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花祭りの夕星(ゆうづつ) 1  作者: 坂井瑞穂
1/1

半世紀ぶりに復活するはなまつり

 

  煌めく夕星 虚空の闇へと

  誘う舞殿より地笛響く

  地固めの舞いの 光と影

  木立へ消えゆく暗がりの静けさ

  吾も舞わん 今宵の宴に


 久々に味わう都会の喧騒に海部一朗は、幾分気を取り乱していると感じていた。もはや静岡県西部の中核都市としてのみならず、周辺三十か町村を呑み込んで統合を果たし政令都市浜松の玄関口ともいえる旧旭町駅近辺の変わりように動揺を隠せないでいた。掌の汗を拭き取ると、そのタオルを軽トラックの運転席に戻し、己の軽率な振舞いを羞恥した。

 なんで俺はさっきから駐車場捜しに気を取られているのだ。ここから繁華街の浜松モールへ行って、そこで行われる<軽トラ朝市>の一角に乗り込んでいって、車に積んできた野菜や食材を売るのではなかったか。

 彼を軽トラ朝市に出店することを勧めたのは前秋津町長の滝井三子雄(たきいみねお)と助役を務めた富永恒だったが、一朗自身は話がそんなに上手くゆくとは考えていなかった。大体自家製の不揃いな作物が都会の買い物客の眼に留まろうなどとは想像すらできなかったことである。そんな乗り気のしない一朗をけしかけた元の町長と助役は、彼の中学時代の同級生である村松博が国鉄を退職したあと、定期的に自家製の作物をトラックに積んで秋津町まで直売をしに来ていることを告げた。

 その話に素早く反応し、一朗よりも関心を示したのは妻の由美子だった。今回はすべてが初めてということもあり彼女を同伴させることはしなかったが、手づくりの金山寺味噌を催事場で売りたいと躍起になっていた。

 一朗は豊田郡秋津町、神妻(こうづま)の自宅を夜明け前に発ち、浜松の催事場では交通量が増える前の時間帯に出店準備にかかりたい思いだったが、市街地に進入する手前で合計三回道を間違い、その都度大きなタイムロスを演じてしまっていた。

 浜松市郊外、三方原台地の一角に家を持つ村松博は、きょうは少々遅めに行って出店すると言っていたが、這う這うの体で一朗が浜松モールの催事場に到着すると村松や他の参加者たちはすでに、ちらほらと来場しはじめていた気のはやい客たちを相手に店頭販売にはいっていた。

"どうだら、いっちゃん。来てよかったら。"

 慣れぬ都会での自動車販売に眼を白黒させている一朗を横目に村松のほうは軽快に売り物を捌いている。ここ浜松モールで軽トラ朝市をやるようになった三年前から参加しているとあって、彼は品物を袋に入れて客に渡す動きひとつとっても手馴れたものである。もっとも村松は国鉄職員だった時分から、かつてこの地方の名産品であった瓢箪やヘチマを再び地域の町おこしにできないかと考え、独自に栽培を行っていたのである。

 一朗にしてみたらヘチマタワシが爆発的に売れることはなかろうと冷めた眼で見ていたが、ヘチマはどうやら未成熟な状態で収穫したものが食材蔬菜として買われていっている様子である。

 海部一朗と村松博はかれこれ六十年来の幼馴染である。村松の家族も海部家同様神妻集落に住んでいたが、博が中学にあがるときに学校がある本村の浦河原へと越してしまった。中学時代もふたりは親友であり続けたが、こんどは博が進学校であるH北高校へ行く段になると、三方原台地に家を買い、家族ぐるみでそちらに離村したのである。

 その後も博は事あるごとに一朗をたずねて帰村した。もちろんいまでもお互いを<いっちゃん>、<ひろちゃん>と呼び合う間柄に変わりはないが、近頃はなにかと億劫になって、以前のように行き来することも少なくなっている。仕方ない、お互い還暦をまわったのだ。そう思うとどうしてもやりきれない気持ちになる。

 一朗の心配をよそに、軽トラに積んできた荷物は二時間ほどで完売、営業終了となった。近年はヘルシーな自然食が流行っているのは知っていたが、改めて売り買いに立ち合ってみると不思議な傾向があることもわかってくる。さきほど若い夫婦がマンドレイクみたいだとか言って喜んで買っていった二股に割れたニンジンなど、ひと昔前ならば買い手などつかない規格外として棄てられていた代物である。彼は、時代に取り残されているのは寧ろ己のほうなのだと認識しはじめた。だが妻の由美子が頑張って拵えた金山寺味噌は売り上げ好調のようで、品物が無くなったあとも欲しがる客が現れたりしていた。これは嬉しい誤算だが、帰ったらさっそく妻に報告しよう。次回こそ彼女を連れてきてやらねばなるまい。

"さあ、北遠、秋津郷の美味しい野菜だよ。皆さん、買ってって。"

 博は自分の売りものよりも、朝市参加が初めての一朗の応援に徹してくれている。このところ行き来も疎遠になっていたとはいえやはり旧来の知己、親友の存在はとてもありがたいと感じる。

"やあ、ひろちゃん、おかげで助かったよ。俺なんか、こんな都会での商売は初めてだら。朝は朝で旭町駅の近くまで来て右往左往、しかも慌ててパーキングをさがそうとする始末だ。けどよ、驚いたのはそれだけじゃない。高架になった新浜松駅に出たところ、こんな駅、前はなかったぞ。旭町駅はどこだって躍起になって同じ道をぐるぐると、ワンデリングしちゃってな、もう、冷や汗もんだったに。"

 モール街の歩行者天国は終日続くが、軽トラ朝市は午前中に終了する。一朗と博は双方とも持ち寄った品物を完売させたが、他の者たちのなかには売れ残りを出した連中も少なからずいた。しかし皆それぞれ家に持ち帰って自分で消費したり、朝市の仲間同士でで分け合ったり、極めて牧歌調に催事は推移しているとみられた。

 朝は野菜で(てんこ)盛りだったバスケットやコンテナを畳んで軽トラに戻した海部一朗はそのまま帰宅するでもなく、発車させると村松博の車に続いた。北東方向の市野、笠井方面へとのびる県道が、そこまで沿うように走っていた遠州鉄道西鹿島線と分かれる積志駅の手前で、博が運転する軽トラが左折のウインカーを点滅させたのを確認して、一朗は自分の車を路肩に移動させた。

 アクトシティなど調高層ビルが建ち並ぶ浜松駅周辺にくらべれば、積志は郊外の地味な住宅街である。車を降りた一朗がきょろきょろと周囲を見回しているのを博が呼んだ。

"どうした、いっちゃん。忘れ物でもしただか。"

"だいぶ昔のことだけえが、西鹿島線の積志駅でおりただよ。急にそんときのことを思い出した。なんの目的で来ただかは忘れたけえが、県道に出た角のところにたこ焼きの看板を出してる小さい店があっただよ。たこ焼きを注文したら、隣の美容室やってる家の三歳位の坊やが持ってきてくれてね。親か誰かにパーマをかけてもらったんだらね、髪の毛がくるんくるんしてて可愛かったからよく覚えてんだ。"

"たこ焼き店と美容室だって、積志駅の近くにあったっけ。それっていつの話ら。"

"ニニ、二三くらいか、もう四十年前になるんだな。あのくるんくるんの坊やもいいおっちゃんになっているんだな。"

"それはそうとあすこにジャンボデンチョーの看板が見えるら。あしたはあの向こう側の駐車場で朝市をやるんだに。"

 浜松を中心とする静岡県西部では数年前から各地で軽トラ朝市なるものが流行りだし、いまでは恒例行事といっていいほど定着している。それに地域でもわりと評判がよく、なにかと変化にとぼしい農村部では、つぎの開催を待ちわびるひとも多く、地元のカンフル剤となっているようである。

 明日朝にジャンボデンチョー積志店前大広場で催される朝市では、こんどは一朗が博の店を手伝うかたちとなる。当然彼は今晩村松宅に泊まることになるわけだが、彼らには朝市への出店参加のほかに重要な打ち合わせをする目的があった。一朗にとってむしろその件のほうがウエイトの重いものであったかもしれない。その念入りな相談をするために村松博の家に泊まりがけでやってきているのである。

"ひろちゃんは神妻を離れて何十年となるわけだけれども、いま神妻は小字の蕨野をふくめても一四軒しかいねえ。今回みたいに半世紀以上途絶えていた花祭りを復活させるには、地元の住人だけじゃたちゆかんのは眼に見えることだに。"

 一朗が話した花祭りとは静岡県から愛知県にかけて古くから伝わる秋神楽の呼び名で、静岡県のさらに山あいのほうでは花の舞いとして通っている。いわゆる神事でありながら伝統民族芸能として認識されている年中行事なのだが、近年はご多分にもれず山間部地域の人口流失、少子高齢化などもあってどの村も花祭りを毎年開催することが困難になってきているという。そんな中、神妻では長年途絶えていた花祭りを復活させようという機運が高まりだしていた。誰が最初に言ったかは定かではないが、話が進む間に実行委員長を引き受けることになった一朗自身まったく考えもしなかったことである。

"ひろちゃんは神妻神社で花祭りをやってたころのこん、覚えているら。"

"ううん、俺が神妻にいた頃は毎年開催されていたはずだけえが、まったく記憶にないんだ。いっちゃんが愛知県のほうから越してきたん、小学四年のときだら。たぶんそのころは開催されていたっちゅうても、演目が減らされとったりしてな、だいぶ規模が縮小されとったらいね。"

 博の言うとおり一朗は小学生時代に愛知県七宝町から神妻に転入してきている。昭和三十年代といえば電源ダム開発や森林作業の労働者が他県から移り住んでくる、いわば人口減少や過疎問題など無縁の時代であった。神妻村にも当時は三信鉄道線の本河井駅ヘ渡っていく上妻橋のたもとに五階建ての寄宿舎があって、いまでは信じられないほどの賑わいを見せていたものである。

"俺は前の町長、滝井さんから花祭りの実行委員長をやるように頼まれたけえ、こうして偉そうにしちゃおるが、文献なんかでいろいろと調べていくうちになあ、ほんとうに花祭りを復活できるんか、あんまり大きなこんは言えんのじゃないかと思うようになってきた。舞手や笛、それに太鼓を打つ人も必要だら。村の住人がどうやって演じるんだ。俺は花祭りを復活させる条件として、はじめのうちは演目をやれて、神妻の衆に指導してやれる人たちを他所からひっぱってこねえとだめだと思ってる。"

"そうだな、いっちゃんの言うとおりだらいね。何をいっても五十年も途絶えていた花祭りなんだからよ。外部のもんを排除して神妻の住人だけでやろうなんて言い出したら、復活など無理にきまっている。"

 ジャンボデンチョー店舗裏の私設倉庫に、明日の朝市に使う備品を収めた博は、

"いっちゃんの車に俺を乗っけてくれよ。家まで案内するら。"

 と言って一朗に運転するよう促した。進路を東にたどり、窓越しに指差しして己が手掛けるヘチマ畑を紹介していく。それらすべてが休耕となった田畑を借地してヘチマ畑として耕作転作しているところなのだが、一朗は指示どおり運転しながら、どうも解せないといった顔をした。

−−−俺はあまり地理に明るいほうではないが、何か変だ。ひろちゃんの家がある三方原はもっと向こう、西のほうじゃなかったか−−−−

 一朗は博にその疑問をぶつけると彼は浜松東部の笠井地区に農業小屋付きの家を借りており、そこへ向かっているのだという。三方原の本宅は娘の秀子が婿と一緒に住むようになってからというもの、どうしても居づらくなっている。けっして仲違いをしているつもりはないが、最初は出張の出作り小屋程度の役割として考えていた笠井の家のほうに博が居座る生活を続けるようになり、それにつれて妻の久美子が双方を平然と行き来するようになった。彼女の態度は一貫して傍観者といったところだ。いっぽう秀子もヘチマ生産が父の念願であったことを十分理解しているから、それが軌道にのりだした様子を垣間見ては母親とともに喜んでいるのだという。いまの季節、日が伸び、太陽の光がじりじりと強まるこの時期はとくに受粉作業が忙しい。作付け面積を増やし過ぎたか、博は作業に追われるごとに思うが、そんなときは生産組合の仲間のほうで手伝いをかってでてくれる。

 地域の住民、とくに一時代前の、ヘチマ棚があちこちで見られた頃に幼少期を過ごした年配者たちにとっては懐かしい光景と映るのであろう。いよいよ百花繚乱となった鮮やかなヘチマの黄色い花を見るために、彼が精を出す畑地の脇に車を止めてやってくることもたびたびある。妻の話では秀子の夫の学彦のりひこ)が作業を手伝わせてほしいと言っているそうである。

"いっちゃん、さっきの、花祭りの件だけえが、舞手や笛、それに太鼓の打ち手の数合わせに関しては俺のほうでなんとかなる。なんなら<雲を耕す会>の笠井支部と市野支部を総動員して神妻に向かわせようか。

 だけえが肝心なんはやっぱりいっちゃんのところだに。本丸を護る上級侍が十人足らずってのはいささか心細い。個人レベルじゃ俺の話にのってくれそうなのが見附と山梨、それに渋川にいる。"

 博が示した山梨とは袋井市に編入した、以前は独立した町であった地区のことである。そして渋川は北引佐にある山あいの集落のことであり、ここでは群馬県の温泉場のことではない。

 積志から二十分も車をは走らせれば笠井にはいる。一朗の軽トラを農業小屋のシャッター前に留めさせ、車を下りると博は明日の朝市に向けての段取りを示した

"俺は朝一番で別の倉庫に行って、朝市の見世物にするヘチマたわしを積んでくる。その間いっちゃんは生食用に早穫りしたヘチマの実を七個ずつ袋詰めしてくんねえか。すこし早いけえが一緒に棚を見て、美味そうなやつを集めることにしよう。"

"わかった。"

 農作業だったら俺だって手慣れたもんだ、そう自負があることを一朗は明かしておきたかった。

"俺たちはさっき車を置いてきた広場で朝八時くらいから出店するが、昼前には女房がヘチマを惣菜にしたものを持ってくる。だいたい生物が売り切れた段階で店を畳むことになるが、いっちゃんはどうする。午前中くらいは付き合えそうか。さあ、はいって。"

 博は一朗の背中を軽く押すようにして自室に招き入れた。

"きょうは女房もやっちゃ来ねえ。気を楽にしてやろうぜ。"

 左党の仕草を大袈裟にして見せては、博は悪戯っぽい笑い声をあげた。

"悪いなあ、ひろちゃん。俺も昼までだったら手伝える。だけえが夕方までには帰らんといけねえら。明日の晩は滝井さんと話があるんだで。"

 滝井三子雄秋津町元町長は神妻神社奉納神楽、花祭りの復活を提案し、神社の宮司に具体的な相談を持ちかけた張本人である。さらには花祭りの実行委員長に彼、海部一朗を推薦したのも滝井元町長だったのだ。

"いっちゃん、なあ。俺は早くに村を離れちまっただで滝井さんのこんはよくは知らんけえが、なんで責任者をいっちゃんに任せるこんに決めたんだろ。花祭りの復活は神妻に住んでる者にとっちゃ、誰もが待ち望んでることだら。宮司さんに掛け合ったりして、熱心なご様子だし、どうして自ら実行委員長として行動せんのら、俺にはそこんところがよくわかんねえ。もう町長じゃねえんだし、時間だって充分にあるらいね。"

"うん、それな。まあ、発案したんは滝井さんだが、そのまま話を進めてしまっちゃ行政先行としてとられかねんら。なんちゅうても元町長だら、町民全員を相手にしてたわけだから、独断で計画を進めている、そう見られたくはないからだと思う。

 滝井さん、町長してた頃結構やり手だったもんね。神社側の事情もあるだろうし、町民の総意がなければ形だけの復活じゃあなんの意味もなくなるわけだら。はっきりと口にはしてないけえが、そんな経緯もふまえて俺に委員長職をやってくれと言ったんだと思う。"

"元助役の富永さんはどうなん。あの人の家も確かいっちゃんと同じ頃に神妻に越してきたんじゃなかったっけ。"

