02:夢じゃなかった
「はい、夢じゃありませんでしたぁっ! ちくしょうっ!」
更にいうならば、私以外の私の記憶まである! ――だからこそ、なにがどういうことなのかわからない。
「ああもうっ! どういうことなのよ、本当にっ」
さっきまで見ていた胸くそ悪い夢に引きずられて勝手にこぼれていた涙を拭い、フリルとレースを多用した少女趣味のベッドに起き上がって、髪をかきむしる。
自分が『麗美華』ではなく『レイミ・コングレード』という名前だということも、まだ十五歳だってことも、その他色々も知ってる。
ここは私の部屋。
父親は伯爵であるものの宮中伯の中でもかなーり立場的に下、予想だけど次長とか課長クラスの中間管理職な感じじゃないかなー。詳しい情報、頭の中にないんだけど。
王都の貴族街の端のほうにあるこの屋敷だってコンパクトだし、ベッドも天蓋付きお姫様ベッドじゃなくてフツーにシンプル、かろうじてファブリックはレースを多用してて乙女チック。
屋敷で雇っている人は、メイドが一人と料理人と従者、の三人。
それが多いのか少ないのかはわからないけど……貴族ってことを鑑みると、多くはないわよね。
ああそうだ、寝る前の胸くその悪さの理由は、この右足がなくなる原因となった侯爵家の脳筋息子が、よりにもよって『詫び』だとぬかしてレイミに求婚してきたからだった。
こっちが(かなり)格下だと思って言いたいこと言いやがって! 自分の足を奪った人間と、誰が結婚したいと思うかよ!?
マジで空気読めよ、馬鹿ボンボン。気の弱いレイミなら、絶望感だけで死ぬわ! ばーか! ばーか!! 絶対にてめぇとは結婚しねぇ!!
枕を拳で殴りつけ、憂さ晴らしする。
「お嬢、起きてますかー」
部屋の外から低いけど明るい声が掛かり、途端に胸がときめいた。
ときめく……?
この胸に湧く甘酸っぱさは、もしかして!
ベッドの上に座り、L字にした指を顎に当ててにんまりと笑う。
一体どんな人なのかしら、レイミの初恋の男って。
記憶はあるけど、イマイチ細部までは出てこないのよね。
まぁ、記憶なんてそんなもんよねぇ、ってことで早く見てみたいけれど、さすがにネグリジェ一枚じゃ不味いわね。
周囲を見回して、レースで編まれたショールがあったのでそれを羽織り、無残に変形した枕を整える。
「起きているわ」
前を合わせて、ベッドから足を下ろして……片足しかないことに、そこはかとない絶望を覚えた。
いや、この絶望感はレイミのものだね。
まぁ、わからなくはないけれどさ。一年間引きこもったんだから、もうそろそろいいでしょう。
すべてを投げ捨てたくなる煩わしい胸の痛みを、ひとつ深呼吸して散らす。
「おっ! えらいぞ、お嬢。自分で起き上がれたんだな」
ドアを開けた青年は一瞬だけ見せたホッとした表情を笑顔に変えて、洗面道具を持って入ってくる。
レイミの初恋の人は、濃い青色の髪をうしろに流し澄んだ緑色の瞳をしたアイドルも顔負けのイケメンだった。
この家に雇われている人で、名前はバウディ。レイミより十歳年上の二十五歳。
……私よりも年下じゃない、年下って守備外なのよねぇ。
だけどレイミあなたなかなかいい趣味だわ、私もこのイケメンはアリだと思うもの。イケメンのうえに筋肉質ってところも高評価よ、細マッチョではなくちゃんとした筋肉は貴重だわ。
それに彼の服装も高評価。スラックスに筋肉の付きがわかるしなやかなシャツとベスト、きちんとタイもしてるのに、ラフに折り上げられた袖が粗野な感じを演出して素敵。
「今日もいい天気だぞ」
彼はベッド脇の窓際においてある机に、持ってきた桶と水差しを置き、窓を開ける。朝の身支度の手順はわかっている、顔を洗い、口をすすぐだけ。
ただ、レイミは立てないから、座っている膝に布を掛けて水を入れた桶を彼が持ってくれて、そこで洗うことになる。
「はいよ、どうぞ、お嬢」
「ありがとう」
手早く顔を洗い、口をすすぐ。
「今日は、えらく手際がいいな」
水と顔を拭いた布を片づけながら、彼が感心したように言った。そういえば、いつものレイミは一つ一つの行動がとろいものね。
痛いのはしょうがないんだろうけどさぁ、体が重いのは寝過ぎで鈍ってるだけなんだから、頑張ろうよ。
「持ってもらってるんだから、早くしたほうがいいでしょう。ボラを呼んできて、着替えたいから」
「おっ! 今日は着替える元気があるのか、いいことだ。いま呼んでくるから、ちょっと待っててくれ」
嬉しそうに請け負ってくれたバウディは、すぐに我が家に唯一のメイドを呼んできて、彼女に私を任せて桶と水を下げにいく。
「おはようございます、レイミお嬢様。今日はお加減がよろしいんですね」
ふくよかな体型に穏やかな物腰だから、こっちもほんわかしてしまうわね。優しそうなところも悪くないわ。
「おはよう、ボラ。ええ、体調はいいわ」
笑顔で含みのある答えをした私に、彼女は眉の端を下げる。
彼女も、私が昨日あの馬鹿に求婚されたことを知っているのだろう。そりゃそうよね、狭い家だもの。
それでも、私を気遣ってか、すぐに表情を明るくしてくれた。
「どのお洋服になさいますか?」
「動きやすい服がいいわ、その濃い緑のはどうかしら」
クローゼットを開けてくれた彼女に提案すると、ちょっと躊躇ってからそのスカートを出してくれた。
「こちらは、裾が短めですが、……よろしいですか?」
ああそういえば、膝下だったわね。気を遣わせるのも面倒だから、丈の長いスカートを選び直すとホッとされた。
そうよね、気まずいわよね、わかるー。
ほら私、気遣いのできるイイ女ですから! わざわざそういうのは着ませんことよ、おーっほっほ!
