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『楼』という場所

 下水から侵入し、人が蓄えている食料を齧るヤツと言ったらネズミだ。やつらはその頑丈な二枚歯で麻の袋を食い破り、小麦を拝借したり、イモに歯形を付けたりする。奴らは夜、暗闇に乗じて現れてはそれをやり、それなのに決して罠にはかからない。


 ネズミは世界中、何処にでもいる。

 そんな彼らが全く姿を見せない場所があった。


 何故いないのか。

 簡単な話である。もっと厄介なのがいるからだ。


 それは人の女の姿をしていた。大きさはネズミくらい。一見とても愛らしく、まるで妖精のように見える。こいつらは下水から侵入すると、人が蓄えている食べ物などには目もくれずに、とあるものに突進してくる。


 それは何かというと、人にである。そして噛みついてくる。


 こいつに噛みつかれると、そこは深くえぐり取るか切断するしかない。そうしなければ噛まれた者に待っているのは死あるのみである。それもただ死ぬだけではなく、恐ろしい幻覚をともない、だれかれ構わずに襲い掛かる。こうなったら手の施しようもなく、食べ物も水も受け付けなくなり、苦しみ抜いた挙句死に至る。


 だからそこの住人らは、そいつらを見つけると容赦なく殺す。手でつかむと指をかまれるおそれがあるから、大抵見つけ次第、何かで叩き潰すか、あるいは手近に熱湯があればぶっかけ、抵抗できなくなったところで火にくべる。驚いたことにそいつは哀れっぽい声で命乞いしてくる。が耳を貸してはならないのである。


 ネズミは、自分の子供を食べさせるために人の食い物をとる。


 しかしこの妖精のような生命体は違う。

 ただただ、何かを殺すためだけに生きているのである。そしてここには、こんな生命体が他にも沢山いた。

 と言っても、もとからここに居たのではなく、外から侵入してくる。さっき説明した、妖精みたいなのや、羽根の生えたのや、耳がとがったの等々。

 

 と書くと、まるでファンタジーの世界から抜け出してきたように見えるが、彼らの生態はファンタジーではなかった。

 ことに人の姿に化けて入り込む個体も存在しており、それで住民らが大勢犠牲になることもたびたびあった。







 ところで、その場所は何処にあるのか。

 それはこの世の果ての島にあった。


 周辺に他の陸地も島影も無い。絶海の孤島。そこに、まるで要塞のような街が築かれていた。

 ぱっと見には、その昔、ニューヨークにて大勢の悪党を閉じ込めたザ・ロックか、もしくは東洋の魔窟と呼ばれた九龍砦に見えただろう。

 島は、何処から入るのかすら分からないほど入り組んでいた。おそらく、人が多くなるにつれて上に上に建物を積み上げて行き、これ以上積めなくなって横に住居を伸ばしたことでそうなったと思われた。

 建造物のてっぺんは目視で確認できないほど高く、下は光が射さないほどの深い地下まで住居が続いている。その中も迷路である。長年の風雨にさらされ、崩落の危険があるところに補修が行われ、またそれが、この場の構造が複雑化することに拍車をかける。

 そのせいか、全体でどれくらいの人が住んでいるのかも定かではない。一応、この場所には王がいて、島を統治しているが、彼ですらも把握していないのではないかと言われていた。





 ちなみに、いつからこんな場所に、こんな、要塞の様な場所が出来たのか。

 島の人の話によると、もうかれこれ数百年前からだという。





 その数字を裏付ける証拠はないが、島の人々は驚くほど古き伝統や風習を守って生活しており、それは一朝一夕で出来るものではないところを見ると、どうやら本当のようである。ちなみに二百年ほど前まで、この島には他所から船が来ていて、接岸できるところもあったらしい。そこから住居のある場所まで、長い長い階段が断崖沿いに作られていたが、今は閉ざされているとのことだった。


 閉ざされた理由は、もう受け入れる余裕がなくなったのか、それとも、来る船が途絶えたのか。それは定かではない。ただ、島の住人にとって、島の外の世界がどうなっているのか知るすべが何もないことは確かだった。

 

 外から侵入してくる、厄介な生物のことをのぞいては。




 そんな島を、住民らは『楼』と呼んでいた。


 それが蜃気楼の楼なのか、それとも、他に意味があるのか。

 名前の由来を知るものは、誰もいなかった。










 

 楼の統治者がいると話したが、じゃあお城のような場所に住んでいるのかと聞かれたらそうではない。


 錆びてボロボロになった看板が掲げられているその場所は、楼の一角にあった。家というよりは、小さな会社の事務所の様に見える。

 

 楼の王は、そこにいた。


 中にはいると、本当に事務所の様になっていて、王はその奥に陣取っていた。そしていつも、山の様な書類に囲まれている。

 

