第5話 怒ってするゲームは大抵ストレス増やすだけ
もう1人の男が幸人達の後ろに回り込む。
退路も塞がれ、足も負けている。
逃げることが出来ないのは明白だった。
「どうするんだ、ユキト」
「なんでもかんでも俺に聞くな。俺だってどうしていいか分からねぇ、普通に逃げることは絶対に不可能だ。どうにかして隙をついて時間を作るしかない」
「隙をつくってどうやって」
「それが分かれば苦労はしねぇよ」
ユキト達が話している間にも男達はジリジリと距離を詰めていた。
「作戦会議は終わったかな?」
「聞こえてるくせに……」
男達の動きがピタリと止まる、ユキト達の動きも。
捕るか捕られるか、両者構えの姿勢を取った。
数秒の静寂の後、動き出す。
道を蹴る音と共に後方の男が飛び込んだ。
狙いは、いつの間にかいた女でも、もと捕まえようと思った奴隷でもなく、その中心にいた憎たらしい男だった。
しゃがみ込む程に体勢を低く、向かってくる相手に対してこちらからも向かっていく、ユキトは今度も勘で捌く。
合気道の要領でユキトは全身で男の足を取って転倒させる、その隙にマコとライトは後ろに活路を見出す。
「逃すか‼︎」
驚愕の速さでもう1人の男が突進し、逃げようとしたユキトの足を掴み、ユキトが転倒しかける。
それに気づくライトとマコが振り向いた直後。
「行け‼︎」
ユキトが叫ぶと同時、残す言葉一つなく2人は走って行った。
「あいつらを追え‼︎」
転倒した男は立ち上がると同時に2人を追いかける為に走り出した。
ユキトの足を掴んだ男はそのままユキトの足をとんでもない力で持ち上げ、ユキトを逆さ吊りの状態にした。
「随分と嘗めたことしてくれたな」
「おいおい、とてもお巡りさんが吐くセリフじゃねぇぞ」
減らず口を叩くユキトに男の怒りがピークに達した。
男は剣を振り下ろすかの様なフォームでユキトを地面に叩きつける。
前腕で受けたユキトだったが、その衝撃はユキトの想像を遥かに超え、響く様な鈍い激痛が身体全体に走った。
(滅茶苦茶痛いじゃねぇか‼︎ 本当にゲームかよ‼︎)
あまりの痛みと衝撃にユキトの思考が少し逸れた。
(今思えばこのゲーム、ゲームにしては異常に臨場感がある。ライトやマコの存在感が圧倒的に他のVRゲームとは違う。というより、触覚がある、痛みがあるんだ。おかしい、明らかにこのゲームはおかしい。でも今は……そんなことを考えいる場合じゃない‼︎)
男がもう一度ユキトを叩きつけ様と持ち上げる最中、ユキトは自分の掌に握り込んだ道の砂埃を男の顔目掛けて放った。
男は堪らず目を瞑ったが、その手だけは離さない様にと更に力が込める、ユキトの思惑通りに。
無意識に力の緩んだ脚を両腕でガッチリと掴み、男のバランスを崩す。
目を塞がれた分、男は最善の対応が取れず、その後頭部は地面に勢いよく叩きつけられた。
屈強な男とはいえ、流石に後頭部への一撃は効いたようでユキトの足を掴む手が緩んだ。
動かなくなった男からユキトは足を振り払い、立ち上がった。
「今日はツイてるみたいだな……」
自分の思惑通りに事を運べたことでユキトは窮地を脱した。
男が暫く動きそうにないことを確認すると、ユキトはライトとマコの足取りを追う為に走り出した。
「あいつら、ちゃんと隠れてればいいんだが……」
歩き出すとユキトの両腕が急に悲鳴を上げた。
集中していて感じなかった痛みが今になって騒ぎ始めた。
「本当に痛いな……これ、もしかしてゲームじゃ……」
「ええ、その通りですユキト様」
「えっ⁉︎」
マコの声が何処からか聞こえてきたが、その姿を探してもどこにも見つからない。
「そこに私はいません、これはテレパシーによるものです」
「テレパシー? そんなものもできるのか」
「あなたと私だけのテレパシーですのでライトさんは参加できませんが今は私と一緒にいて無事です」
「なら良い。いや、それはそうとしてゲームじゃないって……」
「言葉通りです。これはあなたの思っているゲームではないのです。ユキト様も薄々気付いていたのでは?」
「まぁ、確かに。けど、だったらここは何処だって言うんだ?」
「世界ですよ、見た通り。いえ、ユキト様からしたら別世界というべきでしょうか」
「マジか……」
「あら、意外に反応が薄いんですね」
「反応する余裕もねぇんだよ」
驚きのあまりユキトは開いた口が塞がらなかった。
余りにも非現実過ぎる話、しかし、信じざるを得ない現実があるのだ。
「そ、そういえばこのゲームメニューとかステータスとかって……」
「あるわけないじゃないですかゲーム脳」
「マジかよ‼︎ じゃ、じゃあどうやって俺の世界に戻るんだ」
「それは簡単です。この世界に存在するボイドストーンという石があれば、自由にこの世界と元の世界を行き来できるようになります」
「えっ‼︎ 逆にそれを見つけるまでは俺は帰れないってことか⁉︎」
雪音のことを思い、ユキトの顔は真っ青になった。
「ユキト様だけは特別です。私に言ってくだされば、ユキト様はいつでも元の世界に帰すことができます」
それを聞いてユキトはホッと胸を撫で下ろした。
「特別、そういえばあの男もそう言ってたな」
「どうしますか、今すぐにでも帰りますか?」
ユキトは一瞬迷った。
意図があってのことかは知らないが、マコはこの世界の真の恐ろしさを説明してくれていない。
それは肉体が存在しているということ。
今みたいに単純に打撲をすることもあれば骨折することもあるだろうし、最悪死ぬことだって考えられる。
現実世界では異常な心配であっても、この世界では全くもって正常な心構えであることは今までの流れから自明だった。
仮に俺がここで死ぬとなったら?
