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〜神武東征伝説殺人事件〜

       大和太郎事件帳:第4話 《 熊野三山 》−後編−

        〜契約の旅路:神武東征伝説殺人事件〜


       

 熊野三山24

毎朝新聞 社会部 ;12月 18日(月) 午前11時ころ


毎朝新聞本社 社会部デスクの向山部長が事件記者たちを相手に怒鳴っている。

「朝読(新聞)が2週間前に連載を始めた『神武東征伝説連続殺人事件』の特集記事のおかげで、駅店頭売り新聞No.1の地位を朝読に奪われた。新聞広告の依頼キャンセルが頻発していると広告部が社長に報告している。広告部の話では、毎朝(新聞)から朝読(新聞)に広告変更しているらしい。今しがた、社会部担当専務から『天下の毎朝が駅店頭売り2位に甘んじる訳にはいかない。』と大目玉を食らってきた。事件記者の諸君のこれからの活躍をおおいに期待する。おい、姫子。お前も、新人入社して6ヶ月以上経つのだから、何時までも無駄飯食ってないで、特種とくだねを拾って来いよな。判ったかーー!」と、半分居眠りしながら聞いていた鮫島姫子に向山部長が怒鳴った。

「はいーーい。目が醒めました。」と姫子が飛び起きた。

「特種とる自信は有るのか?姫子。」と向山が言った。

「有りません、はいーい。」

「馬鹿ャロー。嘘でも、『有ります』と言うんだ。姫子、判ったか!他の者もしっかり特種を狙ってくれ。頼んだぞ。何か善い策はないかな、栗原さん。」と中年のベテラン記者に向山部長が訊いた。

「実は、出前で警視庁に出入りしているそば屋から聞いた丸秘の話ですが。」と栗原記者が切り出した。

「どうも、私立探偵が今回の捜査に参加している模様です。そのそば屋の話しでは、偶々、出前の蕎麦を渡す事務の女性が席をはずしていて、応接にいる刑事のところまで、蕎麦を持ち込んだらしいのです。その時、刑事が一緒にいた相手に対し、ヤマト探偵とか声を掛けていたらしいのです。この探偵をマークするのも一つの手かとも思いますが。」と栗原が言った。

「ヤマト探偵?誰だ、そいつは。知っている者はいるか?」と部長が訊いた。

「多分、池袋の寿司屋の看板に出ている私立探偵の大和太郎のことではないでしょうか。池袋西口警察署の大木刑事から大和太郎のことを聞いた事があります。なんでも、優秀な探偵らしいです。事件の解決に何回か警察に協力しているようです。」と鉄屋記者が言った。

「おい、姫子。お前が、その大和をマークしろ。尾行をかれるな。その探偵の動向を報告しろ。お前も希望して事件記者になったんだから、ちょっとは手柄を立てろよな。」と向山部長が鮫島姫子に言った。

「はいーい。承知しました。でも、何故に私が、諸先輩を差し置いて、探偵の監視役の重責を任されるのですか?」と姫子が聞いた。

「今は12月だ。考えても見ろ、この寒空で張り込みをしたい奴なんか居るか。ベテランに頼んでも、理由を付けて断るに決まっている。そうだろ、岩田。」と中堅の事件記者である岩田敬三に、向山部長が言った。


姫子には、そっと頷く岩田記者の姿が目に入った。


「何も知らない新人の姫子だから頼めるのだ。まあ、しっかり頼む。」と向山が言った。

「むむむっ・・・・・。なんてオヤジだ、このヤロー。」と姫子は心の中で思った。

「ところで、今回の連続殺人事件では、『西のカミソリ』と謂われている棚橋刑事と『東のオトボケ・落しの名人』と呼ばれている鈴木刑事の名刑事二人が捜査に加わっている。日本警察機構の十本の指に入る二人が参加している事件だ。読者の興味を引くような記事を書いてくれよ。頼んだぞ。」と記者に向かって向山部長が言った。

「よーし。みんな、朝読(新聞)なんか『いてコマシたれ!(遣っ付けてしまえ)』」と向山部長が大阪弁で気勢をあげた。



熊野三山25

東松山駅前の大和探偵事務所周辺 ;12月 19日(火) 午後4時ころ


鮫島姫子が東武東上線東松山駅西側の階段出口で、寒さに震えながら大和探偵事務所を見張っている。

姫子の肩を後ろから、トントンと叩く女性が居た。


「姫子じゃないの!」

「あら、直子。こんな処で何をしているの?」

「それは、こっちの台詞だわ。京都のK大学を卒業して以来だから、九ヶ月ぶりね。何を見ているの、こんな処で。」と高橋直子が言った。


高橋直子と鮫島姫子は、京都にあるK大学のサークル活動での知り合いであった。今年の3月にK大学を卒業した同期生である。直子は工学部建築学科であり、姫子は文学部英文科であったが、『推理小説研究会』と云う同好会に属してサークル活動を行なっていた間柄である。年1回の地方合宿での研究発表や月1回の読書感想会などを開くだけの簡単なサークル活動を行なっていた。毎年、同好会誌『ザ・推理』を発行していたが、この同好会誌には会員の創作した短編推理小説や、市販の推理小説の批評を掲載していた。姫子と直子は同好会誌発行の資金稼ぎのため、大学近隣の商店街や企業に広告掲載依頼の活動を一緒にした間柄であった。鮫島姫子は独創的な創作作品を投稿するのが得意であった。さすが、文学部である。工学部の直子は冷静な分析による作品批評でサークル仲間に定評があった。鮫島姫子はESSと呼ばれる英会話サークルにも属していたので英会話は得意であった。外国人に対する京都観光案内アルバイトを大学の休日に行なってもいた。その経緯で、海外にも多くの知人が出来ていた。今でも、郵便やE-メールでの文通付き合いを続けている。


「あそこの探偵を見張ってるのよ。私、毎朝新聞東京本社に就職して、いま事件記者をやってるの。」と大和探偵事務所を指さしながら、姫子が言った。

「毎朝新聞に就職したとは聞いていたけれど、事件記者とは知らなかったわ。何を考えているの。文化部にでも居るのかと思っていたわ。」

「直子はどうしているの?」

「東京新宿にある新日本建築設計事務所に就職したわ。今日は、この近くにある大型スーパーのビル改築設計の打ち合わせで、先輩と一緒に来たの。先輩は先に事務所に帰ったわ。私は、会社に戻っても定時を過ぎるので、自宅への直帰にしたわ。その帰りに、チョット知り合いのところへ寄るところなの。電話したら、居ると言うから来てみたの。」

「知り合いって、この近くに住んでいるの?」

「あそこ。」と言って、高橋直子は大和探偵事務所を指さした。

「ゲエー。大和探偵が知り合い!」と姫子は思わず大声を上げた。

「馬鹿ねー。そんな大声を出して。タローに聞こえるわよ。張り込みが見付かったらどうするのよ。」

「イッケネー。」

「高校時代、この近くの東松山女子高校に通っていたから、いつも帰りに寄っていたのよ。貧乏探偵だったから無償でアルバイト助手をしてあげたわ。タローにはタンマリ貸しがあるのよ。」

「直子が大和探偵と知り合いなら、お願いがあるわ。これからの行動計画を訊き出せるかしら。」

「任せておいて。タローの扱いは心得ているから。30分くらいで戻ってくるから、駅東側の軽食喫茶『やきゅう』で待っていて。」

「わかった。頼むわね。おおー、寒い。ブルブル。」



東松山駅前の軽食喫茶『やきゅう』にて ;12月 19日(火) 午後5時ころ


「どうも、警察の手伝いだけではなくて、外国からの依頼も受けているみたいよ。依頼先ははっきりしないけれど、明々後日の22日からサウジアラビアに行く、とか言っていたわ。飛行機便は成田国際空港11時00分発のATA航空らしいわ。今は、現地での行動計画を考えているところだったみたい。アラビア半島の地図を広げて見ていたわ。」と直子が姫子に話している。

「サウジのどこの都市かしら?」

「首都のリヤドとか言っていたわ。以前、一緒に協力して事件解決をした仲間のアメリカ人がリヤドでサウジ王家の親戚のボディーガードをしているらしいの。そのアメリカ人に会いに行くみたいよ。」

「アメリカ人のボディーガードね。テロと関係が有るのかしら?」

「そのアメリカ人は賞金稼ぎも職業にしているみたい。」

「賞金稼ぎね。悪質なテロリストにはアメリカ政府が高額の賞金を掛けているから、それを狙っているのね。大和探偵もその賞金首を捜しにいくのかしら。大和探偵は日本警察の依頼と賞金稼ぎの二股掛けているのかしら?」

「それは、なんとも返事しなかったわ。タローの喋り方と雰囲気からみて、もっと他のねらいがあるみたい。イエメン共和国にも立ち寄るような事を言っていたわ。」

「やっぱりそうか。直子も知っていると思うけれど、今、新聞やテレビで報道合戦が繰り広げられている、神武東征伝説が関する連続殺人事件の一つの殺人現場がイエメン共和国のアデンと云う都市にあるホテルで起こったわ。その被害者がサウジアラビアの砂漠灌漑事業の調査で海外出張中に殺されたのよ。この連続殺人事件の解決の為、日本の警察庁が特別任務を大和探偵に依頼したと我社は想像しているの。これで、我社の想定が正しかったことを確信したわ。大和太郎を完全密着して追いかける、わたし。まだ、他社は大和探偵のことを知らないのよ。何とか特種を取りたいわ。」と姫子は燃えてきた。

「姫子。サウジアラビアから帰ってきたら、話を聞かせてね。」

「判った。きっと、特種を取るわ。」

「そうだ。この後、箭弓やきゅう神社にお参りに行きましょう。きっと、ご利益りやくがあるから。その後は、私のワンルームマンションに来て、昔話でもしながら、久しぶりにビールでも飲みましょうよ。」と高橋直子が言った。

「賛成!学生時代は直子の下宿でよく徹夜したわね。お互い、明日は仕事だから徹夜は出来ないけれどね。」



熊野三山26

毎朝新聞 社会部  ;12月 20日(水) 午前10時ころ


「部長。私の海外出張許可を下さい。パスポートの準備は出来ています。」

「馬鹿ャロー。新米しんまい記者が海外出張だ。ダメダメ。あかんわい。」

「じゃ、『特種を取れ!』と言ったのは嘘だったんですか。このチャンスを逃したらどうするんですか。朝読(新聞)が大和探偵のことを嗅ぎつけてからでは特種を取るのは難しくなります。今がチャンスです。学生時代に知りあったサウジアラビア人がリヤドに住んでいますから、何とかなります。海外出張許可、お願いします。」と姫子が食い下がっている。

「ちょっと待っていろ。すぐ戻ってくる。」と向山部長が社会部の部屋から出て行った。

「トイレか。くそったれ部長め。」と姫子は思った。


しばらくして、向山部長が戻ってきた。


「姫子、よかったな。専務から特別出張許可を貰ってきた。」

「キャホー。部長、大好き!」といって、姫子は向山部長に抱きついた。

「ただし、だな。特種の確約をしてきたから、しっかりマークしろよ。失敗したら、地方へ左遷だからな。わかったかあー。」と向山部長が怒鳴った。

「私が?左遷?」と姫子は弱気になった。

「馬鹿ャロー。新人が左遷になるか。この俺が左遷されるんだ。判ったかあー。」

「はいーーい。お任せください。この姫子。一世一代の特種を取って見せます。」

「よっしゃあー。その意気や。朝読(新聞)なんか『いてコマシたれー』」と向山部長の気勢が社会部の大部屋に響き渡った。

「ところで姫子。サウジアラビアには高井と云う特派員が常駐している。社内ではリヤド支局と云う名目だが、サウジアラビアは特殊な国で表看板として『毎朝新聞リヤド支局』の名前は出せない。地元スポンサーの助けを借りて活動している。入国ビザもそのスポンサーの招待状が必要だ。本日中には高井特派員を通じて、FAXでの招待状を手に入れるから、お前は飛行機のチケットを入手しておけ。リヤドの国際空港へは高井を迎えに寄越すようにする。しかし、大和とか云う探偵はどう云う手段で招待状を手に入れているのかな?ああ、それから、サウジアラビヤの街中では、女性は黒マントの着用が必須だぞ。総務部に行けば『アバヤ』と謂う黒マントを貸してくれるから、それを持っていけ。」と向山部長が姫子に向かって小声で言った。

「部長、サウジの事をよくご存知ですね。」

「昔、取材で一度サウジに行ったことがある。そのときは準備が面倒だったからよく覚えている。望遠付のコンパクト型デジタルカメラを持っていけ。公衆の面前での写真撮影は原則禁止だから注意しろ。警官に見付かると警察に連行されて、カメラを没収されるからな。ただし、警官に見付からなければOKだ。警官にはくれぐれも注意しろ。それから、大和探偵の写っている写真はあるか、姫子。高井特派員に電送しておく。姫子より先に大和探偵が通関を終えてゲートを出てきたら、高井特派員に大和探偵の尾行をさせないといけないからな。くれぐれも、先に通関をしろ。」と向山部長が言った。

「大和探偵の写真はこれです。5年くらい前のものですが。」といって、パソコンに入れてある、高橋直子から手に入れた大和太郎のデジカメ写真のデータを液晶モニターTV画面に写し出して向山部長に見せた。

「横に写っている制服の女の子は誰だ?」

「高橋直子と言って、私の友人です。5年前の高校時代に大和探偵のアルバイト助手をしていた時に写したものです。現在は設計事務所に就職しています。」

「その高橋とか云う女は信用できるのか?秘密厳守だぞ。」

「大丈夫です。学生時代から口が堅いので有名でしたから。今回は私の味方で動く約束です。」

「よし、判った。高井特派員への指示は俺から出しておく。お前の宿泊ホテルの予約も頼んでおく。彼と協力して、特種をイッパツ頼むぞ、姫子。左遷が掛かっているからな。あっはははー。」と向山部長が苦笑いをした。


「しかし、姫子で大丈夫かな・・・・。」と内心、向山部長は不安であった。



熊野三山27

警視庁テレビ会議室 捜査会議  ;12月 21日(木) 午前10時ころ


「目撃証言によりますと、11月24日の金曜日の午後11時30分頃だったようです。首を締められたのに、山田六郎氏は警察に届けておりません。しかも、その事件があった以後、消息不明です。単身住まいだったみたいです。親類関係は現在のところ判明していません。調査中です。勤務先の臼杵東造船所も無断で欠勤しています。造船会社もそろそろ警察に捜索願いを出そうしていたところでした。本年の11月24日は中卯の日にあたり、大嘗祭が行なわれる日に相当します。やはり、犯人のねらいは日本国への挑戦でしょうか?」と棚橋刑事が報告した。

「その臼杵城跡で目撃した隣人とはどう云う人物でした?」と鈴木刑事が訊いた。

「20歳代の同棲している男女です。結婚はしていないようで、苗字が異なっていました。男は武市義春、女は秋山春子と云います。半年くらい前に臼杵市に来たようです。山田六郎と同じマンションで隣の部屋の住人です。以前の住所については調べていません。本人の言ですが、武市義春は山田六郎の紹介で同じ造船所に溶接工として就職したようです。」と橘直人が答えた。

「そうすると、連続殺人の犯人は4人目に対しての犯行も実施していた訳だ。失敗はしたが。」と半田警視長が言った。

「しかし、山田六郎氏は自ら姿を消したのか、それとも犯人に拉致されたのか、どちらでしょうね。」と鈴木刑事が言った。

「あのー、大阪府警の金崎です。被害者の過去からの身上調査を行うと云うことで本宮真一氏の過去から現在までの調査をしてきました。子供のころから大阪市阪南町一丁目です。本籍地もこの住所です。両親はすでに他界しています。4歳の頃に子供のいなかった本宮家に養子として入籍されています。その前は九州大分県臼杵市にある交通孤児や捨て子などの面倒をみる『青山苑』で生活していたようです。ですから、本名はわかりません。青山苑で生活していた時は『青山真一』と命名され、院長の子として入籍されていました。捨て子だったようです。近所に住む老人の話しでは、本宮真一は近くの苗代田小学校に通っていましたが、一人で遊ぶことが多かったようです。自宅から1キロくらい離れた阿倍野筋に面した阿倍王子神社でよく遊んでいたようです。阿倍野筋は旧熊野街道にあたります。夏祭りには王子神社のだんじりを引くのを楽しみにしていたらしいです。ご遺族の話しでは、最近も、この王子神社に行くことが多くなっていたようです。何か調査していたようです。阿倍王子神社とその摂社である安倍清明神社によく行っていたようです。」

