第9話 美味しいものはできれば最後に残したい
清らかな陽の光、穏やかに泳ぐ飛行船の心地よい揺れ。
ゆっくりと目蓋が開く、そんな優雅な起床。
しかし、そんなシチュエーションとは裏腹に、ユキトの体は起きるなり騒ぎ始めた。
「痛ぇ……」
ベルクにめちゃくちゃにされた後、ユキトが目覚めたのは医務室だった。
横にはまだ起きていないライトと、不憫そうな顔をしていたメイスがいた。
その後はメイスに恨み言をネチネチと言いながら、エキスパート隊員とはなんぞやとヒントを賜った。
エキスパート隊員とはどうやらこの特務部隊の古参メンバーのことを指すらしい。
メイス、ネル、ジェシカ、ロウ、コール、この5人らしい。
自分と同い年くらいに見えたネルとジェシカが古参とは意外だったが取り敢えずこの2人は話しやすいなとホッとした。
ある程度話した後メイスは「まぁ、頑張れよ」と言った後自分のサインをユキトとライトに置いていったところでユキトの記憶は途切れている。
その日は1日で何もかもが起こりすぎて疲れていたのだから油断して寝落ちしてしまったのだろう。
そんなことを考えながら時計を見ると既に10時過ぎ、ライトの姿は既になかった。
部屋の洗面台に向かって口を濯ぎ、顔を洗い、髪をある程度整えてひとまずの準備を終えると、朝食に向かった。
「えーっと、食堂って何処だっけ?」
見切り発車で部屋を出たものの何処に行けば分からない。
空腹でとりあえずは動いてみようという気持ちもあったが、かなりの大きさの飛行船内、闇雲に動いては迷子になりかねない。
特務部隊生活初日、早速困る。
(変な所に行っちまうかも知れないが仕方ない)
ため息を吐いてユキトは歩き出した。
「あれ、ユキトさん?」
振り向くと、多くの書類を手に抱えたネルがいた。
「はい、着きましたよ。ここが食堂です」
「悪いな、ここまで付き合わせちまって」
「いえいえ、こちらこそ資料持って貰って助かりました。広い船内で特に案内も無いのでこれからも気兼ねなく聞いてくださいね」
「なぁネル。もうネルは朝ご飯食べたか?」
「いえ、まだですけど」
「折角だから一緒に食べない?」
「そうですね……じゃあ、ご一緒させてもらいます」
ネルは和かにユキトの誘いを受けてくれた。
よく見ると目の下に薄ら隈があり、少し顔も疲れてそうだった。
「さ、入りましょうか」
中に入るとすぐに、食欲を誘う美味しそうな香りがフワリとユキトを包んだ。
沢山の料理が中央の長机に溢れんばかりに並べられていた。
時間帯の影響で誰もいないせいか、どの料理も見栄えが良く、食欲を唆るものばかりで一部隊の朝食にしてはかなり豪勢に見えた。
「セルフサービス形式なので好きなものを取ってください」
「朝食がこんなにあるなんてな」
「みんなよく食べるので。かくいう私も体は小さいですが結構食べるんですよ」
「えっ、ちょっと意外だな」
「はい、魔法を使うのはかなりエネルギーが必要なので」
ネルは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「良いじゃん、ネルみたいにスリムでも多く食べる子はギャップで可愛く見えるよ」
「そうなんですか? メイスさんには減らせって言われてるんですけどそう言われると嬉しいですね」
「よし、じゃあ取りに行こうか」
「はい、行きましょう」
(ゲーム世界、いや、異世界の食事はいかがなものか)
取り敢えず一回りしようと歩き始めたユキトだったが、見ていて直ぐに馴染みのあるものしかないことに気付いた。
ご飯、パン、麺類、何もかも見慣れたもので具体的にはラーメンや味噌汁の様なものもあった。
余りに見慣れたものばかりで拍子抜けしたが、同時に口に合わないかも知れないという不安もなくなった。
色々見て考えた末にユキトはご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、漬け物にデザートのプリンを添えた和食中心のメニューに決めた。
取り終えたユキトが席に着くと、その後すぐネルがユキトの対面に座った。