"富永さんは神妻じゃねえ、半場だ、最初から半場の町役場の近くに越して来たんだ。引っ越して来る前は愛知県の稲武だか足助の向こうのほう、かなり山奥の出身らしい。だけえが山奥っていったってそのあたりは昔から、歴史の本なんかでは平安時代ぐらいなんだな、富永の荘園てのがあったというんだ。奴さん、そうは見えねえけえが、由緒正しき貴族の子孫なんだよな。"

"その富永元助役も花祭りの復活には熱心なんだら。"

"恒さんは、いや、富永さんな。ふだんは物静かな感じだけえが、やっぱり貴族末裔なんだろうな。神妻神社だけでなく、ほうぼうの神社仏閣を知り尽くしている。花祭りの話が具体化してからは何度か恒さんの家に呼ばれて、かなり詳しく解説してくれたよ。

 神妻神社の花祭りは、もとは奉納神楽としてはじまり、江戸時代の初期あたりから芸能要素がつよくなって演目も華やかになっていったというらしいが、もとはといえば竜光寺山の上のほうにあった八幡神社でおこなわれていたものらしいんだ。

 室町時代ころにはそこの八幡神社は井伊谷八幡、奥山八幡と呼ばれるほどの賑わいだったという。奥山っていったって山の奥だから奥山なんじゃねえ。井伊一族の奥山氏っっていう豪族がいまの水窪奥領家や地頭方あたりから三河の設楽郡やその向こうの補陀落郡まで広い領地を支配していたそうなんだ。井伊一族が勢力を広げると竜光寺山の山麓一帯には、いまもある龍潭寺のほかにも清涼寺とか豪徳寺とか立派な寺が建てられたらしい。神仏習合のメッカみたいなものだったんだろうな、各地から参詣者が絶えなかったそうだ。

 恒さんは個人的研究として、すでに廃寺となった清涼寺と豪徳寺の位置を特定すべく現地に足繁く通っているんだが、そっち方面の学識たるやかなりのもんだら、俺も相当勉強させてもらったよ。"

 現在は静岡県豊田郡秋津町の一部となっている旧神妻村は竜光寺山の北西の、大古瀬川が蛇行する河岸段丘に形成された集落構造をもつ。神妻神社は南北朝期、竜光寺山の八合目附近にあった奥山八幡の分社として建立された記録があり、それとともにこの地域にも山岳修験が結実することとなる。神妻地区南端の山裾に鎮座する神妻神社は現在は地域の氏神として定着しており、十五年ほど前に建て替えがされて、鮮やかな朱塗りの社殿を杉林のなかに際立たせているが、もとはといえば奥山修験の分社としてはじまったものなのである。

 神社の入口にある由来記を示した看板には奥山修験は八幡信仰から発したものと考えられているが、伊勢系統を始祖と述べる学者もいるため、このあたりは曖昧として由来が判然としていない、と書かれている。要するに依然として謎のままであるということなのであろう。

 標高一九二五メートルの竜光寺山の奥深くには、明治初期まで八幡神社に隣り合わせて神宮寺があった。こちらはこの山において神仏習合の修験がおこなわれた証左となるべき古刹だったが、いまは風雪にさらされ礎石がのこるのみである。またこれとはべつに山頂直下の岩窟に小さな祠が設けられ、そこには神妻八幡修験道寺の文字を確認することができる。これらはすべてシラビソやハイマツが生い茂る不気味な深い山の中で密教修験が続いてきたことを証している。

 平安時代に弘法大師空海が開闢したという伝説があり、もしそれがほんとうなら密教体系としては真言宗東密系ということになる。しかしこの説を真実と認める学者は少ない。なぜなら空海は生涯を通じ畿内より東へは旅をしていないとされるからである。

 秋津町元助役の富永恒が調査を継続させている清涼寺と豪徳寺の特定と現状に関しては、磐田郡佐久間町の相月東林寺がそれなのではないかと仮設をたてているそうだが、その東林寺は現在では曹洞宗の禅寺であって東密の体系は維持していない。また富永は現在花祭りが静岡県側で唯一継承されている集落、神妻の川向うに位置する本河井の八坂神社にも異説を唱えているのである。

 八坂神社で毎年十月下旬に行なわれる奉納神楽、花の舞は愛知県に残っている大入(おおにゅう)系の花祭りと共通点が多く、花祭りの研究者として著名な早川孝太郎も静岡県の花祭り、花の舞は大入グループとして分類している。だが大入とは昭和二六年に天竜川水系新豊根ダム建設に伴う集落移転がなされ消滅してしまっており、現在では地図上からもまったく消えてしまっている。つまり民俗学の学術用語としてわずかに名をとどめているにすぎない。

"俺よう、この間富永さんに誘われて大入の廃村集落を見てきたんだ。人が住まなくなって六十年になるというが、家とか案外しっかりと残っていたりするもんなんだな。あの人の話じゃ本河井の花の舞は大入にあった熊野神社でやっていた花祭りとそっくり同じだっていうんだ。神社も崩れることなくちゃんと残っていたし、誰かがときどきお参りに来てるらいね。丁寧につくられた注連縄飾りがされてたよ。"

 一朗は感慨深げに話す。

 よく言われるのが本河井八坂神社の、なんとも奇妙な社殿の配置についてなのだが、これは八坂神社の社殿が乾の方角、北西側を向いていることについて、これは深山幽谷の地を二十キロ隔てて大入の熊野神社と社殿を向き合わせているからという指摘もあるという。しかし大入はすでに廃村となり、近頃は誰が言ったか京都の八坂神社のほうを向いている、と新たな伝説をつくりだしてしまった。

 これには富永元助役も猛反発をしている。確かに本河井の八坂神社はその起源も六百年、七百年といわれ古いものであることは確かなのだが、その八坂神社の総本山である京都の八坂神社がどうかといえば、こちらは明治維新まで八坂を名乗ってはいなかったのである。江戸時代には祇園神社、あるいは祇園さまの名で地域の信仰も厚く、それなりの規模も備えていたとはいうものの、八坂神社としての歴史は意外にも浅いのである。

 では本河井の八坂神社が近代史以前、どのような形態をとっていたかといえば、富永元助役がいうには大入にあったのと同じ熊野神社ではないかということだ。もちろん川をはさんで向かい岸に鎮座する神妻神社の由来記もある八幡神社であった可能性も否定できないが、花祭りの復活が報道機関の眼にとどまり、各地で関心が高まった最近になって、別方面の学者が荒唐無稽な新説を提唱してきたのである。その学者は修験密教の歴史に注視した上でとして、これまで当地においてまったく関わりがないとされてきた愛宕権現由来説を云々しだしたのだ。

"そんな急に愛宕権現とか言われてもねえ、この近くにそんな愛宕系統の神社はないらいね。それに何より詳しいことがわからんもんで、どうとも言えねえのが本音だら。

 この間名古屋のほうで竜光寺山をめぐるシンポジウムがあって参加してきたけえが、どうにもこうにもちんぷんかんぷん、会場は研究者や学者ばっかりで、俺みたいな無知で無教養なんは他におらんわけ。俺だって花祭りの責任者を引き受けてしまったこともあるもんですこしは知っとかないといけんら、そう思って参加したんだけがいざ学者たちが意見をたたかわせる段になると、もう俺なんかが出る幕はないわけ。

 隣の席に愛宕信仰に詳しいっちゅう学者さんがいたんでそのことについて聞いてみた。神妻神社愛宕起源説てなんなんら、って尋ねてみたよ。だけえが奴さん、いきなり専門用語や学術用語のオンパレードで解説を始めた。あんまりに早口で説明するもんだからこっちは完全に理解不能、鞍馬だ、比叡だ、って一方的にマシンガントークをするわけだら。いい加減、俺も、幽遊白書じゃないらいね、って言ってやったよ。"

"おう、クラマとヒエイで幽遊白書か、なるほど面白い。"

 博は卓袱台を軽く叩いて喜びの声をあげた。

"結局、肝要なこんは何ひとつ究明できんままシンポジウムは閉会になった。こんなんじゃいけん、俺は思ったから名古屋市内の書店で歴史の本を捜した。愛宕権現とか密教に関連する本なんかはみつからなかったけえが、<海部一族の歴史>って本があったから買ってきていまも読んでる。

 だけえが俺、思い返すと先祖のこんも全然知らねえら。子どものときばあさんに名古屋の近くにある海部郡が出ところだなんて聞いたけどよ、あすこは読み方がカイフ郡じゃねえんだ。いまも地名としてちゃんとある、愛知県海部(あま)郡なんだ。まあいい、専門家の話しでは全国に海部とつく地名が複数存在して、それぞれ読み方が<カイフ>だったり<アマ>だったり<アマべ>だったりするわけだ。そのなかで京都府宮津の天橋立があるあたりに居を構えていた海部氏ってのが、どうも愛宕信仰に深く関わっているらしい。とはいっても詳細については俺はまったくわかんねえ、降参だ。"

 微酔いした一朗のマシンガントークを博は上機嫌で聞いていたが、相槌を打つと同時にひと声はさんだ。

"だけえが、いっちゃん。その先生の言い分も一理あるらいね。いっちゃんは小学生のときに愛知県から神妻に越してきたけえが、そこには海部氏所縁の愛宕権現が起源なんかもしれん神妻神社が鎮座する土地だった、ということだら。偶然とはいえ話が上手くできすぎていねえか。もしかしたら元町長さんたちも何か直感したもんがあって、それでいっちゃんに花祭りの責任者として適合性を見出したのかもしれんらいね。"

"言われてみれば、そうかもしんねえな。確かに思い当たる節はあるし、まんざらまったく無関係とは思えねえな。

 だけえが、どのみちいまのままでも花祭りに関しては、そこそこの注目は得られると思う。とはいっても話題が急上昇して、ふだんはひっそりしてる、あの神妻神社に何万人という人だかりが殺到したら、それこそ地元住民だけじゃ収拾はつけられねえ。俺はそれを心配してんだ。"

"まあ、そうなったら嬉しい誤算だら。そんときは警備員を増やすなり、見物客には順番に舞を見てもらうなりして、手順よくやるらいね。実行委員会である程度まで想定しておけば、慌てるようなこんじゃないと俺は思う。"

 博がもう一本の徳利酒を燗につけてやろうと、急にマシンガントークをやめた一朗のほうに眼をやると、当の一朗はすでに方丈に背を凭れかけて眠り込んでしまっていた。

−−−仕方ねえ、重責を引き受けてしまっただで、疲れもあるらいね−−−−

 独り言を溢すと博は熱燗につけた徳利酒をみずから一合枡に注いで一気に飲み干した。


"これでいいだか、ひろちゃん。"

 翌朝一朗は博に案内されたヘチマ畑で未成熟な実を籠に集める作業をしていた。そして<やわらかへちま>と緑色の文字が書かれたビニール袋にどんどんと詰めていく。

"よっしゃ、さすがはいっちゃんだ。初めての仕事だっていうのに手馴れたもんずら。俺はタワシのほうを積んでくるから、車の鍵を貸してくれっかな。"

 昨日自身の軽トラを現地に先乗りさせて置いてきたことを忘れていたのか、急に思い出したようなそぶりを見せて博は言った。十五分ほどして、畑の傍らで袋詰めを続けていた一朗がふりかえると車には異様ともいえる物体を積んで戻ってきた。眼を凝らしてよく見ると確かにヘチマだ、ヘチマのたわしだ。どれもこれも一メートル以上、一、三メートルはありそうなばかでかいヘチマたわしが十本くらいずつ束ねられ、その束を五つ六つと鉄線で大きく結束してあるのだ。分解すればそれらひとつひとつはヘチマたわしなのだが、一朗の眼には異常な巨大物体にしか映っていなかった。

"珍しがって結構みんな買っていくんだよね。だけえがこれはそんなに売れなくてもいいら。仮店舗の前に置いておく、まあ、客寄せパンダだら。"

 ジャンボデンチョー積志店前広場の特設朝市は早朝六時半から始まる。だが広場には開店前から大勢の買い物客がごった返していた。販売開始と同時に行列が先のほうまででき、彼らが袋詰めした生食用の<やわらかへちま>は全部で三〇〇ほどあったのが、七時の時報とともに完売となった。一朗の脳裡には信じられない光景がいつまでも焼きついていた。

"お疲れさん、いっちゃん、向こうでコーヒータイムといこうか。女房が惣菜を持ってくるまでまだ二時間以上あるらいね。"

"ひろちゃん、すごいな。けどよ、改めて考えっと朝市、市場ってのはむかしはこのくらい活気があったんだよな。最初は楽市楽座からはじまったんだろうが、だんだんと個人商店ができて、店が繁盛してくっと、つぎは問屋や仲買人が出てくる。そして栄えた商店街はナントカ銀座とかいってアーケードが設けられて各地で発達していったんだよな。"

"そして商店街が主流になると、市場なんて陳腐にみられて客足は遠退いていったんだ。大きな町の駅前には大丸だのそごうだのってデパートストアが建って、大規模小売店舗の時代ともなるとこんどは商店街さえ廃れてしまう始末だら。

 いまじゃ西友もダイエーも淘汰されてしまったけえが、ここの朝市はいつも活気があるんだよね。やっぱ歴史は繰り返すってこんだらね。

 それとこの広場の朝市は地域で一番の集客数を記録しとるだけえが、も少ししたらその理由がわかるら。"

 博は一朗にコーヒーをもう一杯飲むかと尋ね、一息をいれた。一朗のほうはある種周囲のなにやら変化が逆に気になりだしていた。呪文なのか、聞こえてくる言葉になんの意味があるのかわからないが、耳を欹てているとたしかにそのように聞こえてくる。


  Bad boy bad boy bad boy

  Bad boy bad boy bad boy


 花壇を隔ててカフェテラスの反対側にある特設ステージのほうからシンセサイザーの電子音が響きはじめ、どうやら立て看板に出ていたミュージシャンが演奏を開始した模様である。博は待ってました、とばかりに軽快なアップテンポのリズムに合わせてテーブルを両手の指で叩きだす。

"この歌、最高だら。イントロが流れてくるだけでミルコが登場してきそうな雰囲気になってくるらいね。"

"ミルコって、ミルコ=デムーロか。"

"いっちゃん、それは競馬の騎手のこんだら。俺が言っているのはミルコ=クロコップ=フィリポビッチのこんらいね"


  The wild boys are calling on the back from the fire.  

  In August moon's surrender to a dust cloud on the rise.