「臼杵市の孤児院ですか。それと、陰陽師の安倍清明ですか。そういえば、安倍清明の家紋は5角形のカゴメ紋(五芒星)でしたね。このカゴメ紋は中近東から渡来した『招福除災・悪魔退散』の護符と謂われています。この地域は豪族の安倍一族の所有地であったのでしょね。安倍王子神社は『蟻の熊野詣』での立寄り遥拝神社としての九十九王子神社のうちで2番目の王子神社ですね。」と半田警視長が言った。

「よくご存知ですね。本宮真一の蔵書の中に『家紋の意味』と云う本がありまして、この中の『安倍清明のカゴメ紋』のページにしおりが差し込んであり、次の記述に青色のマーカーで傍線がしてありました。『臨兵闘者皆陣列在前』の九字です。どうも、魔除けの呪文じゅもんのようです。」と金崎刑事が説明した。

「九字ですか。昔、忍者のテレビ番組でよく『九字を切る』場面がありましたね。『牛王神符』も魔除け効果があると謂われていますから、共通点がありますね。忍者と山伏。それと、熊野の八咫烏ですか。五芒星はペンタグラムとも謂われ、西洋魔術では人あるいは神の形と考えられています。この紋を逆さまにすると、2本の角を持った羊を著すとされています。これは悪魔の紋章と謂われ、生贄の羊を意味しているとされています。最近よく王子神社に出かけていたと云う点で、何かわかっていますか?何かに怯えていたと云った情報はありませんでしたか?」と半田警視長が訊いた。

「阿倍王子神社での目撃証言では、夜に、拝殿前で呪文を唱えている姿が目撃されています。多分、本宮氏と思われます。九字の呪文であったかどうかは不明です。あと、最近は滋賀県琵琶湖近くの比良山によく出かけていたようです。修行ではなく、単なるハイキング登山だったようですが。」と金崎刑事が言った。

「長野県茅野市の那智十郎氏の調査は進んでいますか?」と半田警視長が訊いた。

「長野県警の三好田と申します。那智十郎氏の過去一年間の行動について調査いたしました。ご遺族の話では、諏訪大社への参詣は月一回の一日参りを行なっていたようです。これは十年以上前からの行動で、特に取り上げることではないかと思います。最近は体力向上の為と称して、諏訪湖の南にある守屋山によく登っていたようです。物部守屋を祭神とする守屋神社側から登る急峻な山道の登り降りで訓練していたとのことです。昨年の秋には滋賀県の比良山に2泊3日で修験登山を行なったようです。それから、那智十郎氏も捨て子だったようです。富山市にある孤児院の『三徳苑』に預けられて成長しています。その後、6歳の時に養父である那智高雄氏の要請で養子になり、高雄氏の希望で那智十郎と命名されたようです。那智高雄氏は独身だったようですが、すでに死亡しており、十郎氏の成長に関しての詳細は不明です。十郎と云う名前は、自分の好きな那智の滝を想像して父親の高雄氏が名づけたと『三徳苑』の記録に書かれていました。十郎の『十』の文字が那智の滝のイメージらしいです。」

「そうか、那智氏は物部守屋の影としての中臣一族を追跡していたのか。中臣鎌足、すなわち藤原鎌足が時の政権者である中大兄皇子(天智天皇)の影の実力者であったことから、弾武則の著書に出てくる隠密としての役行者とも関係しているものとしてその証拠探しで鎌足神社や鹿島神宮を調査しようとしていた可能性があるな。それに、本宮氏が登ったと同じ比良山へ登っているのか。そして、那智十郎も捨て子で孤児院が関係しているとはな。東京都町田市の新宮三朗氏の方はどうだ。比良山登山に関する情報があるかな?」と半田警視長が訊いた。

「はい。遺族の話では昨年の秋に関西の山に修行に行ったとのことです。山の名称は訊いていないとのことです。また、新宮三朗氏も静岡県の孤児院『若葉園』で育っています。他の二人と同様に捨て子だったようです。4歳の時に養母の加美屋福子の養子に入っています。現在、加美屋福子の消息は不明です。」と鈴木刑事が言った。

「被害者3人が捨て子として発見されたときの状態の記録はそれぞれの孤児院にありましたか?そして、3人に共通するような物が有ったかどうかですが。」と半田警視長が訊いた。

「那智十郎氏の場合も、新宮三朗氏の場合も、どちらも孤児院では、親が名乗り出てきたとき、真の親かどうかを確認する為、捨てられていたときの状態を克明に記録してありました。捨てたときの状態が合致しない場合は実の親ではないと判定するらしいです。包まれていた毛布の色、柄や赤ん坊の所持品など詳細な記録が書かれていました。内容をメモしておりませんでしたので、再度、孤児院での記録をFAXで送付してもらいます。確か、二人共、お守り袋を持っていたようです。袋の柄や神社名などの詳細をもう一度確認しますが、二人のものはそれぞれ異なっていたと記憶しています。」と長野県警と共同調査した鈴木刑事が言った。

「本宮真一氏もお守り袋を持っていました。子供を捨てる母親の気持ちは、誰でも同じなのでしょうかね。無事に育って欲しいと願っているのでしょうかね。」と大阪府警の金崎刑事が言った。

「被害者3人とも捨て子だったとの事ですが、何か裏がありますね、この捨て子の件には。そして、今回の殺人事件とどのように関係しているかですね。被害者3人の経歴について、引き続き調査してください。お守り袋についても3者に共通性があるかどうかをしっかり確認してください。それから、被害者3人に関して、滋賀県の比良山近辺のホテルや旅館での宿泊情報を入手してください。滋賀県警には、警察庁から協力要請をしておきますから、大阪府警本部の金崎刑事を中心にして調査をお願いします。大分県警は引き続き、山田六郎氏の消息と生い立ちを追いかけてください。後、何もなければ、散会します。」と半田警視長が言った。



熊野三山28

毎朝新聞 社会部  ;12月 28日(木) 午後8時ころ


鮫島姫子がサウジアラビアとイエメンから帰国して、成田空港から直接、毎朝新聞本社に戻って来ていた。

「向山部長。バッチリです。この写真を見てください。」と姫子はパソコン画面に映っているリヤド市内で撮った写真映像を自慢げに見せた。

「この写真の場所は何処だ。」

「マスマク・フォートレスと云う要塞遺跡です。現在は修腹されて許可証を貰えば見学できます。大和探偵と話しているのは、アメリカ人でスティーブ・キャラハンといいます。サウジ王族の親戚からボディーガードとして雇われています。王族関係者はテロに狙われる心配があるため、5人くらいのボディーガードを雇っているようです。話の内容はわかりませんでしたが、この会見のあと、大和探偵はキング・ファイサル・センターと云う資料館に移動し、別の男と会っています。この男もアメリカ人ですが、大和太郎と会談のあと、アメリカ大使館に帰っていきました。大使館の職員と考えるよりも、CIAではないでしょうか?高井特派員がこの人物の調査を継続しています。2〜3日中には結果報告が来ると思います。」

「CIAが神武東征伝説連続殺人事件に関係しているのか?それはないだろう。別件の調査活動じゃないか?」と向山部長が言った。

「いえ。この次の日に大和探偵はイエメン共和国のアデンに移動しています。サウジ王族の親戚も同じ日にアデンに移動しています。横井特派員の話では、この王族は灌漑事業の総責任者でアデンで殺された新宮三朗氏とは友人関係としての付き合いがあったようです。私もサウジの友人の努力で、次の日にアデンに行きました。」

「サウジの友人?」と向山が訊いた。

「学生時代に京都観光案内のガイドで知りあったサウジ王族のご夫人です。アデンへの入国ビザの取得に関して、イエメン大使館に交渉していただきました。携帯電話でのメールで文通していましたから、リヤドに到着した夜、食事にご招待していただきました。女同士ですから気軽に合えました。イスラムの戒律が厳しい為、男性の横井特派員は招待されませんでしたがね。」

「姫子。お前、大物だな。」と向山部長が感心した。

「実は、後で写真を見ていて気がついたのですが、リヤドのマスマク・フォートレスで写した写真とアデンのサウジ王族が宿泊しているホテルで撮影した写真に同一人物が写っています。」

「スティーブ・キャラハンか?」

「いえ、違います。正体不明の白人です。どうも、サウジ王族の行動を監視しているようです。最初はスティーブ・キャラハンを尾行しているものと考えましたが、横井特派員が、以前から王族関係者の所で見かけている人物だと云うので調査しました。横井さんの調査では、新聞記者などのジャーナリストではないようで、イギリスの商社に勤める駐在員として3年前からリヤドに住んでいます。横井さんの調査では秘密結社のビッグ・ストーンクラブの人間ではないかと云うことでした。私の直感では大和探偵をマークしているのではないかと思えるのですが。」

「その根拠は?」

「大和探偵事務所前で張り込みに行ったとき、私より先に、大和探偵事務所の様子を窺っている外国人を見ています。アメリカ人かどうか判りませんが、この人間も大和探偵に目をつけているのかと、一瞬ドキッとしました。しばらくして、立ち去りましたので、その後は忘れていました。しかし、今回のアデンでの男と東松山駅前で見た男と、何んとなく雰囲気が似ています。」

「秘密結社ビッグ・ストーンクラブの人間が、何故に大和太郎をマークするのだ?」

「判りません。アデンでの大和探偵の行動ですが、ホテルからタクシーでクレーター地区と呼ばれる下町にでかけています。この時も先ほどの写真の人間とは別の白人が大和探偵を尾行していました。これが、そのアデンで撮った白人の写真です。大和探偵はアデン湾の入り江側の写真を何枚か撮っていました。次の日はレンターカーを借りて、西に向かっています。レンタカー屋の話では、紅海沿岸地域の見学に2日間の予定で出かけたようです。私は国際免許を取得していなかったので尾行は出来ませんでした。そこで帰国してきた訳です。」と姫子が報告した。

「神武東征伝説殺人事件と関係があるのかな?それで、特種は何だ?」と向山が言った。

「以上です。」

「何!ビッグ・ストーンクラブが特種?馬鹿ャロー。」と向山部長が怒鳴った。

「部長!訊いてください。このビッグ・ストーンクラブの人間がアデンでの新宮三朗殺害の犯人を目撃している可能性があると云う事です。これだけ、王族関係者やキャラハンとか言うボディーガードにまで見張りをつけるくらいです。更に、大和太郎にも見張りをつけている。殺された新宮三朗氏は王族関係者の友人です。当然、新宮三朗氏にも見張りをつけていたと思われます。とすれば、犯人目撃の可能性は十分あります。」と姫子が説明した。

「姫子。お前、頭いいな。」と向山部長が感心しながら言った。

「よーし。秘密結社ビッグ・ストーンクラブを洗ってみるか。おい、岩田。お前、ビッグ・ストーンクラブの日本会員を調査しろ。高井からの報告が待ち遠しいな。ウィッヒヒヒ。」と向山が中堅記者の岩田敬三に向かって大声を出しながら、ほくそ笑んだ。

「どうすれば、ビッグ・ストーンクラブの人間から目撃証言を取れるかだわね。どうすれば良いのか?」と、機嫌が良い向山部長の横で、姫子は考えていた。



熊野三山29

高橋直子のアパート ;12月 29日(金) 正午ころ


軽くビールを飲みながら、鮫島姫子と高橋直子がテーブルを挟んで話している。


「一般の企業は良いわね。今日から正月休みだなんて。1月5日まで休み?」と鮫島姫子が言った。

「まあ、事件記者は徹夜が商売みたいなものでしょ。よく、事件記者になんかなったわね。」と高橋直子が冷やかした。

「面白い仕事がしたいのよ。それと、将来は推理小説を書きたいから、今は修行中ってとこかな。」と姫子が言った。

「ところで、サウジアラビアはどうだったの?」と直子が訊いた。

「その件だけど、大和探偵を私に紹介してくれない、直子。」

「紹介なんかしたら、尾行できなくなるのでは?何を考えているの、姫子。」

「実は、・・・・・・・・云々」とサウジアラビア王国とイエメン共和国での顛末を姫子は直子に説明した。

「それで、ビッグ・ストーンクラブの人間から目撃証言を取る事を太郎に頼みたい訳ね。」

「そうなの。尾行されている本人が、尾行者を取り押さえて、少し脅かせば、話すと思うのよ。」

「確かに、目撃証言を得る最短の手段かも知れないわね。太郎への交換条件はビッグ・ストーンの尾行者がいることを教えるという事になるわね。タローが尾行に気がついている事も考えられるわね。知っていながら知らないそぶりをしている可能性もあるわ。チョット、交渉方法を考えるわ。交渉を成立させるには難しい面があるわね。目撃証言が新聞記事になるとしたら、タローが守秘義務違反にならないような手段を講じる必要があるわね。どうするかだわね?タローにとってのメリットは何かだわね。ところで、タローが日本に戻ってくるのは12月31日の大晦日らしいわ。ほら、タローからの絵葉書に帰国予定が書いてあるわ。この前、訪問した時に住所を教えておいたのよ。大晦日か正月に、タローに会いに行きましょう。」と直子が言った。



熊野三山30

警視庁テレビ会議室 捜査会議  ;12月 29日(金) 午前10時ころ


「会議に先立ち私の方に入っている各県警からの被害者に関する事前情報をお伝えします。3人の被害者が『捨て子』された時点で所持していたお守り袋の件です。那智十郎氏のお守り袋は那智大社のもので、袋の中に『剣』の文字が書かれた紙片が入っていたとの事である。同様に新宮三朗氏のお守りは熊野速玉大社のもので『玉』の文字が書かれた紙片が入っていた。本宮真一氏のものは熊野本宮大社のお守りで『鏡』の文字の紙片であった。山田六郎氏については山口県下関市の孤児院『三ツ矢苑』で育てられており、広島県呉市の山田五郎氏の養子として6歳の時に入籍されている。山田五郎氏の死亡届は出されていないが、現在の消息は不明である。5年前までは呉市のアパートに住んでいたが、ある日突然、もぬけの殻であるのが見付かっている。いまは、別の人が住んでいる。山田六郎氏は高校卒業と同時に三津下重工の下関造船所に就職し、会社の寮での生活に入っているので、アパートを出て、養父とは同居していない。昨年の10月に山田六郎氏は約19年間勤めた下関造船所を突然、退職している。会社の話しでは一身上の都合と云う事で、詳細理由は判らないと云う事であった。養父の山田五郎氏は夜逃げ同然で、近所に挨拶もなかったらしい。山田五郎氏も未婚である。現在生きているとすれば66歳である。山田六郎氏なら居場所を知っている可能性がある。案外、六郎氏は養父の家に転がり込んでいるかもしれないな。又、『三ツ矢苑』に残されている資料によると、山田六郎氏の所持していたお守りは伊勢神宮のもので『比礼ひれ』の文字札が中に入っていたとの事である。この事実と3人の殺人現場の残された牛王神符の文字との一致することから、本事件は35年まえから計画されていた可能性も出てきた。あるいは、35年前のお守りの件を知った犯人が、このお守りに事寄せて殺人計画を練ったとも考えられるが、いずれにしても、一連の殺人が、一つの意図の元に計画されている気配が濃厚である。それは、大和朝廷すなわち、現在の日本国に対する挑戦、あるいは、呪い・恨みと言った性質のものを含んだ殺人計画と思われる。弾武典の『神聖修験研鑚教』の考えである『日本国の建て直し』に類似している点に留意するとしても、殺人計画が弾武典の主導であるかどうかは不明である。宮崎県警に弾武典の尾行を警察庁から依頼していましたが、捜査一課と別行動している宮崎県警公安部からの情報では、今年の夏に弾武典は海外研鑚と称してイエメン共和国、サウジアラビア、それとアフガニスタンに海外旅行しています。イスラム教の勉強のためとの事であったらしい。以前から宮崎県警公安部新興団体調査課でも、『神聖修験研鑚教』は要注意団体として、時々、調査活動をしていたようだ。現在のところ、専任調査員はいないらしい。今回の殺人事件と関係してくるかどうか不明であるが、イエメン共和国アデンで殺された新宮三朗の件もあるので、弾武典は要注意人物であることには変わりはない。」と半田警視庁が言った。



