1.蒲公英は覆面恋愛小説家
『行くなっ!…』腕を掴まれ、あっと言う間にヨルガは霧生の逞しい胸の中に閉じ込められていた。
『な…?』何が起きたか正直わからず霧生を見上げたヨルガだったが、深い口づけによって言葉は飲み込まれた。
『霧…生…なんでっ…』
「なんで」
「うるさい。お前が俺から離れるからだ」
「な、だって霧生は」
「くそ…お前が俺を…うふ。ふふふ…うふうふ。げへっへへへ。いいねー。ようやく気持ちを爆発させる霧生!」
半紙にスラスラと、美男子同士の愛憎シーンを書いている蒲公英の顔は、涎したたるスケベ顔である。
そんな蒲公英を部屋の外から傍観する平八の顔は、いつも通りに歪んでいる。
「ここで最大の濡れ場に突入させますよー!ああ、だめ。だめだ!逆らうヨルガ。でも一度気持ちを爆発させた霧生の前ではヨルガはなす術もなく…えへ。うへへへへ。ああ、これは濃厚だっ!」
1人自室で身振り手振り加えて、美男子のヨルガと霧生のラブシーンを演じ舞い踊る蒲公英もまたいつも通りである。
「ここで一旦(続く)っと!」
筆をおいて、蒲公英は大きなため息をついた。
「よし!今月号が完成だ!読者め。今月の続きに身もだえるがよい!」
30枚の半紙を整え、満足そうに眺める蒲公英17歳。まだ幼い顔した少女である。
何を隠そう、この蒲公英、今をときめく覆面恋愛小説家。この「弁柄」の小国にボーイズラブブームを巻き起こした第一人者なのである。
「書きあがったのかー?相変わらず気持ち悪いなー。お前は。」
部屋の窓が開いて顔を覗かせようとする平八は、団子のような三段腹のせいでガタリと体を揺らして、蒲公英の部屋をのぞき込んだ。
「ふふふ。とうとう時を経てヨルガと霧生の気持ちが通じ合うだよ!平八くん!」
「そいつら男同士だろ?」
「なにをいうの!?美男子だよ!美男子×美男子!君のような豚と一緒にしないでくれたまえ!」
「お前、本当に気持ち悪いなー。年頃の女が何が悲しくて男同士の恋愛想像して悶えてるんだよ」
「あのねー!!!あんたみたいな団子男しか周りにいないから!こうやって限りある青春を自らときめかせているんじゃないの!」
蒲公英は団子餅のような顔で自分を見上げる平八の手からみたらし団子の1本をぶんどると頬張った。
「私だって!もぐもぐっ、自分で恋愛を夢見ていた時期もありましたよ!でも仕方ないじゃん!」
横目で平八を睨むと
「残念でしたねー俺が相手で。」
ニヤニヤと幼馴染の平八は三段腹を揺らしながら笑う。
「まぁ、祝言あげても俺はお前の好きにさせるよ。気持ち悪い小説も書き続ければいいし、別に店も手伝わなくていいし。」
「‥‥女将さんと旦那さんの手前、そういうわけにもいかないでしょ。」
ふん、とそっぽを向く蒲公英に平八は笑顔で「そんなことないさーお前は好きにしたらいいさー」と団子をまた1本頬張っている。
「…私、原稿届けてくる!」
相変わらずの平八に蒲公英はバン!と勢いよく窓を閉めると、部屋を飛び出した。
弁柄の街は今日も行商人でごった返している。
オレンジの漆喰家が軒を連ねる弁柄国は小さいが、大国と大国の中間地に位置する島の1つで、数多くの貿易の拠点でもある。
御年85になる国王は未だ健在で、外国の船が停泊するようになった今日もずっしりと経済安定を保っている。
蒲公英は封にいれた原稿を胸に抱え、人波を縫って歩いていた。
時折、行き交う人々が驚いて蒲公英に道をあけるのは彼女の髪色のせいだ。
色素の薄い人種で成り立つ弁柄国では皆、薄い茶色の髪と薄茶色の瞳をしている。
でも蒲公英の髪は腰まである真っすぐな黒髪で、瞳の色も濡れたような漆黒だ。