 壇上の歌手がうたうデュラン・デュランのワイルドボーイズに合わせて、博は上機嫌で英語の歌詞を口ずさんでいる。

"残念なことについこの間引退しちゃったけえが、ミルコは最強の格闘家だったんだよね。そりゃあ寝技主体のプライドとかじゃ分が悪いこともあったけど、人気絶頂のボブ・サップを埼玉アリーナで顔面パンチ一発で沈めたり、柔道のオリンピック金メダリスト石井慧を二度も返り討ちにしたり。

 俺、ちょっとリクエストをいれてくるね。"

 そう言って博は小さなメモ用紙に何やら書き込むと、さっと立ち上がって特設ステージのほうへと歩いて行った。

 一朗は博が席を外している間、ぼんやりとステージのほうに顔を向けながら演奏される曲目を順番に聞き留めていたが、どうやらあの若いアーチストは会場内を占める地域民の年齢層に配慮して歌を選んでくれているとみえる。一朗自身懐かしさをおぼえるひと昔前の歌謡曲が立て続けに流れてきた。いしだあゆみの<ブルーライトヨコハマ>に続いて伊東ゆかりの<小指の思い出>、そして森山加代子の<白い蝶のサンバ>が歌われる。彼が一息ついているカフェテラスの周辺にも立ち見をする者たちがひとりふたりと現れはじめた。

"ひろちゃん、何をリクエストしただ。俺は山本リンダの<真っ赤な鞄>が好きだ。それからアグネス・チャンの<妖精の詩>とか天地真理の<思い出のセレナーデ>、紙に書いてリクエストの箱にいれてきたら彼女が歌ってくれるんらね。"

"いっちゃん、パンフレットをよく見なよ。女の子じゃないって。出演ミュージシャンのところに京ヶ瀬亜紀彦って書いてあるら。"

"へえ、驚いた。男の人が歌っているんだ。だけえが彼、聞き惚れてしまうくらい透きとおった美しい声で歌うんだね。それとさっきから気になっていたんだけど、あの子、ソロで出ているの。シンセサイザーだっけ、電子ピアノみたいなの弾きながら歌っているんだよね。でもなんかパーカッションみたいな太鼓のリズムも聞こえてくるし、だけえがそれらしい演奏者パーカッション見当たらないんだよ。"

"いっちゃんは片田舎に住んでるから音楽機器のこんはよく知らんらね。彼が弾いているシンセサイザーにはリズムを刻む機能もついているら、パーカッションだってコンガだってティンパニーの音だってだせちゃう。打楽器ばかりじゃなくフルートやクラリネット、バイオリンの音も出せるらいね。"

"あのシンセサイザーでバイオリンの音が出せんの、そんなに技術が進んでいるんだ。"

"浜松にはピアノの二大メーカー、<澤井楽器>と<葉山楽器>があるら、電子楽器のほうもICとかでそうとうなことができるようになってるらしいんだ。鍵盤を二つ三つ押すだけで作曲ができたりね。

 うちの娘もよくやるんだよ。ポーランド電子ピアノの発表会で旦那と知り合って、意気投合したんだって。"

"そうそう、秀子ちゃんは小っちゃいころからピアノを弾いてたなあ。"


  初めてあのひとを見かけたのは ほの暗い丑三つ時の街角

  犬鳴き鳥咽ぶ なぜそんなにも寂しげな仕草で

  約束された星の数々 僕は嬉しくなるばかり それなのに

  あなたはただの一度も振り返ることもなく 悲しみの黒い影をのこして


 歌が聞こえてくると博は自分がリクエストしたのはこの歌だと一朗に手合図を送り、そっと小声で説明を加えた。

"この歌な、いっちゃんも聞いたことがあると思うけえが、原曲はライオネル=リッチーの<ハロー>だ。彼が日本語の歌詞をつけて<悲しみの黒い影>という持ち歌にしてるに。"

一朗が懐かしい音楽に酔いしれたままでいると、後ろのほうから博の妻久美子が威勢よく呼びかけた。

"ヘチマのお惣菜を持ってきたわよ。あら、海部さん、久しぶりね。"

 販売所では久美子が切り盛りするとあって博はのんびりしたものである。

"そうだ、いっちゃん。花祭りの当日だけえが、俺、久美子と一緒に行くに。秀子のやつも亭主を連れて行きたがってるらいね。神妻の生まれじゃなくっても、やっぱり思うところがあるってこんら。"

"そっか、みんな来られっか。なあ、ひろちゃん、昨日言ってた袋井の山梨に住んでる知り合いって、香坂のこんだら。俺ん家の隣に住んでた香坂秀範、この間あいつに会ったよ。神妻の家も長いこと空き家にしていたみたいだけえが、戻ってくるみたいなんだに。"

 香坂宅は一朗の家とは近年まったく手がはいらなくなった唐稷畑を挟んで隣り合っているから、誰かが出入りしていようものなら気配でわかるのである。中学校では同級生だった香坂秀範は勉強ができる優秀な生徒で、当時は一朗とはさほど親しく接することもなかった。

"たしか奴さんもひろちゃん"と同じH北高じゃなかったかい。"

"いや、香坂はI東高だら。神妻に戻るっていうんだったらいいこんら。"

"それはいいんだけえが、あいつ、奥さんを亡くしたっていうんだよ。こどもたちはもう独立してるら、そんでもって、もう行く宛もなく神妻に戻ってくるみたいなんだに。なんというか、正面から顔をあわせらんねえぐらい老けてしまって、自分の家だっていうのに、こっそりと忍び込むみたいにして。

 俺にしたところで、また近所付き合いが始まるわけだし、花祭りの演目をいくらかでも担当してもらいたいところなんだが、とてもじゃねえがそこまでできる状態じゃなさそうなんだ。ほんとうにひどく窶れちまって。"

 愛妻に先立たれた古い友人を思うと、一朗はとにかくやるせない気持ちになった。

"ひろちゃん、実はなあ、昨日の旭町の浜松モールで朝市に参加するって決まったときにな、うちの由美子も一緒に来たがっててな、手づくりの金山寺味噌を売りさばくんだって張り切ってただよ。だけえが由美子までこっちに来ちゃうと、神妻にはひとりで出歩けない年寄りばっかになってしまうら。

 それに俺、朝市ってそんな簡単に商売になるわけがねえって難しく考えすぎてた。こんなに上手くいくんだったら家内を連れて来るべきだったよ。ほんとう、楽しみにしてたんだに。"

 三十分ほどして、惣菜にしたヘチマを完売させてきた久美子が再び、一朗と博が長居をきめこんでいるカフェテラスのテーブルに戻ってきた。

"ところでよう、いっちゃん。俺、ひとつわかんねえことがあるんだ。パンフレットに載っている京ヶ瀬さんの歌に<上海産快速的仔馬>ってあるら。これがカーペンターズが歌ってたトップオブザワールドの日本語版なわけよ。なんか中国語みたいにも思えるけえがどういうこんら。"

"それはな、十年ちょっと前、中央競馬にトップオブザワールドっていう競走馬がいたんだに。日本の競馬は九文字以内ってきまってるから正確にはトップオブワールドな。こいつ、父がシャンハイの産駒で、鮮やかな栗毛色の格好いいサラブレッドだったってわけ。

 だけえが、頓知の利いた、洒落た出し物を持っているんだねえ、あの京ヶ瀬亜紀彦さんは。俺はその馬のおかげで相当に儲けさせてもらったよ。"


  (たてがみ)(なび)かせて君は牧場(まきば)を駆けぬける

  陽射しを浴びた君の栗色が鮮やかな楕円軌道を描く

  そのままコーナーまわり、砂を巻き上げ先頭にたてたなら

  ただひたすらゴールをめざせ、そこが君の定位置さ


 歌に合わせて手拍子がおこる。カフェテラスで憩うグループも心なしか浮かれ気味になっている様子だ。一朗も周囲に同調して手拍子をうった。

"京ヶ瀬さん、若い頃に精神を病んだりして大変だったみたいだに。いっちゃんは知らんらいね。テレビで特集されたの、見てないら。"

"私なんか、感動して泣いちゃったもん。"

 博と久美子夫婦が互いに向き合って言う。

"ビデオに録画したの、うちにあったら。いっちゃんの家、VHSのビデオ見られる。"

"俺ん家はVHSどころか、βのやつも棄てないでとってあるらいね。"

 朝市はだいたい店が捌けてきた様子で、特設ステージはいよいよ盛り上がってきた。カーペンターズの歌が出たところでさらにリクエストが続いた模様だ。出たのは<遥かなる影>と<シング(歌え)>、ともに彼のオリジナルというわけでなく、すでに日本語歌詞のものが定着している曲である。それだけに観客席の喝采はまさに最高潮に達しようとしていた。

"おっといけねえ、俺、帰らねっと。ひろちゃん、久美子さん、またな。"

 気分上々の一朗は立ちあがると、割れんばかりの会場内のざわめきが、ほんの一瞬静まるのを見逃さず、

"ありがとね、亜紀彦君。ほんとうにありがとう。"

 ステージを見上げ、大文字張りの絶叫をあげて感謝のエールを顕にしてみせると、威勢よくそこをあとにした。カフェテラスでは博と久美子のすぐ脇で、

"どなたです、あのかた。あのおぢさんは。"

 などと言いだす者も現れだしたので、博も気合いをいれて、

"こんど半世紀ぶりに開催が復活する秋津町神妻の花祭り実行委員長だに。"

 しっかり説明を加えてやった。

 だが一朗、海部一朗にとっては浜松を発ち、自宅に着くまでの帰路が一筋縄ではいかないのである。住所こそ静岡県豊田郡秋津町だが、天竜川沿いの国道をそのまま遡って辿り着く場所ではない。秋津町手前、支流の大古瀬川がひどく蛇行する地点があって、ちょうど黄河文明の遺跡にたどり着くために黄河に沿って何千キロも遠回りをしなくてはいけないように、などと言ったら大袈裟だが、一旦愛知県側にぬけて矢作川の上流に出て、補陀落郡のほうからでないと自宅に帰れない道のりになっているのである。

 今回は朝市で売る商品が満載だったから持ってくることはしなかったが、こんな山道ばかりが続く土地柄であるからして、だいたい遠出をするときは四四ガロンの燃料罐を積んでおかねば安心もできたものではない。

 一朗は自宅の納屋の前に軽トラを頭から入れると、キーを抜かず、大急ぎで自転車を出して滝井三子雄元町長宅へと向かう。元町長宅は半場地区の外れの、かつてはダム工事や電源開発関係の大規模な宿舎がところ狭しと建ち並んでいた急峻な絶壁地帯の一角にある。神妻地区からだと大古瀬川をはさんで町道が両地区を結んでいたのだが、途中にある浪田橋が右岸の地滑りによって主塔ごと谷底まで崩落してしまったため、そこの部分は断崖に素掘りのトンネルを穿っただけの旧道を回らなくてはならず、当然自動車は使えない。

 そして素掘りのトンネルは出口のところに岩場が剥き出しになっているところもあって、ここを避けるために仮設道路がある河川敷まで泥の道を約三〇メートル下る必要があるのである。はやいところ新しい浪田橋が架けられてほしいというのが地元住民の願いであるにもかかわらず、いかんせんこの一帯の土地は日本列島のアキレス腱とも称される地質脆弱地帯なのである。新浪田橋の完成は早くて三年先だとのことである。

"海部さん、忙しいのにわざわざ来てもらっちゃって。旧道のトンネル、危なくなかった。きたないところでごめんなさいね。"

 滝井元町長は犒いのの言葉を述べて、一朗を迎え入れた。

"おかげさんでね、梅のほうは順調だったんだよ。"

 町長夫人の春子氏が中心となって発足した地場産業法人<中辺(なかっペ)小梅の会>はこの夏、想像以上の利益を出したそうである。春子夫人の姿が見えないと思ったら、本日は慰労会で一泊二日の旅行に出ているのだという。

 十年ほど前、耕作放棄された急斜面農地の活用に関してなにか妙案はないか町議会で討議がされていたころ、農業気象学の権威である神稲辰巳教授が秋津町を来訪していて、当地の気候条件が南高梅で有名な和歌山県南西部と共通しているとして梅の生産に着手する措置がとられたのである。梅の生産にとって好条件とは冬季の低温湿潤、夏季の高温と日照量、そして一日の昼夜の温度差があげられ、神稲教授はそれらすべてが最適であるとして太鼓判を押していったのだ。

 元町長は先ほどから楽しそうな素振りで台所に立っている。一朗を歓待すべく自らの料理を振舞おうということであろうが、なるほど現職の時分からモダン町長といわれただけのことはある。働き者の春子夫人にとっても良い夫なのであろう。

"滝井さん、すいません。台所に立たしちゃって。"

"いいのいいの、趣味でやってるんだから。それに料理っていったって全部圧力鍋にぶっこんでるだけなんだに。この鍋は<ワタナベ式>といってね、僕たちが結婚したときに揃えたもののひとつなの。一緒にご飯をつくりながら、ワタナベの鍋だとか言ってよく笑ってた。

 特許をとった開発者は渡辺常喜さんでいうんだけど、僕なんかはやっぱり名は体を表すもんだって感心したものだよ。渡辺常喜さんは圧力鍋を発明したんだ。ジョーキジョーキって僕が繰り返して言うものだから、妻はてっきり水蒸気の蒸気のことかと思ったんだって。笑っちゃうでしょ。

 これなら蓮根もキャベツの芯も、落花生だって柔らかくなるよね。さあ、できたできた。ところで浜松の朝市はどうだった。"

"いやあ。"

 と一言発したところで一朗は頭を掻いた。

"正直に申しまして、大変なカルチュアショックです。まさかあそこまで熱気があるとは想像すらしてませんでした。やっているのは農業ですが、都会ではものが違います。村松はだいぶ軌道にのっていますね。

 <雲を耕す会>の面々も皆優秀で、それ故に失敗がないのかもしれませんが、私は秋津町の住民も根本的に考えを変えなくてはいけない、そう痛感しました。地産地消、これは農業において大切な原理ではあるけれども、それだけではこれからの産業は成立しない。やはりある程度の、最低限の規模を確保してやらんと、やっていけんようになるんじゃないかと思うんです。

 たしかに浜松は遠いし、毎週のように軽トラ朝市に参加するのはキツいでしょう。でも希望者を募って交代で行くとか、秋津町の地の利をいかして愛知県方面の矢作地区や豊田、岡崎に出たっていいわけでしょう。良いことをやっているわけだから、名古屋とか岐阜県の東濃のほうへも広めていくべきなんですよ。

 計画的に販路を拡大して無理なく生産ベースを上げる。梅にしたって最初は見込み発進でスタートしたわけだし、私自身、村松に負けたくない、そんな意地も持っているんです。"

 一朗の癖であるマシンガントークがいつの間にか再発していた。にこやかに聞き入っている元町長は本題である花祭りの件、いよいよ復活に向けて統括しなければならない要点をレジメにした印刷物を彼に渡すと、

"来月の頭にみんなで集まれないかな。まあ都合がつく人だけでもいいんだけどね。実際に花祭りをやる段になったときのための予行演習とか、それぞれの役割分担とか、竜光寺山の上のほうの神妻八幡遺跡の学術調査の経過にしたって、逐一報告しなくてはいけないし、この名簿に載っている人、十二 三人だけど、それぞれ皆が重要な任務を持つことになるだろうとみている。

 特に鍵になるのがこのふたり。"

 と、滝井元町長が指し示したところに眼を移すと、一朗は思わず絶句した。

 神妻神社花祭り実行委員名簿、と記された一枚の紙片はおそらくは滝井自らが作成したものであろう。自分の名を一番下に、しかも元秋津町長の肩書を入れていない。最上段に実行委員長として海部一朗の名があり、二段目には副委員長として、なんと村松博と書かれていたのである。

−−−ひろちゃん、一言も言わなかったら。いや、神妻を離れてだいぶ経つから、地元の衆に遠慮もあったらいね−−−−

"いまの神妻の住人では海部さんを補佐できる人材を確保するのは難しいと思ってね。村松さんには私が頼んだんですよ。"

 滝井元町長は一朗の胸のうちを慮ってか最重要項目を完結に述べた。

"あいつ、忙しくて行けないかもしれん、なんてよそよそしいこん言ってたんだに。"

 多少面食らうところもあったが、今後花祭りの開催に向けてすべてが順調にいくとは限らない。難局を迎えた際に博が主催者側のひとりとして力量を発揮してくれるとなればそれは願ったりなことである。一朗はなぜか力みすぎていた肩の荷が下りたような安堵感をおぼえた。

"祭事庶務主担当に青山諭(あおやまさとし)とありますが、もしやあの青山ですか。"

 一朗が知る青山諭の人間像はあくまで断片的なものである。各地の辺境集落において開催が危ぶまれた奉納神楽などの祭礼行事や演目を上手く機能させる、いわば祭りの請け負い人として新聞やテレビで紹介していたから名まえぐらいは知っている。だが困窮を極める伝統行事の再生を、あたかも魔法を使うように簡単にやり終えてしまうような、そのやりかたが一朗には胡散臭く感じられるのである。新聞記事では青山を仙述師と説明していたこともあった。

"話が本当ならばこれ以上の助っ人はいないでしょう。ですが私にはどことなく危ない新興宗教にでも毒された人物のように思われてならんのです。"

"大丈夫、会ってみればわかるでしょう。彼はそんな嫌味な人物じゃない。"

 元町長はにっこりと返答した。一朗がさらに眼をまるくしたのは演目、楽器指導担当のところ、京ヶ瀬亜紀彦とあるではないか。彼は今朝方ジャンボデンチョーの特設ステージで熱唱していたアーチストを思いうかべた。

