第二話 鉄砲百合と怯える村人
前回のあらすじ
花畑で花冠作ったりきゃっきゃうふふする夢見がちな27歳。
でっかいからいろいろ諦めてきたが、実はかわいいものが好き(公式)。
馬車は進み、あたしたちは村にたどり着いた。
地図と、それからリリオの観光雑誌によれば、この村が《竜骸塔》直前の最後の村になるらしい。
面白いことに村の名前も単純にふもとの村だった。
まあ村の名前なんてそんなものよね。
森の中ほどにあるような辺鄙な村とはいえ、《竜骸塔》に物資を運ぶ馬車がそれなりの頻度で行き来するから、この村もその恩恵にあずかって、そこそこ栄えてはいるらしい。
「って聞いてたんだけど……」
「どうにも、活気がありませんねえ」
いつものようにウルウはひと気を嫌がって姿を消すまじないを使ってるけど、別に使わなくてもいいんじゃないかってくらい、村には活気がなかった。
村の規模としては、そこそこのもんだと思うわ。
畑も広いし、家も多いし、商人がよく行き来するからか、農具なんかの鉄製品も多くみられるし、最近買ったばかりのような新品だってある。羽振りも悪くないんだろう。
でも、活気がない。
村人の数自体は、少なくない。
畑に出ている人もいるし、薪を割る人もいる。
井戸で水汲みしている人もいれば、家畜に干し草を運ぶ人もいる。
でも、その誰もが口数少なく、動きも精彩を欠き、しかしその目だけはよそ者であるあたしたちをちらちらと気にかけてた。
「よそ者嫌い……ってわけでもないと思うんだけど」
「もともと往来はそこそこあるって話でしたしね」
辺鄙なところにある村だけど、この先にある《竜骸塔》に物資を運ぶ商人たちがよく行き来するから、いわばここは交易路上にある村なのだ。
積極的に売り買いできるような資源があるわけでもないけど、商人たちが立ち寄って休んだり、商いをするような、そういう本来であれば活気のある村のはずなのだ。
なんなら観光客もここに立ち寄るだろうし、そういうよそ者の相手など慣れていて然るべきなのだ。
それが、この警戒感バリバリの反応。
「フムン。なにかしらね」
「…………子どもがいないね」
「おや、本当ですね。この時間なら、遊んでいたり、仕事の手伝いをしていてもよさそうですけれど」
ウルウがぼそりとつぶやいて、それで気づいた。確かに子供の姿が見えない。
でもいないってことではないんだと思う。家の中には気配があるし、窓からのぞく視線もある。
とにかくどこかで話を聞けないかって、大きな道に沿って進んでいけば、村の規模に合わない大きめの宿屋があった。馬車留めもあるし、立派な厩舎もある。
たぶん、普段は観光客や商隊が使うものなんだろう。
宿に泊まるとなればウルウも姿を現し、顔を出して宿を眺めた。
ボロい、とは言わなかった。ひなびてはいるけど、ぼちぼちきれいで、きちんと掃除もされていて、内装はわからないけど、外見はいい。ウルウ的にも及第点らしい。
馬車を寄せればひとが出てきたものだから、あたしたちはなにはさておき、わけを聞いてみた。
この村の奇妙な活気のなさについて。
「いえね。大したことじゃないんですよ。馬車留めは一晩4五角貨。厩舎と餌は料金込み」
「大したことないっていうわりには、ずいぶん様子がおかしいじゃないの」
「誰だって気がふさぐことはあるでしょうよ。部屋は三人部屋で一晩6五角貨。夕食朝食付き」
「なにも詮索しようというのではありません。なにかお困りでしたらと」
「いやあ、よその方が気にするようなことじゃあ、ないんですよ。特製夕食は追加でひとり2五角貨」
「……余所余所しいのに値段は強気!!」
「こちらも商売ですんでねえ。弁当はひとり50三角貨。特製弁当は1五角貨」
いやまあ町の宿屋とかだったらこのくらいとるかもだけど、田舎村のでかいだけが売りの宿屋でこの料金は割とぼってる方だと思う。村の宿とか精々三角貨で支払える範囲の方が多いんじゃないかしら。
でも《竜骸塔》行くにはここにしか宿がないし、ゆっくり休めて食事もついてとなればぼったくり過ぎともいえない。ちゃんとした寝台くらいは期待していいだろうし。
《竜骸塔》関連の交易以外では大きな稼ぎがないと思えば、村の貴重な収入源なんだろう。
