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青の街 11

街の中央図書館


図書館で黙々と資料を読みふけっていた彬は、ふと気分を変えたくなり、一度外に出ることにした。

室内とは違う新鮮な空気が頬に優しく触れ、喫煙所に着いた彼は、ジャケットのポケットからタバコの箱を取り出す。


タバコは久しぶりだった。人間界にいた頃、大学生の知人に勧められて何気なく試してみたところ、思いのほか気分転換に丁度良いと感じた。

帰国時にニーベルに少しだけ持ち帰ったが、そんなに多くはなく、すぐに吸い尽くしてしまっていた。

以来、禁煙が続いていたが、今この異国の地で再び手に取ってみると、かつての記憶と共に心がほぐれるような気がした。

「……彼女に見つかったら、なんて言われるかな」

なんだかんだ言って、真唯佳は純粋というか、世間知らずなところがある。

そう考えながら、昨日のナンパとも宗教の勧誘ともつかない声かけに怯えた彼女を思い出す。


彼女が特別な存在だと認識し始めたのは、外で「役割を演じ」て、どんなに心が荒むような任務をしてきても、家に帰り彼女の「おかえり」という言葉で一瞬にしてリセットされ、素の自分に戻っているのを自覚したからだった。

彼女は、自分みたいに人間臭い弱さを引きずってる男とは、正反対だと感じることがある。

真唯佳の前では汚れた自分を隠し、彼女の隣に立つに相応しい存在になりたいと願いつつ、彼女の純粋さが眩しくて、時折その光が自分を鋭くえぐるように感じ、疎ましく思う時すらある。

自分は——政敵を陥れる策略に手を染めたこともあった。綺麗事だけでは(まつりごと)が行えないこともある。

そして禁忌とされる術にも手を出した。未熟さ故、何か理由をつけて己の汚さを正当化していた。

さらに、心が弱った時に彼女以外の女性に慰めを求めたこともあるくせに、自分のことを棚にあげて妻を後宮の奥深くや、蒼の屋敷の結界に閉じ込めている。


その一方で、彼女との関係も長く、実際は、ありのままの自分を曝け出しても受け止めてくれているのを知っている。

数日前に故郷に滞在したからか、今も夢の館に眠る、豊かなエメラルドグリーンの髪をもつ美しい姫君——本来のマディラ——に思いを馳せる。

高貴なマディラ姫でさえ、禁忌を犯したことや、他に婚約者がいる身で彼女を抱いてしまった事を知っても、悲しい顔をしつつも自分を忌み嫌って遠ざける事はなかった。

なので、今更タバコの一本を口にしたくらいで、おおらかな真唯佳と口論にはならないと思いつつ、小言くらいはもらうのかなと自嘲する。

そんなことを考えながら、彼はゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。

ゆらゆらと立ち上る煙を眺めると、頭が少しだけ空っぽになり、重い考えも軽くなるように思えた。


やがて、タバコも短くなり、彼は火を消して建物に戻ろうとした。

ちょうどその時、喫煙所を出たところで人影と鉢合わせしそうになり、思わず足を止める。

相手は彼を見上げ、「あ、ごめんなさい」と小さく声を出した。お互いにふと目が合う。

その瞬間、彬の目は驚きに見開かれる。

目の前にいるのは、肩下まで伸びた髪が柔らかくウェーブしている女性だった。

どこか懐かしい雰囲気を感じ、彼の心の奥に淡い記憶が蘇る。彼女の顔をよく見ると、見覚えがあった。

「あの……笹薙君?」



――――――――――



日がすっかり沈み、部屋の窓の外には少し冷たい夜風が吹きつけるころ、蒼はようやく帰宅した。

リビングのドアを開けると、居間にはマリナと真唯佳、そしてセバスチャンがいた。

その雰囲気から、彬の予想通り、今朝の事で真唯佳から責められる様子はなさそうだが、あたりを見回しても彬本人の姿がない。

「ん? あいつ、どうしたの?」蒼はリラックスした声で尋ねた。


マリナが少し困ったように微笑んで答える。「あ……それが、どなたかとお食事に行かれたようですよ」

蒼は眉をひそめる。「え、そうなの?」

その場の雰囲気に気を取られ、話題が引っかかったように見えたのか、セバスチャンが話を引き継いで少し説明を始める。「それがですね……」


セバスチャンの記憶が夕方に遡る。

夕方五時頃、彬からの指示通り図書館近くに迎えに向かったところ、彬はやけに慌ただしい様子で建物から飛び出してきた。

その目にはどこか焦りの色が宿っており、周囲の人々に気を取られたくないとばかりに、歩調を速めて足早に駐車場の方へ向かっていく。

だが、まさかこの距離で自分に気づかないはずもない。

その姿を目にしたセバスチャンは、少し驚きながらも思わず彼に声をかけようとした。

「あきらさ——」

彼はセバスチャンにちらりと視線を返しながら、囁くような小声で短く言葉を投げかけてきた。

「すまない、用事ができた。一人で先に帰宅してくれ」

彬は一瞬も足を止めることなく、セバスチャンにそう告げると、駐車場へと消えていった。


セバスチャンは気まずそうに微笑みながら、その状況を説明した。

「それで、今どこにいるのかも、いつ頃戻られるかも分からないんです」

それを聞いた蒼は軽く肩をすくめた。

「なんだそれ」

そのやり取りを黙って聞いていた真唯佳が、「夕方の時間帯でそう言い残したのなら、晩御飯は用意しなくていいと思うよ」と、あっさりとした調子で言った。

その態度に、蒼はふと唇を引き締め、視線をセバスチャンへと移す。

彼はどこか複雑な表情を浮かべていて、目線をやや伏せている。

「何?」

蒼が鋭い目でセバスチャンを見つめ、「何か隠しているの?」と詰め寄るように訊ねた一言に、セバスチャンは一瞬ためらいながらも、意を決したように口を開いた。


「……お話するべきか迷っていたのですが……」

視線を伏せるようにして、セバスチャンは続ける。

「駐車場で待ち合わせていたのが、女性だったんです。陛下と同じか、少しお若く見える方で、その方が運転するオープンカーに乗り込まれ、すぐに出発されました。……正直、俺には土地勘もなく、行き先は分かりません」

「えー、ナンパ?あいつ、まさか真唯佳ちゃんっていう人がありながらそんな奴だったのか。真唯佳ちゃん、今からでも遅くはない、俺に乗り換えたら?」

蒼は意外そうに眉を上げ、半ば冗談めかして口元を歪めた。



――――――――――



繁華街の地下にある飲食店


こじんまりとしたこの店は、静かに語り合うカップルや、特別なひとときを楽しむ友人たちでほぼ満席だった。

ここで過ごす時間は、都会の喧騒を忘れ、贅沢なひとときを楽しむことができそうだ。

シックな雰囲気で、静かに昔話にふけるのにぴったりだ。


女性は何度かここに来た事があるらしく、新鮮な季節の食材を使用したシェフの創作料理が堪能できるから、と幾つかオーダーをしてくれる。

クラシックなカクテルを提供しているのでそれぞれオーダーをし、再会の乾杯をする。

「再会できて嬉しいよ。君、本当に素敵に成長したね。化粧をして大人っぽくなっているけど、昔からの君自身の魅力は変わらないね」


彬はグラスを持ちながら、彼女の瞳をじっと見つめ、微笑を浮かべた。

店内の照明が柔らかく二人のテーブルを照らし、グラスの中の泡が煌めいていた。

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