"海部さんにはもっと早く伝えておくべきでしたね。神妻の花祭りには導入祭、いわゆる前夜祭が行われていたというのでね。その当日である金曜日に、神職が竜光寺山から下ってくるまでの時間帯に、京ヶ瀬さんには秋津中学校で音楽授業の臨時講師として生徒たちの前に一度立ってもらおうと考えていたのですよ。もちろん彼も喜んで引き受けてくれましたし、本番でも笛だけでなく舞い手としても参加してもらうことになりそうですね。

 海部さんはこの人のことをよく知らないかな。なにせ最近までまったく売れないミュージシャンだったわけだから。若いのにすごく苦労したみたい。テレビで特集された番組をDVDに録画してあるから見ておくといいでしょう。

 それとなんだけど、この間の地震で神妻八幡遺跡のほうで変化があったらしくて、地下宝殿がありそうだってことまでしか公表していなかったけれど、どうやら六層構造になっていると報告があった。いまも専門家が入って詳しく調べてる。大正期にやっていたという花祭り神事に関する物証も何点かあるらしくて、何十年ぶりに復活させようとするわれわれにとって良い流れになっていることは確かなんだ。まあ宝物殿の詳細はいましばらく内密事項ということなんだけど。"

 一朗は己の気が付かない水面下においてさえも、着々と花祭りの復活が現実となる、そんな手応えを感じはじめていた。

 滝井元町長との打ち合わせを終えた一朗が帰路につく。足元を入念にカンテラで照らし、河川敷から自転車を置いたままにしてある崖の上のトンネルのところへとよじ登るべく草付きに手をかけた瞬間、胸のポケットに納めていた携帯電話が着信音を響かせた。

"おお、ひろちゃんか、きょうはありがとな。会談、いま終わったところだに。例の浪田橋が落ちた河っ原の、素掘りのトンネルの下にいる。ほんとう不便なんだに。だけえがひろちゃんが副委員長職に名を連ねていたとは思いもせなんだよ。まあ、よろしく頼むよ。

 えっ、件のVHSビデオを早速宅配便で送ってくれただか、それはどうも。実は滝井さんからも同じものを渡されたに、こっちはDVDのやつな。家に帰ったら見てみるよ。だけえが驚いたなあ、あの京ヶ瀬亜紀彦さんまで花祭りの演目に加わっているとはな。滝井さんの話だとあの人、静岡大学の卒業生なんだってね。出身はどこだったっけ。えっ、徳島、四国か。

 そういや徳島県に海部って町があったよな。俺は行ったこん、ないけえが。

まあ俺もだんだんと眼が覚めてきた。頑張ってできる限りのこんはしてみるよ。あしたは神妻神社の宮司、五鬼(ごき)さんのとこへ行って、舞殿の鍵を借りてこんといけんらいね。

 おい、ひろちゃん、聞こえてっか。こっちに来るときは電話をくれな。じゃあ、おやすみ。" 

 受信した場所がトンネルの入口だったから雑音がはいるのか、随分と声が聞き取りにくい通話であった。やはり何かにつけて不便は免れない土地柄なのである。

 自宅に戻ると妻の由美子はすでに眠ってしまったようである。

−−−仕方ない、ひとりで見るか−−−−

 一朗は滝井元町長から借りてきたDVDをデッキに納め、ボリュームのつまみをしっかりと左に回したのを確認して再生釦を押す。


  青く輝く 海辺に聞こえる風笛は 誰が歌う 不思議な思い

  母に抱かれ夢に見た 幼い日の 忘れられぬ子守唄


 どこの風景だろう。切り立った垂直な岩場の深くまで入江が切り込んでいる海辺の、その磯浜を親子が散歩している。

−−−これはミュージシャン京ヶ瀬亜紀彦さんと家族の物語です−−−−

 オープニングのナレーションが流れると、字幕には京ヶ瀬亜紀彦の名に付して、本名三浦恭啓(みうらやすひろ)さんと紹介された。

 見ていると子どもたちが集まってくる。驚いたなあ、あの人、若そうにみえたけえが子どもが四人もいんのか。一朗は画面を食い入るように見つめた。

 長女らしい女の子がピアノを練習する、その脇で父親が懇切丁寧に教える。

"恵美里、ピアノを弾くとき、猫背になりすぎていないか自分でチェックせなあかんよ。姿勢が悪いと、弾き語りして歌うときに声の出も悪くなるけんね。

 ほいたらイントロのとこから、も一度やろうか---"


  差し込む朝日に目覚めた わきあがる雲の群れ

  ほんのひととき流れをとめて 風を追う綿菅は軽やかに

  ステージはもう幕をあげる 私はひとり はにかんでる

  きょうは私の初舞台 上手に歌えるかしら

  願いを風にのせて リズムを運びましょう

  私の声が届いたなら 一緒に歌ってください


 どうやら恵美里ちゃんはお父さんの指導で弾き語りに挑戦、ということらしい。歌はカーペンターズの人気曲<青春の輝き>の日本語歌詞を、彼女の心境にぴったりと合うように作詞したと思われる。

 本名が三浦姓だというが、住んでいるところも三浦半島のほうのようだ。オープニングの入江の風景もすごい岩場が見られた。

 亜紀彦の妻、桃代は葉山町に近い秋谷鉱泉にて両親が民宿を経営している。大学生のとき、城ヶ島で開催されたフォークジャンボリーにて亜紀彦と知り合い、それで結婚したと言っている。彼女のほうはカントリーフォークよりも民族舞踊、特にフラメンコが好きで、若い頃は一晩中踊っていたこともあったそうである。もっともいまは子どもと一緒に踊れるほど体力が残っていないと笑って言っている。

 大変だったのは亜紀彦で、四人の子どもを抱えながら売れない時代が長く続き、夫婦で交代しながら繁忙期の民宿を手伝ったり、町へ仕事に出たりしてなんとかつないでいるという。一時は幻覚の傾向もあらわれだして、歌手を断念することも考えた。だが職業としては成り立たなくとも、妻と子どもたちのために歌うことをやめることだけはしたくなかった。その後は地元の横須賀市や三浦半島各地において地道な活動をしている。もっともここ数年はメディアにも結構頻繁に登場するようになり、

−−−売れないミュージシャンの京ヶ瀬亜紀彦です−−−−

 の自虐的挨拶が民衆の心を捉えたのか、人気も上昇傾向にあるのだという。

 エンディングではオープニングと同じ<風笛>が流れてくる。亜紀彦の息子、まだ小学生の敦紘(あつひろ)が将来はパパみたいな歌手になりたいといって、その風笛を親子でハモりながら、ふたりで絶景の入江を歩いていくところで番組は終わった。

 一朗はしみじみとした感傷の思いの消えぬままビデオデッキの電源をきったが、これは由美子も見ておいたほうがいいな、ということでディスクはそのままデッキに入れておいた。

 百姓の暮らしにどっぷりと浸かってしまった一朗は、前の晩に就寝時刻が少しばかり午前様に食い込んだからといって、朝はやく起床するのは同じである。床を出ると素早く着替え、田畑の見回りをかねて独りで決まった道を散歩する。川向うにある三信線の本河井駅に三河長岡行きの一番電車が、谷間にタイフォンを響かせて到着するのもこのころだ。神妻集落はまだ寝静まっている時間帯だが、一軒だけ地域でいちばん若い藤本主税、ワサ夫妻が住む通り端の家だけは暗いうちからなにかとせわしく動きだしている。 

 神妻集会所から本河井駅に橋を渡って行く、いわば集落の目抜き通りであるこの場所にはかつて桂山商店というよろず屋が店を構えていたが、その商店が店をたたみ、あとに残っていた店の建物を藤本夫妻が買い取って住んでいる。彼ら夫婦は名古屋市近郊の八田村在住のころから田舎暮らしをしてみたいと考えていたそうで、一七年前に神妻の住人となって以来、家の門柱や玄関、庭などを英国庭園調に飾ったりして、地域民の眼を楽しませてくれたりしている。

 最初のころは余所者の扱いで口もきかなかった連中も、藤本夫妻の誠実な人柄を知るにつけ次第に仲良く付き合うようになり、一朗もまだ四十代と若い藤本にゆくゆくは神妻地区の総代、区長職を譲ろうか思案しているところである。

 藤本夫妻は不在なのか、きょうは姿が見えないものの、鮮やかに花をつけた天竺牡丹(ダリア)が朝の乾いた風に揺れて、おはようと挨拶でもするように、青色の輝きを彼のほうに見せてくれている。

 自宅に戻り、軽トラのエンジンをふかすと、集落を遠巻きにする村道を五分ほどで神妻神社の入口に着く。わざわざ好きこのんでやってくる者などいなそうな、鬱蒼とした痩葉樹林帯に古めかしい山門があり、奥のほうへと急な参道がのびている。神問題の篇額には大きく<神妻神社>と行書文字体で揮毫がされている。

 先日の地震ではるか山上の、竜光寺山八合目付近にあったとされる神妻八幡宮地下宝物殿が口蓋を開いたとあって、以来学者たちが挙って、標高一六〇〇メートルにある遺跡にて、血眼になって新たなる発見を探しているということだが、ほぼ同時期の平安末期、現在の神妻集落がある麓の一帯でも八幡宮が建立され、それを囲むように真言密教系の寺院が複数存在し、神仏習合の修験が勃興したことまではわかっている。

 その寺は弘法大師空海が開闢したものともいわれ、土佐室戸岬にある御厨人窟(みくろど)、空海が悟りをひらいた伝説の岩窟と同じ由来の弥勒堂が存在した可能性があるという。そして地下宝殿に下りていく洞窟こそがそれに当たるのではないかという話なのである。

 神仏習合の初期にはこの寺は神宮寺、あるいは修験道寺と称したらしいが、やがて龍潭寺を名乗るようになり、奉納神楽もそこでもっぱら行なわれていた。これが神妻神社の花祭りの原型なのだというところまではいまのところ異論の余地はない。しかし附近の在郷で行われている花祭りが伊勢系や熊野系の修験の色合いを深く残しているのに、ここ神妻の花祭りだけは出雲、愛宕系の特徴をしのばせているという。

 特徴のひとつである、三河地方の他の花祭りでは舞われることがない大蛇(おほみずち)の舞などは典型的な出雲のヤマタノオロチ伝説を具現化している。

この舞を神楽の花形と位置づけている代表格といえば岡山県の備中神楽が有名だが成立や、その背景はまったく別のものである。

 雲の上の八幡宮は廃絶して久しく、空海伝説もいつしか語られることはなくなった。そののち神妻神社は村の鎮守として、土地の氏神として定着して尊ばれていくようになる。長いこと神妻神社の神職として世襲を続けてきた月花一族もすでに系統は途絶えてしまい、現在は愛知県補陀落郡石林村にある阿詩瑪神社の五鬼施臣周宮司がここの神職をかねている。

−−−七時か、行くのは少しはやいかな−−−−

 海部一朗は神妻神社の本殿を正面に眺めながら、稜稜たる冷気を精一杯に吸い込み、ポケットの携帯電話を取り出した。

"あっ、五鬼宮司さん、おはようございます。神妻神社の舞殿の鍵を借りに、これからお伺いしても宜しいでしょうか。"

 愛知県の石林村は岩山ばかりが目立つ僻村だが、秋津町からは大古瀬川の支流の柏古瀬川に沿って意外に楽に行くことができる。

 一朗はこれまで、というか花祭りの実行委員長という要職に就くまで五鬼宮司とそれほど懇意にしてきたわけではない。そればかりか年に数回は行われている神事や祭事のときも境内で顔を合わせた記憶すらないのである。

 一昨年の元日は新年祭で家内安全を祈願して破魔矢を頂戴しているからたぶん会っているはずなのだが、どうしても思い出せない。ことしの正月はついに行かなかった。よくよく考えると随分と罰当たりなことである。しかし前年頂戴した破魔矢は見立てこそ立派な杉の葉箒をかたどっていたはいたものの、神棚に供えると結束してあった杉の葉がぼろぼろと落ちてしまったのだ。慌ててなおそうと破魔矢をよく見ると、神妻神社奉納と記された<神妻>の文字のところがなにやら消して書き直した筆跡があって、それを覗き込むと<阿詩瑪>と読み取れた。そのようないきさつがあったからことしは行かなかったのだが、己は平素から神仏に対してあまり敬虔というか、信心深いほうではないと思う。

 民俗芸能の要素もあるとはいえ、花祭りは歴とした神事である。一朗は流れのなかで決まったこととはいえ花祭りの責任者を引き受けてしまった以上、いままでのようなわけにはいかないと、自らを正すべくこうして日々のお参りを欠かさつとめるように心がけているが、なにせ昨日今日になっていきなりおっ始めた行いが、ご利益をもたらすはずなどある訳がなく、社殿に向き合って手を合わせて一礼している間でさえ、時おり冷めた気持ちに苛まれそうになることだってあるのである。

 宮司さんにそのあたりのこんも、じっくりと聞いてみてえもんだ。一朗は軽トラを反転させ、一路石林村の阿詩瑪神社を目指した。

 石林村に入り、大きな看板に記された<阿詩瑪神社 石林寺>の道標に導かれると、奥仙境の匂いがぷんぷんとする風景が見えはじめた。火山質の奇岩が露出した絶景があるということは聞いていたが実際に眼にするのははじめてのことである。自分でも形象態(ゲシュタルト)が崩壊してしまったか、と錯覚をおこしそうな気分である。はて、または己は極楽浄土に深く迷い混んだのか。

"やあ、海部さん、ようこそ。よくいらっしゃいました。"

 軽快に挨拶する五鬼宮司はちょうどシトロエンの愛車を洗っているところであった。宮司なのだから神職の装束で現れるものと想像したが、考えてみれば車を洗うのに立つ烏帽子などは却って邪魔なだけであろう。アロハシャツがよく似合う、まるで波乗りから戻ってきたサーファーのような出で立ちである。

 シトロエンの車内からはボサノバっぽいリズムが響いてくる。耳を済ますとアントニオ=モラレス=ジュニオールの<リリースミー>ではないか。たしか昨日の浜松での朝市会場で聞いたのと同じ曲である。京ヶ瀬亜紀彦が弾き語りで歌っていたのだ。もっとも向こうは日本語の歌詞だったし、タイトルも<浜芹菜(はまぼうふう)の香る海辺>だったはずだ。

 宮司と対面するなどどれだけ肩が凝るやらと予想したものの、サーファースタイルで愛車を洗っている宮司を前に、一朗は並んで記念撮影をしたく感じていた。


 神妻神社奉納神楽、花祭り神事は廃絶する以前と同じ形態で行うことを基調とし、十月第三土曜日の開催とか暫定的にではあるが調整される向きとなった。演目にある舞については長年休止していたこともあって、できるだけ地域住民が出演可能なものを中心に選ぶべきとの声があがったが、すぐ川向うの本河井集落の八坂神社で毎年開催されている花の舞を手がける村衆の応援も得られる算段となった。つまり祭事に手慣れた本河井の舞手が希望する演目にシフトするという配慮がなされ、これについては応援を求める神妻側も納得の上での譲歩であった。これも神妻の花祭りが本河井の花の舞に一週先んじて開催される点を、逆タイムラグならぬ逆後出しジャンケンのやりかたでまとめようとする方法である。彼らにしたところで結果オーライの姑息な手段であることは重々承知の上での判断であった。

 いまや花祭り完全復活を目前にして神妻地区の主催者側は、順風を味方につける幸運をも呼び込み、いかにして三ヶ月先の本番までこの状態を継続させられるかが求められる立場となった。

 ほんの数年前まで神妻地区においては花祭りを復活させようなどという空気などまるでなかった。集落のど真ん中にある集会所に住民が集まることなど年に六回、隔月に一度でもあれば上等といえたものだったが、七月第一週の金曜日、梅雨の合間の星空のもと、花祭り開催に向けての会合がはじめて開かれた。

"皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。

まあ、堅苦しい話はぬきにして、少々せっかちと言われるかもしれんけえが、三ヶ月なんてあっという間だら。事前にやれることはやっておこうと、そういう趣旨で、ご報告もかねての集会といたしました。へっ、やりにくいな。"