熊野三山31

警視庁テレビ会議室 捜査会議  ;12月 31日(日) 午後3時ころ


サウジアラビア王国とイエメン共和国から帰国した大和太郎が警察庁の半田警視長を訪問し、調査報告を行なっている。

警察庁の建物は桜田門にある警視庁のとなりにあり、警視庁とは廊下を通じて建物は繋がっている。警視庁の鈴木刑事も同席して、大和太郎の報告を聞いていた。

「新宮氏と友人であるサウジアラビア王族関係者のボディーガードの話では、新宮氏はアデン湾の気候風土と地質の調査でイエメン共和国に行ったようです。サウジアラビアの砂漠灌漑事業の参考の為ではなく、個人的な興味に因るものであったらしいです。殺害当時に目撃された30歳くらいの東洋人の若者の件は、日本人の可能性があります。サウジアラビア王族関係者がイエメン共和国政府に働きかけて、当時、イエメンに入国していた東洋人の中に日本人が5人いたのを確認しています。これがその資料メモです。この5人うち、4人まではビジネスでの長期滞在者ですが、弾武典56歳だけが3日間の滞在です。」と大和太郎が報告した。

「弾武典55歳?30歳から40歳くらいの青年ではなかったのですかね。それに、公安委員会からの情報では、『神聖修験研鑚教』の弾武典は海外には出ていませんが。」と鈴木刑事が言った。

「多分、偽造パスポートを使ったのではないでしょうか。実年齢を隠すため、通関検査の時は変装していたのでしょう。」と大和太郎が言った。

「偽造パスポートを持っているとすれば、なんらかの組織に属している人間の可能性がでてきますね。」と半田警視長が言った。

「闇の偽造屋に頼めば、個人行動の殺し屋でも、偽造パスポートを手にいれられます。」と鈴木刑事が言った。

「偽造屋の情報はありますか?」と半田が聞いた。

「2〜3人くらいのこころあたりはありますが、簡単には白状しないでしょう。別件で脅して喋らせますか?そいつらが偽造したかどうかはわかりませんがね。」

「いや、もうしばらく様子を見てみましょう。出国管理局で11月頃の弾武典名義の人間がどの空港から出国したかを調査してください。」


その後、半田警視長が警察の現在の捜査進展内容を大和太郎に説明した。


「3人の被害者が比良山に修験修行に行った可能性があるのですか。そうですか・・・。」と太郎が少し考え込んだ。

「比良山で何か気になる事でもありますか?」と半田が訊いた。

「ええ。以前、北緯35度58分上にある、鹿島神宮、鎌足神社、多武峰神社、守屋山、そして韓国の白村江の話をしましたね。実は、中央アジアのアフガニスタンにヘラートと云う都市があります。この都市は、ヘラート地方と呼ばれる地域にあります。このヘラート地方が北緯35度58分にあります。都市のへラートは北緯34度30分くらいにあるのですが、シルクロードの要衝であり、過去の古代歴史で何度も侵略を受けている土地です。そのため、この地から逃げ出した人は更に東方へと逃げ延びて行った可能性があります。地球は南極と北極を結ぶ地軸を中心に独楽コマの様に回転していますが、才差さいさ運動と謂われる地軸が振れながらの回転をしています。このため、同じ方向に同じ星空が見えている場所でも、世界のどの場所でどの時代に見るかによって、微妙に緯度がちがってきます。多分、日本の北緯36度で見る星空とアフガニスタンの北緯34度30分くらいで見る星空が一致していた可能性も考えられます。なぜ、へラート地方を考えたかと云いますと、古事記・日本書紀の神話の中で、『比良坂』が黄泉の国(冥土)と常世の国(現世)の境であると書かれています。日本列島では、滋賀県比良山近辺の琵琶湖の湖底に『比良坂』があるとされていますが、世界規模ではアフガニスタンのへラート地方が『比良坂』であると言っている学者がいます。『ヘラサカ』が時代の変化でヘラートになり、日本に来て『ひらさか』の音になったと云う事です。滋賀県の白髭神社の鳥居が琵琶湖の中に立っていますが、この鳥居を辿っていくと比良坂に通じているのでしょうかね?」と太郎が言った。

「とすると、藤原氏の先祖は韓国から中央アジアにまで繋がっている訳ですか?」と半田が言った。

「その可能性がありますね。犯人はそこまで考えているのでしょうかね。中央アジアとなれば、ユダヤ民族が関係してきますね。ユダヤの失われた十部族はユダ王国滅亡で世界に散って行きましたからね。ところで、殺人の実行犯が弾武典に犯人の汚名を着せる為にわざと偽造パスポートで出国したとすれば、『神聖修験研鑚教』を潰したいと思っている勢力が真犯人である可能性もありますね。いやはや、難解な事件に成って来ましたね。あまり犯人の意図・企図に捉われないほうがスッキリしますかね。」と太郎がため息をついた。

「兎に角、山田六郎氏が生きている事を祈るだけです。殺されていれば、大きな手掛かりが亡くなってしまうことになり、捜査の難航は必至ですから。早く消息がわかれば、と思っています。」

「山田氏の消息は棚橋刑事が追跡中とのことですね。彼の独特の発想がいい結果にたどり着けば良いのですがね。」と太郎が言った。



熊野三山32

大分県宇佐神宮境内・大尾山登り口;12月31日(日)午後3時ころ


「また、捜査に行き詰まったのね。今度はどんな相談かしら?」とベージュ色のコート着用し、頭にホワイトの羽毛帽子を載せ、赤手袋をはめた大賀広子が言った。

「この写真を見て欲しい。後ろに映っている石塔がある場所を知っているかな?」と棚橋光弘が訊いた。

「これは、滋賀県蒲生郡蒲生町ある『石塔寺いしどうじ』にある石塔に似ているわね。ああ、ごめんなさい。町村合併で、今は東近江市石塔町に地名が変わっているわ。日牟礼八幡神社のある近江八幡市の近くにある聖徳太子が開基したお寺だわ。この写真がどうかしたの?」

「その写真に写っている二人の人物が何処にいるのかを探している。山田六郎の高校時代の写真だろう。写真の右下の日付けは1987年の5月5日になっているから20年前の写真だな。現在37歳だから高校3年生の時に撮った写真だな。横に写っているのはたぶん養父の山田五郎氏だろう。山田六郎氏の唯一に写真だ。アパートにある本棚の中の本に挿んで有った唯一の写真だ。山田六郎氏は例の『比礼』に関係して、臼杵城跡で殺されかけた人物だ。早く発見して保護しないと、連続殺人の犯人に殺されかねない。石塔寺で間違いないかい?」

「うーん。わたしが行った時の印象とチョット違うかしら。背景のお堂が違うし、形も少しちがうかしら。そういえば、石塔寺は三重石塔だったけれど、韓国の金山寺クムサンサにあるのは五重石塔だと、石塔寺のご住職から聞いたわ。きっと、これは韓国で撮った写真だわ。インターネットのホームページか何かで調べれば金山寺の五重石塔の写真が見られると思うわ。確認してみたら?」

「その金山寺は何処にあるのかな?」

「確か、母岳山モアクサンの近くの全州チョンジュ市の近くだったと思うわ。西海岸に近い方ね。百済の時代の創建と聞いているわ。」

「よし判った。調べてみるよ。ありがとう。」

「ところで、光弘さん。少し散歩でもしない。今日は大晦日で、いい天気だし。来年の幸福でも占ってみない、護王神社の和気清麻呂公もお待ちかねよ、きっと。昔は毎年、年末の大祓いでお参りしたわね、一緒に。」

「そうだな。チョット行くか。」



熊野三山33

東松山駅前  大和探偵事務所  ;2007年 1月 1日(月) 午前11時ころ


「それは無理だね。確かに、鮫島さんが睨んだ通り、私は警察の依頼で今回の連続殺人の調査に協力している。だから、直子を含めて警察以外の人間に対し、事件に関する情報提供や協力は出来ない。守秘義務違反になるからね。鮫島さんが言うように、ビッグ・ストーンクラブの人間が殺された新宮三朗氏を監視していた可能性は確かにありうる。この点については、私も気がつかなかったですがね。良い発想ですね。教えていただいて感謝します。鮫島さんが目撃したように、ビッグ・ストーンクラブは私にも尾行をつけているくらいだからね。私への尾行については、私も気づいていました。彼らが私の邪魔をする訳ではないのでそのままにしていましたがね。次回、イエメン共和国に行った時にビッグ・ストーンクラブの尾行者を捕まえて、確認してみましょう。何時行くか等のスケジュールはお教えできません。私を尾行するのはご自由ですがね。ところで、直子。これから箭弓神社へ初詣に行くけれど、一緒に行くかい?鮫島さんもいかがですか?」と太郎が言った。

「いいわね。久しぶりにご一緒しましょう。姫子も一緒に行きましょう。」と高橋直子が言った。

「じゃあ、上の三階の寝室で着替えて来るから、ここで待っていてください。5分くらいで戻ってきます。」と言って、太郎は事務所を出て行った。

「着替えるって、あのスーツ姿ではダメなの?」と鮫島姫子が直子に訊いた。

「そうなの。変な奴なのよ、太郎は。正式参りだとか言って和服に着替えてから参拝するのよ。初穂料を払ってご祈祷してもらうのよ、いつも。」と言いながら、大和太郎の事務机の上を直子は見ていた。

「ふーん。修験道か。今回の連続殺人の被害者は修験道を志していたのよね、確か。」と直子が机の上の本を開きながら言った。

「『ザ・修験』ね。神聖修験研鑚教・主宰の弾武典が著者ね。特種記事を書くために、私も修験道の勉強をしておく必要が有りそうね。帰りに池袋の大型書店・ジュウタン堂書店に寄って探してみるわ。あそこはいろんな本があるからね。」と姫子は直子が手に持っている本を覗き込みながら言った。

「そういえば、大学3年の春休みに京都のD大学・推理小説研究会と合同合宿したことがあったわね。場所は確か、琵琶湖の近くで、比良山の麓にあった『前峰寺』とか謂うお寺の宿坊だったわ。」と直子が言った。

「そうね、あの時も山伏姿の修験者が大勢宿泊していたわね、別の部屋で。あの時、誰かと知り合いなって置けばよかった。後の祭りだわね。」と姫子が言った。

「そういえば、お寺の真向かいにあった軽食喫茶のコーヒーは美味しかったわね。サイホンで入れていたからね。モカコーヒーの味が忘れられないわ、私。」と直子が言った。

「そういえば、その軽食喫茶もペンションをしていて、修験者が何人か宿泊していたわね。」と姫子が言った。


そうこうしている間に大和太郎が和服姿で事務所に戻ってきた。


「さあ、ハリキッテお参りに行こう。レッツゴー。」と太郎が嬉しそうに言った。



熊野三山34

警視庁テレビ会議室 捜査会議  ;2007年 1月 4日(木) 午前10時ころ


「下関港の出国管理事務所で調べてもらったところ、山田六郎氏は11月24日に韓国の釜山プサン行き関釜フェリーに乗船しています。山田氏のアパートから見付かった唯一の写真には韓国全州チェジュ市郊外の母岳山モアクサン西麓にある金山寺クムサンサという寺で養父と二人で20年前に撮った姿が写っていました。我々もそのまま、釜山の入国管理事務所まで出向いて、税関申告・入国審査資料を見せてもらいした。全州近郊への一週間程度の観光旅行として申告されています。30日以内の観光旅行ということでビザは不要だったようです。一昨日までの出国に関しての提出書類は見付かっていませんから、まだ韓国内に滞在している可能性もあります。養父の五郎氏も全州市にいるのではないでしょうか?韓国警察に捜索依頼は出せないでしょうか?パスポートを持っていたと云う事は、最近も何回か韓国に渡っている可能性があります。過去の審査資料も調べるつもりです。」と棚橋刑事が報告した。

「顔写真がないし、名前も偽名を使っていれば発見は困難だろう。また、全州市に居ると云う確証もないからな。ところで、山田五郎氏は日本人だろう?5年前から韓国に住んで仕事をしているとなると、韓国語が喋れるのかな? チョット、捜索方法を考えさせてください。後日回答します。被害者3人の比良山での宿泊情報などが出てきていません。引き続き調査をお願いします。あと、大和探偵からのイエメン、サウジアラビアでの情報は・・・・・云々・・。」と半田警視長が大晦日の大和太郎からの報告を説明した。



熊野三山35

毎朝新聞社会部  部長デスク前  ;2007年 1月 5日(木) 午前10時ころ


「向山部長、チョット話があります。」

「何だ、姫子か」

「この本を見てください。」

「うーん。『ザ・修験』。さすがだな、姫子。修験道の勉強中か。」

「そうなんですが、この本の著者がチョット過激なんですよね。」

「うーん。弾武典。神聖修験研鑚教か。宗教家だな。それで?」

「神武東征は架空の話で日本書紀の創作だと決めつけています。日本国支配確立の為、藤原不比等が全国に結界を張る作業を役小角に依頼したと決めつけています。役小角を朝廷に敵対する人物にしたてて、地方豪族に安心感をあたえ、役行者が行動しやすくしたと決めつけています。そして、このときに形成された結界を壊す作業を宮崎県えびの市に本部を置く『神聖修験研鑚教』を中心に行なっているらしいです。」

「それがどうしたんだ、姫子。」

「うーん、もう。物分りが悪いんだから、部長は。」

「何だと!部長に向かって失礼だろ、姫子。」

「はいーい。失礼しました。だから、今回の連続殺人は、弾武典の仕業ではないかと思うのですが?チョット、先走りすぎですかね。」

「なるほど、一理あるな。よーし、毎朝新聞・宮崎支局の人間にこの宗教を調査させてみよう。何か関連でも出てくれば、見つけ物だからな。」と向山部長が早速、電話を取って宮崎支局に電話を入れた。



熊野三山36

韓国全州チョンジュ市・徳津トクジン警察署;2007年 1月 10日(水)


棚橋刑事と大和太郎は警察庁特別捜査員として韓国警察庁管轄下にある全州徳津警察署を訪問していた。


「警察庁特別捜査員の棚橋と申します。大分県警の刑事です。よろしくお願い致します。」

「警察庁特別捜査員で私立探偵の大和太郎です。よろしくお願いいたします。」と、二人は名刺を差し出しながら、挨拶した。

パク警査です。日本警察の階級では巡査部長に相当します。よろしくおねがします。今回は、日本国の警察庁から韓国警察庁への特別依頼と云う事ですので、私が日本語を話せるので担当を命じられました。私はソウルにある韓国警察庁本部に勤務していますが、今回は全州に住んでいる日本国籍の山田五郎を調査ということで、この徳津警察署の一室を借りて、捜査に協力いたします。実は、韓国警察でも山田五郎をマークしていました。我々はK国秘密諜報機関KISSの工作要員と考えています。この全州市に5年くらい前から住んでいますが、韓国内の旅行は度々おこなっています。我々の調査では20年くらい前から時々、韓国旅行と証して日本から入国していました。現在の仕事は日本人旅行者を対象とした食堂経営です。メニューは日本料理と韓国料理です。最近、日本から息子と称する山田六郎がきています。現在、韓国大統領直轄の防諜機関が別働隊として監視活動をしています。山田五郎をマークし始めたのは2年前からです。山田五郎を拘束する事は容易ですが、韓国内のKISS要員を発見するために泳がせています。今回は、息子の山田六郎が殺害される可能性があるので保護したいとの事ですが、当面の接触は控えていただきたいのです。これが、韓国警察庁からのお願いです。」と白刑事が言った。

