シーランド・サーシェル3
その日は魔法学校の休日で、丁度よく数日前から母は友人宅にお茶会に行くことを宣言しており、朝からウキウキと準備をして出かける母を玄関で見送った。
「少し、でてくる」
なるべく質素な服に着替えて、出かけようとしたところに家令と出くわし、言葉少なにその脇を通り過ぎようとした。
「おや、ぼっちゃま。どちらへ?」
いつもならば挨拶をするくらいなのに、今日に限って行き先を聞かれるなんてついてないと思いつつ、町へいくことを伝えるとわずかに表情を陰らせた。
「さようでございますか。どうぞ、お気をつけください」
「ああ、いってくる」
それ以上深く聞かれなかったことに安堵して、家を出た。
家令が複雑な表情で、いそいそと出ていくその背中を見送っていたことなど知る由もなく。
あの日ミュールを見かけた町の一角を中心に、町を歩き回る。
華美な物ではないとはいえ、貴族の装いをして町を歩き回るシーランドを、町の人々はそれとなく観察している。
勿論、表立ってなにか言う人間はいない。貴族に関わるのは得策ではないと、みな理解しているから。
同じ場所を何度も回って汗で背を濡らし、仕方なく近くの店に入り勇気を振り絞って彼女を見たことがないか尋ねた。
「赤味がかった金色の髪の女性ですか? さぁて、見たことがあるような気もしますが……」
恰幅のいいその店の店主は、思案顔で斜め上を見上げる。
「本当か! どこで!」
勢い込んで聞くシーランドに、店主は視線を戻して眉を跳ね上げた。
「お客さん、ここは八百屋ですよ? 情報を売ってるわけじゃありません」
「いや、でも、あなたは彼女を見たことがあるんだろう? どうして教えてくれないんだ」
愚直な青年に、店主は苦笑いをする。
「そうですねぇ、そこのカゴにあるリンゴを買ってくださったら、よもやま話もできるってもんですがね」
そこまで言われてやっと、情報が欲しいならば商品くらい買えと言外に言われていたことを知る。
「そうか! そうだな、そのカゴのリンゴをいただけるか」
店主は、言われたままの物を求める彼の浅薄さにあきれながらもリンゴを袋に入れてやり、代金を受け取って釣り銭を返す。
「おい店主、金額が合わんぞ」
わずかに気色ばんで受け取ったばかりの金を見せる彼に、店主は内心の呆れを隠してニコニコと笑顔を返した。
「お客様は袋をお持ちでないようでしたので、その分の代金ですよ」
「そ、そうか、悪かった。それで、ミュー……いや、その女性がどこにいるか教えてくれ、ませんか」
店主の笑顔に圧を感じて、言葉を付け足した。
「赤味がかった金色の髪の女性ですね、ええ、ええ、見かけましたよ、でもわたしよりも詳しく知ってるのが、あそこの角で出店を出している彼女ですよ。よくその金色の髪の女性と、おしゃべりをしていますから、きっと居場所も知ってるでしょう」
ひとカゴのリンゴ分の情報を伝えると、「毎度ありがとうございました」と笑顔でシーランドとの会話を打ち切り、お客の呼び込みに戻ってしまった。
情報といえない情報しかくれなかった店主に悪態を吐きたいのを堪えて、踵を返して教えられた出店を目指した。
そんな風に、数件たらい回しにされて、夕方になって一軒の店の前に立っていた。
店の中から朗らかな笑い声が聞こえてくる。その声が、求めていた彼女のものだとすぐにわかった。
はやる気持ちを堪えて、ゆっくりとドアを開ける。
「いらっしゃいませー」
聞き慣れた元気な声が、入店を歓迎する。
「あら、シーランド先輩じゃないですか! お久しぶりですー、先輩でもこういうお店来るんですね。ひとりです? じゃ、カウンターでいいですねっ」
変わりない強引さでカウンターに座らされたシーランドは、ミュールに渡されたメニュー表に視線を落とす。
「ええと、本日のおすすめで」
「はーい。本日のおすすめひとつー」
厨房へ注文を通すミュールに声を掛けようとして、他の客に呼ばれて身を翻された。
「あっ……!」
思わず彼女の手を掴んでしまった自分に驚き、だけど見下ろしてくる彼女と視線が合うと胸がドキドキと高鳴った。
「あの、いま、すこし、はなし」
緊張で片言になってしまう。
「ごめんね先輩、いまお仕事中だから」
眉尻を下げて申し訳なさそうに言う彼女に、自分の不躾に気づいて慌てて手を離す。
「もう少ししたら、休憩もらえるから、そのときでいい?」
優しい彼女の提案に、彼は一も二もなく頷いた。