あたしたちはとりあえず前金で1七角貨9五角貨支払い、リリオが心づけとして1五角貨を追加で握らせ、しめて2七角貨でようやく腰を落ち着けて話が聞けた。
いい商売してるわね……これまだ酒とか追加料金支払ってるわけじゃないのよ。
宿の部屋に荷物を置き、宿のもの──なんと村長だという──に話を聞いてみれば、こんな具合だった。
「…………失踪者?」
「まあ、そういうしかありませんなあ。あ、お茶は無料です」
話す前に出された甘茶が有料だったらさすがにキレるけど。
ここらの甘茶は林檎のようなさわやかな甘い香りのするお茶だった。
「昔っから、若いもんが町に憧れて出ていく、なんてのはよくあったんですがね」
「そういうのではない、と」
「なにしろこの村も、大金持ちというわけじゃあないが、余裕がないわけでもない。出ていきたいってもんがいるんなら、いくらか持たせてもやるし、送ってもやります。黙って家出してでも、なんてのはねえ」
「じゃあ、つまり、行方不明といいますか」
「そういうことになりますな。柴刈りだとか、はばかりだとかで森に入ったもんが、いつまでも帰ってこないとか。団栗だの茸だのを食わせていた家畜が、帰るころには減ってるだとか。先だっては、夜のうちに墓場が荒らされたってこともありましたなあ」
ううん。
どうにもこの村長さんのしゃべりが一本調子というか、のへぇっとしてるもんだから緊張感に欠けるんだけど、話の内容はあまり穏やかじゃあなかったわね。
失踪なんて言うけど、村長さんも、村人も、たぶんもっとおっかないものを想像してるんだろう。
消えた人たちが帰ってこないような、そういうおっかないものを。
「小鬼のやつばらが住み着いたんじゃなかろうか、と」
それは村の不安としては、ありふれているといえばありふれた脅威ではあった。
小鬼だとか、豚鬼だとか、そう呼ばれてる奴らっていうのは、厄介な害獣だ。
決して強くはないんだけど、別に弱いわけでもない。小鬼なら村の若集で叩けるだろうし、村の力自慢とかなら豚鬼と渡り合えるかもしれない。囲んで棒で叩けば難なくとは言わなくても倒せるだろう。
でも連中は群れるのだ。群れるし、ひとを襲うことに躊躇もなければ、子供やひとりでいるものを狙う悪意を巡らせる頭だって持ってる。やつらはあたしたちほど賢くはないけど、決して間抜けじゃあないんだ。
巡回騎士だってこいつらを駆除して回ってるし、冒険屋への依頼だってよくある話。
でもそれがなくなることがないっていうのがこいつらの一番厄介なところ。
狩っても狩っても、まるでそこら辺から生えてくるみたいにいつの間にかどこかからやってきて、住み着いて、そして増える。
「一応ね、巡回の騎士様にも相談はしたんですがね。そのときはまだ被害も少なくて、急ぎのことじゃねえだろうって私どもも考えてたもんで。次に来てくれるのははやくても来月のことでしょうな。《竜骸塔》行きの行商人もついこの前に帰っていったばっかりで、徴税人だってしばらくは来てくれやしません」
「まあ、町まで遠いですからねえ」
「そこなんですな。冒険屋に依頼を出そうにも、町は遠い。誰かをやらにゃあならんけンど、道中が不安とあっちゃあ誰も行きたがらないんですな」
被害は出ているが、甚大でもない。
そこそこに大きな村だというのが、彼らの半端な危機感の原因なんだろう。
村が大きいから、何人か消えても、まだ自分の番じゃないって、変な余裕が出ちゃう。
尻に火が付くまでは、他人事なんだ。
都会に比べて村社会では人付き合いが緊密だとは言うけど、それでもやっぱり、まだっていう感覚は生まれてしまう。まだうちではない、って。
このくらいなら、よくあることだから。ありふれたことだから。
それで、いよいよってなったときには、もう助けを呼ぶ余裕さえなくなるっていうのは、よくある話らしい。
よくある話で、でも自分のことではないんだろうって、みんな思っちゃうらしい。
参ったと言いながらも、平然とお茶を飲む余裕はある。
そんな半端に危機感を抱いて、半端に警戒をしている村長さんに、リリオが切り出した。
「私たちに依頼しませんか?」
「なんですって?」
「こう見えて私たちは冒険屋なんです。女三人でここまで旅してこれるくらいには、荒事にも慣れていますよ」
「はあ、しかし、観光で来なすったんでしょう?」
「いいんですよ。久々に冒険屋らしい仕事ですから、腕が鳴るくらいです」
