プロローグ 2年前
振り返ればなんと恵まれた人生だったのだろう。天才と持て囃される父の元に生まれ、富と地位を盾に何不自由無い生活を送ってきた。偉大な権威の庇護にかかった私に人々は無条件にひれ伏した。
誰もが私を通して父を見ていた。
そんな15年間だった。
裸足のままバルコニーへ向かう。扉を開けると柔い風が肌を撫でた。そのまま防柵まで進み、乗り越える。
丑三つ時と言えば聞こえが良いものの、眼下に広がる景色はまさしく光害だった。こんな夜景も作り物の世界に魅せられた民衆にはネオンライトのように映るのだろうか。
ふと背後に気配を感じた。父によって作られた“命”が私をじっと見つめていた。
彼女はこの景色をどう感じているのだろう。
「ねぇ、この世界って綺麗?」
「バリケードを超えてはいけません。危険です。早くこちらへ戻ってきてください」
「答えたらそっちに行くかも」
「……まず綺麗の定義を決定しなければなりません。定義を一般的な『視覚情報における煌びやかで美しいもの』の意味合いで位置付けるのであれば今度はそこから統計的分析で標準的なモデルを作り出す必要があります。最後に、出来上がったモデルと対象を比較することによって――」
「もういいよ、答えになってない」
「申し訳ございません、ですが早くこちらにいらしてください。御自室でお話を伺います」
「なんで止めるの? そういう風にプログラミングされてるのかな」
「貴方が亡くなってしまったら悲しいからです」
「悲しいの意味なんて知らないくせに」
不思議なほど気持ちは落ち着いていた。くだらない問答が心の緩衝材になったのかもしれない。
私は一体なんのために生まれてきたのだろう。
父の名代として、誰もが私にへつらう姿。乾いたペンで丸をつける大人達。時には矢面に立たされた私に、影から悪意をぶつけてくるあの表情。
どれも脳裏にこびりついて離れない。
私は父の作品ではない。
そして彼女は?
限りなく人間に近いアンドロイドとして誕生した彼女はこの先なにを目的として生きて行くのだろうか。
誰かのために遵従し、終わりのないレールの上を歩かされるだけの一生になんの価値があるというのか。
操り人形として死んだまま生きていく。
デタラメな世界だ。
なんて愉しいのか。
手を掴まれた。
惚けているうちに彼女が近づいていたようだ。
「……さぁ、御部屋に戻りましょう。お体に障ります」
「ねぇ、あなたってなんでも言うこと聞いてくれるの?」
「なんなりとお申し付けください。出来得る限りの力を尽くします」
「それなら、アレックス」
「はい」
世界を滅ぼして。