 一朗は顔を赤らめ、息を整えたりしながら発言を続ける。

"石林の宮司さんに神社の舞殿と拝殿の鍵借りてきちょるけえ、三日ごとに窓を開けて風通しをよくしてるらいね。これからの夏場は閉め切ったままだと黴臭くなっちまうだで、そんなところで花祭りを復活させても神様は喜ばないら。

それより俺たちみんなが満足できねえって思うんだに。"

 夕刻、集会所にはほぼ全戸から住民が集まった。一朗が気遣うのは同級生だった香坂秀範だ。

"おいヒデ坊、身体のほうは大丈夫なのか。あんまり無理はすんなよ。せっかく戻ってきたきたんはいいが、花祭りは体力がないとつとまるもんじゃねえ。四つ舞なんかは四十過ぎたら舞われん、とも言われてるんだに。なんとかお前さんの出番もあるといいんだけえが。

 おっと、悪いねえ、佐紀ちゃん。"

 一朗が茶の礼を言った佐紀ちゃんとは集会所のすぐ隣にある小笠原家の次女で、いまは山を三つ越えた城西村に嫁いで富岡佐紀子となっている。佐紀子の実家は三姉妹のうち姉と妹が遠方に嫁いでおり、四年前まで独りで家を守っていた母親のイネ子がなくなってからは空き家になっている。

 佐紀子は湯呑みに茶を注いで住民たちに配っている。今夜の集会では二十人くらいが集まる予定である。

"佐紀ちゃんとはおっ母さんのお葬式以来になるかなあ、会うのは。でも佐紀ちゃんは偉いよなあ。五年前には旦那さんを亡くして、そのあとすぐにおっ母さんだろ。大丈夫かって心配になったけえが、ほんとう毅然とたち振舞っているんだよね。いつもそこの家の草取りをやりに来てくれてるら。誰もいなくなった実家をしっかりと守ってくれて、恐れ入る。殊勝なこんだに。

 俺なんか仮に、由美子のやつがどうにかなっちまった日にゃ、それこそ正気ていられんらいね。藤折ダムの堰堤から下を見て、変な気を起こすかもしれんに。

 それと俺がいちばん驚いたのは佐紀ちゃんが、あの京ヶ瀬亜紀彦さんと昔からの知り合いだってこんだに。"

"あの子、母がとても気に入ってたの。最初は中学生、小学生くらいだったかしら。もの静かな子で、きっと良家の御曹司なのよって母が言ってた。

 うちは三人姉妹で、みんな図々しいから。男の子がそんなに珍しいのかしらって思ったけれど、ちょうど父が亡くなってすぐ後のことだったのね。夏になると大古瀬川でホタルの乱舞が見られるから泊りがけでいらっしゃい、って母が呼びかけたのをよく覚えてて、ほんとうに泊りがけでやって来た。

 あのときの母の嬉しそうな顔といったら、それまで見たことがないくらい、娘の私からみても、妬いちゃうくらいに仲睦まじくなっちゃって。

 最後に訪ねてきたとき、奥さんと子どもをふたり連れてた。随分とはやい展開ねって私が言ったら、学生結婚だったんですって。あれから十年、十五年、いえもっと経っているのかしら。"

 集会所の外がやけに賑やかになっている。一朗が窓越しに覗くと辻のところで滝井元町長が藤本主税となにやら立ち話をしているではないか。二人がいるところへ彼が出ていくと、元町長は、

"バスの運転手の件を藤本さんが了承してくださったんですよ。"

 と告げた。相変わらず腰の低い喋りだが、内心喜んでいるのが聞いてとれた。実は半年前から山間地を往来するコミュニティバスの運転手が欠員となっていて、秋津町議会においても是非とも藤本さんに運転手をお願いしたいという意見があがっていたところだったのだ。

 当の藤本としては、自分は余所者であるし、秋津町での居住年数も少ないということで、はじめは遠慮気味の言葉を発していたものの、どう転んだところでほかに適任者が見当たろうはずはなく、結局引き受けることにしたそうである。

 コミュニティバスの運転手といえば僻地集落の住民、とくに交通弱者といわれる高齢者にとって唯一の脚となる手段の担い手であるわけで、広域合併した秋津町の、それこそ顔ともいうべき職種なのである。田舎暮らしを求めて愛知県から移住してきた藤本に白羽の矢がたったということは、それだけ彼の人望の厚さを物語っているのだと、一朗もあらためて感慨に耽った。

 藤本主税は元町長から受け取ったバスの運行表とタイムテーブルの入った封書を一旦自宅に持ち帰り、再度出直してくるという。

"良かったですねえ、滝井さん。バスの運転手だったら藤本さんで申し分ないでしょう。いまではどこの集落の人も彼を知っていますし、それこそ性格が温厚で親切な人だから、バスをよく利用するお年寄りたちにとっても安心できるんじゃないでしょうか。"

 滝井元町長の話ではきょうのところは顔見せ程度になるだろうが現町長の守屋邦男もあとでやってくるという。守屋現町長は花祭りの復活が話題になりはじめた頃、動静を見守る、などといかにも政治家らしい台詞を口にして、あまり乗り気でないようにみられていたが、話が煮詰まってくるとやはり自治体のトップとしてひとりだけバスに乗り遅れるわけにはいかない、そう考えを変えてきているのかもしれない。

 また副委員長として名を連ねている浜松市笠井在住の村松博は本日午後、役場総務課のファックス宛に会合に参加できぬ故、海部一朗に委任する旨を送信してきたと元町長はつけ加えた。さらにもう一件、先ほど京ヶ瀬亜紀彦がつぎの電車で到着すると個人メールで伝えてきたとのことである。

 会合ははじまったばかりだが、この時点で集会所には十四 五人が集まっていた。なかでも気のはやい数人は一朗に向かって、花祭りのクライマックスである禰宜と榊鬼の問答の場面、この両者を誰に演じさせるのか尋問しはじめた。

"俺の考えじゃ、まだ草案段階だが、禰宜の役には本河井の森本尚武さん、榊鬼は氏家昭美君でいいんじゃないかと思ってる。つまりは本河井の花の舞で演舞するキャストにそのまま頼むわけだが、好返事がもらえそうだっちゅう話も聞いているんだ。なぜなら本河井の花の舞は神妻の一週後で日程的にかぶらないし、キャストが同じでも鬼の面は神妻神社のをかぶるわけだら、全く同じものにはならんらと思うんだ。それになにせこっちの集落は五十年以上舞いが行われなかったわけなんだし、秋津町の景気を上げるためにも了解してくれんじゃないかって思うらいね。

 それとこれは俺の勝手な個人的意見だけえが、準備段階では舞手がおらんというこんで演目からはずれていた<鼓の舞>、大蛇の舞とともに神妻にしかないこの独自の舞を京ヶ瀬亜紀彦さんに舞ってもらうのはどうだろうか。"

 一朗が言う鼓の舞とは小さな鼓を持った天女が舞うもので、由来書には<イザナミノミコト>と表記されているが他の花祭りにはまったく存在しないものである。

"俺なんかよりも、みんなのほうが知ってるかもしれねえけえが、あれだけの歌唱力、演技力を持ってる人だら。京ヶ瀬さんは天女を演じるに相応しい役者だと思うんだに。ほんとう、どれだけのスケールの舞を見せてくれるか、俺はいまからわくわくしてやまねえ。"

 電車の到着を告げるタイフォンが渓谷に鳴り響き、十五分ほどして京ヶ瀬亜紀彦と青山諭がやってきた。

"京ヶ瀬さん、よくおいでくださいました。青山さんもようこそ。"

 上機嫌の滝井元町長は到着したばかりのふたりに対し、手を握りしめ、その場がいかに歓迎ムード一杯であるかのように振舞い、盛り上げ役に徹している。

 一朗と対面した亜紀彦ははなから、あたかも戦隊物ヒーローを前にした幼児のごとく歓声をあげて反応した。

"あっ、大文字絶叫のおぢさんや。先日はどうも声援をありがとうございました。"

"私のほうこそ嬉しかったよ。なにせ自分が好きだったお馬さんの歌を熱唱してくれたのだからね。"

 亜紀彦の声が聞こえて少し落ち着きをなくしたようにみえた佐紀子はエプロンをはずすと、再び皆が集まる畳の間に出てきた。

"三浦君、ほんとうに三浦君よね。昔と全然変わっていないわね。"

"佐紀子おねえさん、ごぶさたしております。それとイネ子おばさんにはほんとうに良くしていただきました。"

"驚いたねえ、そんなに昔からこの村に来ていたんだね。"

 お節介な元町長が割って入り、亜紀彦に小笠原母子と知り合ったいきさつを聞こうとしている。

"はい、僕は家庭の事情もあって、ひとりでふらふらと旅をすることもよくあったがです。小笠原のおばさんはそんな僕を案じてくれたがでしょう。電話一本でやって来て泊めてもろうたことも一度二度ではありません。ですがおばさんが優しくて何でも許してくれるさけ、ついつい甘えが出てしもうて、こんなことじゃあかん、そう思うて、ほんま、何の連絡も差し上げず申し訳ありませんでした。ですけん、ほんま、これまで何ひとつ報告できるようなことはありませんでした。"

 亜紀彦は続ける。

"僕ら、学生結婚やったんですけど、家内がフラメンコやってて、一緒にスペインへ行ったんです。子どもたちまで巻き込んで、ジプシイみたいな当てのない放浪生活でした。帰ってきてからは、ほんとやったら僕が頑張らんといかんのやったんやけど、なかなか上手くいかんて。スペインの人たちみたいに昼休みを長くとって寛ぐ習慣がないと、僕の歌なんか聞いてもらえるチャンスもないんかな、なんて勝手な言い訳してました。挙げ句の果てに精神病まで患ってしもうて。ほんま情けない話です。"

 主役たちが揃ったところで話し合いのほうも佳境にさしかかっていた。花祭りのフリークを自称する数人、とくに一朗とは無二の親友だという今村と植田は、クライマックスとなる問答の禰宜役に一朗自身が登場すればいいと言っている。亜紀彦に大文字絶叫のおぢさんと渾名されたように、平素からそれなりに存在感を見せているから、それも一理あるだろう。

 対する榊鬼の役は青山にやってもらおう、ま意見まで出だした。おそらくは先ほどから一朗と青山がお互い眼を反らしがちに、無視を極めこんでいることへの批判もあったのかもしれない。議論が勢いづいてくると、祭りの後半、蜂の巣をぶち破る山見鬼の役を亜紀彦に打診する一幕もあった。

"京ヶ瀬さん、体操の選手みたいに跳ねられるら。山見鬼で決まりだに。"

 皆が意見を出し合い、そろそろ閉会が告げられるかと思われたそのとき、

"皆さんはご存知でしょうか。神妻の花祭りには、祭りそのものが全く別のものとすりかわった隠れた歴史があるということを。"

 誰かと思えば発言したのは青山だ。

"私は現在、愛知県布川村に住み、地元だけでなく足込、上粟代、小林、月といった近郷の祭りにも参加していますが、昭和三十年代までここ神妻で開催されていた花祭りも、今あげた地区のものと同じグループの、振草系と呼ばれる形式で行われているいたのです。

 ですが戦前の、昭和初期ごろまで神妻神社では全くべつの花祭りが行なわれていたというのです。いったいなぜ、ある時期を境に花祭りが別のものに変わってしまったのか。その理由も背景も全くわかっていないのです。"

"青山さん、あなたのおっしゃりたい話の趣旨はなんですか。私たちは五十年のときを越え、暗中模索を繰り返しながら懸命に花祭りを復活させようと努力しているところなんですよ。皆を混乱に導くような発言は自重してほしいものですな。"

 一朗はやや声を荒くして反論した。

"わかりました。ではこの間、八幡宮遺跡の地下宝殿で見つかったという、大正年間に行なわれていた神妻神社の花祭りの資料に当時の写真が何枚かまじっていたとうかがいましたが、滝井さん、持ってきてありますか。秋津町歴史民俗資料館の長谷川さんにはまとめてもらえるよう、約束をとりつけておいたのですが。"

"ごめん、出すのすっかり忘れてた。"

 滝井元町長は金田一耕助のように頭を掻きながら、手持ちの鞄のなかから封書にいれた資料を取り出した。それを渡された青山は丁寧に一枚ずつめくっていく。彼の脇にいた数名が背中越しに覗き込むと、

"おおっ、これが神妻神社でやっていた花祭りか。"

 と喫驚の声をあげた。学術専門用語が並ぶ基調報告部分はとばし、さっそく写真を比べてみる。一枚目は<棒束の舞>で、これは祭りの導入にて舞われる一般的な舞である。二枚目は禰宜と榊鬼の問答の場面、三枚目は山見鬼が豪快に蜂の巣を破る場面が映されている。

 強調すべきは蜂の巣が吊るされた舞庭の巽方向の柱周辺にあった。湯蓋や白蓋(びゃっけ)などの飾りは現在の花祭りでも眼をひく存在であるが、それらの飾りが鮮やかであること、多忙な現代の様相とは時の流れすらことにするなんという壮大さ、おそらくは時代とともに簡略化されていったであろう、現在の花祭りでは見られないほどひとつひとつのつくりが凝っていて、それらの複雑極まる演出が、見事といっていいほど奇妙な光景を醸し出していた。

 そして四枚目はそれらの飾りつけの御幣(みけ)を拡大した写真と、花祭りの本祭に先立って行う前祭のひとつ、<高嶺の祓い>について説明がくわえられてある。これは滝の水を汲んで浄めの儀式を執り行うもので、とくに振草系の花祭りでは長時間におよぶ傾向がある。それは当神職のすべての宮司が執り行うしきたりとなっているためであるが、写真に映っている神職は月花一族最後の宮司なのだろうか。

 そんな折、御幣を拡大した写真を見比べていた青山の顔色が突然青ざめて、ひとこと、

"−−−−−い  ざ  な  い-----"

 と、言葉を残して気を失ってしまうと、その場に伏してしまった。

"青山さん、しっかりして。"

 横で一緒に写真に見入っていた亜紀彦が声をかけるも青山の発作はおさまらない。

"三浦君、ちょっと肩を貸してあげられるかしら。青山さんをうちに運んで。"

 咄嗟に判断したのは佐紀子だった。集会所は間もなく閉めなければならない。瞬時に手際よく行動をおこした佐紀子の判断に、亜紀彦は苦笑いを見せてしまうほど恐れ入ったが、どうやら青山は疲労が溜まっていたのであろう。医者を呼ぶほどのことはあるまい、佐紀子は亜紀彦に視線を送った。

"神通力やデレパシイの使い過ぎですよ、青山さん。"

 亜紀彦は囁くように言い、すぐ隣の佐紀子の実家まで青山を担ぎ、丁重に寝かせた。

 三人が退場した集会所では滝井元町長、海部一朗実行委員長を中心に、八月半ばの旧盆期間中に第二回の集会を持つこととし、中間発表として花祭り開催に向けた進捗状況の詳しい説明も逐次述べていくことを約束して解散となった。きょう参加した住民はそれなりに花祭りに意欲をもっており、はじめての集会とはいえ、想像以上に盛り上がりをみせた。家路につく面々も近所同士話し込んで帰っていく姿が目についた。

"神妻と蕨野でぜんぶ一四軒、集まったら。"

"樋浦さんとこが来とらんけえが、あそこのばあさん、どうしてるずら。"

"中辺の<幸の家>に入っちょるて。ばあさん、ことしで九三歳だら。"

"そういや樋浦のばあさん、花祭りの開催に反対していなかったか。"

"さあどうだか、施設におる人が反対しても大勢に影響はしないらね。"

"だけえがなんで反対すんだ、昔祭りで嫌な目にでもあっただか。"

"それより俺が変だと感じたんはあの古い写真の出どころだに。なんで大正時代の祭りの写真が山の上にある中世に廃絶した八幡遺跡から出てくんだ。胡散臭えちゅうか、あの青山さんが言うように謎めいたもんが隠されてっかもしんねえな。"