その後、ミュールの働きぶりを見ながら食事をする。髪をひとつにまとめたその上からレースのついた三角巾で髪の毛を押さえ、白くひらひらとしたエプロンをつけている。清潔感があって、彼女の愛らしさをよく引き立てていた。
誰に対しても笑顔で愛想よく、分け隔てのない彼女の仕事ぶりが眩しくて。懐かしさと、見つけることができた安堵感で、泣きそうになってしまった。
食事を終え、追加で頼んだ飲み物も飲み終えるころ、彼女がこっそりと店の裏へと案内してくれた。
路地に入ったところにある、空の酒瓶の入った箱が積まれたその場所で彼女と向き合う。
日も落ちたその暗さで現在の時間に気づき、こんな大事な場面だというのに、もう帰宅しているであろう母が思い浮かんで気がそぞろになる。
「久しぶりだねー、元気そうだねー」
ニコニコとそう言う彼女の優しさに、ハッとして意識を彼女に戻す。
「君も、元気そうでよかった」
するりと出た声に、彼女は大きく頷く。
「うんっ、元気だよー。それで、なにかあったの? わざわざここにきたってことは、わたしに会いにきたのよね?」
こてっと首を傾げる彼女に、また頭が真っ白になって、どう話を切り出していいかわからなくなってしまった。
彼女は苦笑すると表情を改めて彼に向き合い、彼女にしてはキリッとした表情で口を開く。
「あのね、ここは貴族のあなたが、ふらふらくるような所じゃないの。わたしたちにはわたしたちの居場所があるんだから、あなたたちはあなたたちの場所で生きなきゃ駄目よ」
やんわりとした拒絶に、シーランドの表情が硬くなる。
「それは……もう、会いに来てはいけないと?」
「だって、来る理由ないでしょ? わたしはもう貴族じゃなくなったんだし」
きっぱりと言い切る彼女に、なにも言えなくなる。
黙り込むことこそが、彼女を傷つけていることにも気づかない。貴族でなければ、会う価値がないと伝えてしまったことに。
「それにね、わたし聞いちゃったんだ――シーランド先輩が、レイミにやったこと……」
「え?」
言及される心当たりがなくて、間の抜けた声が出てしまう。
うつむいた彼女が続ける言葉を聞いた。
「シーランド先輩の乗った馬で、レイミの足を……。なのに、お医者様の代金も出し渋ったうえに、家格を笠にきて一方的に婚約したって。わたし、てっきりレイミのほうが、事故をたてにして無理矢理婚約させたんだと思ってたけど、違ったんだね。シーランド先輩が、貴族としての外聞が悪いから、無理矢理したんだね? ううん、それだけじゃなくて、彼女のことを田舎に押し込めて、こっちでは他の女の人を囲って奥さんにするつもりだったんでしょ?」
「えっ? いや、あの」
「酷いよ、それって。――でもそれが、フツーなんだって聞いた」
顔を上げた彼女の悲しそうな顔に、彼女がその普通のことを納得していないのがわかり、なんと言っていいか迷った。
「でもそれがフツーだなんて、わたしは思えないから。貴族じゃなくなって、本当によかったと思ってるの」
ふわりと微笑んだ彼女にあっけにとられているわずかな間に、店のなかから彼女を呼ぶ声が掛かり、彼女は離れていく。
そして最後に振り返ると、心持ち大きな声で別れを告げた。
「じゃぁね、シーランド先輩。もう二度と、わたしの前にあらわれないでねっ」
本当に呆然と、店の裏木戸が閉まるのを見つめ、放心したまましばらくそこを動けなかった。
立ち尽くすシーランドを、物陰から見守る母の唇がにんまりと弧を描く。
「本当に、品のない話し方だこと。でも、まぁ、これで大丈夫でしょう。あの子は素直な子ですから、二度とあの娘には近づかないでしょうね」
コロコロと容易く転がせるように息子を育てたのは、間違いなくこの女性だった。
「では、娘には約束のお金を、渡しておきます」
家令がずっしりとお金の入った革袋を取り出すと、彼女はひとつ頷いてから待たせてある馬車へと向かう。
「あとは、物わかりのいい、従順な嫁を見繕うだけね」
そうしておいて、家督を継いだ従順な息子と共に手のひらの上で転がすのだ。
自分がサーシェル家の支配者となるために育ててきた息子のできに、目を細める。
察しがよくてはいけない、自分で考えないように先回りして答えを用意して、難しい問題からは逃げて母を頼るようにと育ててきた。
そして見事にその通りに成った。
二十も年上の夫が息子に家督を譲る日も遠くないだろう。
夢見るように口ずさむ子守歌が、風に乗って流れていった。