考えただけで吐き気がするような死という言葉、それが身近にある現実を、真っ赤に腫れた両腕は毎秒に伝えてくる。
鼓動が自然と早くなり、息は荒く、膝は小刻みに震え始めた。
恐怖はこれ程身体に浸食するものか、ユキトは身体の芯から冷たくなるのを感じていた。
「じゃあ……」
「はい」
「2人が、安全を確保できた後でそうしてもらうよ。妹が待ってるからさ」
それでもユキトはここで帰るといえなかった。
ここまでやりながら途中で投げ出す様な格好の悪いことを出来るとはとても信じられなかったのだ。
どうしようもない意地、下らない矜恃だった。
だが、それでいい馬鹿に成れれば本望なのだ、自分にそう言い聞かせると、今度は笑みが溢れた。
「今から合流しに行く、今お前ら何処に……」
「ユキト様‼︎」
マコの声が荒れた。
それを聴いた時、既にユキトの体は宙を浮いていた。
蹴られた、右腕に重りが入った様な感覚だった。
打たれてすぐは痛くない、だが、潮が満ちていく様に着実にダメージはのしかかっていく。
飛ばされて壁に激突すると、とんでもない激痛にユキトは身を縮こませた。
「てめぇ……殺してやる……」
鼓動に呼応する様に痛む右半身を庇いながら、ユキトは目の前を見る。
男は充血させた目でユキトを睨んでいる。
右腕は使えそうにない、男との間合いは10メートルくらいか。
手酷く負傷した体とは裏腹に、ユキトの頭は冷静に働いていた。
そして何より、ユキトの体から恐怖は既に吹き飛んでいた。
ユキトは今、天才の勝負師としてここにいた。
「死ねよ」
男は倒れたユキトに向かって最後の一撃を打ち込む。
右ストレート、目にも止まらぬ速さで放たれる重い一撃。
轟音が辺り一帯を反響した。
「ヤケってのはさぁ、まず成功しないんだよな……」
男の拳はユキトの顔面目掛けて放たれていた。
それが良くなかった。
ただ顔を傾け逸らす、それだけの行為が紙一重の生をつかみ取った。
男の拳の速さを超えて、ユキトの直感が勝った。
「なっ……」
動揺する男の体は、腕が壁にめり込んだせいで簡単には下がれなくなっていた。
怒りに身を任せた拳の威力は自分をも殺す要因となった。
変わってユキトが繰り出していく。
全力を込めた左のアッパー。
如何に体格差が有るとはいえ、ユキトも非力では無い、加えて最初の後頭部へのダメージ、不意を突いた顎への渾身の一撃は男を気絶させるには十分だった。
今度こそ男はガクリと頭を落とすと立ち膝の壁に腕をめり込ませた状態で動かなくなった。
それを確認すると、ユキトは男から離れ、立ち止まるとすぐ倒れ込んだ。
「疲れた……」
ギリギリを勝ち抜いた、その実感がユキトに広がっていくかの様に身体の力は抜けていった。
しかし、すぐに手をギュッと握り込んで、立ち上がる。
「2人の所へ行かなきゃな……マコ、聞こえるか?」
テレパシーを使ってみようととにかく話し始めてみたが、返答はこない。
こちらからは使えないのか、勝手が分からない分ユキトは色々想像してみる他ない。
「まさか……」
ユキトは走り出した。
もし2人が捕らえられていたら。
腕の痛みも疲労も感じる暇はない、今すぐに、今すぐにでも、どうしようもないくらいの焦燥感がユキトを突き動かした。
「よぉ、冒険者。そんなに顔して何処いくつもりだ」
その男は、いつの間にかユキトの背後で腕を組んで佇んでいた。
黒光りしそうな軍服に身を包み、無精髭を生やした顔に鋭い目つきでユキトを貫いていた。
「まさか、彼女とのデートの時間でも間違えちまったか。大変そうだな」
男は剣を取り出すとユキトの背中に突きつけた。
「俺が送ってやろうか? おんなじ場所へ」
「勘弁してくれよ。今日はもう遊び疲れたんだ」
「もうひと勝負いいだろう。若いんだからよ」
鼠一匹通らぬ町の一角、立ち込める静寂の空気は闘争を前にして震えていた。