 亜紀彦と富岡佐紀子は近衆たちが世間話をしながらそれぞれ帰宅し、集会所が消灯するのを遠巻きに見ていた。

"皆さん、お帰りになったようですね。僕も終電で帰らんと。おねえさんはどうします。"

"あたしも帰らないと、でも青山さんは大丈夫かしら。"

 亜紀彦が失神したまま横たわる青山の具合を額の熱と手首の脈拍で確認しようとすると、ほんの一瞬、アイコンタクトをするかのように目の玉が視線を送ってきたかのようにみえた。

"大丈夫そうです。意識を取り戻して、すぐにでも起き上がってきそうな気配です。仙術とか超能力を使うてるとしょっちゅうこげなことがおこるて、青山さんが言うてましたから。だけんどあんな大勢が集まっとる前で倒れんでもええやん、てさっきは思いました。

 僕自身、いまは青山さんの超能力が少しばかり乗り移ってるさけ、わかるんですけん。今後数日間、青山さんは僕と行動をともにすることになりそうですね。まあ、来るときの電車でゆき合うて、直観てわかりましたけん。

 一本の煙草の両端に火が付いた、なんて言うたら大袈裟かな。そげん殺気だったもんとはちゃうし。ファウストとメフィストフェレスが意気投合して、最良の方策はなにかと問われて、ひとりの男の身体にわれわれふたりが憑依するのが単純明快だ、っていうあの場面みたいなもんですね。"

"三浦君て小さいときから、よくそういう難しいことを言って、ひとりで悦に入ってくことがあったわよね。賢い子だって、母さんは嬉しそうにしていたけど。"

"蛍火を見に行った夏の日、おねえさんのテープレコーダーを河原んとこまで持っていって叱られたの、僕、いまも忘れられずにいるんです。中のカセットテープは職場の同僚に借りたものだから、持っていかないで、ってね。

 じゃけん僕はあのインストルメンタルの曲がとっても好きでしたけん。歌はないけど、小椋佳の<揺れるまなざし>も、ふきのとうの<風来坊>も、蛍が乱舞する河原で聞いたらどんなに素晴らしいやろう、ってひとりで舞い上がってしもうて。"

"そんなこと、あったわよね、たしか。"

 佐紀子はにこりと微笑んで答えた。

"じゃけん、あんときおねえさんに叱られたあと、僕は絶対に歌手になるんや、そう決めました。せやからいまの僕があるのもおねえさんのおかげなんです。"

"なに言ってるの、あなた。そんなオーバーなものじゃないのよ。芸術家なんて感受性が優れていないと、誰でもなれるわけではないわ。母さんが口癖のようにいつも言ってた。三浦君、どうしているかね、って。"

 亜紀彦はなぜか佐紀子から眼を反らしたく感じ、窓の外の夕闇に視線を移そうとそれとなく立ち上がった。

"おねえさん、ホタルがいる。上のほうに飛んでいった。こっちこっち。"

"どれどれ、ホタルじゃないわよ。あれは星よ。三浦君、勉強のしすぎで眼が悪くなってしまったのね。"

 窓の外を眺めながら話し込む亜紀彦と佐紀子の後ろで、青山が虚ろな表情をして立っていた。亜紀彦が振り向いて、

"青山さん、もういいんですか。"

 と問うも青山は答えを返すこともできず、まだ意識が朦朧としているのは明らかだったが、亜紀彦はさらに彼の顔色を窺い、続けた。

"僕はこれから徳島へ行きます。しばらく会われへんかった母親に会いに行くんです。青山さんも行くつもりやったんでしょ、四国へ。"

"すみません、迷惑ばかりかけてしまって。"

 青山は力のない小声で詫びた。そんな彼を勇気づけるように肩をポンと叩いて佐紀子が促した。

"さあ、電車が来るわよ。駅へ急ぎましょう。"

 亜紀彦と佐紀子、青山諭の三人は大古瀬川を跨ぐ神妻橋を渡り、本河井駅へと向かった。既に宵の闇が山裾を覆い、数軒の家から零れる仄かな明かりのほかはなにも見つけることはできない。

"ほら、あっち。おねえさんが帰っていく城西村のほう、北の空に赤い星が輝いとう。もしかしたら花祭りがはじまる夕べに、ひときわ鮮やかな閃光を煌めかせる一等星て、あの星なんちゃう。"

 亜紀彦がはしゃいで声をあげた。

"どこにも星なんか出ていませんよ。雨風が漂ってきそうなくらいの曇り空みたいです。真っ暗でよくわかりませんが。"

 これはどうやら体調不良の青山のほうが正鵠を射たようである。

"青山さんのいう通り、たしかに風が湿っぽくて雨が降ってきそうね。三浦君が星と見間違えたのはきっとホタルね。あたしも見つけたもの、三匹も。

 三浦君はやっぱり眼が悪いのね。眼鏡をかけたほうがいいわね。"

 本河井駅もかつては二面二線の対向可能な駅だったが片側ホームの無人駅になって久しい。駅周辺の家々も既に寝静まっている様子で、聞こえるのは川のせせらぎだけである。川の流れに沿うように、佐紀子が乗る下りの電車がまずやって来て、遠江中辺から駅名変更した秋津町駅で列車交換して、約十五分して直通大樹寺駅行き最終便がやってくる。

"じゃああたしはこれで。ふたりとも気をつけて行っていらっしゃい。"

 佐紀子は明るく言い放つと一足先に電車に乗り込む。発車した下り最終便峡谷の向こうへと去っていった。

 亜紀彦たちふたりが乗った上り最終電車は三河長岡で乗り換えが不要な便利な列車とはいえ、大樹寺から東岡崎、新名古屋まで行くとなるとどうしても日付けをまたいでの到着となってしまう。英気を取り戻したかにみえた青山は、旧型電車のロングシートにばったりと腰を下ろすと、項垂れるように再び眠りこんでしまった。

 名鉄新名古屋駅まで来た彼らはその後も何度か乗り換えを重ね、東の空に淡いコバルト色の明るみが翳す頃、大阪の難波駅にたどり着いた。南海電鉄難波駅の切符売場で、  

"どうして和歌山発徳島行きフェリーの乗船券をここでまとめて買うのですか。"

 と不思議そうな面持ちで亜紀彦に問いただす。すると亜紀彦は、

"ここでまとめて購入することで、難波-和歌山間の電車の運賃が〇円になるんです。青山さんは和歌山港駅まで行ってからフェリーの乗船券を別に買い求めますか。"

 と皮肉をこめて回答した。

"いや、私も同じものを。便利が良いものを買いますよ。"

 亜紀彦自身も疲れと眠気で気もそぞろになりかけているが、青山をみると昨晩卒倒を起こしたときよりはだいぶ平常の様子だ。だがときおり念仏を唱えるしぐさを見せたり、相変わらずぶつぶつと独り言を繰り返したりする。それが経文なのか何なのかはわからぬが、取り敢えず放っておく。

 

 唐に韓昌黎という者あり。文才において秀で詩聖詩仙に比肩すと申す。

 漢、魏、晋、宋の世になりても威光色褪せず。

 韓昌黎に甥、韓湘という者あり。この者文学に親しまず、詩作を怠り、

 ただ道仙の幻術のみを学び天衣無縫の日々を送る。

 ある日昌黎、韓湘を呼び訓戒を与う。

 そのほう、孔孟の道を外れ放縦にふるまう。態度を改めぬそのほうのなり、

 いと悲しきかな。

 韓湘、昌黎に返答す。

 仁義など自然の衰微より現出するもの、教学など人為のみ興隆するに盛んと

 なるもの。

 余は天神の為すを横奪し、壺中に天地を造り、造化の神の腕を奪い、

 橘の実の中に山川を築くものなり。

 しからば直ちに造化の力を奪い、その術をもって吾に見せてみよ。

 昌黎、これを罵倒し断糾するも韓湘、終始これに答えず。

 瑠璃の盆を逆さに伏し、直ぐに表に返し、中より牡丹の一枝を差し出し、

 艶やかな花を咲かせてみせたり。

 花弁に返して金の文字にてかく記せるなり。

 雲、秦嶺に横たわり、家何くにか在る。

 雪、藍関を擁し馬進まず、云々。


 南海の快速列車は間もなく終点和歌山港駅に到着するというアナウンスが流れた。下車してもそこから三〇〇メートルある大桟橋を徒歩で移動して乗船場に向かわなくてはならないのだが、肝心の青山はアナウンスを聞き逃したか、終点が近づいたことに気づいていないのか、変わらず呪文のような台詞をぶつぶつと唱えるばかりである。その姿たるや仙術師というよりも呪詛師のごとき気色の悪い雰囲気を周囲に撒き散らしているものだから、そのせいかわからぬが周囲にいたほかの乗客たちは早々と下車して乗船場へと歩いていったようである。

"青山さん、和歌山港、着きましたよ。乗船場まで少し歩きますけん、大丈夫ですか。荷物、僕が持ちましょうか。"

"私なら心配いらない。久々の船旅なもんで少しばかり気持ちが高揚していますが、四国にだって何度か渡ったことはあります。まあ行き来したといっても超流動波関数計算で発生する障壁の隙間を利用しての移動だったり、海底ケーブルトンネルを潜ってだったり、あまり現実的、一般的とはいえない手段の末渡ったということです。ですからのんびりとバカンスを楽しむように船旅がしたいという希望は前からありました。井上陽水の歌にも出てくるような船旅がね。

 亜紀彦君はもう何度もこの南海フェリーに乗っているんでしょう。もしよければ船の中の探検に付き合ってくれませんか。船内の隅々まで見てみたくなりました。"

 船内の探検とは亜紀彦も少々呆れた。好奇心旺盛な小学生の男子児童じゃあるまいし、それに船内の大半のエリアは一般客の立ち入ることができないオフリミットであることを忘れてしまっているのか。自分だってもう四人の子をもつ中年期に差し掛かった大の男である。青山はもう四十を過ぎているであろう。やはり何を考えているか読めぬところがある。

"介抱してもらった立場で言うのも鳥滸がましいことですが、私はあのとき無念にも昏倒してしまいましたが、手も足も自由が利かないあの状態で君と眼が合い、私が所望するある種のメッセージをしっかりと受け止めたことをアイコンタクトで返事してくれたものと信じ、安堵を得られたのです。

 あのとき私は自分のことよりも君と佐紀子さんが至福の時間を過ごせているということを、間近で確かめられたことのほうが大切だったのですよ。

 亜紀彦君、もしや君は小さい頃にあのひとを慕い、思いを寄せたことがあったのではありませんか。時間にして二時間くらいだったでしょうか。でも横たわりながらも感じていました。ふたりとも実に幸せそうだと、ひしひしと伝わってくるのです。"

"僕と佐紀子ねえさんが、ですか。考え過ぎ、いうか全く的外れですやん。 

 いいですか、あのひとが地元の学校で家庭科教諭として着任して、城西村富岡先生と結婚されたとき、僕はまだ中学生やったんですよ。中坊です中坊。当時から溌剌しとったけど厳しそうな佐紀子ねえさんよりも、僕はイネ子おばさんを慕っていたような。それこそ母性愛に満ちたおばさんやったし。

 恋愛感情なんて、そげな。ありえん話ですけん。しいていうなら彼女が旦那さん、富岡和範先生と一緒になって、ほんま睦まじい、ええ夫婦や、思うことはありましたけんね。"

"なるほど、やはり意識はしていたわけですね。だから君も急ぐように結婚したわけだ。いつかは彼らのような家庭が築いていけたらと、青写真を描いていたんだ。納得しましたよ。"

海風が心地よいからなのか青山の顔色が頗るよくなった。裏読みする話しぶりも冴えつつある。いよいよ常日頃のように亜紀彦のほうが話に乗せられてしまう。

"なんでなんかわからんけど、僕が佐紀子ねえさんを意識するようになったん、ごく最近のことですけん。むかしかてしょっちゅう顔を合わせとんのに、そげなことは考えたこともない。不思議なもんですやん。

 僕かて、いまの若い子みたいにそこまで早熟いうか、ませとる少年ではなかったと思うし、まあ、それが普通やったんちゃいますやろか。"

"じゃあ結構結構思いつめたりすることもあったんだ。彼女の娘さんが夢枕に立って、[私の母を助けてあげてください]と懇願されたようなことも、実際にあったわけですね。"

"どうしてそれを−−−、酷いやないですか、青山さん。傷心した胸のうちを覗くなんて。"

"ですから私は、君の熱い思いを佐紀子さんに届けてあげようと、城西村の彼女の家の庭にある木槿の花びらに、君に代わって指文字でメッセージを綴っていたのです。"

"そげんこつ、しおったら僕はこの場で最大一六スクロール文字で喚きますよ。"

"いえ、それは問題ありません。喚いたところでここは洋上なのですから。それよりも私の仙術が未熟だったせいなのか佐紀子さんに届いたはずのメッセージが、ネブカドネザルの古代バビロン語から再変換できなかったようで、そのまま花びらに浮かび出てしまったようですね。あのとき君が言っていたメフィストフェレスの話と同様、彼女に真意は伝わらないでしょう。おっとっと、転んでしまうところでした。"

 フェリーは紀淡海峡の外洋よりを進んでいるとみられ、横揺れが大きくなっている。亜紀彦たちふたりはいま、太陽が眩しい甲板上のベンチに座って話し込んでいるが、ほかに乗客の姿は見られない。デッキの上は海風が容赦なく叩きつけ、展望を求めてここまで上がってきた者たちも、これはたまらん、とすぐに降りてしまうのである。 

 マストを見上げると<FURUNO>マークの、、古野電機製レーダーがぐるぐると回っている。青山がどうも落ち着きがなく、先ほどから首を回したりしているのは、どうやらそのレーダーアンテナに呼応してしまったからのようだ。

"亜紀彦君、右側に移動しましょう。見えてきましたよ、淡路島です。少し先には沼島も確認できる。そっかあ、君にはどれも珍しくはないのだった。気がきかなくてごめんごめん。"

 右側デッキに移動したあとも青山は手摺に寄りかかったりして、ずっと淡路島のほうを見ている。強さをました海風に亜紀彦はついに顔面に痛さを感じはじめ、いよいよ船室内に戻りたくなった。

"下へ戻りましょう。海風が激しすぎます。"

"私はいましばらく淡路島を見ていたい。ほらあのあたり、諭鶴羽山(ゆづるはさん)の麓の下灘村には平家落人の末裔が切り開いた集落がある。そしてその先、山裾の右手のほうにはいざなぎ神宮が−−−−"

 青山は楽しそうに腕を伸ばして遠くを差し示したが、その言葉に何やら棘があったのか、亜紀彦は一瞬眼をぎょっとさせ、取り出して見ようとしていた懐中時計を海に落とすところであった。

"青山さん、昨夜あなたが気絶してしもうたとき僕は、神妻神社奉納花祭りの古い写真を見て、あなたがもしや僕と同じことに気付き、行動をおこそうとしたんやないか、そう受け止めたんです。

 写真に映っていた、おそらくは月花系の最後の大夫である神主が手にしていた祓い幣、あれはいざなぎ流の祈祷師が使うもの、あなたはそう言おうとしたんやないですか。"

 青山は口元を綻ばせて一答する。

"いざなぎ流ではありませんよ、亜紀彦君。やっぱりそう結論づけてしまいましたか。仕方ない、あれは秘儀なのだからね。"

"えっ、どういうことです。"

"私が写真を見て間違いないと確信したのはいざなぎ流ではなく<いざなみ流>なんですよ。"

"いざなみ流、なんですか、それ。そげなもんがあったんですか。聞いたことあらへん。"

"一言でいうならいざなぎ流は仏門における顕教のような位置付けになります。高知県の物部川上流域の槇山という山村に存在し、無形文化財にも指定されている歴とした普通の奉納神楽です。いっぽう<いざなみ流>とは密教的なものとして、巷では存在しないことになっている。

 両者をくらべれば共通する点も多いが、成立した歴史背景も、祈祷の目的も手段も全く異なるものです。しかも文書などには決して記されていないから手がかりなどあろうはずないのです。

 だけど君があの一瞬でいざなぎ流までたどり着けたわけだから、それだけ脈があるといえますね。"