「あ、ユキトさんもプリン好きなんですね。実は私も大好きで、毎朝食べてるんですよね」
「へー、そうなんだ。ネルはどんな料理を取って……」
自分よりちょっと多く食べるのではないか、そんなユキトの想像を遥かにネルの盆は超えてきた。
牛丼店の特盛並みの腕に盛られたご飯に、8人前レベルのサラダ、その他積まれた揚げ物や焼き魚など、一眼じゃまるで分からない程の量が積まれていた。
「びっくりしましたか?」
「あ、ああ。正直予想の6倍はある」
「ふふ、魔法って燃費が凄く悪いんですよ、それでいて日中使うことが多いのでこれくらい食べないともたないんです。そう、こんな風に」
ネルは急にユキトの手を握った。
突然の事にドキッとしたユキトを置いて、ライトの時と同じ様に食堂が光で包まれた。
光が収まるとユキトは体が嘘みたいに軽くなるのを感じた。
身体中の怪我が治った様だった。
「ごめんなさい、どうやらベルク隊長が無茶したみたいで。その日のうちに治そうと思ったんですが……」
「公安と話し合って深夜までってか?」
「はい。でも、上手く纏められましたよ。ユキトさんもライトさんももう公安に狙われる心配はないです」
ネルの隈の原因が分かると、ユキトは段々申し訳なくなって来ると同時、ネルの真実の優しさを見た気がして自分もその優しさに心から答えようと思った。
「ありがとな。精一杯働かせてくれ」
「ええ、頼りにしてますよ」
「それはそうと、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
ユキトは食べながらネルに自分の課題を話し、エキスパート隊員について聞いた。
「エキスパート隊員なんてオシャレな言い方ですね。ただ長くやってるだけなのに」
「正直ビックリしたよ、ネルは俺と同い年くらいに見えたから古参なんて」
「私とジェシカさんは幼少期から入ってますからね」
「幼少期⁉︎ そんな歳で部隊に入れるのか?」
「ジェシカさんは才あって入隊してその頃から実働していました。私は拾われたんです、ですから実際は長くいるだけなんですよね」
「そうなんだ。ところでメイスとジェシカは分かるんだけど、他2人のロウとコールってどんな人なんだ」
ふと、ネルの盆を見ると気付けば8割以上が消えていた。
自分の何倍も早く食べているので、ユキトはチラチラと食べる様子を見てみるのだが、やはり汚い食べ方をしている瞬間は一切見れず、丁寧そのものだった。
「ロウさんはメイスさんに次いでこの部隊に古くからいる先輩です。でも絶対に喋らなくて何を考えてるかは全然分からないんですよ」
「喋らないのか⁉︎ ネル達相手でもか?」
「はい、喋らないのか喋れないのかは未だに分からないんですけど。それでも優しくて面倒見の良い尊敬する先輩です」
「なるほどなぁ……でも喋らないとなると中々サインを貰うのは難しそうだな」
「そうですね、ロウさんはよく観察するので簡単には許可してくれないかも知れないです。でも、逆にロウさんに認められればみんなが信頼してくれると思いますよ」
「そうなのか、じゃあ頑張らないとな……で、コールはどんな人なんだ?」
「コールさんですか……」
気が付けばユキトの盆同様、ネルの盆にはプリン以外の料理が全て消えて皿だけが残っていた。
「コールさんはとっても優しくて穏やかな人です、でもサインは多分簡単にくれないと思います」
「警戒心が強いってことか?」
「そういう訳じゃないんですけど、コールさんも自分が認めた人以外はこの部隊に入らせないという人なんです。当然嫌がらせをしている訳じゃなくて、実力がある人じゃないとやっていけないからという考えあってのことだと思います」
「どうやったら認められるかな」
「コールさんと手合わせすることですね。ただ……」
「ただ?」
「その、言ってしまえばコールさんはとんでもなく強いんです。メイスさんですら足元に及ばないくらいで」
「マジでか。じゃあもう俺絶対勝てないじゃん」
「いえ、勝つ必要は無いんです。でも、何をしたら明確に合格かは分からなくて。健闘しても認められない人もいれば、一方的にやられた人が認められるってこともあるんです」
