欠かせない存在で、彼女に指示を出しておけば、ここで起きた大抵のことはうまくいく。
グリーンフレードムは、帝国型立憲君主国家なので、君主権が制限されず国王が最終決定権を持つものの、普段は議会が政治を行なっている。
1000年前の反乱軍が復活しているなんて国の一大事の情報を掴んでいたら、確かに、すでに議会で何かしらの話が出ていてもおかしくない。
彼は少しだけ言葉を選び直し、静かに、しかし確固たる意志を持って続けた。
「で、君自身のことだけど、そりゃ、なんで最初にもっと事情を聞いてアテナエルとの同化を阻止しなかったのだろうか、とは思ったけど——」
彼の声が少し震え、そこには後悔と無力感が混じっていた。
王妃がいつも通り明るく振る舞っているのを見て、国王も彼女の楽天的な態度に甘え、深く踏み込まなかったことへの自責の念が見え隠れしていた。
「恐らく結果は変わらない。最終的に君は、彼女を取り込むことになっただろう。」
彼は天を仰いで、深いため息を吐いた。
「悔しいけど、彼女は正論を述べていた。」
彼は目を伏せ、低い声で言葉を続けた。
「もしも本当に大臣が目覚めてしまったなら、彼らに打ち勝つ能力を持つ者が対応すべきだ。
正面切ってあんな事を言われた僕としては複雑な心境だけど、残念ながら、君の方が被害を最小限に食い止める可能性が高い。」
その言葉には、彼が王としての自負と、妻として愛する彼女への想いとの葛藤が滲んでいた。
自らの限界を悟りつつも、どうにかしてマディラを守りたいという強い気持ちが、彼の表情に浮かんでいた。
客観的に考えれば、それ以外に選択肢はない。
だた、マディラをできるだけ刺激したくないというジュリアンの思惑、もしくは感情がそれを受け入れたくない。
他人の事となると冷酷に決断を下せるのに、ことマディラが絡むと客観的に決断を下せない自分のツメの甘さに、そしてそれを自覚しているのに変われない自分に、彼は自己嫌悪しているだけだった。
ジュリアンは、彼女にではなく自分自身に腹を立てていた。
「——こういう事に巻き込まれる事なく、平和に過ごしたいというささやかな願いを叶えるのが、こうも難しいとは……。こんな事になってしまってすまない。」
そう言いながら、彼はマディラが抱きしめていたクッションをそっと取り上げて彼女の頭の方に置き、彼女を優しく抱きしめる。
大切なものを自分の手元にそっとしまっておきたいという、子供っぽい感情。
合理的ではないのは分かっているが、それは偽らざる彼の本心だ。
彼女は、こちらの考えを知る由もないのだろう。
マディラは彼の心配そうな表情を見て、軽く微笑んだ。
彼女はあまり深刻にならず、少し肩をすくめながら前向きに言葉を返した。
「こればっかりは、いくらなんでも読めないわよ。仕方ないわ。
生まれた時代が悪かったと思って、せめて、できるだけ早く解決できるように頑張るわ。——実際戦うのは、トーラーやアテナエルだと思うけど」
彼はその言葉を聞きながらも、内心の不安を完全に消し去ることはできなかったが、彼女の楽観的な言葉には少し救われたように感じた。
「まあ、そうなんだけどね……。」
彼は小さく頷きながらも、深呼吸をして彼女を見つめる。
「ところで、もう体の方は大丈夫なの?君が覚えているかわからないけど、部屋を開けた瞬間、ひどい状況だったから……」
「え、あぁ、そう言えばそうだったかも。昼寝をしたから体力は回復したわ」
マディラは一瞬、思い出そうとするように考え込んだが、すぐに軽く笑って答えた。
その笑みは彼女らしく無邪気で明るく、さっきまでの重苦しい雰囲気を和らげる。
マディラが恐れていたお説教などは特になく、寝室は普段通りの雰囲気になっていった。




