擬音語(オノマトペ)を使う文章についての回答(おもに「キンキンキン」問題について)
文章表現に擬音は必要か?
使い方、内容によりそれは稚拙なものになるでしょう。
安易な表現より、文学的な表現などの「地の文」で魅せる作者さんが増えるといいな~と願いつつ。
小説にオノマトペ(擬音語・擬態語)を使用する是非について。
小説家になろうのエッセイでも何度か書かれたことがある「音を文字で表現する」手法についての話題。
これ、なろう以外でもたびたび話題になるらしい。
特に有名なのが──
「キンキンキン」
という擬音語らしい。
これは剣を使った戦いの音であるらしい。金属の剣と剣がぶつかり合う音だろう。
さて、この「キンキンキン」の何が問題なんだ! と、すでにこの話題に触れられただけでキレてしまった人は、おとなしくブラウザバックしてください。
「キンキンキン批判する奴は気に入らない!」
という理由で☆1付けてもいいですけど、それをやるたびに「なろうの読者も作者も質が低い」などと、外部で笑い種のネタになりかねないと承知の上でおこなってください。
* * *
さて、私も擬音語、使いますよ。
特に読者が想像しにくい音などにはよく使用します。
たとえば現実ではありえない状況がおこるときなどに。そう──魔物の咆哮とか、空間が歪んで別の場所に転移させられてしまう、そんなときに。
周囲の空間が音を立てて変化しはじめた、それは「ごうんごうん」と音を立てて──
こんな感じですかね。
ただ、その擬音について文章でも表したり、付け足したりして「格好つけ」ます。
魔物の咆哮などは特徴的な、聞いたことのないような叫び声、などとして文字で鳴き声などをそのまま表現することもあります。
* * *
さて本題の「キンキンキン」がなぜ問題なのか。
小説では本当は魔物の叫び声でも、戦闘音でも、空間転移の場面でも、擬音語を使わずに表現することは作者の技量で可能です。
いささか難しい空間が歪んで転移する場面でも。
周囲の空間が音を立てて変化しはじめた。まるでトンネルの中に響き渡り、反響する──大きく耳障りな音を立てて……
こんな具合にすれば具体的な音はわからなくても、「騒音に近い音が」鳴り響いているのだ、と読者に伝わるのではないでしょうか。
単純に「ごうんごうん」と音が鳴る、よりも読者の想像力に訴えるような書き方ができる作者なら、こうした表現で場面をたくみに描き出すこともできるのではないでしょうか?(自分の表現がいまいちだったかもしれませんが、それは技量の問題です)
それらのたとえを踏まえた上で、もう一度「キンキンキン」と書かれた文章を読んでみてください。──正直に言いますが、私はその「キンキンキン」が書かれた場面を読んでいませんし、どの作品に書かれていたかも知りません。
戦いの場面でどういった表現をすればいいのか、そここそが作者の技量が問われる場面でしょう。
自分もおよばずながら戦闘シーン、場面の描写、景色などについて──極力、文章で表現しようとするタイプです。
「いい景色だなぁ」
これで済ますよりも事細かに、読み手が鬱陶しいと感じるくらいに、場面の描写にもこだわったりしますね。
「そんなの読みたくない!」
そういう読者もいるでしょう。知っています。
けど、それでいいんです。
あなたは私がターゲットにしている読者ではないのですから。
鬱陶しいくらいに場面について表現している、文字に書き起こしている作品を読んで、「おっ、場面を想像しやすいな」と思う人を対象にしている作品の場合は、単純な表現手法である「キンキンキン」という戦闘音は、はっきり言ってそうした読者に「おい、舐めてるのか」と思わせるでしょう。
読者層が違うのです、それを理解しましょう。
誰もが手軽に読めるものが一番、そう考える人にはオノマトペや会話文が多い、キャラクター同士の話しのおもしろさや、奇抜な内容に引かれるでしょう。
そうではなく世界観の表現や設定の緻密さ、登場人物のリアルな言動などに注意して読む人もいます。
リアリティのあるファンタジーを求める人は、その物語の中にギャグなど求めません。シリアスで、リアリティのある作品を読みたい、そう思っている人にとっては「キンキンキン」という表現は稚拙で、そうした文章に嫌悪に近い感情を抱く人もいるみたいです。
だからといって、いちいちそうした表現をしている人の作品に、ケチをつけにいったりする必要はないでしょう。その逆もまたしかりで、文章表現にこだわって書きたい作者に、「読みづらい」とか「難しい字が多すぎる」とか言ったって、どうしようもないことくらい──たいていの人は理解しているでしょう。
「あ、この作品、自分には合わないな」
でブラウザバック。そういうものです。
ある絵画の入門書でこういったことが書かれているのを見ました。
「絵を描くとき、風を線で描いてはいけない。それが許されるのはマンガだ(草木の揺れ方で表現したりできるだろう)」
みたいな言葉です(A・ルーミス著──だったと思います)。
話が大きく脱線してしまったかもしれませんね。
最後に、自分が「キンキンキン」を使うとしたらこう書くだろう、というものを書いておきます。ご批判や共感でも、感想をいただければ幸いです。
* * *
手強い剣士だった。
鋭い太刀筋を受け流すのに手一杯で、反撃する隙がない。
相手が踏み込んでくると、すかさず相手の剣を自分の剣で弾き、連続で繰り出される剣先を受け流す。
「キンキンキンッ!」
金属と金属がこすれ合い、空中に火花が散る。
漆黒の衣をまとった剣士は、横にすばやく回り込むと、手にした剣を大きく横なぎにしてくる。
「ぶうんっ」
首を狙った一撃が、しゃがんだ俺の頭の上を通りすぎていった……
こんな感じですかね。
前後にその擬音の元となる一連の文も書かれている方が、オノマトペのみの場合より厚みが出るでしょうから。
効果的に擬音を使えたら、それが一番かもしれませんね。
読んでくれてありがとうございます。
自分は小説などの文章は、描写などを多めに書いてます。文章から想像し、内容から新しい発想などを得てもらえれば(エッセイなどは特に)いいなと考えています。そうした情報量の多い文章と、展開を早く、キャラクターの会話を楽しく読ませる作品とは傾向が違うのかもしれませんね。文章は読み手に訴えるものでもあると思うので、あまりに多くを省いて、背景などは読者の想像に任せる、というのには違和感を覚える作者です。そう──読み手によるのでしょうね……
A・ルーミスの言葉でわかる通り、絵画には「やってはならない」手法があります。小説の文章法に同様の言葉を用いて批判したり、否定するものではありませんが、明らかに稚拙な手法というものも存在するでしょう。児童文学や純文学といった区別があるのも当然とも言えます。
絵画の手法で例えるなら、緻密に描写された文章とは「陰影のある絵画」であると言えるかもしれません。