青の街 10
各務家のダイニングルーム
彬と真唯佳が朝から険しいやり取りをしている。
どうやら、彬は外出するものの真唯佳には1日家にいるように厳命しており、その理由は特に告げていないらしい。
「絶対にダメだ。今日は屋敷にいること」彬は短く言い放ち、断固とした態度を崩さず、その言葉には、どこか不安を隠しきれない気配が感じられる。
その時、セバスチャンが控えめに手を上げ、恐縮しながら口を開いた。
「あの……陛下。自分は任務がないなら、美術館の陶芸作品を見に行きたいのですが……ダメでしょうか?」
トーラーである前に、陶芸家である彼は、異国の美術作品が気になっていたようだ。
暫くの沈黙の後、彬は微妙に眉をしかめながらも答える。
「君はいいよ、出かけて」
その瞬間、真唯佳は目を見開き、抗議の声を上げた。
「はぁ〜っ?何それ。贔屓だ、不公平よ!」
ダイニングルームの隅に控えていたマリナが、慎重に口を挟む。
「あ、あの、真唯佳様。実はわたくし、今日はお天気がいいのでお庭のお花の植え替えをしたかったのですが、土いじりは苦手でして……どうも水分が過剰に奪われるようなのです。
本当は、蒼様の次の休暇にと思っているのですが、天気がよろしくないかもしれないので、もし真唯佳様にお手伝いいただけると大変助かるのですが」
その場の空気を察したのか、マリナが用事を切り出し、蒼が思い出したように頷く。
「おー、そういえば苗木を買って忘れてた。真唯佳ちゃんが手伝ってくれるならスッゲー助かる」
「え、何、お花?何を植えるの??」
頼りにされたことに加え、花には少しばかり愛着があるのか、真唯佳は花の話題に一気に目を輝かせ、興味津々に尋ねた。
その隙を見逃さず、彬は蒼に素早く目配せを送り、そっと席を立つ。
「今のうちに出かけよう」と蒼とセバスチャンに囁きかけ、二人は彬の意図を察して頷いた。
三人は素早くダイニングルームを後にし、廊下をそそくさと抜けていった。背後で花の話に夢中になっている真唯佳の声が、次第に遠のいていった。
蒼の運転する車は、朝のラッシュの中を抜け、街中へと向かっていた。
車内には、エンジン音に混じって微かな緊張感が漂う。
蒼は途中のコンビニで買ったパンをかじりながら、バックミラー越しに彬を見やり、少し口角を上げてから話しかけた。
「何お前、いつもあんなふうに真唯佳ちゃんに命令してるの?騎士様も、ずいぶんと偉くなったもんだな、姫君に命令するなんて。お陰で朝食を食べ損ねたよ」
彼は冗談めかして話しかけるが、その視線には興味がにじんでいた。
蒼は、通勤のついでに彼らを図書館や美術館まで送っていくことにしたが、真唯佳と彬の関係には興味津々だった。
普段あまり見せない彬の一面に、彼も少し驚いていたのかもしれない。
セバスチャンは助手席で、蒼の朝食のサポートをしながら、これまでの彼らのやりとりを思い返していた。
いつもは、彬は真唯佳にあれこれ指示を出すことはしない。
基本的に王妃の意見を尊重し、好きなようにさせている印象だし、国王は王妃に好き勝手させすぎと侍従長のジョナサンが苦言を呈していたこともある。
実際、セバスチャンを探すために独り旅に出ることや、今回異世界に行くことについて、色々確認していたものの、彬が彼女の決定自体を否定することはなかった。
しかし、大事な局面では確実に一線を引き、それ以上の逸脱を許さないという姿勢は揺るぎなく、今回でいえば、彬が同行することを条件に異世界に行くことが許可された。
「朝食の件は申し訳ない。でもどうしても譲れなかったんだ」と後部座席で彬は詫び、しばしの沈黙の後、逆に蒼に質問をする。
「蒼、昨日僕たちと待ち合わせをした時、どうして居場所がわかったんだ?」
蒼は運転に集中しつつも、戸惑いを見せ、「え、そりゃお前、真唯佳ちゃんの気配が……。
あー、そう言う事?あれはまずいかも」と答えながら、何か合点がいったらしい。
彬は少し顎を引き、真剣な目で蒼を見つめた。