"僕はてっきりあなたが写真の御幣を見て、いざなぎ流の特徴を見極めて、それを確かめるべく物部川方面へ行こうと決心したものと思いました。"

"私たちは同じ方向を見極めた。けれども亜紀彦君は私の約三〇〇メートル後方を歩き出したということですね。まあ、仕方がない。君は久々に初恋の女性と廻り合い、至福のひとときを分かち合っていたのですからね。"

"怒りますよ、青山さん。それ以上言うたら。"

 南海フェリーは沼島の脇を掠め、いよいよ四国徳島に近づいているのがわかる。淡路島の山並みが水平線の彼方に消え、大鳴門橋が薄ぼんやりと姿を映している。その大鳴門橋が後方に退き、かわって前方に眉山のロープウェイが往来するのがはっきり見えれば、船は間もなく徳島港に入る。

"亜紀彦君、ちょっと聞いていい。"

"えっ、はあ、なんですか。"

"君はたしか高知県にある全寮制の高校、M義塾から静岡大学に進んだのでしたね。"

"はい、僕は徳島の蒲生田、いう漁村の生まれなんですけど、父親が漁に出たきり戻ってこんのです。母にあらたな縁談があったとき僕は小学生でしたけど、自分が母の荷物になってしもうてるんやないかって恨めしく思うようになっていったんです。僕かてゆくゆくは自立せなあかんし、母もこのままいつまでも瘤付きみたいに見られとったら話にならへん。

 母の再婚相手は佐那河内の岩崎葵という県の職員をしちょる人物です。一度会うて、僕も岩崎氏の誠実さはわかりました。いまも義父として尊敬しちょります。せやけど母と義父に気兼ねするあまり、僕は無駄に意地を張り、養老孟司が聞いたらそれこそ高笑いするやろう<バカの壁>を構築しとったことに気付いたんです。

 この頃はモモのやつや子どもたちにもよく言われます。親子の間で意地を張るの、なにか変だ、って。僕はそげなへんてこりんな状態を十年以上続けていたんです。でも娘や倅に言われて眼が覚めました。己は愚かにも造り上げてしもうたバカの壁を自らの手で撤去すべきときにきている。子どもたちが気楽に祖母に会いに行けるよう、手筈を整えてやらんばならん、とね。"

"なるほど、そういうことでしたか。私も似たような境遇にいたことがあるから、痛いほどわかりますよ。私なんか二十年も経ってしまった。この間、実の母親である亀井陽子も亡くなり、自分が帰るところは龍山郷にしかないと、わかっているつもりなのですが。"

"僕が静大に行ってた頃、青山さんのことはすでに都市伝説みたいに語られていました。なんでも時空間の谷に嵌まりこんでしもうただの、数十年に一度しか行けん集落があって、そこに住んじょるだの、木星の公転軌道に乗っかってしもうて、ひと冬越すのに何年もかかる、なんて言う連中もいたりして。"

"私は龍山の、白倉にある青山の家ではさんざん母に甘やかされて育ちましたからね。大学に行って下宿生活をはじめて、そのときになって自分がほんとうに青山道子を母親として慕い、愛していると気づいたのです。

 いっぽう実母には門前払いを喰らいました。いや、こう言っては語弊があるな、丁寧に接してくれてはいましたが、あの鋭い眼差しが、[もう二度とここへ来てはいけません]と言っているのがわかりました。

 それから程なく亀井女史は弟の礼氏を追うように亡くなりました。"

 青山はしれっと身の上を述べたが、とても相槌などうてるものではない。亜紀彦は聞いていて項垂れてしまうほどの重苦しさを覚えたが、

"僕はこれから佐那河内へ向かいます。義父(おやじ)にたのんで数日間、車を借りるつもりなんです。別に行くあてもなく、目的もなく、ただ走り回るだけの予定やったんですけど、青山さん、あの古い花祭りの手がかりをさがしに、もう目星もつけているんでしょ。僕も連れてってくれませんか。

 佐那河内へも一緒に行きましょう。母も義父も僕が友人を連れてきたら、それだけで安心してくれそうな気がしますけん。"

 最良の手段としたため、同行をもとめた。

 佐那河内は急峻な山あいの村だが、県都徳島市から割と近く、バスの往来もそこそこある。亜紀彦の母と再婚した岩崎葵は当然、彼らを歓迎した。亜紀彦は十年以上連絡を途絶えさせた非礼を詫びたが、岩崎にしてみれば母親を気遣う義理の息子の態度は決して不自然なものではなく、時を経て必ずや関係はあらたまると信じていたという。

 亜紀彦自身、音楽のほうも長年の苦労がみのり、家族ぐるみでテレビ番組に特集されるまでになっている。ところが関東や東海地方では見られた番組も、徳島では放送されてはおらず、当然母親たちはそのことを聞かされるまで知らなかった。

"まあ、僕にとって徳島は出身地やし、これからは四国でも活動できるように頑張ります。自分がホームグラウンドにしてる三浦市三崎港のライヴハウスに高知出身の岡安孝章さんもよく出演されているんで、僕も出張してきてコンサートなんかやれたら、なんて考えてます。"

 と、前向きな計画を告げたが、亜紀彦の母親は、

"恭啓が有名になったら、雑誌記者とかマスコミがこっちに来たりして、それこそ大変になるかもしれん。"

 いまから心配事を零している。

"そんときはそんとき、佐那河内に芸能レポーターが出没するようになったら、そんときは名産のモモイチゴの宣伝でもさせてもらいますけんね。"

 岩崎葵は義理の息子に負けぬ積極対応を掲げた。この積極発言に亜紀彦が反応した。

"おやじさん、こんど開発された佐那河内のブランドって、モモイチゴいうんですか。"

"そう、モモイチゴ、いまはさらに高級なんも出とって、サクラモモイチゴいいまんのや。"

"キャッホー。"

 亜紀彦は飛び上がって喜ぶしぐさをみせた。

"いえ、すいません。騒いでもうて。じゃけんど、こりゃ完全に僕に運が向いとう。実は僕の家内、名まえが桃代いうんですけど、渾名がというか、一人称が、いうか、自分でモモちゃん、言うてるんです。三姉妹の次女で、上から梅乃、桃代、桜子なんです。こりゃ三人とも連れてこんといかんわね。"

 久しぶりに母親を訪ねてきたにしては、亜紀彦は緊張が解けたどころか一気に舞い上がってしまった。同行したにすぎないと考えていた青山も岩崎とはなにかと話が合い、亜紀彦に静岡大学の先輩だと紹介されたときは、私などたった三ヶ月で退学してしまって、と謙遜気味に応対していたが、ふたりで伝統行事の復活に尽力している旨を伝えると、重要な調査項目について岩崎からいくつか聞き出すことに成功したようである。

 翌日、亜紀彦と青山岩崎の軽バン車を借りると、さっそく出発の準備にかかる。

"じゃあ亜紀彦君、目的地は県南部の海陽町だ。ここからだと海沿いのルートをとるよりも、山を越えていったほうがよさそうだね。神山から上勝を通って木沢村に出る。この地図だとしっかりと道が繋がっていると示してある。"

 青山は昨日徳島港の下船場にて貰ってきた簡易道路地図を広げて言った。

"木沢村って柚子の産地だったよね。徳島県でも標高の高い地域は酢橘(すだち)じゃなくて柚子のほうがメインだって聞いたことがあるんだ。その木沢村から上那賀、牟岐ヘ海部川に沿って下っていこうか。

 神妻の海部さん、四国は全く知らないと仰ってたそうですが、まんざら無縁というわけでもなさそうですよ。"

"あのおぢさん、青山さんにやけに食ってかかっていましたね。ええと、その<いざなみ流>にたどり着くためのキーワードは、岩崎の義父さんが言うてた、海部一族と愛宕権現社、それに、ダンノタニ山ですか。へんてこりんな山みたいじゃが聞いたことがあるけん。すんなりと核心部に入り込めるといいんやけど。"

 亜紀彦は山道を手際よく運転しながら復唱するように言った。いっぽう助手席の青山もご満悦といった表情を崩していない。

"四国では仁淀川や四万十川が清流として名が通っていることは知っていたけれど、この川も惚れ惚れするくらい雄大な眺めだね。どうやらこれが海部川のようだ。この川に沿って進んでいけばもうすこしで海部の町に着きます。"

 千変万化する風景に眼を奪われながらも青山はひっきりなしに地図で現在位置を確認している。徳島県は面積こそ小さいが、霊峰剣山をはじめ峻険な山に囲まれ、というよりも、徳島市から小松島までの海沿いと吉野川流域以外に平地がほとんどない山岳県である。

 江戸時代にこの地を領有した蜂須賀氏は、徳川幕府による鎖国政策のなかでも周辺の藩との交易を断つという、鎖国のなかの鎖国を実践してみせた。この時代のできごとは吉川英治作の<鳴門秘帖>に詳しく描かれているが、幕府側の隠密を捕縛して海抜一九〇〇メートルの剣山山頂付近にある岩窟牢獄に幽閉するなど、身の毛もよだつ記述の目白押しである。

 海部の町は複雑なリアス式海岸に、清流の名にふさわしい海部川が流れ込む河口に港湾都市として、室町期から発展してきたところで、京の都が戦禍や災害のたびに建物需要が必至となるにつけ、阿波の国の杉檜木材が伐採されて船運されていったのである。海部湊の活況は長宗我部氏によって海部氏が討たれるまで続き、この間に匠の名刀で名高い<海部刀>も生みだされていったことも強調しておかなくてはならない。

 現在は海部と海南、宍喰の隣り合わせの三つの町が合併して海陽町と名を変えているが、平素は至ってのどかな漁村風景がひろがる地域である。

 亜紀彦たちが海部の町に着いたのは陽がだいぶ西に傾いた夕方のことであったが、車を降り、海に面した独特の造りの家並みと、それら建造物に割って入るように奥のほうで繋がっていそうな小路を、なにか見つけられそうなものはないかと期待を感じながら、探索した。

"なんか、このへん、石碑が多くないすか。"

 寝惚けたように亜紀彦が口を開いた。腰をかがめてよく見るとたしかに石碑のようだ。苔むした表面を手先でなぞってみると何やら文字が彫ってある。こういう場合、毛筆用の半紙があれば容易に拓本がとれるところだが生憎いまは持ち合わせがない。手荷物にはいつも楽譜にする五線紙があったのでそれで試してみたが上手くいかない。

"ちぇっ、なんて書いてあんのかさっぱりわからんけん。"

手作業がしどろもどろになって亜紀彦が不満を言っていると、小路の先のほうで青山が呼んだ。

"こっちに石碑についての説明がありますよ。全部で一六基、記されているのは地震と津波の被害状況についてです。この石碑は慶長九年❨1604❩、向こうの大きな岩には宝永四年❨1707❩のことが書かれています。さっき君が撫でていたものは安政元年❨1851❩の地震と津波の被害について載っていたはずです。

 説明板によれば一〇〇年周期で津波が来ていることになりますね。この説明板は新しいものですから、おそらくは東日本震災のあとに設置されたものなんでしょう。昨今は南海トラフが要注意と言われていますし、注意喚起の意味もこめて石碑の位置を詳しく表示してあるのでしょうね。"

"うん、もう、気付いとんのやったら、もっとはやく教えてくださいよ。僕、五線紙を八枚も無駄にしてしもうたわ。"

亜紀彦は地団駄を踏んでいる。

"でもしっかりと収穫がありましたね。われわれはもう、頭のなかがいざなみ流のことと愛宕修験でいっぱいになってしまって、ついつい石碑にもそのことが記されていると、先入観に囚われてしまうのですから。"

"せやけど青山さん、海部まで遥々やって来て、愛宕神社を見つけました。いうてもこれ、この神社、どう見ても普通の神社ですやん。"

 ふたりはいま海部の漁港を背に、ぽっこりと聳える小山に取り付く位置にいる。ここから登っていけばさぞ見晴らしが楽しめるだろうと思われる、この山こそが愛宕山で参道の入口には愛宕神社が鎮座している。亜紀彦は境内を粗さがししたり、山の上に続く参道のほうに眼を移したりしながらひどく落ち着かない様子である。

"このあたりに祓い幣が挿したって、その祓い幣がヒトガタやったり顔の形になってったりしたらそれが<いざなみ流>や、間違いない、って自信を持って言えるところなんでしょうけど。なんや、民俗学的新説、大発見、なんて豪快にいきたかったんやけど、やっぱ歴史とか考古学みたいな地道な学問は僕には向いとらんかな。"

"まあ、そんな単純なものではないってことですよ。ええと、たしか神妻の海部一朗さんは愛知県七宝町の出身でしたっけ。

あのへんの海部(あま)郡のあたりは海部姓が多いのですね。総理大臣も出ているし、名古屋コーチンを生み出した海部兄弟も結構有名だし、こっちの海部一族はどうやら藤原系ということらしいなあ。"

 青山は古くさい手帳のようなものを覗き込みながら妙に納得した面持ちになっている。

"青山さんは神社仏閣について詳しいんですね。禰宜と友だちになるくらいやから当然なんやけど。"

"詳しいというほどではありませんよ。神事に参加すべく最低限の決まりごとを守っているにすぎません。私は地方の神社仏閣をおとずれて、お参りのしかた、柏手の打ち方さえわからず右往左往する人間なのです。"

"そうなんですか。僕も恥ずかしい話、最近まで明神鳥居と神明鳥居を逆に覚えていたんですわ。えっと、伊勢皇大神宮の、あの丸太ん棒みたいにぶっといのが明神で、弓なりに反ってるのが神明、やったかな。"

"逆ですよ、亜紀彦君。"

"えっ、そうなんですか。せやけど肝心な神妻神社の鳥居がかなり特殊なかたちしてる、て聞いたことがあるんですけん。まあ僕も花祭りに参加するわけやから、行ったことないなんて言うたら、罰あたりますよね。こんど海部のおぢさんにたのんで舞殿の掃除とかつれていって貰おうかな。

 それとなんやけど、青山さんのご実家って龍山村の白倉でしょう。この間地図で確認したら竜光寺山を挟んで神妻とは実質距離が六キロくらいなんですよね。道が繋がっておらんから、近いとは思われへんでしょうけど。"

"私が物心ついた頃の原記憶なのですが、母から竜光寺山神妻八幡の弘法大師空海伝説をよく聞かされましたよ。たしかに竜光寺山のふもとにあったとされる豪徳寺も清涼寺も空海が開闢したと伝わっています。これをどう解釈しますか、亜紀彦君。"

"それは、ですね。弘法大師空海はその生涯において、畿内より東方面には一度も足を踏み入れていないわけですから、そげな伝説はまったく信じられまへん。それが空海じゃなくて伝教大師最澄やったいうんなら、少しは信憑性が高まるかな、思いますけど。なぜなら最澄は晩年になって下野の国までいってますけんね。

 空海にまつわる伝説って全国に五〇〇〇はあるていいますやん。僕に言わせりゃ名も無き修行僧の功績を弘法大師空海に昇華させてもうたもんも、かなり含まれていると思うんです。どうしても空海の名を持田さんといけんかった理由がそこにはあったんです。無名の僧では勝手が悪かったからなのか、そうせな説得力が確固足るもんにならないからなのか。いまも昔も依らば大樹の陰、そんな法則が働いとるんでしょう。大師は空海に持っていかれ、太閤は秀吉に持っていかれた。そんなところやと思いますよ。

 竜光寺山神妻八幡の開闢伝説のところ、空海の弟子のひとりにごっつう有力なんがおったわ。けど度忘れしてもうた。ええっ、誰やったっけ、思い出せん。"

"空海といえば、この先の室戸岬の突端にある御厨人窟(みくろど)という洞穴で悟りを開いたのだったね。窟の向こうには空と海しか見えなかった、それで空海と名乗るようになったのだと。"

"その岩窟やったら、僕行ったことありますけん。中に入って落ち着いて遠く海の彼方を眺めるとちょうど岩窟の輪郭がミミズクみたいなかたちになっとって、海が見渡せるんです。率直な気持ち、あれ見たら弘法大師空海やのうても何か感じるものを持てる、思うんです。僕も実際、言葉では言い表せられん凄いエネルギーみたいなもん、感じましたけん。"