「いよいよ分からないな……手合わせって結構厳しいものになるのか?」
「最初は多分緩やかに進めてくれると思いますが、コールさんを本気にすると大怪我することもありますね」
「怖っ‼︎ ま、まぁでも仕方ないか、実戦では良くあることなんだから。ありがとう、少しは上手くやれそうだ」
「お役に立てたなら良かったです」
「期限は明後日までって言われてたな……うーん、何か良い手があれば良いんだけど」
「良い手ですか……例えば何か物をあげるとか」
ネルはニッコリと笑っていた、ただその笑みは何か企んでいる様だった。
よく見るとネルの盆にはいつの間にかプリンが無くなっていて、ユキトの盆には手の付けられていないものがキラリと乗っていた。
思い出してみるとユキトはこれが最後の1個のプリンだったこと、ネルの視線がやんわりそのプリンに向いていることに気がついた。
「もしかして……」
「ふふ、冗談ですよ。はい、私のサインです」
ネルはユキトが盆のプリンに手を掛けると同時に、ユキトの目の前にカードを1枚差し出した。
そのカードには丁寧な字と言葉遣いでユキトの入隊を認める文言が書いてあり、紛れもなく許可のサインだった。
最初はありがたく受け取ろうと思ったユキトだったが、少しの悪戯心がそれを止めた。
「本当に?」
「え?」
「本当に本当にいらない?」
「い、いや……その……」
ユキトがプリンの皿を持ってネルに近づけると、ネルはそれをジッと見てゴクリと喉を鳴らした。
「欲しい?」
「欲しい……です」
言ってしまった、とネルは顔をほんのり赤くして俯いてしまった。
真面目なネルなら、いらない、とキッパリ言い切るのかとも思ったが、予想外の可愛らしい反応にもう少し意地悪したいとユキトは思った。
しかし、そこは自重、多くの恩がある人を弄ぶような事はしてはいけないというユキトの欠片程度の良心を以て、ユキトはプリンを差し出した。
「はい、交換」
「あ、ありがとうございます‼︎」
「それはこっちのセリフ。色々教えてくれてありがとう。じゃあ俺は残り3つをもらいに行くよ」
「はい、頑張ってくださいね」
メイスとネル、これでまず2つ、今日中にもう2つを入手出来れば良いなと思いながらユキトは食堂を後にした。
出る途中チラリと見ると、ネルは丁寧に、それでいて満面の笑みと共にプリンを口に運んでいた。
几帳面でしっかりしているネルの無邪気な姿にユキトは少しの間目が離せなかった。
(なに見てんだ俺)
改めて食堂から出て残る3人を探しに行くことにした。
「えーっと、ロウとコールはなんだか難しそうだったな。となると先は……」
「ボクっスか?」
横でもなく後ろでもない、そう、上からの声だった。
最悪のタイミングで上を向く、ジェシカの足がユキトの顔面に直撃した。
「あ、ごめんなさいっス」
「おい、ネル以外のここの奴は俺を傷つけないと気が済まないのか?」
「あはは、まぁ許してくださいっス。なんたってこのサインはボクの手元にあるスからねー」
ジェシカは手に持ったカードをひらひらとさせてユキトに見せた。
ユキトはよく見なくても分かった、それは適当に汚い字で書かれていた。
「やっぱ人間性って出るんだな」
「ん、なんのことっスか」
「なんでも。で、すんなりくれるって訳じゃないみたいだけど」
「おー、流石物わかりが早いっスね〜」
声と同時にジェシカがユキトの視界から消える。
そして1秒とない間にユキトの懐に入っていた。
ユキトは先程ネルに話されたコールの話を思い出した。
試験、気を抜いていたと反省したユキトだが、もう遅い。
ジェシカは既にユキトと数センチの距離まで近づいていた。
攻撃されることを覚悟したユキト、しかし、ジェシカの腕はユキトの首にも胸元にもいかず、ユキトの腕にいった。
ジェシカがユキトの腕に抱きついた。
「へ?」
ジェシカはユキトに満面の笑みを見せて言った。
「条件はひとつ‼︎ 今日1日デートして欲しいっス」
「え? ええええええええええ‼︎⁉︎」