「さ、できましたよ」
長い黒髪も丁寧に梳かしてくれたけれど、梳かしただけなので前髪が邪魔なのよねぇ。前髪が長すぎるのよ。
「ねえボラ、前髪を上げてもらえるかしら?」
「まぁまぁ! それでは、可愛らしくしましょうね」
彼女はそう言うが早いか、エプロンのポケットから櫛を取り出すと、前髪を流して横の髪と一緒に編み込んでくれた。
ああ、レイミが髪を上げたがらなかったのね、沈鬱な気分を演出するには、前髪をダークな感じにおろしておいたほうがいいもの。
私は髪の毛が顔に掛かるのがいやだから、まとめちゃうけどね。
「ありがとう、スッキリしたわ」
「どういたしまして。さ、バウディを呼んでまいりますね」
嬉しそうに部屋を出た彼女と入れ替わりに、車椅子を押したバウディが入ってきた。
「おお、可愛いじゃねぇか。やっぱ、顔出したほうがいいな」
「そう? ありがと」
迂闊に笑顔で褒めるイケメンって、罪深いわぁ。
これじゃ、レイミも惚れるわよね。
ベッドの横に車椅子を置いたバウディは、その流れでするっと私を持ち上げた。おっ? スマートなお姫様抱っこなんて、筋肉は伊達じゃないわね。
重さを感じさせない手つきも素晴らしいわ。
そのまま、そっと車椅子に乗せられたけど、座り心地は悪くない。
レイミの記憶によると、これって自分でも動かせるらしいんだけど、レイミが動かした記憶がない……というか、筋力が足りないから無理なのよね、きっと。
だから、いつも通り彼に押してもらうことになる。
「では、出発しまーす、落ちないようにお気を付けくださーい」
「はーい」
車掌さん的なノリで言われたけれど、本当に朝から元気よねぇ。
前からだけどさ。
ずっと、変わらないのよね。私が足を失ってからも、失う前も、ずっと変わらないの。
あー惚れるわぁ、惚れないわけがないわぁ。
身分差とか関係ないわぁ、惚れちゃったレイミが正義だわぁ。
「ホント罪深いわ」
「なにがだ?」
思わず出たため息交じりの言葉に、車椅子を止めた彼が私を覗き込んでくる。
至近距離ーっ、駄目でしょ、この距離感は!
「バウディ、近すぎです。ちゃんと出発してくださーい」
彼の額を手のひらで押し返し、前へ向けて指さした。
「はいはい」
笑いながら押してくれる。
レイミの記憶で、ここまで明るい彼が久し振りなのがわかる。きっと、私……レイミが元気だからよね。
中の人が変わってるんだけど、うーむ、元の記憶もあるから、『あたしたち、入れ替わってるー!』とも違うのよね。
「どうしたんだ、お嬢?」
眉を寄せて悩んでいた私に気付いた彼が、軽い調子で聞いてくる。軽い調子だけど、心配してくれてるって、伝わってくるのよねぇ。
ねぇ、本気で心配されてるわよ、レイミ。よかったじゃない、脈はゼロじゃないわ。
「お腹がすいたな、って考えてただけよ」
「そりゃいいな、腹減るってことは、いいことだ」
車椅子を押しながら、楽しそうに頷いてるのが気配でわかる。
お腹がすくってことは、生きたいって思ってるってことだもんね。
「この時間だと、旦那様も奥様もいらっしゃるから、二人共喜ぶな」
そうね、レイミはいつも起きるのが遅かったし、行動もとろいから準備に……着替えもしないでガウンを羽織るだけなのに、遅かったのよね。
ヘタをすれば、部屋でご飯食べてたもんねぇ。
どんなお姫様よ! って貴族のお嬢様か、一応は。