"竜光寺山の八合目附近にある神妻八幡の遺跡で発見された地下宝物殿も、入口の岩屋がそのような形をなしていて、奥のほうでは六層構造が確認されたそうです。そこは弥勒菩薩を祀った拝殿、通称弥勒堂があったところらしいと。"

"なんなんやろ、御厨人窟と弥勒堂って、アナグラムになっとるやん。もう、よくわからんわ。

 青山さん、僕さっきこの下の漁港の手前んとこで酒屋を見つけましたけん、ちょっと行って酒とつまみになるもん買うてきますけん。それと車に茣蓙が積んでありましたけん、、それを愛宕山の上まで持っていって野宿しちゃいません。 野宿に抵抗、あるんでしたら国道沿いに国民宿舎があったな。なんか ブハラとかサマルカンドにありそうなイスラム寺院みたいな建物やったけど。"

"いや、私は野宿で構いません。この様子だと夜半に雨にあうこともないでしょう。暗い夜道もこれがあれば大丈夫、いつも持ち歩いていますからね。"

 青山はペンライトを点灯して光源の具合を確かめている。

"おっ、さすがは青山さん。いつも洞穴とか探検してるんですもんね。ほいたら僕、行ってきます。"

 百年に一度の地震と津波の模様を記録した石碑の番号を地図に書き入れた青山は、いま一度見落としをしていないか説明板を読み返している。五分とたたないうちに亜紀彦がものすごい走りで戻ってきた。買い物袋から土佐山田の銘酒<文佳人>をとりだし、上機嫌になっている。

"亜紀彦君、お子さんたちはどうしているの。コンサート全国ツアーとかになったら長いこと家をあけることもあるでしょう。"

"ええ、まあ。モモのやつは親がすぐ近くで民宿をやっとったりしてるけん、子どもたちが露頭に迷うことはありませんわ。

 それよか上の娘が中学生や、いうのに肝心の母親が一人称モモちゃんなのが問題やと思うんです。これには倅ふたりが結構堪えているみたいなんですが、

モモのほうは一向に気付いてへん、いうか、えっ、どうして、どこがいけないの、なんて万事こげな塩梅なんですけん。"

"いやあ、頼もしい。君が精神的危機を乗り越えられたのも、奥さんのその強さがあったおかげでしょう。"

"それとさっき青山さんが話しとった神妻八幡遺跡の宝物殿が洞穴の下の六層構造やった、いうん、先週、浜松の静岡学芸大学で講演やってましたよ。僕は行かれへんかったけど、なんだかかなり奥深いところまで調査が進んでるらしいやないですか。"

 亜紀彦は一升瓶の蓋を開けると、縦笛のケースの蓋のほうを杯にして酒を注いだ。マグカップなど常に持ち歩いているわけでなく、酒を回し飲みするときはいつもこうするのだという。清酒<文佳人>は瞬く間に空になった。この間青山は完全に聞き手となって二合くらい口にしたから、残りの八合は亜紀彦が平らげたことになる。

 家族の自慢話をはじめたあたりから心なしか口調が怪しくなってきていたし、土地の訛りもいつも以上にどぎつく喋るようになっていた。やはりここ阿波の故郷は居心地がよいのであろう。母親と再会できた幸福感も手伝ってか、亜紀彦はベンチの背もたれに寄りかかると、そのまま深く眠りについてしまった。

 先ほど空海伝説に関して熱弁をふるった亜紀彦に対してそろそろ己の見解を言おうと青山が振り向くと、彼はもう天真爛漫の境地へと下ってしまったようだ。

−−−昨日は私がおんぶされていたのだし、ゆっくり眠るといい。藪蚊に刺されないようにね−−−−

 自分が羽織っていたヤッケを爆睡中の亜紀彦にそっとかけ、青山はペンライトを灯して堂宇のある上の広場へと移動した。

 調査二日目となった朝、薬師堂の傍らに茣蓙を敷いて就寝した青山は眩しいほどの朝日で目覚めた。昨晩亜紀彦が爆睡をきめこんだベンチがある下の広場のほうから矯声が響いてくる。彼がそこへと降りていくと亜紀彦がその狭い平場でアクロバットをやっている。

"なんだなんだ、君は内村航平か。すごいジャンプ力なんだね。"

"あっ、青山さん、おっす。これ、朝の体操、毎日やりますけん。

 いやあ、この場所、すごいっすね。見てください、この海の絶景。こげな開放的な気分になれたの、御厨人窟でキャンプやった高校のとき以来やないかな。もう眺望絶佳などという言葉で表せられへんほどのスケールですけん。

 愛宕権現、イザナミノミコト神は修験の守護神て聞いていましたけんど、ほんまは豪快でネアカな神様やったんやないでしょうか。ばっちりこの展望を独り占めできるんですからね。さっきも地元のおぢさんが二人で、日の出を拝みに上がってきましたよ。朝日を見て、達磨になった、達磨になったて喜んでいるんです。喜び余って童心に帰ってまうんは、僕だけちゃいますよってに。

 それはさておき、きょうはどっちへ行きますか。室戸岬から高知方面ですか。"

 うん、一つ頷いて青山は返す。

"国道55号線の県境を越えて、室戸岬の手前に佐喜浜という小さい村がありますから、まずはそこまで行きましょう。佐喜浜は元大関朝潮太郎の出身地でしたね。"

"朝潮太郎て、弟子の南海龍に振り回された四代高砂、米川の朝潮か、それとも弟子の朝青龍に振り回された五代高砂、長岡大ちゃんの朝潮かっちゅうことになりますけんど、先代のほうの、米川の朝潮は元横綱、ですけん、それに鹿児島県の奄美出身やったかな、当然、大ちゃんのほうですね。こりゃ、ますますおもしろくなりそうやわ。"

"その佐喜浜村から十キロほど山へ分け入って行くと、<段>廃村集落があります。いまはもう集落の痕跡すら残っていないようですが、そこ愛宕権現社でいざなみ流の祈祷が行われていたと岩崎さんが仰っていました。たしかにこれは有力情報です。ですが私はそんな山奥の廃村跡にいきなり踏み込むよりも、資料館あたりで文書を確かめて、それから行くほうが筋道が通っていると思うのですが、どうでしょう。"

"その歴史資料館て、どこですか。室戸岬の反対側すか。"

 亜紀彦こくりと顎を突き出した。

"たしか段の谷山は屋久島の千年杉に匹敵する巨木の森が見つかったとかで、最近脚光を浴びるようになったとこ、違いましたっけ。最近、室戸岬一円がジオパークの指定を受けて、ガイド付きで山歩きのツアーに参加を募る企画があったり、なんか聞き覚えある、思いましたわ。まあ、時間もあることやし、ちょいと寄り道して上がってみましょうよ。 

 それと昨日は思い出されへんかったけんど、例の竜光寺山の空海伝説を覆す有力な坊さんの名まえを思い出しました。杲隣(ごうりん)ですよ、伊豆の修禅寺を開いた空海の十弟子のひとり、杲隣やったら北遠地域を活躍の場にしてたとしても辻褄が合うんです。"

"なるほど、杲隣ですか。随分といいところに着目しましたね。ところで亜紀彦君は四国霊場八十八箇所は回っていますか。"

"僕は全体の四分の一くらいです。霊場って結構偏って点在してますし、いま僕らがいるこのあたりはお遍路さんのコースから外れとるでしょう。二三番の薬王寺から二四番最御崎寺まで八〇キロ以上離れとう。二一世紀のお遍路さんはこの国道を二日がかりで歩くみたいですけど、昔は道が存在せんかった。一旦吉野川に戻って、京柱峠を越えて高知市のほうから逆戻りをするように室戸岬へ向かうのが正式ルートのはずやったんです。

 もっとも僕の場合、高校が高知にありましたから、瀬戸内方面以外は、そう背伸びせんと日帰りでも行けたんですよね。"

"じゃあ、物部川槇山伝わるいざなぎ流の式王子も---"

"あんまり詳しくないんですけど、十二所神社や小松神社の奉納も見に行ったことありますけん。同級生と別役いう山間集落から三嶺、剣山へ縦走したこともあります。

 それ承り師匠にたずねつあまやのぼりよるか、それに見えしはどこのいづくの人ぞ、いづくをかたりて御名をなのりて道を教えてたまわれのをと申せば、われらは二体の月日とはごんせが事、道は安しと教えてしんぜよう。千里の野もある千の林もある千里の山ある千里の坂ある千里のの川ある−−"

 先日、南海電車で青山が唱えていた呪文を真似するように亜紀彦は式王子を披露してみせた。

"凄いねえ、暗唱しているんだ。"

"いえ、なんやいうても僕の場合は歌の題材にしよう、思うとるだけなんですけん。"

 佐喜浜の漁港から悪路を遡ること三五分、それらしき集落跡にはたどり着きはしたものの、そこから先は藪が道を塞いでいて切り返すしかなくなった。大木が立ち枯れしているように見えたのはどうやら古い鳥居の残骸のようだ。太い柱の上のほうに注連縄らしき綱が巻きつけてある。 

"ここが愛宕権現神社の跡地、いうわけですか。"

 亜紀彦は車を降りて周囲を見回した。集落があったのが信じられないくらいの静けさが漂い、向こうの方は原生林なのだろうか、そこから冷たい風が流れてくるようにみえる。

"段集落の歴史はさほど古くありません、国有林の事業計画で二 三〇年の間だけ栄えたにすぎない短命な村だったんですよ。君の義父さんからここの集落の話を聞いたときは、閃いたものを感じたものですが、痕跡はなにも残っていないようですね。"

 それでも諦めがつかない亜紀彦は、ずっと気になって仕方がない原生林のほうに歩み寄り、しばらく先のほうを眺めていると、大木の梢から切れた注連縄の破片とブリキの板、さらに木製の看板のようなものが落ちてきた。

"な、なんなんや、これ。薄気味悪いけん、はよ車に戻らんと。青山さんは、行ってもうた。"

 青山が先に車の助手席に戻って手持ちの資料を見比べていると、まるで魔物にでも取り憑かれたような顔をして、亜紀彦は運転席の外で体操や屈伸運動を繰り返している。

"亜紀彦君、そうやったって魔物は祓えませんよ。まずは落ち着くことです。いったいどうしたんですか。"

"どうしたもなにも、青山さんがいなくなってから暫くの間、クスノキかなにか、でかい木の樹冠のほうに眼をやっていると、まず切れた注連縄の破片が、つぎにブリキの板、さらには篇額みたいな木製看板が降ってきたんです。

 最初は神々しい風を感じたもんですけん、思い切り深呼吸を三回、その直後のことですわ、降ってきたんは。もうすっかり怖ろしゅうなってもうて。"

"どうやら君は清浄な気と同時に瘴気と呼ばれる悪いものまで吸い込んでしまったようですね。でも大したことはないでしょう。恐怖感だってほんの一時的なもの、梯子を降りれば自然と高度感はなくなり、高所恐怖症もおさまるでしょう。それと同じ原理です。ですがそんな不安や不信、猜疑心なんかが積もり積もって、ひとつの集合体になってしまうともう厄介です。

 人間、沈着を失えば枯れすすきをお化けと見間違えてしまうものなのです。祟りなんて、それが迷信と解っていてもつい怖がってしまう。京阪電車萱島駅の神木も、東京羽田の穴守稲荷も、伊豆七島で毎年一月二四日に行う悲忌様のお祓いも、すべて基本原理は一緒なのです。われわれは気ばかり焦って動きすぎたかもしれません。"

"僕も、神社を見つければ何かが明らかになる、なんて一心不乱になりすぎていたようです。この場所が段集落と決まったわけでもないのに、もしかしたら知らんうちに結界みたいなとこを越えてしもうたんかもしれへんやん。"

"まさかそれはないでしょう。それにここは間違いなく段集落跡地です。君のいるところに落ちてきたのはおそらく愛宕権現社の篇額かなにかでしょう。もう一度私と一緒に確認しに行きますか。"

"嫌です、薄気味悪うて。僕は行きません。"

"では私が見てきましょう。君は車の窓を全て締め切って待っていてください。"

 一言のこして青山は今しがた歩いてきた、朝靄のけぶる樹林帯の奥へと小走りして行ってしまった。

−−−青山さん、ひとりで怖くないんかなあ、って青山さんが仙術師なん、すっかり忘れとった−−−−

 亜紀彦は言われた通り車の窓をすべてしっかりと閉め、なるべく外を見ないように俯いて、時の経過を待つ。青山は五分しないうちに戻ってきた。

"お待たせ、思った通りですね。例の篇額に<愛宕権現社>の文字が書かれてありました。消えかかっていましたが間違いないでしょう。近くに社殿があったはずですが、特定はできませんでした。しかしそれほど大きいものではなかったと思われます。"

"ほいたらあの場所でいざなみ流の祈祷が行われて、奉納神楽が舞われてたっちゅうわけなんですね。"

"そういうことです。そろそろ行きましょうか、無事にここを抜けられればの話ですけど。"

"あっはっは、もう騙されたりしませんよ。怖がらそうったって、祟りなんてほんとうはあらへんのやけん。"

 彼らは次の目的地、室戸広域地区の文書資料館へと直行した。

"ここでは詳しい専門的研究書は期待できないものとして、町が編纂した資料を中心にあたってみましょうか。"

"青山さん、ここに室戸市史と佐喜浜村史がありますけど、どれどれ、段集落については、と、出てる。愛宕権現社造営、勧化願フ、何やろ、難しい。よくわからんわ、降参。"

 喜び勇んで資料解読に向かったはずの亜紀彦だったが、古文書の写しばかりが並ぶ資料では相手が悪かったようである。すぐに青山がヘルプについて説明すると、これは昭和一一年に段集落の愛宕権現社遷宮における由緒書であるとのことだ。すべて墨文字にて草書体で記されているから、古文書に慣れないものが右往左往するのも致し方ないことである。

それよりか亜紀彦君、愛宕権現遷宮に連名者として加わった段部落の責任者たちの氏名を見てください。何か気がつきませんか。"

 署名は順に、雑賀吾平、根来喜三郎、西田利助、楠本明治とある。

"青山さん、この人たちの出身地は。"

 亜紀彦言いながら次のページをめくると、

"あちゃー、やっぱし。"

 と、白旗ををあげたかのような表情を浮かべて、手にしていた分厚い資料本を青山に手渡した。

"とりあえず一五六四ページから一六一六ページまでを複写しておきましょうか。国有林というのは必ずしも国家公務員だけが仕事をしていたわけではありませんからね。半数は地元で雇傭された労働者が、そして四割ほどは出稼ぎによって支えられてきた歴史があるのです。段集落もそのような共同体であったということですね。

"せやけどこれからどうします。なんの手がかりも失ってもうて。いざなみ流の根幹に近づける、てそげにかんたんにはいくはずないか。"

"ものごとが立ち行かなくなったときは、基準地点にまで戻る、これが鉄則なのですがね。"

"けんど、勧化帳に署名をした人たちの親類縁者を追跡する、いうんはどうでしょうか。方法論的に、僕はありだと思いますが。"

"うーん。"

 絶句した青山を横に、亜紀彦の携帯電話が着信音を鳴らした。

"うわぁ、ヤバいて。ここ、図書館やってん。外や、外。"

 亜紀彦は速やかに館外へと出ていく。

"あい、はあ、どうも、海部さん。この間はほんま、お世話いただきまして。"

 自分では幾分落ち着きを取り戻して電話にでているつもりだったが、そこで海部一朗が告げた一言が亜紀彦を一気に喫驚の底へと叩き落とした。

"亜紀彦君、悪いねえ、急に電話して。いま、旅先なの。ご実家には帰られたの、お母さんに会えた。そう、よかったね。青山さんも一緒、そうなの、ごめんね。

 いや、実はねえ、とんでもないこんがわかってしまったんだに。樋浦たみゑさんの兄の庄市さんが、昭和三年に行われた花祭りの前夜にね、高嶺祓いの神水を汲みに行って、崖道から転落して亡なってたんだよ。"



  次号 花祭りの夕星 2 にて完結

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