じっと見つめられると深い闇に落ちていくようだと、気味悪がる人もいた。
(実際、平八には感謝しているんだけどね…)
蒲公英は独りごちた。
いつも新作団子を両手に持っては、もぐもぐと頬張る鏡餅のような容姿の平八だが、
弁柄の街で唯一の老舗菓子問屋【平楽】の跡取り息子だ。
15年前の店先で、どこの誰が置いていったかわからない黒髪の幼子を育ててくれた平八の両親は、実子のように蒲公英を可愛がってくれていた。
蒲公英は18歳の誕生日に、平八と夫婦になる約束をしている。それは子供のころから約束で、蒲公英にしても育ててもらった平八の両親へのせめてもの恩返しのつもりだ。
(そこに愛はないけどね…)
ふと空を見あげる。白い大きな雲が日を浴びて銀色の輪郭を輝やかせている。
昔ずっと夢に出てきた男の人を思い出した。
銀色の髪をなびかせて、自分の見つめる切ない瞳。
言葉は聞こえないけど、絡み取られた腕は離せなくて…、見つめあう目からなぜか溢れでる愛情が見え、苦しくて苦しくて目をそらす…そんな夢を何度も見た。
毎度、起きると記憶はまばらで男の顔は全然思い出せないし、場所がどこだったかもわからない。ただ、胸が苦しくて、泣きたくなるような後味だけが残る夢。
いつしかその男を「霧生」と名付けた。
夢の中で言葉は聞こえないけど、なんとなく開いた口の動きを「霧生」と合わせてみたらしっくりきた。
だから、彼は霧生。夢の中の人。
彼は私の想像通りに、美男子で優しくて逞しくて、格好よくて強くて誠実だ。
平八との結婚の話が具体的に進み始めた2年前、蒲公英は霧生を題材に恋愛小説を書いてみた。
相手は自分ではない。
こんな気味悪がられる異質な女ではなく、霧生と同様に美しく線が細い…正直で勇敢な少年にしてみた。
わからない。霧生が自分でない女性に愛をささやくのは嫌だったからだからかもしれない。
とにかくこの美少年ヨルガと、美青年の霧生の話を書き始めたら…寝食を忘れた!
とにかく書いて書いて書きまくった!
話は次から次へと沸き上がり、筆は止まらなかった。
5日目に平八にタックルされて気絶したので、そこまで書きあがった小説は「未完」となった。
蒲公英が丸七日間死んだように眠っていた間に、それを読んだ平八家族が「蒲公英の形見になるなら」と小説を新聞屋に持ち込んだところ、お得意様だった月影新聞が記事裏の小説として一部掲載してくれ、街は炎上した。その小説はうら若き乙女たちの心に火を放ったのである。
美少年ヨルガと、美青年の霧生の焦れ焦れの恋愛模様は、この弁柄国で初のボーイズラブブームを巻き起こし、月影新聞屋は続編を希望する腐女子たちからの嘆願書で埋もれたのである。
よって今、蒲公英は人気連載小説家である。
しかし来年は、平八と結婚し、老舗菓子問屋の女将を継ぐ身。
あまり変な事はできない身としては、お得意様の月影新聞屋の采配で覆面小説家として活動している。
今月もまた締め切り前に、書きあがった原稿を届けにきたのである。
「担当者さまー!【平楽】の蒲公英ですー!ご希望の新作団子を届けにまいりましたよー!」
ご機嫌で月影新聞屋の暖簾をくぐると、新聞屋の中はごった返していた。
「あれ?何事?」
「おい!蒲公英!邪魔だ!こっちにこい!」
蒲公英の担当編集者の依光が蒲公英を見つけて手招きした。
「なになに?なんか事件あったの?」
紙が舞い上がる記者部を抜けて、蒲公英があたふたと依光の元に駆け寄る。
「いや…国王崩御のガセネタが出回って、大変だったところなんだが…」
「え!国王死んじゃったの!?確か85歳だったもんね!」