 彼の名前はリー・シェン・ウーといい、楼が出来て以来ずっと、ここで暮らしている。

 年は、見てくれは四十路半ばくらいだろうか。上海あたりに行けばどこにでもいそうな、中年のオヤジだ。


 楼が出来て以来、ずっと、ということは、彼は人間ではないのか? と思われる方もいるだろう。

 その話はおいおいすることにして、今は取りあえず、説明を続けようと思う。


 家の中は、彼以外誰もいなかった。沢山デスクはあるし、椅子もあるのに、仕事をしているのは彼だけだった。

 実に奇妙な光景だが、もっと変なこともあった。


 まるで、ここだけ時間が止まっているように見えるのである。

 理由はと言われてもはっきりと説明は出来ないが、そうとしか言えない。

 今はまだ午前中で、雨も降っておらず晴れているはずなのに、他の建物にも日がさんさんと降り注いでいるはずなのに、そこだけが薄墨のような色をしているからかもしれない。


 そんな中で一人、リーは黙々と何かをこなしていた。とそこに、誰かがやって来たのか、入り口のドアノブが軋みながら動いた。 

 ドアが開き、何者かがオフィスに入って来た。リーは顔もあげない。

 その何者かはすたすたと、リーのデスクの前にやって来た。


「……私を呼びましたか?」


 来た人物が静かに告げた。リーが答える。ああ、と。


 リーは書類から目を離して、デスクの前に立っている人物を見た。

 すらりとした背広姿の男だった。やや癖のある髪は黒髪で短くかってある。

 鼻筋も通っていて唇も引き締まっており、なかなかの美青年になるはずなのに、目がおかしかった。

 

 どうおかしいのかというと、白目と黒目が逆転しているのである。

 そんなのを見たら、普通の人間ならギョッとするだろう。おそらく、恐怖で。


 ほかにも彼は、人から恐れられそうなものを持っていた。

 真っ赤な鞘に納められた日本刀である。

 鞘に、魚のうろこの様な模様がついていてる。まるでこいのぼりのように見える。

 姿恰好は、今から葬式にでも行くのかと勘違いされそうな黒いスーツ姿。そのため、日本刀の赤い色が余計に目立つ。


 リーはしげしげとその姿を眺めると、しばらく考える風だったが、やがて一つ小さく頷き、眼前の男に言った。


「頼みたいことがあってな」

「なんです?」

「今ここで話してもたぶんお前は忘れるだろうから、取りあえずここに行って話を聞いてくれ」

 そう言ってリーは一枚の紙を渡した。そこには何やら漢字で住所らしいものが書かれていた。

 男はそれを受け取ると、分かりましたと返事をして踵を返した。そして三歩ほど歩いてリーを振り返った。


「私は何故ここにいるんですか?」


 男の言葉に、リーは呆れたような顔をした。


「俺が呼んだんだ」

「そうでしたね」

「これからどこに行くのか覚えてるか?」

 リーの言葉に、男は貰った紙切れを振ってみせた。

 リーはほっとしたような顔になった。

「よかった。じゃくれぐれも頼むよ。廉太郎」

 そう言いつつ男……廉太郎はまた三歩歩いて?な顔をし、指に挟んだ紙切れを見て歩きだし、その部屋を後にした。




 一人になってから、リーはしばらく座ってぼんやりしていたが、ややあって立ち上がり、建物の外に出た。

 外には、楼の光景が広がっている。

 楼の人々の服装は基本、昔の香港の人達がしていたような格好だった。まだ英国領だった時の、ビル群もそんなに無かった時代の、である。だから行き交う人を見ていたら、その時代にタイムスリップしたのかと勘違いするかもしれない。

 彼らはリーに気付くと会釈して通り過ぎた。そんな彼らに挨拶を返しながら、リーは自分の家の前の道にある石で作られた塀にもたれかかった。

 この道の下にも家がある。覗いてみると沢山の橋が建物と建物の間にかけられ、その上にも人が住んでいそうな家屋がある。

 上を見上げてもそうなってる。

 そうなるとたまに落っこちる人がいるのでは?と思われるかも知れないが、実際いる。それで死人が出ることもある。

 狭く入り組んでいる上に、迷路のようになっていて、暮らしやすいとはお世辞にも言えない。そして冒頭で説明したような、奇怪な生命体も日々の生活に入り込んでくる。


 そんな場所だが、人々は喜んで住んでいた。それぞれの組合の様なものをこしらえ、彼らなりに掟を決めて、上手く生活していた。

 困った時にはリーに頼んでくるが、そんなことは滅多にない。


 よほどのことが無い限りは、である。







 



 



 


  


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