任務完了
『報告:B06の反応が消失』
無機質なアナウンスがコックピットに響く。少年は目を見開いた。
上空8000メートル。眼下に羊の群れのような雲が広く浮かんでいる。朱を帯び始めた空から見放されるように、黒い硝煙と金属の破片をまき散らしながら、ひときわ明るく燃え落ちていく機体が一つ。
彼は無線をつなげた。
「B01より本部へ。敵の追撃によりB06が撃墜。迎撃の許可を」
コンマ数秒の間。イヤーマフから別の男の声がした。
『本部よりB01に通達。迎撃を許可する。殲滅後、直ちにB06の処理、および敵機の記憶デバイス奪取を実行せよ』
「了解」
背後を映すモニターには自分たちとは別の、見慣れない三機の戦闘機が追撃しようと迫っているのが見えた。
「B01より全機へ通達。直ちに第三迎撃編隊に移行せよ。B06の穴はB05とB07でカバーしろ。できるな?」
『こちらB05。いけるぜ』
『こちらB07。了解』
これまでのⅤ字から、より空間を上下に広く使った編隊へと各機が動く。みんな、仲間が撃墜されて心穏やかではない。それでも乱れなく編隊移行できるのは訓練の成果だ。
「B01よりB02へ。いつもの仕事だ。頼んだぞ」
『こちらB02。まかせときなって。行くよ!』
二人は機体を一瞬で反転させ、敵機を照準に収める。重力に負けまいと踏ん張ってロックオン、右手に握りこんだハンドルのスイッチを押し込む。コックピット越しのシュウウッ、という音とともに2つの追尾ミサイルが絡み合うようにして離れていく。敵機に向かって突き進むが、すんでのところで躱された。
不発。
舌打ちをした。目を閉じ、深く、ゆっくりと息を吸って――
二つの機体が同時に急加速する。
彼の機体めがけて敵の機銃の雨が容赦なく降り注ぐ。
敵小隊は喧嘩がお好きらしい。撤退を始めた相手を無駄に撃墜し、挑発するのだから。
少年は苛立ちもそのままに目をかっと見開く。
……受けてやるよ。この外道。
B02が抜きん出た。有人機体では大陸最速を誇る〈セフォノード〉の透明な翅が空を裂く。
「ちょろまかとッ……!」
敵機が背後を取られまいと回頭しようと機体を動かすが、遅い。加速に最大の重点を置いたこの〈セフォノード〉は、掃射の止んだその瞬間を逃さず距離を詰め、合間をぬって敵機の上に躍り出た。
近い。
標的の三機を視界に収めて照準を合わせると、すぐにレティクルが赤く光る。ロックオンだ。
その瞬間一切のためらいなく、追尾ミサイルと2つの122ミリ口径小型榴弾砲を発射した。頭が揺れるほどの反動を機体の軽さとエンジンの方向転換で何とかいなし、同時に距離を取る。
瞬間、敵が爆散した。
あれだけ至近距離で叩き込まれたのだ、乗員ともども無事では済まないだろう。
鉄屑と化した装甲版が落ちていく。
『あーあー、おいしいとこ持ってかれちゃった』
イヤーマフから垂れ流される独り言に答える気力はなかった。
それよりも、それよりもだ。落ちた彼の安否はどうなっている。
少年は焦りを仲間に悟られぬよう黙って、雲の下へ消えてゆく敵の残骸を見送った。
しばらく待って安全を確認したあと、彼は地上へと下降していった。
部下に上空の哨戒を任せた。次の任務に移らねばならない。
雲の下に現れたのは、戦争の前線となったことで荒れ、廃れた街。かつて人々が暮らし、人生を営んでいたのであろう面影はすでに無い。角の崩れたレンガの建物、電線が切れて斜めになった電柱、塗料が剥げ砂ぼこりを被った看板の数々。すべてが灰汁色に覆われていた。
彼は墜落した味方機と、たまたま近くに落ちたであろう敵機の脇へ静かに着陸すると祈るような気持ちで周囲へ生体スキャンをかける。
一つだけ、反応があった。
……残党か?