「違う、違う。ガセだよ、ガセ!単に具合悪くて政に出席しなかったことと、隣国への電報があって、変な噂が飛び交っただけだったんだが…。」
「へー。隣国への電報って?」
「王子を呼び寄せてるんだよ。国王の隠し子の第四王子が隣国へ留学して早17年。跡目相続上、度外視されていた第四王子が近々、弁柄国に戻られるって話だ」
「ほぅ。第四王子って何歳?」
「三歳の時に隣国へ飛ばされたから…今年二十歳か。」
「へー…格好いいの?」
「ほれ。」
「きゃぁぁっぁぁっぁぁx!!!!!!」
姿絵はイケメンそのものである。
「なにこれー!めっちゃ格好いいーーー!」
「だろ?それで大騒ぎさ。」
「これは、もしかして、お城でお妃選びの宴が開催されるとか…!??」
街の女の子達の阿鼻叫喚を予想して蒲公英はワクワクした。
「ところが、この王子。女に興味ないらしいんだ。」
「‥…ん?・・・・・・・・・・・・・・・、と、いうと?」
「なんでも『男色家』らしい‥‥」
「なんですと!!!???」
「まーなー…お前のお陰で弁柄は今、最大のボーイズラブブーム。ここにきてイケメン第四王子の帰還。それに男色家ときたら…」
「私の小説は売上倍増!!!!!」
蒲公英の目が金色に輝く。
「どれ。今月号の原稿見せてみろ。」
「どえらい展開ですぞ!?みてみてー」
「うん…んー…」
蒲公英の原稿を一通り読み終えた担当者は、しばし黙り込んだ。
「ね?すごいでしょ?ドキドキするでしょ?この後の濃厚なラブシーンをお楽しみに!」
蒲公英は前のめりになって担当の依光からの言葉を待つ。
「お前さ…」
「うんうん!」
「男と交わったことある?」
「へ?」
「濃厚なラブシーンを、とか言ってるけど、お前、経験はあんのか?」
「ないよ」
蒲公英は平八の顔を思い出しながら「うえ」っと舌を出した。
「じゃあお前、この先の美少年ヨルガと、美青年の霧生の交わりをどう書くの?」
「そ、そりゃあ!濃厚な口づけと、、、握った手首に、、、首筋の口づけの跡。それからそれから…」
「ダメじゃん、それ。全然濃厚じゃないよ」
「それだけじゃないよ!こうやって後ろ頭に霧生が手をいれて、こうブチュー!!!とかね?」
「さっきから口づけばっかじゃん!男と男はそれしかできないのかよ!?」
「え!知らないよ!そんなの!いいじゃん!美青年×美青年なんだからさー」
「だからこそだろ!お前、そんなんで読者が満足すると思ってるの!?そもそもお前、男と女の交わりだって知らないだろ」
「知ってるよ!ブチューって口づけしてさー」
「さっきからブチュブチュ口づけばっかりじゃん!お前」
「だってー…」
蒲公英は頭を抱えた。
(確かに私は知らない。)
(濃厚ラブシーンのやり方を…)
(だって平八相手に、何をどうするのだ?)
(そもそもあいつとのラブシーンなんか想像も気持ち悪い。)
(世の男女は一体なにをしているのだ?どうしたら…)
(そうだ、男と男は、あの平たい体同士で女と違ってなにをどうして愛を確かめるのだ??)
「う、うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん…」
「お前、ちゃんと取材しろ、取材」
「どこで?そもそもこの弁柄国に霧生みたいな美青年いないじゃん!」
「美青年じゃなくてもいいだろ!男と男の恋愛をさー」
「誰がしてんのよ!そんなの!」
「それは…」
蒲公英は担当編集者と見つめあった。
「イケメン王子…帰還」
「しかも…男色家…」
「‥‥っ!!!!!」
どこからともなくつぶやきあった2人だったが、どちらともなく飛び上がった!
「「これだ!!!!」」
かくして蒲公英の王宮潜入計画が始まったのである。