青の街 17
アテナエルによって体力が回復してきた絢祐が話し始める
「……こんな目に遭っちまったけどさ、まあ、お前らの元気そうな姿が見れたのは良かったよ。」
彼は少し間を置いて続けた。
「お前らが人間界を去った後、夏休みに一度お前らの家に行ったんだ。そしたら、サヤさんだっけ、世話役のお姉さんが、『人間界での問題が解決したから、二人とも故郷に帰った』って教えてくれた。それを聞いて心配はしてなかったけどよ。やっぱりあの後どうなったか気になっていた」
その言葉に、彬は目を伏せて少し申し訳なさそうに答える。
「そうか……そんなことがあったのか。当時は慌ただしくて、君たちにゆっくり挨拶もできなくて、すまなかった。」
絢祐はあっけらかんと答える。「ま、気にすんなよ。お前ららしいってもんだ。」
彬は苦笑しつつも、しっかりと絢祐を見据えて言葉を続けた。
「君たちがもしよければ、また会いに来るよ。次は、剣も血も絡まない、もっと穏やかな時間を過ごしたいね」
絢祐は軽くうなずき、目を閉じた。
――――――――――
マンションの外、夜風に吹かれながら——
体力の消耗が激しい彬を支えるセバスチャンは、ゆっくりと歩みを進め、彬はふらつきながらも立ち止まることなく、隣で支える彼の肩にわずかに体を預けている。
アテナエルはその後ろを無言で歩き、手に魔剣を抱えたその姿は、夜の街灯に照らされてどこか不気味で荘厳だった。
マンションの外に出て、蒼の車が止めてある場所まで、ゆっくりと足を進めた。蒼は腕を組んで車にもたれかかりながら、3人の姿を認めて軽く口笛を吹いた。
「おいおい、また厄介事に首を突っ込んだのか?なんだよ、その血だらけの服、重症人みたいじゃないか。」
彼の声には軽口を叩く調子が混じっていたが、その目にはわずかに心配の色が見え隠れしている。
彬は薄く笑みを浮かべながら答えた。
「少し助けが必要だっただけだ。治癒してもらったけど、ちょっと貧血でね。すぐに回復するさ。」
蒼は短く鼻を鳴らして、彬をじっと見つめた。
「しかし、こんな展開になるとはな。お前もよく持ちこたえたな、彬。」
その言葉に、彬は答えず、ただ曖昧に頷いた。
アテナエルは一言も発することなく後部座席のドアを開けると、魔剣を抱えたまま静かに座り込んだ。
その動作は無駄がなく、どこか機械的ですらあった。その冷ややかな雰囲気に蒼は眉をひそめ、何も言わずに軽く肩をすくめて運転席に乗り込む。
彼はエンジンをかけるとバックミラー越しにアテナエルの姿を一瞥し、わずかに緊張した声でぽつりと呟いた。
「……相変わらず、普通じゃない連中ばっかりだな。」
セバスチャンは無言のまま助手席に座り、傷を負った彬は後部座席で座り心地を整えるように浅く息をついた。車がゆっくりと走り出すと、車内にはエンジン音だけが響き、誰も口を開くことはなかった。
車のライトが夜道を照らし、静かに家路に向かう。
アテナエルは何も答えず、窓の外を無言で見つめていたが、その目にはどこか冷徹な光が宿っていた。
街並みが徐々に遠ざかっていく。
真唯佳の奥底で、何かが確実に変わっていたのを、彬は感じ取っていた。
――――――――――
日付が変わる頃にようやく車が蒼の屋敷に到着した。車内で意識を保っていたアテナエルだったが、真唯佳の肉体が疲労に耐えきれず深い眠りに落ちていた。
「しっかり掴まっててよ」と呟きながら、蒼は眠る真唯佳をそっと抱き上げ、慎重に屋敷の客室へ運んだ。
暗闇の中、かすかに彼女の髪から漂う香りと、彼女自身が抱える静けさが異様に感じられる。
ベッドに横たえると、蒼は掛け布団を丁寧にかけ、その場を離れた。
リビングへ戻ると、浴室からの暖かな蒸気が漂い、薄い照明の下で彬がソファに腰を下ろしていた。
彼の髪は濡れたままで、肩口にかけたタオルからは滴る水滴が染みを作っている。戦いの血と汗を流したことで顔色は幾分回復しているが、まだどこか険しい雰囲気が漂っている。
ため息をつきながら蒼が指をパチンと鳴らすと、あっという間に彬の髪が乾く。