「二年前からマークを始めたとのことですが、その理由、きっかけは何でしたか?」と棚橋刑事が訊いた。

「山田五郎は二年前、韓国東部にある慶州キョンジュ市郊外の神武王陵と謂う古墳のある場所で防諜機関がマークしていたKISS要員と密会しているのを確認されました。それ以来、韓国警察も山田五郎をマークしています。防諜機関のように、常時監視は行なっていませんが、防諜機関に協力する形で動いています。」

「神武王陵ですか。神武と謂うのはどのような人物だったのですか?」と興味ありそうに、大和太郎が訊いた。

「新羅時代の国王で839年に死亡したとされています。前王を殺害して王位を奪ったのですが、その年に死亡したとの事です。神武王陵よりも聖徳大王陵のほうが有名です。聖徳大王は新羅国33代目の国王で702年から736年まで35年間王位にありました。高句麗、百済、新羅の三国統一時代に国内政治、唐との外交に手腕を発揮して新羅の全盛時代の基礎を固めた人物です。692年から701年までは考昭王の時代です。考昭王の前はその父親である神文王が新羅国王でした。神文王は681年から692年まで国王でした。この王陵地域に二人の古墳と謂われるものがそれぞれにあります。神文王の父で三国統一を達成した文武大王の陵は水中陵として日本海に面した小島にあります。文武大王は661年から681年の在位です。」と白刑事が言った。

「白警査は歴史に詳しいですね。」と太郎が感心しながら言った。

「ソウル大学時代は歴史学の専攻でした。日本の神功皇后は新羅と関係が深いですから、日本人観光客が慶州旅行によく来ていますね。」と白刑事が言った。

「とりあえず、山田五郎の住居に案内していただけますか。山田親子の顔写真を取りたいのですが。山田六郎もKISSの工作員でしょうかね?」と棚橋刑事が言った。

「いえ、防諜機関からの報告では、山田六郎は父親がKISS要員であることは知らないようです。現在は父親の五郎が経営する日本人向けの食堂で従業員として働いています。30日以上の未登録滞在であり、観光旅行の名目での入国です違法です。しかし、今のところ見逃しています。従業員は韓国人と日本人の料理人が二人、韓国人の接客係と山田六郎の合計2人です。日本人客には山田六郎と五郎がメインに接客しているようです。父親で経営者の山田五郎は夕方から接客に登場します。山田五郎の写真ならここにあります。六郎の写真はありません。」と白刑事が言いながら写真を見せた。

「山田六郎を違法滞在で逮捕していただけないでしょうか?」と棚橋が訊いた。

「それは出来ません。山田五郎が危険を感じて身を隠す事も想定できますから。」

「それでは、観光客として韓国旅行をしていると云う触れ込みで山田六郎に接触してもよろしいでしょうか?」と太郎が訊いた。

「それなら好いでしょう。これから、食堂に案内します。」と白刑事が言った。

「父親の五郎は夕方から店に来るのですね。昼間、店にいるのは、六郎だけですか?」と太郎が訊いた。

「そうです。もちろん韓国人の従業員もいます。」

「棚橋さん、山田六郎との面会・面談作戦を考えましょう。」と太郎は言って、棚橋と話し始めた。



熊野三山37

大分県臼杵市の武市義春・秋山春子のマンション;2007年 1月 14日(日) 午後10 時ころ


保護施設『青山苑』の保母の仕事から帰ってきた春子(元、李恵明)が新聞の日曜版を見ている。


「あら、この写真の人。」と春子が叫んだ。

「どうした?」と義春(元、北山次郎)が訊いた。


 ※李恵明、北山次郎については、第2・3話の『武蔵林影』、『豊後の火石』を参照ください。


「この特集記事に載っている写真の弾武典とか謂う人だけど、昔、父の恵水の所によく来ていた人と似ているわ。確か、金斗喚と名乗っていたわ。月に1回くらい、私たちが住んでいた新潟市内のマンションに来ていたわ。遠い親戚で日本に永住している家族の息子さんと言っていたわ。父と同じ年齢だとか言っていたわ。」と春子が言った。


新聞記事をしばらく読んでいた武市義春が口をひらいた。


「ふーん。『神聖修験研鑚教』主宰か。そういえば、思い出した。俺も新潟の事務所で見たこ事があるぞ、この男。時々来ていたな。社長の応接室でボスと話しこんでいたな。金斗喚と言うのか。そいつに似ているな。確か、K国は日本国内を三分割して工作活動をしていたよな、春子。」と義春が言った。

「よく知っているわね。」

「ああ。おれの自動車窃盗仲間がK国の工作員であることは、奴らの会議などを盗み聞きしていたから判っていた。俺は下働きだったから会議に出なくていい、と言われていたが、気になったので時々、盗み聞きしていた。」

「父から聞いた話では、K国は日本を三分割して工作部隊を設置していたらしいわ。九州・中国地区、関西・中部地区、関東・東北・北海道地区の三つに分けて、それぞれに地区本部を置いていたわ。私たちは関東・東北・北海道地区だったわ。」

「当時、俺は、その金斗喚とか云う人物が九州・中国地区の代表だと思いこんでいたよ。」

「そう?私は何も父から聞いていないわ。あまり知られたくなかったのかしら。」

「知っていたら、何かの時にK本国から目を付けられるから、知らせない方が好いと思っていたのだろう、君のお父さんは。君の事を心配していたからな。まあ似ているとは云え、この弾武典が金斗喚と決まった訳ではないが。」と義春が意見を言った。

「しかし、この弾武典の謂う『日本改造計画』はかなり過激な意見だわね。呪術による改造など出来るのだろうか?宗教家らしい意見・考え方ね。」と春子が言った。

「そうだね。我々凡人には判らない世界があるのかも知れないね。役行者の結界か。」と義春が言った。



 熊野三山38

毎朝新聞社会部 部長デスク前 ;2007年 1月 15日(月) 午後3時ころ


「部長、昨日の日曜版の『神聖修験研鑚教』特集はすごい人気だったようですね。広告宣伝部の人からお礼の電話が掛かってきました。」と鮫島姫子が言った。

「ああ。先ほど専務に呼ばれて専務室へ行ったら、えらい喜んでいた。広告掲載依頼の電話が鳴り放しらしい。姫子の名記事・名文のおかげだな。伊達にK大学文学部を卒業した訳ではなさそうだな。これで、朝読(新聞)もギャフンだろう。」と向山部長がニコニコ顔で言った。

「いえ、文化部文芸課の唐木さんに協力して頂いたおかげです。しかし、宮崎支局の松前記者の話しでは宮崎県警公安部のほかに捜査一課も動いているとの報告でしたね。」と姫子が言った。

「ああ。公安部よりも捜査一課のほうが熱心に調査活動しているらしい。他社は気がついていないらしいが、今回のお前の特集記事で動き出すかもしれん。くれぐれも、用心しろ。特種を逃がすなよ。宮崎支局の松前には捜査一課の刑事を継続マークするように依頼しておいた。」と部長が言った。



 熊野三山39

警察庁応接室 ;2007年 1月 15日(月) 午前10時ころ


韓国から帰ってきた棚橋刑事と大和太郎が半田警視長と鈴木刑事に山田五郎・六郎の件を報告している。


「食堂でビビンバを注文して、弾武則の本『ザ・修験』を見ながら二人で修験道の話しをしていたら、案の定、山田六郎が近づいてきました。六郎の話では、比良山の宿坊に泊まって修行している時、偶々、弾武典と出会ったらしいです。弾武典から自分に近づいてきたとの事です。そこで、弾武典の神聖修験研鑚教の活動内容を知り、興味を持ったらしいです。下関市から臼杵市に引っ越した理由は、弾武典が臼杵石仏が韓国と繋がる修験道の聖地であると教えられ、住居を移転するよう進められたのが理由のようです。韓国の大丘デグ市郊外にある八公山の麓には493年創建の桐華寺があり、カッパウイとよばれる大石仏があるそうです。この八公山は北緯35度58分のラインにあります。この北緯ラインのことは弾武典から教えられたそうです。当然、日本の北緯35度58分にある守屋山や鎌足神社の事も教えられたようです。弾武則は自称・霊能者であると謂う触れ込みですが、山田六郎に『臼杵湾は神武東征のための古代の木造造船所があった土地である』と言ったようです。多分、那智十郎も同じ手口で弾武典に引っかけられたと考えられます。本宮真一と新宮三朗も似たような手口で比良山での修行時に引っ掛けられたと想像できます。教える内容が違っただけでしょう。十種神宝にある『比礼』の話をそれとなくして見ましたら、一瞬、怪訝な顔をしましたが『比礼』に関する持論を展開してくれました。そして、子供の頃からもっている伊勢神宮のお守り袋に『比礼』の札がはいっていて、自分を守ってくれたと信じているようでした。命を狙われた事は口にしませんでしたね。なお、山田五郎は父親が戦時中に日本軍に協力していたため、終戦時に日本に逃げてきたようです。その時は5歳くらいであったらしいです。従って韓国の国籍を持っており、韓国名は徐昌浩ソ チャンホです。養子の山田六郎には韓国籍はありません。どの時点でKISSの工作員になったのかは不明です。ほんとうの徐昌浩は過去に殺されていて、K国人が入れ変わっている可能性もあります。」と棚橋刑事が報告した。

「本宮真一と新宮三朗にした話の内容は何であったのかな?」と鈴木刑事がポツリと呟いた。

「彼らが死んだ今となっては、弾武典に訊くしかありませんが、私に一つの発想があります。私の研究対象でもあります。岡城跡で殺された本宮真一氏に対しては、『神武東征の経路は現在謂われている五ヶ瀬川を下って日向灘に出る経路ではない。高千穂峡から岡城跡のある竹田市を通り大野川を下って別府湾にでる経路である。』と言ったのではないかと想像しています。そして、岡城跡で『何か』を発見したから大阪から出て来いと呼び出した。多分、夜中でないと発見できないような理由を付けて呼び出したのでしょう。それから、新宮三朗氏に対しては『神武東征は神行である。』と言ったのではないかと想像しています。」と太郎が言った。

「『神行しんぎょう』ですか?」と半田警視長が興味深そうに訊いた。

「昔から、日本列島は世界の縮図であると謂われています。世界地図を開いて比較するとなるほどと思えますが、九州がアフリカ大陸、四国がオーストラリア大陸、本州がユーラシア大陸、淡路島が南米大陸、北海道が北米大陸に形が似ています。この説を推し進めますと、神武天皇一行が上陸した紀州半島はアラビア半島に相当します。そしてイエメン共和国のアデン市に相当するところに日本国では鵜殿うどの村があります。現在は町村合併で紀宝町鵜殿となっています。この漢字『鵜殿』はウデンと発音できます。古代、この地名は『うでん』と発音されていて、漢字では『鵜殿』と書いたのではないでしょうか。アデンの『ア』を『ウ』と置き換えれば、同じ地名になります。地形を比較すると、鵜殿は新宮川の河口にありますが、砂洲がのびて入り江のような形状をした河口に面しています。アデンは完全に火口跡の入り江に面しています。すなわち、現在の地形も似ている訳です。鵜殿は熊野水軍発祥の地であり、かっては熊野三山を統括する熊野別当の住居地でもありました。この地の豪族『鵜殿氏』は九州国東半島で大和に向かった『ニギハヤヒ』と別れて紀州半島に上陸した高倉下命の子孫であり、藤原鎌足の血筋でもあるらしい。そして伊勢神宮のある伊勢市はサウジアラビア王国の首都リヤドに相当します。伊勢市になる前は宇治山田市と呼ばれていました。内宮のあるところが宇治館町、外宮が山田町にあたります。『宇治山田』はウジ・ヤマダと発音します。リヤド市の古代名称は『アジャ・ヤママ』です。この『ア』を『ウ』に置き換えてみますと『ウジャ・ヤママ』となり『ウジ・ヤマダ』に近い発音になります。古代ではこの地を『うじ・やまま』と発音していたかもしれませんね。」と太郎が言った。

「なるほど。それで『神行』とお考えの理由は?」と鈴木刑事が訊いた。

「旧約聖書の話になりますが、イスラエル人の神である『ヤハウエ』はイスラエル人の先祖アブラハムに神からの一方的な約束(非契約型約束)として『世界をお前の子孫に与える』と言われています。しかし、子孫のイスラエル人であるモーゼとの契約型約束では十戒を守る契約を破った為イスラエル王国は滅亡し、イスラエル人は世界に離散していきました。しかし、『ヤハウエ』はアブラハムとの約束を守る為、世界の縮図である『日本列島』を創造し、そこにイスラエルの子孫を導き、そこの支配者にしました。それが、神武天皇に始まる大和朝廷です。『ヤハウエ』は現在の奈良県、すなはち大和の地に中近東にあるイスラエル・カナンの地と同じ『息吹いぶき』与える為、モーゼによる『出エジプト』の経路を日本列島で行なわせました。それが『神武東征』と云う『神行』と考えられます。神武天皇は『男の水門おのみなと』と呼ばれる地、たぶん紀州の串本あたりに上陸し、さらには鵜殿から熊野川(新宮川)を登って熊野本宮のある地、大斎原おおゆのはらを通り、大和に向かったと考えられています。エジプトを出たイスラエル人のモーゼ一行は紅海とアデン湾の境目である『バブ・エル・マンデブ海峡』と謂われる海を歩いて渡ったことになります。聖書ではモーゼ一行は『あしの海』に沿って移動した事になっています。現在では『葦の海』はシナイ半島とエジプトの間にある海を指すとされていますが、古代ギリシアの文献では現在の紅海のことをギリシア語で『葦の海』と書かれていました。それを英語に翻訳する際に『リード・シー(REED・SEA)』すなわち『葦の海』と書かかずに、『E』を一文字落とした為『レッド・シー(RED・SEA)』と成ってしまい、現在まで紅海と呼ばれることになったようです。すなわち、聖書で謂う『葦の海』とは紅海のことを意味していると考えられます。聖書では紅海に沿って移動した事になっていますが、ヤハウエ神の意思表示としての『神武東征』が『出エジプト』の置換えと想定するならば、モーゼ一行はナイル川を遡って行った可能性が出てきます。アフリカから『バブ・エル・マンデブ海峡』を渡ったイエメン共和国の地であるマンデブ半島は日本の紀州半島では潮の岬・串本に相当します。この地はアデン湾からの東風が強く吹く地であります。紅海の水を二つに割った奇跡はこの海峡で起こった事ではないかと考えられます。と言いますのは、アデン市の入り江は火山の火口であり、出エジプトの時代に噴火していたと考えることが出来ます。聖書の『出エジプト記』によると、モーゼ一行は『昼は雲の柱、夜は火の柱を目印として、その方角に向かっていった』とあります。これは火山の噴煙と火柱を意味しています。『バブ・エル・マンデブ海峡』は現在では深いところで水深300メートルくらいありますが、島が点在しており、出エジプトの時代には海底はかなり浅かったと考えられます。又、アデン湾の火山活動による水底の隆起が発生してもおかしくないと思われます。新宮三朗氏とサウジアラビアへ同行していた地質学の研究者・神谷慎介氏とリヤドで会って新宮氏にどのようなの話をしたか訊いてきました。神谷氏の話によると、新宮氏は火山活動時の土地の隆起について質問したようです。火山周辺では地下でのガス発生やマグマの流入で周辺での一時的な土地隆起がありうるらしいです。『バブ・エル・マンデブ海峡』でも同様のことが発生したとしたら、モーゼ一行はアフリカからアラビア半島南部に歩いて渡れたことになります。そして、エジプトの軍勢が追ってきた時に再び土地(海底)が沈下してエジプト兵士は溺れ死んだと考えると聖書の話の現実性が見えてきます。ちなみに『バブ・エル・マンデブ海峡』とは『涙の水門』と云う意味らしいです。『エル』はアラビア語で『潮・汐』を意味します。潮岬の潮に通じます。かつては一緒に生活していたエジプト兵士の死に対し、奴隷であったイスラエル人が涙したのかも知れませんね。神谷氏によると『プレートテクトニクス理論』、所謂『大陸移動説』から考えると、アフリカとアラビア半島は古代から少しづつ離れる方向に動いており、紀元前頃の水深は現在よりもかなり浅かった可能性があると云うことでした。アフリカの地形と九州の地形を比較すると、神武東征が高千穂峡から竹田市を通り別府湾に出たとすれば、大野川河口の大分市か別府市がアフリカのジブチ共和国のMOULHOULE市かSIYAN半島あたりに相当します。国東半島がシナイ半島に当ります。宇佐市はエジプトのカイロ近郊に相当する可能性があります。神武東征と出エジプトの経路の一致を考えると、モーゼ一行はナイル川に沿って南下し、更に青ナイルを登りエチオピアのアバヤ湖に至り、そこから東に向かって『バブ・エル・マンデブ海峡』を目指したと考えられます。すなわち、アバヤ湖が高千穂峡に相当することになります。何故ナイル川に沿って移動した可能性があるのか。それは、モーゼはエジプトのファラオが奴隷解放許可を覆す事を恐れ、万一に備えて、ナイル川の氾濫を防ぐ為にダムを上流に建設すると言って奴隷を連れ出した可能性があるからであります。また、エジプト国民が自分の奴隷を無償で解放するとは考えにくい。ナイル川氾濫防止用のダム建設のため、一時的な奴隷徴用であるとファラオが言えば国民も納得するだろうと考えた可能性があります。そして、6000人もの飲料水を確保するにはナイル川に沿って移動する方が楽でしょう。イエメン共和国側のペリム島が潮岬半島、SHEIHK・SEIDが串本に相当します。先日、イエメン共和国に行った時にこの海峡とアデンの入り江を見てきました。イエメン側の海岸から4キロメートル先にペリム島があり、その間の水深は26メートル以下らしいです。ぺリム島とジブチ共和国の間は18キロメートルくらいで水深は最大で300メートルくらいあるが浅瀬を選べば最大でも水深200メートルのラインを選択することが出来るとのことでした。」と太郎が説明した。

