なろう作品とアニメ化
なろう作品はいずれアニメ化が終ると思う。根拠はデスマーチの不評になる。私は以前からなろうのランキングとアニメの流行の様な流れとは全く関係が無いと書いてきた。それとは別にランキングの上位20~30位は別格の物が有ると見てきた。中には好みでつまらんなって作品もあるが、そんなのはこれより下位のランキングで当たり前に発生する。
違うのはあまりに高確率で満足できる作品に溢れている。個人的好みだろう?違う、ちらっとみただけだけど、ラノベ化での発行部数もかなり多い。どこが違うのか?と言うとソツが無いプロっぽい上手さがどの作家も有る。アニメの流行ってのはそういったものと関係が無い。逆に素人の方が活躍できる。素人の読めなさのような部分があるほうが成功しやすい。ラノベもそうだが、より一発屋としての部分が強くなる。
技術や技量と言うのは再現性の高さにあって、一発屋と言うのは読者が認めるもので実際は力だとは思わない。ただそれ一回生み出すためだけの力量だといえなくも無いが、プロとしてはこの1回で稼がないと食っていけないとなる。実際ラノベはそういった読者を相手にしてない。徐々にラノベも流行の先端で食えなくなってきて、漫画っぽいそういった慣れきった上手さが重視されるようになってきている。
またはラノベの外で通用しないラノベだけの奇抜さで勝負できる人など。これはどういう事かと言うと、ラノベではありふれてないが、外(漫画アニメや娯楽性の高い実写など)に出れば珍しくも無いものが受けるなどの現象。今はまだ兆しちか見えないので、現時点では漫画を上手く描く能力みたいなものが高いと感じる人が多い。これは文学などの流れを受け継ぐ非ラノベの小説の力とは違う。
どこが違うか?と言うとあまり頭を使わないって条件付の読者向けって限定される点の面白さに限られるから。漫画でもそういったタイプの中心軸から外れた異色作も多くて、その点漫画全てを代表するものではない。異世界スマホが悪いと言いたいわけじゃないが、なろうのランキングからあのあたりの順位はまだまだなろうの素人芸の達人ってレベルしかない。それだけ20~30位には超えられない壁がある。
それが深夜アニメでは全く通用しない。その原因を探っていくうちにこれだと分かった。多分ハーレムがその原因だと見ている。カテゴリー的にはなろう異世界ファンタジーって括られてるが、キーとなるのは実際は異性キャラをどう扱うか?でレッテル貼りされている。なろうファンタジーにおいてハーレムはかなりどうでも良い。どうでも良いからハーレムになってるのだとなろうに詳しい面白さが分かってる読者ならすぐ気が付く。
真面目に恋愛なんて描く気が無いからハーレムなんだ。面白さのツボで一要素に過ぎない。だからハーレムで括られて他の部分が評価されないとなろうファンタジーなんて何も面白くない。異世界スマホの方がよっぽどデスマより面白いと言う話しが出ている。なろうのランキングの全否定になる。何故か?と言うと、デスマは他の部分が丁寧に描いていて、そんなの価値だと見られて無いので、ポンポン進んで、クソアニメとして突っ込むネタになるスマホの方が受けてしまうという逆転現象になる。
深夜アニメは萌えブームは完全に去っている。だが人の好みがそこまで変わるか?と言うと飽きただけで、結局深夜の視聴者はもう異性キャラを楽しむベースがある人しかあまり残ってない。異性キャラの部分に刺激が無ければ無視されてしまう。元々ゼロ年代に深夜のそういった学園ハーレムから距離をとった人たちが下火だった異世界ファンタジーを展開したのがネット小説の異常な異世界ブームの根底にあると見ている。
深夜アニメの視聴層となろうの読者層は多分ずれている。だがそれを多分意識できてる人は居ない。大きな枠では似たようなものだからだ。だが、こういった差は面白さに直結する。最初からその枠とずれていると見ないって選択肢になる。次の段階で見た後選ぶ選択肢からすると、異世界ファンタジーって多分あまり好かれてない。
これに対する好みが根本的にズレテルと見ている。それを言及せずにハーレムばかりに話が行くのは、深夜の視聴者が自分に関心がある事柄だけで、なろう作品をばっさり切ってしまうからになる。
アニメで受けたネット小説は、根本的に深夜で受けるだろう部分を持ってる異色作(個性や新奇性)をアニメ側が選んでいる。それをすべて使いきった後は何を選ぶか?でラノベの発行部数などの単純なものになっていく。それは上記で述べたように、20~30位は私の好みだけじゃなくて実際発行部数も高いとなるから、結果的にランキングの上位からアニメ化していく流れになる。
今後そういったなろうの価値観は多分アニメで受けないだろうと予想される。馬鹿に出来るネタアニメとして面白いか?だけが価値になるだろうと私は見ている。それはクソアニメとして優れてるか?となってくる。受けたとしてもそれは本来の面白さが受けてるわけじゃないので重要ではない。
じゃなろうは変わらないととか啓発するのが目的ではない。オーバーロード級の作品は個性や新奇性が必要となる。それを目指すのは利口ではない。何故なら、何度も書いてるが、頭を使わない作品に個性などポンポン生まれないからだ。その反面個性や新奇性をその条件下で作ると駄作が生まれまくる。
創る事を分かってない馬鹿だけが、無責任にこういった新奇性や個性を重視した作品つくりを述べて下らないゴミ批判を繰り返していると見ている。建設的な批判ではない。ただ私が言うのは、同じような流れでやってる限りアニメで受けないのは覚悟しておいたほうが良い。
発行部数という根拠はあるが、根本的には私の作品の面白さへの感覚がベースになった言及になってる。その点ただの主観じゃないかって片付ける人はそうおもってくれて構わない。