64.5:ミュール・ハーティ
ミュール・ハーティはこぼれそうになる溜め息を堪えて、ニコニコと人好きのする笑顔で向かいに座る青年の話に相づちを入れる。
ふたつ年上の彼は魔法学校の先輩で、主要キャラでもなんでもないけれど、ミュールを全肯定してくれる優しい人だ。
「どうしたんだい、ミュールさん。ああそうだ、折角だから、軽食も食べていかないかい? 時間が許せば、だけど」
「ありがとうっ、時間は全然平気っ、とっても嬉しいわ!」
少し大きめの声で、全身で嬉しいを表現すると、彼は表情を緩めて店員を呼んでオーダーしてくれる。
貴族御用達のこの店は軽食といえど本格的で、ミュールの万年寂しいお財布の中身では、とてもじゃないが、入れない店だ。
こんな風に、ミュールをご飯に誘ってくれる先輩はなん人もいる。
最初にミュールの家の財政状況と、ミュールが養子であることをそれとなく伝えれば、彼らは途端に親切になり、ミュールに財布を出させるようなまねなどしない紳士だ。
クラスメイトもほとんどがミュールのお友達になった。
ただ、主要キャラの面々とは、なかなか親密になれていない。
かろうじてシーランド・サーシェルだけは、無条件にミュールの味方になってくれているけれど、それだけだ。
後期になれば、彼の活躍するイベントもチラホラあるが、前期ではレイミとの婚約破棄くらいしか目立った活躍はない彼に、物足りなさを感じている。
それに前期のメインイベントである、レイミ・コングレードの階段落ちも不発だった。
ミュールがレイミを突き落とすところを見ていた生徒はおらず、なによりレイミ自身が罪を被って退場してくれたお陰で、なんのお咎めもなかったけれど。
だけど内容は最低だった、思い出すだけでイライラする。
ミュールの愛らしい顔は腫れあがり、数日は外に出ることができなかった。たくさんの友人や先輩がお見舞いにきてくれたけれど、ひどい顔を見せたくなくて、義母に見舞いの品だけ受け取ってもらい玄関先で帰ってもらった。
その後、義母にどうしてもと言われて、お礼の手紙を書くのに追われてうんざりした。
好意でくれたのだから、受け取るだけで喜んでくれるものではないのか。スマホがあれば一斉送信でお礼を送ったのにと、この世界の文明を呪ったりもした。
気分転換がしたいと言ったミュールに、食事をおごってくれた先輩と笑顔でわかれ、日傘を回しながら自宅までの道を歩く。
「モブさんたちとは仲良くなれるのになぁ。でも、まぁ、レイミも予定通りいなくなったし、本番は後期からよねっ!」
とはいえ、アーリエラの願いを聞いて、第二王子絡みのイベントはほとんどペナルティがついて不幸値がかなりあがっている。
これが今後、どう影響してくるのかがわからない。
不安を振り払うように、くるりと日傘を一回転させる。
「本当は、みんなと仲良くなりたかったんだけどなぁ……。やっぱり悪役は悪役なんだもん」
レイミ・コングレードとも仲良くなって、円満にバウディをこっちに引き入れて、などと計画していたのに。
悪役である彼女は、取り付く島もなかった。
「アーリエラさんも……もしかすると、レイミみたいになっちゃうのかな……。折角お友達になれたのに」
しょんぼりとうつむいて足が止まった彼女を、周囲の歩行者が邪魔そうに避けていく。
同じ転生者だって知って嬉しかった。ゲームの知識はミュールのほうが断然うえだったが、それでもこの世界を知っているというのが嬉しくて、一度は公爵家にお泊まりまでして夜通しおしゃべりした。それ以降、彼女の家に呼ばれることはなかったが、いまでも折に触れ泊まりたいと伝えている。
「そうだ! アーリエラさんのお家に遊びにいこう! 夏休みに入ってから、全然会えてないもん。後期のことも相談しなきゃねっ」
いい思いつきに彼女の気分が軽くなり、その足で公爵邸へと向かった。
以前泊まりにきたときにも会ったお髭の執事が、ニコリともせずにミュールを迎えた。
「ミュール・ハーティ様ですね。本日、お嬢様とのお約束はなかったと存じておりますが」
「お友達に会うのに、わざわざ約束なんてしないでしょ? ねぇ、アーリエラさんはいるのよね?」
道理に適わぬことを言い、頑として譲らないというのを、前回の彼女の訪問で嫌というほど知っていた執事は、あからさまな溜め息のあと、ミュールにこの場ですこし待つように伝えて、アーリエラにどうするか聞きに戻った。
顔を引きつらせたアーリエラだったが、気を取り直すと、執事に彼女を部屋に通すように伝える。
「大丈夫でございますか?」
公爵家の一大事が迫っているなかで訪問してくるような神経の人間を、本当に屋敷に入れていいのかと念を押す執事に、アーリエラは青い顔のまま頷いた。
「承知いたしました。こちらへご案内してまいります」
「お願いね」
部屋に控えていた侍女にお茶の用意を頼み、終われば部屋を辞するように伝える。
「アーリエラさんっ、お久しぶりぃ~!」
変わらぬテンションで部屋に入ってきたミュールに、アーリエラは微笑んで挨拶を返す。