「ふーむ。『神国日本』ですか。神武天皇はモーゼに比定される訳ですね。弾武典は大和探偵と同じことを新宮三朗に吹聴したと云う事ですかね?」と棚橋刑事が訊いた。

「ちがいます。モーゼに比定されるのは大和に入国できずに紀州半島で死んだ長兄の五瀬命いつせのみことです。五瀬命の末弟である神武天皇はヨシュアと云う戦いに長じた人物に相当します。想像ではありますが、竹田市の岡城跡に呼び出している点から考えられるのは以上のようなことかもしれません。」と大和太郎が答えた。

「ふーむ。竹田市は神武東征の道筋ですか。それを知っている弾武則とは何者でしょうね?」と鈴木刑事が呟いた。

「韓国警察庁の話によりますと、山田五郎はK国の秘密情報機関KISSの諜報員と云う事です。少し推理が飛躍しますが、40年前の捨て子の段階からKISSは日本改造、彼らにとっては日本占有計画を推進しはじめ、将来の自国安定の為の手を打とうとしていたのではないでしょうか?3人の犠牲者の養父、山田五郎を含め4人の養父はK国のスパイであったと仮定すれば、弾武則が最後の詰めを行なう役目を担って登場してきた5人目の男と云う訳ですか。」と棚橋が言った。

「役行者が構築した結界を破壊するための40年計画ですか。そんな霊的結界の世界がほんとうにあるのか、凡人には判りませんな。江戸時代の忍者の話に例えるならば、3人の犠牲者と養父は目的地に住みこんで親子3代に亘って諜報・工作活動を行なう『草入り忍』と云うところでしょうか。陸軍中野学校では『残置諜者』と言ったところかな。」と鈴木刑事が言った。

「いえ、正確には山田六郎と3人の犠牲者の4人は自分の役目を知らなかったでしょう。単に、養父に勧められた修験修行を行なう事による霊魂の浄化と向上のみを考えていたのではないでしょうか。弾武典の操り人形として動く事を想定されていたのでしょう。彼らを殺す事も計画に入っていたのかどうかですが。殺人の遂行者が弾武典の仲間であるか、そうでなく、弾武典の計画を阻止する為に3人を殺した別の人間がいるのかどうか。韓国警察の話では、山田六郎はKISSの要員ではないようですから他の3人の犠牲者も同じでしょう。犠牲者の養父と弾武典の5人がKISSの工作員と云うことです。」と棚橋刑事が言った。

「40年計画といえば、カナンの地に入るまでモーゼ一行がアラビアの荒野を彷徨したのも確か40年とされています。何か意味があるのだろうか、この40年に?」と太郎が言った。

「推理が正しいかどうかだな。いずれにせよ、弾武典の正体を確認する必要がありそうだな。宮崎県警公安部の調査状況を確認しておく。しかし、不思議な話になってきたな。」と半田警視長が目を丸くして言った。



熊野三山40

イエメン共和国アデン市街 ;2007年 1月 20日(土) 午前11時ころ


クレーター地区にある国立博物館の見学を終えて大和太郎は外に出てきた。そして、建物のコーナーを曲がったところですばやく物陰に身を隠した。太郎の後を追ってきた白人がキョロキョロして太郎を探している。後ろから太郎がその白人の肩を叩いた。


「何か御用ですか?」とニヤリとしながら太郎が言った。

「いえ、知り合いを探しているところです。」と白人が逃げ口上を言った。

「私の方であなたに用事があります。ビッグ・ストーンクラブの方でしょ、判っていますよ。」と太郎が言った。

「知っているなら仕方ありませんね。ホテルのコーヒーラウンジでお話を覗いましょうか。」と白人が言った。



イエメン共和国アデン市街ゴールド・モアー入り江に面したホテルのラウンジ;


ラウンジのボーイにモカコーヒーを頼んだあと、二人は話を始めた。


「自己紹介する必要はないかもしれませんが、取りあえず挨拶いたします。日本から来た大和太郎です。」と言いながらパスポートを相手に見せた。

「ジャン・ポール・ドロンと云うフランス人です。イギリスの総合輸入商社の駐在員です。」と相手の白人は名乗った。


丁度その時、横隣の席に黒いマントの『アバヤ』で顔と身体を包んだ女性が一人、席についた。


イエメン共和国はサウジアラビア王国ほどイスラム色は強くなく、制約も厳しくない。公の場所での男女同席も許されている。特にアデンは南イエメン共和国の時代には社会主義政権下にあったためか、開放的である。


「ほんとにこの『アバヤ』と云う黒衣は便利だわ。変装する必要がないのだもの。大和探偵も私が隣の席にいるのに気がついていないみたい。こう見えても私、伊達にシャーク(鮫)の名前をもっている訳ではないのよ。噛み付いたら放さないわ、探偵さん。イッヒヒヒ。」と思いながら、鮫島姫子は聞き耳を立てた。

「昨年の11月のことですが、アデン空港近くのホテルで日本人が殺されました。新宮三朗と云う人ですが、ご存知でしょうか?」と太郎が訊いた。

「ああ。覚えています。私が監視当番の時間帯に事件が発生しました。遺体が発見された時刻には別の監視担当と交代していましたので、警察の動きとかは知りません。」

「殺害犯人と思しき人物を目撃されたのですね、あなたは。」

「多分この人物が犯人であろうと思われる東洋人がその新宮氏の部屋から出てくるのを見かけています。もちろん部屋に入るのも見ています。夜だったので、新宮氏は外出しないであろうと思い、その男を尾行し宿泊ホテルと名前を確認しました。フロントの職員に確認したら、名前は弾武典で日本から来ているとの事でした。その後の事は、国際空港の出国管理管に連絡しました。そこからビッグ・ストーンクラブ日本本部技術部会に連絡を取ったはずです。弾武典の帰国日時を連絡して、日本の会員が尾行したと思いますよ。」

「その弾武典と名乗っている人物の年齢は何歳くらいでしたか?」

「東洋人の年齢を判断するのは難しいが、20歳から30歳くらいではないでしょうか。」

「55歳から60歳くらいではなかったですか?」

「あっははは。いくらなんでも、30歳と60歳は見間違いませんよ。でも、空港で飛行機に乗るときは変装していたようですがね、その60歳くらいに。パスポートを確認した空港職員の情報では確か、55歳だったと聞いています。」とフランス人が言った。

「ところで、犯人を尾行した日本のビッグ・ストーンクラブの人間を紹介してもらえないでしょうか?」

「それは難しいですね。我々の組織は秘密結社ですからね。」

「何か交換条件でも出せば教えてもらえますか?」

「交換情報ですか?」

「そうです。あなた方の組織は『モーゼの石板が入っているユダヤの失われた聖櫃せいひつ』と『イスラエルの失われた十支族』をお探しですよね。それに関する重要情報を提供すると云う事で如何でしょう。」

「その情報の信憑性はどの程度あるのですか?」

「それは考え方次第ですね。その有り場所、その人たちの居場所の情報です。推理が含まれていますので、捜索と再調査が必要になりますが、私の持っている内容はあなた方にとってはかなり重要な情報だと考えています。」

「判りました。本部と連絡を取って、後日に返事いたします。連絡先を教えてください。我々から連絡を入れます。」



熊野三山41

毎朝新聞 社会部 ;2007年 1月 22日(月) 午前11時ころ


「姫子。おまえがイエメンに言っている間に朝読(新聞)に特種を取られた。」と向山部長が出張報告に着た鮫島姫子に向かって言った。

「くそーっ。出し抜かれましたか。で、どんな内容ですか、その特種は?」と姫子が聞いた。

「山田六郎と言う4人目の殺害目標がいたらしい。九州の臼杵市内で殺されてかけたらしい。それで、姿をくらましていると云うのだ。朝読の記事では身を隠している場所は不明らしい。どこでこんな情報を嗅ぎつけやがったのかな。今日、我々の九州支局の人間が臼杵市の山田六郎が勤めていた臼杵東造船所に情報収集に行っている。」と向山が云った。

「中山隼人とか云う記者が京都支局から出向で東京本社に来ているらしいです。去年の国東半島での殺人事件で特種を取った記者らしいです。その記者が情報を仕入れたのではないでしょうかね。九州に情報源でも持っているのでしょうか?」と姫子が言った。

「そうか。そんな奴がいるのか。ところで、イエメン出張の報告を聞こうか。」と向山が言った。

「部長、バッチリです。大和探偵はアデンのホテルでビッグ・ストーンクラブの監視役と密会していました。アデンのホテルで新宮三朗の部屋を監視していた人物と話していました。フランス人のようですが、英語で喋っていました。殺人犯人は、弾武典と名乗っている人物らしいです。」

「なにー!犯人が『神聖修験研鑚教』の弾武典を名乗っているとはどう云う事だ?」と向山部長が叫んだ。

「大和探偵がビッグ・ストーンクラブのフランス人に説明していた内容ですが、大和探偵は犯人が30歳代の人間であるとの情報をもっていると言っていました。弾武典を名乗った30歳代の人物とは何者かですね。それと、何故に弾武典を名乗ったかですね。年齢も偽っていますし、変装もしていた様ですから。」

「よし、判った。この件を記事にするのはもう少し様子をみる。ベテランの栗原さんに警察から犯人情報を集めてもらう。刑事との駆け引きが上手だからな、栗原さんは。姫子も犯人がどう云う人物かを見つけるため、大和太郎をしっかりマークしろ。」と向山が言った。

「それから、大和探偵は犯人を日本で尾行したビッグ・ストーンクラブの会員と会う相談をもちかけていました。交換条件として、ビッグ・ストーンクラブが探している物の在り処を教えると言っていましたが。何時頃、ビッグ・ストーンの日本人と会うのかですね。」と姫子が言った。

「秘密結社ビッグ・ストーンクラブが探している物と云えば、『失われた聖櫃』と『消えたイスラエルの十支族』だが。大和探偵とはなにものだ?その在り処を知っているとは。」と向山部長が首をひねった。



熊野三山42;『契約の旅路』

ビッグ・ストーンクラブ、フランス本部内会議場;2007年 1月 27日(土) 


150人は入れる会議場には90度に開いた扇型状のテーブル付階段観覧席がある。扇の中心部にある講演舞台を階段観覧席は見下ろす形になっている。講演舞台の真ん中に一つの椅子が置かれており、そこに大和太郎が座っている。舞台の後方には大きな映像スクリーンが設置されている。

観覧席から33人の黒色の目だしマスクを被った人間が、大和太郎を見つめている。


「ようこそ、大和太郎さん。ここにいる我々は世界各国本部のビッグ・ストーンクラブの技術部会のプレジデントである。顔を見られると問題があるのでマスクを被っています。ご容赦ください。私のことをミスター・Bと呼んでください。」と33人の中心に座っている人物が言った。


居並ぶ人間はすべて黒色の目だしマスクを被っている。


「ビッグ・ストーンクラブの発祥地はイギリスであり、総本部はロンドンにありますが、技術部会の総本部は、ここフランスのパリにあります。石工職人クラブ組織としては西暦674年に英国で創立されましたが、秘密結社としての発祥はエジプトでのピラミッド建設の時代から始まっています。技術部会の前身の組織です。・・・・云々。」と代表者のミスター・Bがクラブの履歴を簡単に説明した。

「それでは、私から情報公開しましょうか?」と大和太郎が言った。

「いや、我々の日本支部プレジデントからアデンで目撃した人物の調査結果を先に説明します。」

「日本支部のミスター・Jです。よろしく。新宮三朗氏を殺害したと思われる『弾武典』を装っていた人物の名前は『岳内たけうち林太郎』と言います。琵琶湖に沿った山の麓、滋賀県高島市鵜川○○○で喫茶・軽食レストランとペンション『さんが』を経営しています。ペンションは山伏の方々がよく宿泊しているようです。この人物の家系を調査しましたが、明治時代以降しかわかりませんでした。ただ、江戸時代は武家であったようです。この地には白髭神社(比良明神)がありますが、我々のビッグ・ストーンクラブ創建と同じ西暦674年に天武天皇(大海人皇子)から比良明神の称号を与えられています。祭神は猿田彦命です。古事記、日本書紀において、猿田彦命は天孫降臨に際して天孫ニニギノミコトの道案内をした人物とされています。岐阜県には御岳山があり、山岳信仰と密接な関係が白髭神社にはあると考えられます。日本各地の白髭神社292社の中には猿田彦のほかに武内宿禰を祭神としているところもあります。静岡県と岐阜県には分霊社が60社強あり、埼玉県内には33社の白髭神社があります。これは、古代の高句麗人が静岡地域や岐阜地域に多数居住しており、大化の改新後に埼玉県日高市の高麗郡に移住させられた経緯に因るものと思われます。すなわち、猿田彦が朝鮮半島からの渡来人である可能性を示す証拠と考えられます。あるいは、猿田彦ではなく、武内宿禰が朝鮮半島からの帰化人であったのかも知れません。犯人がこの武内の血統と関係しているのかどうかは不明です。『さんが』と云うのは、『山家、山臥』と云う漢字を書きますが、古代から『山の民、木地師、ろくろ師』と呼ばれる『木の職人』を意味します。平安時代の文徳天皇の第一子である惟喬親王これたかしんのうが京都洛北の山中『小野の里』に隠棲したときに親王を守った人民でもあります。岳内林太郎がこの『山の民』の流れをくむ人物であるかどうかは不明です。この岳内林太郎は政治結社『大和親愛党』のヒットマン(殺し屋)としての裏家業を持っている可能性があります。単なる殺し屋で、殺人依頼を引き受ける稼業をしているのかも知れませんが。『大和親愛党』は日本の警察からは過激団体としてマークされています。その組織構成員の実態は解明されていないと聞いています。岳内林太郎と政治結社『大和親愛党』との関係を発見できたのは偶然の賜物でした。喫茶・軽食レストランで岳内を監視していた時、連絡員らしき人物と話し込んでおり、この連絡員を追跡監視したら『大和親愛党』に繋がりました。今後、われわれが『大和親愛党』を監視する予定はありませし、岳内林太郎はテロリストとしてマークしますが、われわれの目的にはそぐわないので監視対象人物からは除外します。それは公安警察の役目ですから。ただし、今、日本国内の新聞誌上で騒がれている『神武東征伝説連続殺人事件』については、ビッグ・ストーンクラブ日本本部でも多大な興味を持って観察しております。何か質問がありますか、大和さん?」とミスター・Jが説明した。