水使いの蒼にとって、それくらいは朝飯前の作業だった。
蒼は、彬の様子を伺いながら言葉を切り出した。
「さっきの彼女、全く雰囲気が違ったけど……あれって、別の人格?」
彬は一瞬目を閉じ、まるで答えを選ぶように慎重に口を開く。
「いや、あれは……全く別の魂が入り込んでしまったんだ。」
低く静かな声で答えると、視線を遠くに向けたまま続けた。
「短剣を探したいと言っていたのも、真唯佳ではなく、あの生命体だ。彼女については、また機会があれば説明するよ。」
蒼はその説明に対し深く考え込むこともせず、「……そうか。」と短く返事をした。
その一言には彼なりの受け入れと、相手への信頼が含まれていた。
時計を見ると、もう夜が更けている。「俺は明日も仕事だけど、ゆっくり休んでいいから。」そう言いながら、蒼は軽く伸びをし、ソファから立ち上がった。
「ありがとう。」彬はそう答え、再び沈黙が部屋を包む。
リビングの柔らかな明かりが、二人の静けさをさらに際立たせていた。
昼頃、彬は深い眠りから目を覚ました。
薄暗いカーテン越しに漏れる柔らかな光が、戦いの疲労を微かに癒していた。
隣のベッドを見ると、真唯佳が静かに横たわっている。
しかし、その寝顔には微妙な硬さがあり、目覚める気配は感じられなかった。
「まだ眠っているのか……」と呟く彬の耳に、控えめなノックの音が届いた。
「どうぞ」と応じると、セバスチャンがドアを開けて入ってきた。
青年は軽く頭を下げ、彬の様子を伺うように声をかける。
「陛下、ご体調はいかがですか?特にお変わりは?」
彬はベッドに腰掛けながら、軽く首を振った。
「大丈夫だ。それより……僕が意識を失っていた間、何か変わったことはあったかい?」
彼は一瞬考えるように目線を動かしながら答えた。
「あれから1日以上が経ちました。今日も蒼さんはお仕事で外出中です。家にはマリナさんがおりますが、それ以外は特に変わったことはありません。」
その答えに彬は少し眉をひそめたが、大きくうなずいた。「そうか……そんなに寝ていたのか」
「食事はされますか?」セバスチャンが尋ねる。
「そうだね、少ししたら食堂に行くよ。」
「かしこまりました」と、青年が礼をして部屋を後にすると、再び静寂が戻った。
だがその時、隣のベッドから聞き覚えのある声が響いた。
「……二晩、経っていたのか。」
セバスチャンとの会話で目を覚ましたのか、横になったまま口を開いたのは、アテナエルだった。
「彼女は……大丈夫なのか?」彬は険しい表情を向けた。
アテナエルはわずかに笑みを浮かべながら答える。
「真唯佳は戦いの最中に倒れた時、意識が深く入り込んでしまった。その結果、魔剣の記憶と同調して、少し長い夢を見ているだけだ。それが終われば目覚める。心配いらない。」
その言葉に彬は安堵の息を吐くが、同時に何かが引っかかったような感覚を覚える。
ぼんやりと、ジャックからもらった手紙の内容が脳裏をよぎる。
前世のエリザベスの戦いの結末や、仮面の男について尋ねたいという気持ちが高まったが——「このタイミングか」と彬は苦笑いするしかなかった。
目覚めたばかりのせいで頭が回らず、どのように切り出せばいいか迷っていると、アテナエルが再び話し始めた。
「エリザベスといい、あの人間の小娘に対してといい……人というものはどうしてそこまで他人に特別な感情を抱くのかね?」
唐突な問いに、彬は少し眉をひそめ、すぐに言葉を返す。
「君たちには、そういう気持ちはないのか?」
「ないね。」
アテナエルはきっぱりと言い放ち、その声には微塵の迷いもなかった。
二人の視線が交錯する。
アテナエルの瞳は一瞬だけ揺らぎを見せたかと思うと、疲れたように瞼を閉じた。
「ワラワも、もう暫く寝ることとする。」
彼女はそう言い残し、再びベッドに身を沈めた。
そのあまりにも簡潔なやり取りに、彬は苦笑しつつ、それ以上深く聞き出すことはできず、またの機会に持ち越されることとなった。