「お久しぶりです。あなたは、お元気そうね」
「アーリエラさんは……もしかして、病気? 顔色悪いよ」
明け透けとした言葉に苦笑しながら、お茶の用意が整ったソファに彼女を案内した。
「あれ? 今日はあの、三段重ねのケーキタワーないんだね」
「ケーキタワー……もしかして、ケーキスタンドですか?」
「そうそれ! お嬢様のティータイムって感じで、いいよねぇ」
うっとりした表情でそれとなく催促する彼女の厚顔さに呆れ、黙殺する。突然の訪問を受け入れただけでも十分優しい対応なのだ。
「それで、今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
「用事がなきゃ、遊びにきちゃ駄目なの? お友達なのに?」
驚いた顔をするミュールに、アーリエラは呆れる。
「貴族間では、訪問の前にはお伺いを立てるものですよ。ミュール様も貴族なのですから、もうそろそろ自覚なさいませ」
「えー……。だって、アーリエラさんとわたしの仲だよ?」
口をとがらせる彼女に緩く首を横に振ったアーリエラは、お茶を一口飲んで気持ちを切り替える。
キリッと顔をあげ、お茶をフーフー冷ましているミュールを睨むように見る。
「そのご様子ですと、我が家の窮状をご存じないようですね」
レイミの家への物資の供給の停止をきっかけに、父公爵がおこなっていた高利貸しが明るみになり、つい先日、内々に爵位が落ちることが決定したこと。
それに伴い、不正な所得に追徴課税され、莫大な金を払うことが決まったことを、淡々とミュールに伝えた。
「ええぇっ!? それって、アーリエラさんの没落ストーリーじゃん! なにやってんの?」
呆れ顔をしたミュールに、アーリエラの顔が赤く染まる。
「あっ、あっ、あなたがっ! あなたが、わたくしにあんな魔法使わせるからっ! だから、こんなことになったんでしょうっ! あなたがっ! あなたがぁぁぁっ」
ソファに突っ伏して泣きだしたアーリエラに、ミュールもばつが悪そうにする。
確かに無理を押して精神魔法を勧めたのはミュールだ。しかし、それを使うも使わないも、アーリエラ本人の意思が大きいのだが、身も世もなく泣かれてしまえば、罪悪感がわいてくる。
「ちょっと、ごめん、ごめんってばぁ! そんなに泣かないでよぉ」
あまりにも泣き止まないアーリエラに、ミュールも困り果てた。
「ねぇ、アーリエラ。わたしにできることがあるなら言ってよ、なんでもするよ?」
アーリエラの隣に座り、華奢なその背を撫でながら言ったミュールに、ゆっくりとアーリエラが泣き止む。
「そ、それなら、あの女を不幸にするのを、手伝って……っ」
切実な表情のアーリエラに縋られることで、ミュールは彼女に頼られていることに気づき、言い知れぬ高揚感に包まれる。
「いいよ! いくらでも手伝ってあげる、だって親友の頼みだもの! わたしも、レイミのことはムカついてたんだ。だって、バウディ様をキープしてそのまま逃げ切るつもりでしょ? 絶対許せないもんね」
ミュールの言葉に、アーリエラが弱々しいながらも微笑みを浮かべる。
「ほら、だから元気だしてよぅ~。アーリエラが泣いてると、調子狂っちゃうよー」
おどけたように言うミュールに、たとえ呼び捨てにされるのが気に入らなくても、親友呼ばわりに鳥肌が立っても、アーリエラは嬉しそうに微笑んだ。淑女の鑑として。
ミュールは屋敷に入るときには持っていなかった愛らしい小ぶりのバッグを手に、意気揚々と公爵邸をあとにする。
バッグの中には、アーリエラから託された、宝石がいっぱいに入っていた。
自宅で謹慎のようになっているアーリエラの代わりに、ミュールが行動するのだ。
この宝石を換金して、それを元手に動く。
「大丈夫、アーリエラが、バウディ様の国の人をちゃんと呼んでくれてるんだもん! あとは、バウディ様と引き合わせるだけ!」
気軽に考えていた、それが問題だった。
隣国の大使がくるまで日にちがあったので、わくわくドキドキしながら宝石を換金したり、そのお金でちょっと買い物をしたりしている内に、レイミ共々バウディが王都から消えていたのだ。
慌てて聞き回ったものの、どこにいったのかは知れず。
「っていうか! レイミってば、友達いないじゃん! 聞く宛がないじゃんっ!」
ミュールの隣の席であるマーガレットが親しいようだったが、彼女は休みに入ると同時に実家のある辺境へと旅立っていた。
仕方なく、宝石を換金したお金を使い、レイミの家に御用聞きに入る商人や辻馬車を買収して、なんとか旅に出たことを掴んだ。
「なんでこんな時に旅行よっ! 頭悪いんじゃないのっ、じっとしてなさいよぉぉっ」
どうしてこの時期に旅行に出たのか理解できない彼女は、憤慨しながらも旅の目的地を知るために、更に宝石を換金するのだった。
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更新頑張りマッスルー!(ノ´∀`)ノ