「岳内林太郎は独身ですか?又、年齢はいくつですか?」

「はい、独身です。しかし、従業員の女性とねんごろのようです。年齢は34歳です。」

「彼の父親は生きていますか?」

「戸籍上は生きていますが、同居はしていません。父親の自宅や仕事については調査していません。」

「ありがとう。これからは私や日本の警察が証拠固めの捜査をします。」と太郎が礼を言った。

「それでは、大和さん。あなたのお話を伺いましょう。『失われたアーク』の在り処と『消えた十支族』の居所を。」とミスター・Bが言った。

「始めに確認いたします。ビッグ・ストーン憲章には七つの項目があると聞いています。


1番:人類は一つの神によって創造された。(天地創造神の条)

2番:この一つの神はすべての生命の創造者である。(唯一神の条)

3番:神の存在は聖書や誓約によって啓示されている。(神実の条)

4番:聖書はビッグ・ストーンクラブ会員の光であり絶対的権威である。(神言の条)

5番:人間の魂は不滅である。(神魂不滅の条)

6番:神意に対する人間の行動がその人の運命を決定する。(神意実行の条)

7番:神を敬う態度が友人への接し方に顕われる。(敬神の条)


 と云う事ですが、正しいでしょうか?」と太郎が訊いた。

「その通りです。」とミスター・Bが答えた。

「これから私が話すことを信じるかどうかは、以上の7つの憲章を信じることが前提になっています。ところで、皆さんは次のことをご存知でしょうか。後ろの大スクリーンに映し出された日本地図と世界地図の映像を比較しながら説明いたします。日本列島は世界の縮図と謂われています。九州がアフリカ大陸。四国がオーストラリア大陸。本州がユーラシア大陸。北海道が北米大陸。淡路島が南米大陸。に相当すると謂われています。そうしますと、琵琶湖が黒海。琵琶湖の近くの余呉湖がアゾフ海。諏訪湖がカスピ海に相当します。更に、瀬戸内海が地中海。伊勢湾がペルシア湾。紀伊半島はアラビア半島に相当します。

さて、以上のことを念頭において神武東征伝説の意味を考えます。神武東征伝説をご存知ない方は挙手ねがいます。・・・・・。挙手された方はいませんね。流石さすがはビッグ・ストーンクラブの技術部会プレジデントの方ですね。研究熱心な方ばかりと推察いたします。『失われたアーク』と『消えた十支族』を追跡されているので、日本の歴史と世界の歴史をよく研究されているようですね。では、話を先に勧めます。神武天皇の長兄である五瀬命いつせのみことは神の託宣を受けて、九州の日向ひむかの高千穂渓谷から東に新しい土地を求めて移動することを決心します。曰く『青山をめぐらす東方の地』に移動する。結局、東方の地とは、現在の奈良県である大和の地でありました。当初の上陸地点は現在の大阪府枚方市あたりの『白肩の津』でありました。現在の枚方市は古代においては海岸にあり、歴史書の日本書紀では白肩の津と呼ばれています。日向ひむかに対して日下くさかの地、すなわち日のもととも表現されています。さて、白肩の津から大和に攻め入った五瀬命・神武の一行はその地の豪族であるナガスネヒコに追い返されます。この時、五瀬命は負傷します。そして、『日(太陽)の御子である者が太陽に向かって進撃したのがよくなかった。』と言って、太陽を背にして闘うために紀州半島の雄水門に上陸して北上し、ナガスネヒコの住む『登美(鳥見)の丘』の東側から攻め入ります。負傷のため、五瀬命は紀州半島の上陸地『男の水門おのみなと』で死亡し、大和に入る事はできませんでした。『男の水門』とは、日本地図では『潮の岬、串本』と考えられます。世界地図では、『涙の水門、潮の水門』を意味する『バブ・エル・マンダム海峡』に相当します。マンダブ(MANDEB)を英語のマンダム(MANDOM)と考えると、意味は『男(雄)の水門』となります。紀伊半島から北上して大和に入った神武は、先に大和に入ってナガスネヒコと血縁関係を持っていた物部氏の先祖に当るニギハヤヒの子孫の力を借りて大和後を征服しています。ここで、『五瀬命』を『モーゼ』、のちに天皇となるイワレヒコ(神武)を武人『ヨシュア』に置き換えて聖書にある『出エジプト記』と『神武東征』の経路を比較してみます。何故に『出エジプト記』と『神武東征』を置き換えてみるかと言いますと、神『ヤハウエ』はアブラハムと約束しています。世界をお前の子孫に与えると。神は『日本列島』と謂う『世界の縮図』をアブラハムの子孫であるイスラエル人に与える為、『青山せいざんのある土地』に行くこと『五瀬命』に神託したのである。それは、『アッシリアの捕囚』『バビロンの捕囚』でバビロニア、すなわち現在のシリア共和国の北西部、あるいはトルコ共和国の南端部にあたる地方に住んでいた北イスラエル王国の人々に対し、神が神託した事でもありました。アッシリアがバビロニアに滅ぼされ、さらにバビロニアがペルシアに滅ぼされて、捕囚開放によってエルサレムに戻った人々もいたが、その時点で南イスラエル王国の十支族は消えていた。アッシリアがバビロニアに滅ぼされた時点で『希望の地、アルザルを目指せ!』と神意を告げられていたのでしょうか。あるいは、ペルシアにバビロニアが滅ぼされた時点で南ユダ王国の人間と同調するのを拒絶して、『アルザル』を目指し、シルクロードを旅して東方に向かったのでしょうか。日本語に『人生いたるところに青山あり』と云うコトワザがあります。ここで云う『青山』とは、夢、希望、好い事の意味をもちます。バビロン捕囚後、ユダヤの書記官であり律法学者でもあるエズラが書いたエズラ書スペイン語訳13章39〜45に『消えたイスラエルの十支族』は好い事のある遠い『アルザル』を目指したと書かれている。『アルザル』をアラビア語で『ARDアル ZURQザル』と書くと『青い土地』と云う意味になります。私は古代ヘブライ語を知りませんが、アブラハムとその妻サライ(のちにサラと改名)の子である『イサク』の子孫がイスラエル人であり、アブラハムとそのエジプト人奴隷ハガルの間に出来た子である『イシュマエル(イスマイール;イスラム)』の子孫がアラブ人であります。すなはち、イスラエル人とアラブ人は親戚関係にあり、古代ヘブライ語とアラビア語も似た言語ではないかと考えています。

イスラエル人が『青い土地』を目指し、神武天皇が『青山のある地』を目指したことは神の意志を著しています。ビッグ・ストーンクラブ憲章の6番『神意に対する人間の行動がその人の運命を決める』に相当する人間の行動が東征(東に行くこと)でした。イスラエル人が日本に到達し、大和の地に住む事は神が約束したカナンの地に住むことに相当します。その為に、神は日本列島に世界大陸と同じ息吹を与える為、神業としての『神武東征』経路を『出エジプト』経路に一致させる行為を人間に要求した訳です。そうしますと、『出エジプト』の経路は現在言われている、シナイ半島経由ではなく、アフリカのジブチ共和国からバブ・エル・マンデブ海峡を渡り、アラビア半島南端のイエメン共和国に到着した事になります。神武はエチオピアのアバヤ湖あたりに相当する九州の高千穂渓谷から大分か別府に出て、大和に向いました。すなわち、モーゼはナイル川を遡り、アバヤ湖に到達したのでしょう。そこから、当時は噴火中の活火山であった現在のアデンの入り江、すなわち昼は立ち昇る噴煙、夜は火柱の灯りを目指して東に向かったのでしょう。その後、九州の国東半島に相当するシナイ半島で『十戒』を神から授けられます。日本では国東半島でニギハヤヒが神から『十種の神宝』を授かります。その地は国東半島の猪群山にあるストーンサークルであると考えられます。モーゼはシナイ山で2度、十戒の石板を授かります。最初の石板はモーゼがシナイ山を下り、偶像崇拝に陥っていたイスラエルの民のところに戻った際に壊されています。モーゼはイスラエルの民を説得し偶像・金の牛を破壊させ、改めて十戒を授かりにシナイ山に戻りました。この2度の行為がニギハヤヒの東征であり、神武の東征です。ニギハヤヒは国東半島で息子の高倉下と別れて東征します。当人はそのまま大和に直行し、高倉下は紀州半島南部の新宮川(熊野川の河口付近を新宮川と呼ぶ)河口にある鵜殿村に向かい、そこに住みました。神武が現在の潮岬・串本に上陸した後、鵜殿にいる高倉下の力を借りて、熊野川を北上して大和に入ります。この鵜殿うどのがイエメン共和国のアデンに相当します。鵜殿を『うどの』と読まずに『うでん⇒あでん』と発音するとその共通性が見えてきます。

ところで、神武一行が九州の宇佐から船で出航した後、九州の岡田宮に1年間立ち寄ります。岡田宮とは現在の宗像市にある宗像大社か、岡垣町にある高倉神社と考えられます。岡垣の地には鐘の岬や波津城と呼ばれる岬があります。この岬を世界地図に当てはめれば、地中海と大西洋の境目にあたるジブラルタル海峡のモロッコ側にある『スパルデル岬』、『アルミナ岬』に相当します。この高倉神社と云うお宮は神功皇后が朝鮮出兵から帰還したときに戦勝のお礼に立ち寄った地でもあります。後にでも述べますが、神功皇后の航海経路と神武天皇の東征航路は似ています。

ここでは、ジブラルタル海峡について、考察します。ジブラルタル海峡には古代からの貿易船寄港地であるタンジール港があります。ヨーロッパとアジアを結ぶ寄航地のタンジール港は北緯35度58分にあります。日本の北緯35度58分のラインには、鹿島神宮、鎌足神社、藤原鎌足を祭る埼玉県の多武峰神社、諏訪神社の神体山である守屋モリヤ山があります。韓国の北緯35度58分ラインには白村江があります。又、ヨハネがキリスト教伝道のために出発したシリア共和国のラディキア地方も北緯35度58分ラインにあります。このラディキア地方は日本地図に当てはめますと、大阪市住吉区の住吉神社のある地に相当します。住吉神社の祭神は住吉三神・綿津見三神と呼ばれる、底筒男そこつつのお命、中筒男なかつつのお命、表筒男うわつづのお命で、海神です。この三神は、イザナギがイザナミのいる黄泉の国から逃げ帰った時、身を清めるために海水でみそぎを行なった時に生まれた神様である。住吉三神は神功皇后が朝鮮出兵した時の守護神であり、帰還後、神託に従って大阪湾(茅沼の海)に面する住吉の浜に祭ったのが住吉大社であります。この三神を先祖とする安曇あずみ一族は九州志賀島を本拠としている。卑弥呼が魏国から授かったとされる金印が海岸で発見されたのが九州志賀島の海岸である。ところで、三社祭りで有名な東京の浅草神社の祭神は土師真中知はじのまつち命、桧前浜成ひのくまのはまなり命、桧前竹成ひのくまのたけなり命です。推古天皇36年(西暦627年)に竹成と浜成が浅草の海岸で見つけた金の聖観音像に対し、そのご利益を説明したのが土師真中知である。この浅草神社の神社紋は三本の干し網が重なる図柄で、イスラエル人・ガド族の紋章である3体の幕屋の図柄に似ている。金印発見と金の聖観音像発見の話が似ており、三人の命を祭る点も似ている。さて、神武天皇は瀬戸内海を東進して、広島県の安芸郡の多祁理宮たけりのみやに7年間投宿する。この多祁理宮は安芸郡府中町の多家神社あたりであると謂われています。この府中町に相当する地は世界地図で言いますと、ベニスのあるベネト地方に相当します。そして、岡山県の吉備の高嶋宮に八年間投宿します。現在の岡山市にある龍の口山にある高嶋神社が高嶋宮であると謂われています。世界地図で見てみますと、ギリシヤのパルナッソス山の麓にあるデルファイ遺跡近郊に相当します。予言と音楽、弓矢の神様アポロンの神託を授かる地でもあります。高千穂を出た神武天皇一行が最初の寄港地、九州の『宇佐』は神託を授かる宇佐神宮があります。世界地図ではエジプト共和国のエル・ギーザかカイロに相当します。宇佐神宮には八幡神が祭られています。宇佐に八幡大神が登場するのは神功皇后の生きた時代より300年後の西暦571年(欽明天皇32年)、大神比義おおがのひぎと云う人物カンナギに託宣した時であります。『八幡』と書いて『ヤハタ』と読みます。『はた』の字は『はた』の意味をもち、布製の船ののぼりでもあり、古代においては、自分の種族を表す象徴として自船に掲げたり、風向を見るのに用いていました。この『のぼり』の布が風雨に晒されてボロボロになると、船の甲板を掃除で拭く時の雑巾として用いられました。現在でも、機械加工の現場では機械油などを拭く時に使用するボロ布のことを英語でWAIST(ウエイスト;使い古し)を意味する『ウエス』と呼んでいます。そうです、古代の日本において『八幡』と書いて『ヤウエイ』、『ヤーウエ』、『ヤハウエ』などと発音していた可能性があります。賢明なるビッグ・ストーンクラブのプレジデント諸氏には、すでにお判りの事と思いますが、『神武東征伝説』は『ヤハウエ』の神がモーゼの『出エジプトの真の経路』と『失われたイスラエル十支族の行き先』を後世に伝える為に宇佐神宮で大和朝廷に託宣した事柄であると考えられます。この後も引き続き、朝廷は大和から勅使を宇佐神宮に送り、八幡大神の託宣を聴いています。八幡大神の神意を聞いた藤原鎌足の息子である藤原不比等が天皇を動かし、『古事記』・『日本書紀』の編纂を開始させたと想像できます。もともと藤原家は中臣と云われる大和朝廷内で神を祭る事を役目とした家柄の出自であり、『中臣』の前は『卜部うらべ』と云って、神託を占う事を職務としていた家柄であり、神託には詳しい家柄であります。古代では『中臣』と書いて『ナフタリ』と発音していたかも知れません。と謂いますのは、中臣家は茨城県の鹿島神宮から祭神を分霊して奈良大和の地に『春日大社』を創建しています。鹿島の地から白鹿を大和に連れ出したとされています。この春日大社の周りには鹿が守り神として自由に生存しています。イスラエル人の始祖『ヤコブ』は予言として『ナフタリは放たれた雌鹿、彼は美しい子鹿を生むであろう。』と言っています。長い旅路の後で、ナフタリは日本に於いて『藤原一族』と云う栄華を極める美しい子鹿を生んだのであります。神武東征が実際に行なわれたのか、あるいは架空の出来事であるのか、あるいは、神武以降の天皇の時代に神業としての東征の真似事が行なわれたのかは、『神のみぞ知る』であります。しかし、神武東征の物語は記紀(古事記・日本書紀)の中に存在しているのは事実です。神が創造した日本列島に世界の縮図としての『息吹いぶき』を与える神業は行なわれなくてはなりませんでした。」と大和太郎が説明をしたところで、ミスター・Bが口を挿んだ。

「バビロン捕囚が開放された後、北イスラエル王国の人々は現在のシリア共和国にあるラディキア地方の港を出て、ギリシヤ、エジプト、イタリア、モロッコに行ったと云う事ですね。そして、北緯35度58分の夜空の星をながめて、故郷イスラエルの地を思っていたのでしょうか?」

「その通りです。船で地中海に出て行った種族もあれば、シルクロードを東進して朝鮮半島から日本に渡来した部族もいたでしょう。ナフタリ族、ダン族がそうでしょう。また、ペルシャ湾から船で東進したガド族も日本に到達したと考えられます。その他、北方に向かった部族もいたでしょうが、私には判りません。」と太郎が答えた。