「昨日、君は言ったよね、『オーラを消すのは異世界人が人間界で暮らす作法』って。僕や君は、無意識のうちにそれが身についている。それは10代の頃から既に意識をしていたと思う。ただ彼女は」
しばし考え、断定的に続ける。
「人間界に送り込まれる際に、能力を封じ込められていたので、そんなトレーニングをする必要がなかったんだ。今すぐ気配を消せと言えば多分できる。ただ、無意識レベルで一日中となると、一朝一夕じゃ無理だ」
蒼は目を細め、思い出すように続けた。
「そういえば、お前らが扉に着いた時、すーぐわかったぜ。なんてったって、真唯佳ちゃんの気配がダダ漏れだったから」
彬は静かにうなずいた。
「昨日、魔剣を持っていたと思われる人物も、彼女の気配を感じ取っていた可能性が高い。
向こうは彼女の居場所が手に取るようにわかる。
彼女が、魔剣が近くまで来ないと正確な位置がわからないのとは対照的で、これは非常に不利だ」
蒼はハンドルを握りしめ、少し考え込んでから応じた。
「なるほどね。で、彼女を俺ん家の結界に閉じ込めて、何を企んでるんだ?」
彬は、少し表情を引き締めて答えた。
「あえて気配を消さずに街の中心で過ごしてみるよ。魔剣のオーラが反響して位置が特定できないなら、向こうから出てきてもらう。
それがうまくいかなくても、何か進展があるかもしれない。試してみる価値はある。」
蒼は少し考え込みながら言った。
「まあ、理にはかなってるな。でもさ、彼女をあんなに怒らせて大丈夫なのかよ?帰った時に修羅場にならねえ?」
彬は一瞬考えた後、苦笑いを浮かべた。
「彼女はおおらかだ。僕と違って、過去のことをいつまでも掘り返すタイプじゃない。それに、一日やることがあるらしいから、充実した時間を過ごせば、今朝のことで改めて恨み節を口にすることもないだろう。」
蒼はそれを聞いて肩をすくめ、「ま、お前がそう思うんならいいけどな。でも、俺が彼女だったら二、三日は根に持つぞ。」と冗談めかして笑った。
二人の会話に、いつ口を挟もうかと考えていたセバスチャンが、少し緊張した声で尋ねた。
「あの、僕はどうすれば良いでしょうか?」
彬は軽くうなずきながら答えた。
「君はトーラーの特殊能力があるとはいえ、ニーベル人よりオーラが弱いので、特に気にせずに過ごしていい。ただ、一つお願いがある。」
その直後、蒼が会話に割り込むようにして運転席から「図書館に着いたぜ」と言葉を投げた。
蒼が車をゆっくりと停車させ、彬に話しかける。
「お前、ちょっと解放しすぎだよ。そんな全開にしたら、用のない怪しい奴らまで寄ってくるって」
彬は少し困った表情を見せ、眉を寄せて返した。「もっと抑えないとダメなのか。調整が難しいな……」
一呼吸置いてから、彬は思い出したように口を開いた。
「怪しい奴らといえば、昨日真唯佳が声をかけられていたが、あれはただのナンパではなく……」
蒼が軽くうなずきながら返す。
「え?ああ、あの辺、若者に流行りの宗教施設があるらしいね。違法な薬も絡んでいるって噂がある。そんなことがあったなら、なおさら彼女を外に出さない方がいいかもな」
彬は深く考え込むように視線を落とし、昨夜の出来事を思い返した。
「どうりで、あの後、彼女が異常に怯えていたわけだ」
セバスチャンが車を降りたところで、蒼は窓から彼に向かって言った。
「美術館はそこの前の道を2区画ほど東に行くとある。俺の仕事は遅くはならないけど、いつ終わるかわからないから、電車で適当に帰ってな。」
セバスチャンが小さくうなずくと、蒼は最後に彬に向かって真剣な表情で言い添えた。
「マリナには、真唯佳ちゃんを絶対に屋敷から出させないよう伝えておく。変な宗教家がうちまでついてきても困るからな。じゃあ、グッドラック」
別れ際に手を軽く上げると、蒼は再びエンジンをかけ、車は静かにその場を後にした。
彬とセバスチャンはしばらくその場に立ち、去っていく車を見送ったあと、それぞれの目的地へと歩み出した。