防弾ガラス越しに警戒してそちらを確認すると、見る影もなくなった〈セフォノード〉が転がっている。
生きてたか。
深く安堵のため息をつき、おもむろにコックピットを開放する。上空とはうって変わって光の量が少ない。無機質に冷えた砂埃が顔に吹きつけた。それに交じってオイルの焦げる匂いがする。這い出るように機体から降りて、建物から落ちて粉々になったガラスの上をパキパキと音を立てながら歩く。
翅がひしゃげており、とても航行できそうもない〈セフォノード〉。一見中身もイカれていそうだが。
ごんごん、と殴りつける勢いでコックピットをノックする。
「おぉーいクラウス、体調はどうだ?」
張り上げた声に呼応するように、この短時間で積もった砂を跳ね上げてハッチが開いた。
「……最悪っすよ、レオン隊長。途中まで自由落下してんだ、なんで生きてるのかもわかんねえっす」
「容体は?」
「足折れたくらいっすかねえ。応急鎮静剤使ってるんで痛みはだいぶなくなりました。墜落してこれで済めば儲けもんっすね」
「そりゃよかった。後でルードさんに礼を言っとくと良い」
「言われなくても行きますよ。差し入れは何がいいですかねえ。ビンテージのウイスキーなんてどうっすか?」
「大喜びだろうな。持ってれば、だが」
「……実は持ち込んでたらどうします?」
「軍規違反」
「ですよねえ」
「ま、バレなきゃ違反じゃないさ。持ってって差し上げな。俺は何も聞いてないから」
「隊長……!」
目を輝かせて神に祈りをささげるかのように手を組む隊員。
少年は笑う。これだけ口が回れば問題ないだろう。
何とか引っ張り上げて近くの機体へと移動するよう命じる。その間にかろうじて生きていた緊急電源を立ち上げ、パネルに手を当てながら音声指示を出す。
「実験部隊『霧』隊長、レオナルド・ラインハルトが命じる。『源泉』のセキュリティ解除及び排出を実行せよ」
『指紋、声紋、静脈の照合を開始……完了。本人と推定。漏洩セキュリティプログラムの無効化を実行……完了。動力部の非常用動作確認……良好。動力部ハッチ開放に移ります。完了まで30秒』
ひしゃげた〈セフォノード〉の胴体部がガチャガチャと音を立てて開いていく。何重にもロックがかけられたその中から、大量の蒸気とともに、琥珀色のプリズムが密閉されたカプセルが姿を現す。
急速冷却をかけたのだろう。冷却用の水が蒸発し、むせるほどの熱を持った蒸気が我先にと外へ流れ出る。この機体の心臓である「源泉」のコアは彼が手に持てるほどの温度まで下がっているようだ。ひょいと持ち上げ、続けざまに命令した。
「当隊は B06の放棄を決定した。機密保持のため、速やかに全プログラムの消去を実行せよ」
『了解。基礎プログラム及び関連プログラムの全消去を実行します。帝国に勝利を』
ぷつん、ディスプレイが消える。
これでもう、この機体が目を覚ますことはない。機械と言えど自分たちが乗って、その身を挺して隊員を守った仲間だ。敬礼をして佇む。
しばらくそのまま微動だにしなかったが、やがてやるせなく手をおろす。
手に持った「源泉」。まじまじと見つめ、雲の間から漏れ出る陽光にかざした。
……これが、戦争の元凶なんだもんな。
丁寧にバックにしまい、次の任務に取り掛かかった。
墜落した敵機のそばに歩み寄る。
そばに息絶えたパイロットが投げ出されていた。炎上したオイルにさらされ、肉の焼ける匂いが漂う。流れる血が砂に覆い隠されていく。
少年はすっと目を細め、しばし対峙した。そこに湛えられたのは——静かな怒り。
「……」
そしておもむろに近づき、遺体の胸元を開け、首からぶら下げたダブルプレートの一枚を折り取る。ポケットに放り込み、ばっくりと上蓋の開いた敵機のコックピットの中身を漁る。
ほどなくして座席の横から備え付けのデータストレージが見つかった。背負ったバックからパソコンを取り出して接続。キーボードを叩いてプログラムを起動。
ガコン、という音ともにストレージの物理ロックが外れる。
「源泉」を落とさぬよう慎重にバックにしまい、ストレージは雑に片手で持つ。用がなくなった機体に背を向けて、自分の〈セフォノード〉へと歩いた。
痛む足をかばってなんとか貨物部の非常用座席に腰を落ち着けたクラウスを確認し、腕の中身を放り投げる。
「ほれ、大事に持っとけ」
「うおお……こんな大事なもん投げて寄こさないで下さいよ」
「その通りだ。壊したら首が飛ぶぞ、君の」
そう言った途端、慄いた様子でひしと抱きかかえるクラウス。
少年の笑い声が荒野に溶ける。
「大丈夫、そう簡単に壊れないさ。中身が盗まれないようにとんでもなく頑丈に作ってある」
足元の保管ボックスにカバンをしまって、ついでにハッチも閉ざす。
エンジンが低い唸り声を上げて稼働し、機体が浮く。ズシリと重力がかかり、徐々に徐々に、雲の上へと。
赫々と水平線の近くで自分を見据える太陽は、雲の上に細長く、黒い影を作る。動くものは彼の〈セフォノード〉——ただ合理を突き詰めた機械を除いてほかにない。彼はただ、この光と闇の美しい狭間に存在していた。闇に向かうでも、光に向かうでもなく、まっすぐに空間を進んでいき、やがて静寂が訪れる。
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