「消えたイスラエル人の十支族のことは判りました。モーゼの十戒石の入ったアーク(聖櫃)、所謂『契約の箱』は何処にあるのでしょうか?」とミスター・Bが訊いた。

「初代天皇である神武が大和の地を征服し後、第十一代垂仁天皇の時代に、八幡大神か天照皇大神の神託に従って、天照皇大神の御魂が安住する地を求めて近畿地方(伊賀、近江、美濃、尾張)を流浪します。垂仁天皇の娘である倭姫が天照皇大神の御杖代みつえしろとなって移動し、伊勢の五十鈴川のほとり、現在の伊勢神宮のある地を安住地と定めます。この移動時には、天照皇大神の御霊を写す神宝『八咫鏡やたのかがみ』は神輿と云う契約の箱に似た箱に入れられ、担がれていたと想像されます。この神輿に相当する箱が伊勢神宮では『覆屋おおいや』と称される『心の御柱』が入った小さな箱です。拝殿である正殿の隣の古殿地の中心にポツンと置かれています。そうです、『心の御柱』が『モーゼ十戒』に相当します。神の言葉が書かれた石板は神の魂に相当します。南ユダ王国がバビロニアに滅ぼされる以前に契約の箱は神殿から運び出されており、何処に移されたかは誰も知らない状況であった。もし、倭姫による天照皇大神の御魂『八咫鏡』の移動が、『アーク・契約の箱』の流浪を示す神意であるならば、収まるべき神殿が無いままアラビア半島を流浪した『アーク・契約の箱』」は日本の伊勢神宮に相当する世界地図の地に安置されたことになります。その地はサウジアラビアの首都リヤドであります。リヤドは『アジャ・ヤママ』と呼ばれていた地下水が湧き出すオアシスの地に建設されています。また、伊勢神宮は『ウジ・ヤマダ(宇治山田)』と呼ばれている水量豊富な五十鈴川の流れる地にあります。発音を少し変化させると二つの土地は同じ発音になります。地下の水脈は地下の川として清い流れを保っています。五十鈴川も清き流れとして、禊に利用されてきました。では、リヤド市内のどの場所に『失われたアーク・契約の箱』があるのかを推理します。『アーク』が流浪した時代には、シバ王国は消滅していたでしょう。しかし、それを知らないイスラエル人はこの地にある神殿をめざし、密かに『契約の箱』を運びだしたことでしょう。当時の地名は判りませんが、現在のリヤドに到着した『アーク』は神殿と同じ形態をしている要塞、あるいは砦に隠された可能性があります。神殿は外壁、内壁に囲まれた三重構造です。要塞も外壁と内壁の間に兵士の住居があり、三重構造でできています。リヤドにかつて在った要塞か砦の位置を調べ、そこの地下室を調査すれば『失われたアーク』は発見されると推理いたします。神殿は外敵が襲ってくれば壊され、『アーク』も破壊される可能性がありますが、要塞は外敵が再利用する為、地下に眠る『アーク』は永遠に保存される確立が高い訳です。以上で私の推理を終了いたします。」と大和太郎が説明を終えた。


会議場内の黒マスクを被ったプレジデントたちは立ち上がり、大和太郎に対し大きな拍手を送った。


「大和さん。すばらしいお話をありがとう。明日、あなたの推理の確証を得る為の活動を指令する事にいたします。」とミスター・Bが謝辞を述べた。

「一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?」と太郎がミスター・Bに訊いた。

「どうぞ。」

「エレミヤの予言では『終りの時、契約の箱のあり場所は主(神)が示して下さる。』ことになっています。それなのに、ビッグ・ストーンクラブは急いで『アーク』を発見しようとしていますね。何故ですか?神の意志に背く事になるのではないですか?」と太郎が言った。

「それは違います。ある組織が暗躍しています。その組織が『アーク』を先に発見してしまえば、神の計画に支障がでる可能性があります。それを防ぐ為に我々が行動しています。」

「その組織とは、K国秘密諜報機関KISSのことですか?」

「ちがいます。ある秘密結社です。K国を裏側で支援している組織でもあります。テロリストへの支援も行なっている模様です。アメリカ政府の中枢にも、その秘密結社の関係者が潜り込んでいますから、K国を封じ込めるのは困難です。」とミスター・Bが言った。



 熊野三山43;

東武東上線 東松山駅前の大和探偵事務所;2007年 1月 31日(水) 夕方 


「タローいる?」と言いながら、高橋直子が大和探偵事務所に入ってきた。

「おう、直子か。今日も、この近くのスーパー『武藤ハツカ堂』の改修設計の打ち合わせか?」と太郎が事務机の椅子に座ったまま言った。

「そうなのよ。でも、今日で打ち合わせは終了したわ。明日から具体的な設計に入るのよ。」

「それはよかった。頑張りなさい。」と太郎が言ったところでワイシャツの胸元に入れていた携帯電話が鳴った。手に持っていた写真を机の上に置いて、太郎は事務机から離れ、窓際に移動してから携帯電話で話し始めた。


高橋直子は、太郎が座っていた事務机に置いてある写真に目をやった。


「あら、この男性。どこかで見た記憶があるわ。確か、学生時代の『推理小説研究会』の合宿で撮った写真の中にあったわ。」と直子は思った。


電話を終えて事務机に戻った太郎に向かって直子が訊いた。


「この写真の男性は誰?」

「しまった。見られてしまったのか。直子、忘れてくれ、この男の事は。」と太郎は慌てて、警視庁から貰って来たばかりの写真を裏返しに伏せた。

「ダメダメ、忘れないわ。この男が容疑者ね。うふふふ。」と直子がカマをかけた。

「いや、ちがうよ。行方不明人で捜索依頼を受けた人物だよ。今回の事件の容疑者じゃないよ。」と太郎がウソを言った。

「そーら。誘導尋問に引っ掛かった。その慌て振りでは、やはり容疑者ね。太郎はウソが下手くそだから、すぐにウソと判るわ。これ以上は何も訊かないわ。・・・・。」と言いながら、直子は太郎と以前に追いかけた『スリーデーマーチでの八丁湖殺人事件』の思い出話しを始めた。



東武東上線 東松山駅前の喫茶・軽食『やきゅう』;2007年 1月 31日(水) 夕方


モカ・コーヒーを飲みながら待っていた鮫島姫子が言った。

「どうだった、直子。」

「バッチリよ、姫子。容疑者と思われる男の顔写真を見てきたわ。あいつの写真は自宅に帰れば、アルバムの中にあるわ。確か、滋賀県の比良山系で合宿した時の写真の中にあるはずよ。タローは写真を見られただけで、人物の名前や住所は知られていないので、特に気にしていない様子だったわ。私がその人物の名前も住所も判る資料を持っているのを知らないのよ。急いで、帰りましょう。」と言いながら、直子は姫子の腕を引っ張った。 



高橋直子のアパート ; 2007年 1月 31日(水) 午後7時ころ


直子と姫子は学生時代の写真アルバムを見ながら顔を見合わせた。

「やはり、この男性ね。私たちが合宿した宿坊『前峰寺』の向い側にあったペンション『さんが』のご主人よ。」と直子が言った。

「名前覚えている、直子?」と姫子が訊いた。

「写真の裏にメモってあるわ。岳内たけうちさんと書いてあるわね。」

「サークルの全部員で散歩していたとき、この人の車の後輪が溝に嵌っていて動けないのを助けてあげたのが知りあったきっかけだったわね。」

「そうそう。男性部員が5人掛かりで引き上げたわね。お礼に、喫茶コーナーでモカ・コーヒーをご馳走になったのを覚えているわ。」と直子が言った。

「本当にこの人が容疑者なの?人の良さそうな方だったと記憶しているけれど。」と姫子が訊いた。

「人は見かけによらないって謂うでしょ。タローの雰囲気からして、間違いないと思うわ。」

「兎に角、(新聞)社に帰って、調べなおしてみるわ。京滋支局に連絡して現地調査してもらうかもしれないわ。」

「だめよ、姫子。自分で現地へ行って確認するのよ。特種とくだねが掛かっているのだから。金一封を貰って、ご馳走を食べましょうよ。」と直子が言った。



熊野三山44;

毎朝新聞本社 社会部 ;2007年 2月 3日(土) 午前11時頃


京都から琵琶湖に出張していた鮫島姫子が戻って来て、出張報告をしている。


「部長。やっぱり、岳内たけうちが真犯人の可能性が大きいですね。京滋出張所の立原さんのオートバイの後部座席に乗せてもらって、高嶋市鵜川の周辺を走り回って来ました。私服刑事の乗った滋賀ナンバーや大阪ナンバー、京都ナンバーの覆面パトカーがいたるところに駐車していました。ペンション『さんが』を中心にして半径12Km以内を三重構造で見張っている感じでした。立原さんも驚いていました。こんな大掛かりな包囲体制は初めてだって。」と姫子が向山部長に報告した。

「岳内の素性は調査したのか、姫子。」

「本名、岳内林太郎といいます。年齢は34歳、独身です。本籍は現在の住所地、すなわちペンション『さんが』の住所と同じです。戸籍上、父親は生存していることになっていますが、私が学生時代に岳内と話したときには、確か、両親はすでに死亡していると言っていました。生きているとしても同居はしていないはずです。警察に気づかれないようにしましたので、ご近所の聞き込みはしていません。山伏姿の宿泊客が8人くらい居ました。客のふりをして、喫茶コーナーでコーヒーを飲みながら様子を窺ってきました。岳内は普段通りの生活をしているようでした。ハイキング姿をした刑事風のアベックが軽食を食べながら、岳内の様子を窺っていました。」

「そうか、本星か、岳内林太郎は。姫子の報告を信用するとして、この包囲体制だと、今にでも警察が岳内の逮捕を実行しそうだな。警察が逮捕に踏み切ってからでは特種にならないからな。よーし、一丁、バクチを打つか。」と向山部長が呟いた。

「バクチって、何ですか?」と姫子が訊いた。

「明日の朝刊一面に五段抜きで、『神武東征伝説連続殺人犯の逮捕が真近!』の記事を出すんだ。三面に事件の背景や事実構造の詳細記事を出す。ベテランの栗原さんの調査と宮崎支局の松前からの報告で、事件の背景はほぼ掴んでいる。記事を出すタイミングを計っていたところだ。日曜朝刊の一面か、うっふっふふ。他社のやつら、面玉ひんいて驚くだろうな。よっしゃあー。」と向山が大声で叫んだ。

「部長。他社だけでなく、警察庁や捜査本部の刑事さんも面玉ひん剥きますよ。」と姫子が言った。

「姫子。栗原さんと岩田の携帯に電話して、午後4時に社に戻るように連絡してくれ。そして、緊急会議を開くと伝えてくれ。」



熊野三山45

皇居・桜田門近くの警視庁内、第三テレビ会議室;2月4日(日)午前10時ころ


第三テレビ会議室の壁に『熊野牛王神符連続殺人事件合同捜査本部』と書かれた大きな紙が貼られている。


毎朝新聞の朝刊を手にもった鈴木刑事が大声を出しながら、部屋に入ってきた。

「馬鹿ャロー、毎朝新聞め。どこでこんな情報を手に入れやがったんだ。おい、岳内を緊急逮捕だ。別件の調査は済んでいるだろ。滋賀県警に頼んで逮捕状の申請をしてもらえ。政治結社『大和親愛党』が岳内を殺す前に身柄を確保しろ。非常事態と言って、半田警視長を呼び出してくれ、塚口。それから警察庁公安部の手塚課長に連絡が取れるかな?」

「半田警視長は先ほどお見えになって、警察庁庁舎の刑事局長室に行かれました。公安部の手塚課長には先ほど半田警視長が連絡されていました。刑事局長室に来るように、呼び出されていました。同様に、鈴木さんが来たら、刑事局長室に来るように伝えて欲しいとのことでした。」と塚口刑事が言った。

「そうか、判った。それから塚口、滋賀県警と京都府警と大阪府警にも連絡して、緊急逮捕の準備を依頼しておいてくれ。」と鈴木刑事は言ってから部屋から出て行った。


捜査本部内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。



熊野三山46;自白

滋賀県高島市の滋賀県警・高島警察署、取調室;2月11日(日) 午前9時ころ


パスポート偽造容疑で滋賀県警に逮捕された岳内林太郎は黙秘を続けたまま、取調べも一週間が経過していた。警察庁から特別捜査官に任命された鈴木刑事と塚口刑事が滋賀県警察本部に出向して、岳内林太郎の取り調べを行なっている。小さな机を挟んで、鈴木刑事と岳内が向かい合って座っている。塚口刑事は後方で口述記録係をおこなっている。


「偽造パスポートまで造って、アデンで何をしていたんだ?新宮三朗を殺しただろう。そろそろ、白状したらどうだ。精神的に苦しいだけだぞ。何度も言うが、誰かを庇う気持ちがあるのかも知れないが、その相手は、お前のことなど少しも心配していないぞ。それとも、プロの殺し屋としての意地か?」と鈴木刑事が言った。

「・・・・・・・・・・。」岳内林太郎は相変わらず黙秘を続けている。

「お前を逮捕しなければ、お前自身が『大和親愛党』が派遣する殺し屋に殺されていただろう。恩を売る気はないが、京都駅の新幹線ホームで警視庁公安課の人間がその殺し屋を職務質問して銃砲刀剣類所持法違反で緊急逮捕したから、お前は殺されなかったんだ。そいつはお前を殺す為に京都から滋賀に入るつもりでいたらしい。我々の公安が『大和親愛党』を監視していたからお前はここに居る。そうでなかったら、今ごろは灰になっていたか、解剖遺体安置室の中にいただろう。」

「・・・・・・・・・・。」

「面白い話をしてやろう。お前の家系の歴史を調査した。たぶん、お前の先祖のことを、お前は知らないだろう。ショックを受けるか、自分の宿命に納得するか、どちらかだろう。『江戸北町奉行所の犯罪取調べ記録』と云う資料が警察庁資料室にある。江戸時代の享保年間の事だが、側用人暗殺事件があった。辻斬りだったようだが、そば屋の目撃証言から岳内陣内たけうちじんないと謂う浪人が犯人として捕縛された。経緯は省略するが、奉行所の役人が岳内陣内と伊賀の忍者との密会現場に踏み込んで捕縛した。伊賀者には逃げられたようだがな。どうも、伊賀忍群の首領が側用人殺害の首謀者ではないかと奉行は推測したようだ。奉行の秘密日誌に書かれていたことだが、大目付からの圧力で、岳内陣内は打ち首獄門を免れて、八丈島へ流される。その後、消息不明になっている。殺されたのか、島抜けに成功したのかは不明だ。ただ、島流しに減刑するには、岳内陣内が犯行の経緯を北町奉行ひとりに白状することを条件としたようだ。そして、陣内は意外な事実を奉行に証言している。『自分の先祖は大和朝廷の《影の軍団・黒鵜くろう族》である。黒鵜族は大和朝廷の要人を警護する役目を担っていた。飛鳥・奈良時代、平安時代、鎌倉・室町幕府の時代も、黒鵜族は朝廷を守ってきた。弓削道鏡の神託事件で、九州大隈に流される和気清麻呂が、道鏡が放った刺客に襲われたとき、清麻呂を守ったのが黒鵜族である。道鏡が刺客を放つ事を事前に知った時の権力者である藤原一族は、清麻呂を守る為、猪の毛皮を被って、清麻呂の道中、着かず離れず警護しろと黒鵜族に命じた。刺客が襲ってきたとき、それを撃退したのが我が祖先の黒鵜族である。戦国時代に入って、黒鵜族は解散するが、一部の残党が関が原の合戦で徳川家康に味方したのが縁で服部半蔵率いる伊賀忍者と協力して、徳川幕府を守護する任務を請け負う事となった。自分はその黒鵜族の残党の子孫であり、本拠は滋賀県琵琶湖の比良明神の神体山である岳山の麓にある。しかし、今回の事件で、自分が捕縛されたため黒鵜族は徳川幕府から《影の軍団の役目》を解任されるだろう。黒鵜族の歴史はここに終焉するだろう。《影の軍団の役目》とは国家鎮護の為の暗殺遂行である。』と証言している。側用人が何故殺されたかは白状しなかったようだ。陣内は白状したが、北町奉行が記録に留めなかったのかも知れないな。お前の家系は時の政権に利用され、捨てられる運命にあるみたいだな。」と鈴木刑事が岳内を挑発した。

「それがどうした!俺の先祖を侮辱するな。俺たちは利用されているんじゃない。比良明神が造り上げたこの国を守る為に、国体を堅持できるように比良明神の意志で動いているのだ。国を滅ぼそうとする奴らはみんな敵だ。その時代の政権は日本国を維持する為の役目を担っているだけだ。自分たちが支配者だと錯覚しているだけだ。大和朝廷も日本と謂う国を守護しているだけさ。」と岳内林太郎が口を開いた。

「なるほど、それで連続殺人を実行したわけか、大和愛国党の指示に従って。」と鈴木刑事は誘導尋問をした。

「違う。大和愛国党は俺に殺人なんか命じていない。俺が、愛国党から弾武典の情報を貰っただけだ。勘違いするな。だから、大和愛国党が俺にヒットマンなんかを差し向けるはずは無い。お前の話はウソだらけだ。」と岳内が声を荒げて言った。

「なるほど。今回の連続事件ではそうかも知れないが、以前からお前はプロの殺し屋として、政治結社からの殺人依頼を実行していたのじゃないのか?過去の事件の口封じの為、お前にヒットマンを差し向けたと考えられるが、どうかな。」と鈴木刑事が呼び水を打った。

「・・・・・・・・。」

「図星だな。しかし、比良明神が日本を創ったと謂うのは現在信じられている歴史的事実に反しているのではないか?比良明神である猿田彦は天孫族のために道案内をしただけだろう。」

「違う。猿田彦命がいたから日本国を天孫族である大和朝廷が治める事が出来たのだ。勘違いするな。」

「まあ、そう云う事にして置こうか。だが、何故、那智十郎、本宮真一、新宮三朗を殺し、更に山田六郎を殺そうとしたのだ。彼らが、日本を転覆させようとでもしていたのか?」

「いや、違う。奴らは利用されていただけだ、『神聖修験研鑚教』の弾武典にな。那智十郎たちは俺のペンションで、弾武典から指示を受けていた。偶々、弾武典が自分の仲間と密談しているのを俺が立ち聞きしたのが今回の連続殺人を行なった発端だ。弾武典は日本征服のため、役行者が構築した日本国安泰の結界を潰すことを計画していたのだ。殺した三人と逃げた山田の4人はそれぞれ別々の日に、弾武典から《山伏の即身成仏》に向けた神行だと言われて、日本国の道路元標がある日本橋、和歌山県の紀宝町鵜殿、九州の竹田市、臼杵市での呪文結界修行を行なう様に指示されていた。しかし、この4人が結界を破壊する能力などもっている訳がない。この4人の名前を利用して、新たな呪文を日本に植え付けるのが弾武典の目的だった。日本征服のためにな。そのために、牛王神符に呪文を込めた文字《剣》、《鏡》、《玉》、《比礼》それぞれを4人に持たせた。そのことをおれはしっかり盗聴した。そして、この呪文が入った牛王神符を奪う為、奴らを殺した。そして、偽の、おれが造った呪文の入っていない牛王神符を現場に置いて、弾武典の存在を浮かび上がらせるのが狙いだった。弾武典が犯人だと警察に思わせる為にな。弾武典に変装してイエメン共和国のアデンに行って、新宮三朗を殺したのも、それが狙いだった。おれの体の中には、お前の謂う『影の軍団』の血が流れているのかも知れない。殺し屋稼業は親父おやじから引き継いだ。子供のころから、そうなるように育てられたからな。親父はある時、姿をくらましやがった。俺が殺し屋に成ったの見届けてからな。何処に行ったのかは知らない。『宿命』か・・・・。そうかも知れんな、お前が言うように。」と岳内林太郎が寂しそうに呟いた。

「何故、張本人の弾武典を殺そうとしなかったのだ。そうすれば、4人を狙う必要は無かっただろう。」と鈴木刑事が訊いた。

「弾武典には常に、ボディガードが付いている。それに、おれが盗聴した時にはすでに、呪文の入った牛王神符を4人に渡していた。後で判ったことだ。そのため、4人を殺す事に決めた。しかし、弾武典の素性がよく判らなかったな。韓国人と思われる人物と時々、北九州市の小倉で密会していたな。」と岳内が言った。

「韓国人?K国人ではなかったか?」と鈴木刑事が訊いた。

「それはわからない。朝鮮語で話していただけだからな。二人だけで。相手の奴のアジトは尾行して判っている。」

「その場所を教えてくれるか?」

「北九州市小倉にある小倉城の近くだ。地図を持ってくれば、場所を教える。弾武典を捕まえて、日本を守ってくれ、刑事さん。」



熊野三山47;

静岡県富士宮市を走る東海道新幹線『のぞみ号』の列車内;2月11日(日) 午後4時ころ


岳内林太郎に白状させた褒美でグリーン車での帰京を許された二人の刑事が新幹線の車窓から外の景色を眺めていた。工場の煙突群の後方に大きく迫る富士山が真っ白に横たわっている。


「やあ。夕陽に映える富士山が綺麗ですね。やはり『日本一の山』ですね。白い雪にすっぽり包まれて、いいですね日本は。」と塚口刑事が隣に座っている鈴木刑事に言った。

「日本か・・・。岳内林太郎は何を思って今まで生きてきたのだろうか?人生を日本国に奉げる決心をどこでしたのだろうか?わからんな、あいつの気持ちが。殺し屋というカゴの中で苦しんでいなかったのかな。どこかで踏ん切りをつけたのだろうが、それでも罪の意識が無かったといえるのだろうか、自分自身に対して。父親から聞かされたご先祖様の話で自分の運命を悟ったのかな。日本の治安を守る役目の刑事である俺には、そんな生き方は出来んな。岳内一族の人生とは何なのだろう。比良明神と契約でも結んでいるのだろうか?古代から現在までの長い長い一族の罪を重ねる旅か。このあたりで終止符を打たしてやりたいものだな。俺は日本酒になら命をささげることは出来るかもな。東京に帰って、早く『チュー(日本酒)』を飲みたいな。殺し屋・岳内林太郎か。しかし、殺人は許されない。《汝、殺す無かれ》だ。」と鈴木刑事は思った。

「でも、鈴木さんは博識ですね。『影の軍団・黒鵜族』ですか。あんな江戸時代の資料をよく見つけましたね。」と塚口刑事が言った。

「『影の軍団・黒鵜族』?そんな資料が警察庁にあったかな?たぶんあるのかも知れんな。」と鈴木が言った。

「鈴木刑事お得意の『おとぼけ』がでましたね。京都駅でのヒットマン逮捕の話と同じで、ウソですか。又、やりましたね。『落しの名人』の真髄をしっかり見せていただきました。ありがとうございます。」と塚口刑事が言った。

「あいつに白状させてやる事が、あいつの為になるんだ。悪い秘密を隠したまま、あの世に行けば、あいつ自身が苦しむだけだ、あの世でな。魂の救済のための嘘でないと許されないぞ、塚口。わかったな。それと、相手の急所が何であるかの見極めが重要だ。一度、急所の読みを間違うと口は二度と開かないと思っておけ。俺にも苦い経験がある。それと、嘘の話をするタイミングも重要だぞ。」と鈴木刑事が言った。



熊野三山48;

警察庁・刑事局長室;2007年 3月23日(金) 午前10時ころ


「公安部に内閣調査室から連絡が入った。弾武典はやはりK国秘密諜報機関KISSと関係がある。北九州市小倉北区の雑居ビルにKISSの拠点があるようだ。表看板は『株式会社・祇園』で、貿易商社と云うことだ。内閣調査室の話では、15人の社員全員がKISS要員と判断したようだ。来週の月曜日に宮崎県えびの市にある『神聖修験研鑚教』本部と『株式会社・祇園』に踏み込む事に決定した。容疑は『軍事用途に転用可能な高度技術用品の無許可輸出容疑及び外為法違反』だ。宮崎県警と福岡県警のトップには連絡した。機動隊の出動を含め厳戒態勢を取る。新潟県での銃撃戦みたいにならないよう、慎重に対処する。死人が出ないように願うばかりだ。」と朝海刑事局長が半田刑事局長補佐に言った。

「そうですか。しかし、今回の連続殺人事件は意外な展開に成りましたね。」と半田が言った。

「いや、最初に半田君が考えたように、日本国に対する挑戦だったね、今回の事件は。合同捜査本部を早期に設置したのが、事件解決につながった。いや、ありがとう、半田警視長。しかし、K国が日本征服のため、40年計画を遂行していたのには驚いたな。K国の発想はとんでもない犯罪を引き起こすから、公安部に対して組織犯罪を未然に防げるように調査活動強化を要請しておいた。」と朝海刑事局長が言った。

「KISSの40年計画には間違いがありましたから、いずれにしろ計画は失敗する宿命にありました。」と半田警視長が言った。

「どう謂うことかね?半田君。」

「殺害予定の4人の養子たちに持たせた午王神符の朱色の文字です。新宮の熊野速玉大社の祭神は速玉乃男神ですから、『玉』の文字でよいのですが、残りの三つの文字の組み合わせが間違っていました。熊野本宮大社の祭神は素盞鳴尊すさのおのみことです。素盞鳴は天叢雲剣あめのむらくものつるぎ八岐大蛇やまたのおろち退治で手に入れましたから、本宮氏は鏡ではなく『剣』の文字でなければなりません。そして、山田氏の場合は伊勢神宮の祭神である天照皇大神あまてらすおおみかみの象徴としての太陽を表す『鏡』の文字を持っていなければなりません。そして那智の滝は『剣』を表しているのではなく、長く垂れた布、すなわち『比礼ひれ』を象徴しているのです。」

「なるほど。神業を成就させるための根本が間違っていた訳だ。だから、計画が事前に露見してしまったのだな。岳内林太郎に計画を聴かれてしまった訳だ。」

「そういうことでしょう。」



熊野三山49;

京都市左京区修学院離宮近く、藤原大造 宅 ;2017年 2月27日 午後3時半ころ


神武東征伝説殺人事件が終決してから10年の月日が流れた。

藤原大造が自宅の階段を踏み外して、意識不明のまま4日間が経過した。外傷はないが、食事も出来ないので病院に入院させるかどうか、家族と家族に呼ばれて見舞いに来ている大和太郎が相談している。近所の医者も駆けつけて、大造の脈拍を測定していた。

すると、床に臥していた大造が突然、か細い声で歌いはじめた。


「カゴメ、カゴメ、かごの中の鶏は、何時、何時、出やる、夜明けの晩に、鶴と亀がべった、後ろの正面、だああれ。」

「おとうさん。」と藤原夫人が声をかけた。


しかし、藤原大造は反応しない。

藤原大造は夢を見ていた。


「大ちゃん。今日は楽しい一日だった?」と母親が小さな子供に話し掛けている。

「うん。幼稚園の園長先生のお話が面白かったよ。竹かごの中の二羽の鶏を鶴さんと亀さんが協力して逃がしてやるお話だった。」

「ふーん。それは良かったね。さあ、家族みんなで、夕ご飯を食べましょう。お父さんも帰っていますよ。」

「うん。」

そして、藤原大造の意識は遠ざかっていった。


「ご臨終です。ただ今の時刻は、午後3時45分です。ご愁傷さまです。」と藤原大造の脈を取っていた医者が、聴診器を耳から外しながら言った。



京都市左京区修学院離宮から曼朱院、詩仙堂、一乗寺に抜ける道中 ;2017年3月1日 午後3時ころ


藤原大造の葬式と斎場での骨上げに参列し、藤原大造の自宅での読経を終えた後、藤原家を辞した大和太郎が、昔通った道をしみじみと歩いていた。午前中の葬式の時まで降っていた小雪はすっかり止んで、柔らかい太陽の日差しの青空が広がっている。この道は藤原先生と議論したあと、下宿に帰る時に良く通ったな。あの時とあまり変わっていないな、この道は。

「藤原先生は、ご自分のご先祖がユダヤ人のナフタリ族であるとする私の意見に大変驚いておられたな。でも、半信半疑でもあったな。その後、ご自分でいろいろと調査旅行をされたみたいだったな。考えてみれば、先生の研究はご自分の先祖を探し求める旅路であったのかも知れないな。先生が到達した結論を聴けずにお別れする事になってしまったのが残念だな。しかし、臨終間際の『カゴメ唄』には驚いたな。先生の研究の集大成があの歌なのだろうか?『後ろの正面、だああれ。』に興味をもって研究されていたな。鶴と亀は誰で、後ろに居るには誰だろう。」と思ったところで、一つの考えが太郎の頭に浮かんできた。

「そうか、『黄泉比良坂よもつひらさか』だ。イザナギとイザナミが分かれた地とは、バビロン捕囚後に北イスラエル王国の民と南ユダ王国が行く先を違えて二手に分かれた土地を意味しているのか。淡路島を180度回転させて、琵琶湖とかせね合わせると、ほぼ一致する。そして、淡路島の一宮町多賀740にある伊邪那岐いざなぎを祭神とする伊弉諾神社の位置が、伊邪那美を祭神とする滋賀県犬上多賀にある多賀大社の近くに来る。伊邪那岐大神は古事記(712年)の中で、淡海おうみの多賀に坐すと記されていたな。淡路島と淡海か。そして、その対岸には、猿田彦を祭神とする比良明神(白髭神社)があり、湖水の中に鳥居が立てられている。琵琶湖が黄泉国からの出口穴、すなわち黄泉比良坂よもつひらさかであり、淡路島が黄泉の国に通じる穴をふさぐために用いた『千引石ちびきいわ』と考えられるかな?琵琶湖は世界地図では黒海だから、バビロン捕囚では黒海の南、現在のトルコ共和国のリズ市やサムソン市あたりに連れて行かれていたのかもしれないな。そうすると、イザナギ、イザナミ、猿田彦が国生み三神か?確か、鈴木刑事の話では、神武東征伝説殺人事件の犯人である岳内林太郎は『猿田彦の造った日本国』と言っていたそうだな。まあ、歴史を覆す話は止めておこう。」と太郎が訳のわからない事を考えながら歩いていた。その時、後方で『晴天(せいてん霹靂へきれき』がゴロゴロと鳴り響く音を太郎は聞いた。大和太郎はその雷の音に思わず振り返った。

「『さらばじゃ。大和太郎!』と藤原先生が言ったのかな。」と云う思いが太郎の頭を過ぎった。



エピローグ;

埼玉県比企郡嵐山町近くの都幾川土手 ;2017年 3月 2日 午後1時ころ


大和太郎は京都での出来事を思い、恩師・藤原大造のことを考えながら都幾川土手を散歩していた。


「辞世の言葉が『カゴメ唄』か。先生らしいな。鶴と亀は誰だと考えていたのだろう、藤原先生は。鶴は冬が過ぎると北へ帰るな。鶴は千年、亀は万年生きるといわれている。亀は海にもいるが、砂漠にもいるな。イスラエル国旗に描かれているダビデのカゴメ紋は三角形と逆三角形を重ね合わせた形状をしている。頂点が上向きの三角形が鶴で北イスラエル王国の子孫、頂点が下向きの三角形は亀で南ユダ王国の子孫、現在のイスラエルか?それともアラブか?を示しているのかな。籠目かごめの竹かごの中にいる鶏はニワトリだから二羽にわか。この二羽は北イスラエル王国の子孫と南ユダ王国の子孫。とすると、籠の中にいるのは鶴と亀ではなく鶏だから、鶴と亀は誰だろう?日本航空JALではないが、日本列島は鶴が羽を広げた形をしているな。そして亀の甲羅は六角形だ。ダビデのカゴメ紋は六角形。すなわち現在のイスラエルが亀かな。そして、後ろ正面にはやはり『ヤハウエ』が居るのか。夜明けの時とは何時だろう。エレミヤ予言の終りの時とは何時だろう。藤原先生も夢の中で旅をしながら、あれこれと思いを廻らせていたのだろうか?そういえば、ビッグ・ストーンクラブの連中は『契約の箱』を見つけ出したのだろうか?奴らも夢を追いかけてアラビアの砂漠を走り回っているのかな。」


『旅に病んで 夢は 枯野を かけめぐる    松尾 芭蕉』

   

 

    熊野三山  完

    2007年 6月3日  脱稿     目賀見勝利


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