「はあ、しかし、ねえ……」
リリオがこう言いだしたら聞かないってことはあたしもわかってるし、なんにも言わない。
最近過保護なウルウも、そもそもリリオの冒険を見るためについてきたっていうくらいだから、方針にはそんなに口を挟まない。
村長さんは、ちっこいリリオと、女中のあたしと、なんかでっかいウルウを順繰りに眺めて、女三人の冒険屋一行という何とも評価に困る顔ぶれを見回して、少しの間悩んでから、ひとつ頷いた。
「それで………………お代はいかほどで?」
その晩、あたしたちは特製夕食をいただいた。
酢っぱい甘藍の葉の漬物で挽肉を巻いたものの煮込みや、羊肉の皮なし腸詰みたいなのを焼いたの、鮮やかな赤色をした山鳥の大菜椒煮込みといったものは、東部の中でも東の方でよく食べられるものらしい。
また、南方穀とか東部小麦、また外国黍って呼ばれる黄色い穀物の粥がこのあたりの主な付け合わせらしかった。
南大陸原産の穀物で、寒さに弱いから北部とかでは栽培してないけど、収穫量が多いってんで東部ではよく育てられてるらしい。
粥と言ってももったりとしたもので、どちらかと言うと潰した芋に近いかしら。
肉料理を奮発してくれたのが特製夕食……ってわけじゃなく、これは村長さんの厚意らしい。
のへぇっとしててなに考えてるんだかよくわかんないけど、リリオが報酬は出来高制でいいって言ったもんだからかしらね。
小鬼なんていくら狩ってもたかが知れてるし、なんにも見つからなかったら無駄足なんだけど。
そうそう、特製夕食の正体は、鯉だった。
でっかいウルウが「でっかいねえ」って思わず言うくらいでっかい鯉を、ぶつ切りにしてからりと揚げたら、茹で野菜と一緒に盛り付けて、蕃茄や玉葱、香辛料を煮詰めた煮だれをかけまわして食べるのだ。
鯉っていうとどうしても、泥臭いし、えげつない形した骨が邪魔っけで仕方ない魚なんだけど、ここの鯉はしばらく生け簀で泳がせて臭い抜きしたもので、全然気にならない。骨も、うまいこと揚げて火を通しているからか、バリバリ食べられる。丈夫な皮だって、ざくざくした歯ごたえに仕上がってる。
揚げたてのバリバリした食感と、煮だれがからまってしんなりしみ込んだのと、一品でふたつを味わえるのは実にお得だ。
これに、村長さんは地酒も無料で付けてくれた。わざわざ無料ですって言ってくるのがちょっと恩着せがましいけど、地元の李で作ったっていう火酒は、酒精が強いのに甘やかな香りで、思わず飲みすぎちゃいそうな代物だった。
一緒に出してくれた地物の乾酪もいいものだったわね。羊の乳の乾酪だから少し癖があって、ウルウはちょっと苦手そうだったけど、あたしは結構好き。
ふわっと柔らかい、寝かせない類の乾酪で、酸味のあるこれを堅麺麭とかに塗りつけて食べるのだ。
「こんなに頂いてしまいましたから、明日は張り切って働かないとですね!」
「まあ働くは働くわよ。でも、小鬼ねえ……」
たっぷりの夕食をいただいたあたしたちは、部屋で体をぬぐった。
この言い方だと、濡らした手拭いで軽く拭うのを想像すると思うけど、あたしたちはそのあたりが普通の冒険屋とは異なる。あたしたちは《三輪百合》なのだった。
大きなたらいに、ウルウが買い貯めた温泉の水精晶でお湯をためて、これまた見つけるたびに買ってくる香り付きのご当地石鹸を泡立てて、できるだけお湯をこぼさないように体を洗ってぬぐうのだ。
もうこれ、お湯につかれないだけでお風呂入ってるのと同じよ。
これだけ贅沢なことしてる冒険屋いないわ。どころか、商人でもいないんじゃないかしら。普通の貴族だって、なにもない田舎の宿で要求するほどではないと思うわ。
まあ、これは金銭感覚とか以前に、ウルウの潔癖症と、それに感化されちゃったあたしたちのきれい好きのせいなんだけど。
割と異常だとは、まだちゃんと思ってるから大丈夫よ。
でもこの石鹸(観光地値段)を遠慮なく使えるくらいには感覚がやられてる気もするわね。
香りがいいのよこれ。
まあ、お湯の温かさでほっこりして、洗い流してさっぱりしても、小鬼かって思うと、やる気はあんまりでない。
なんだかなあって気持ちでリリオの髪を拭いてやっていると、あたしの髪を拭きながらウルウがたずねてくる。
「前にもちょっと聞いたけど、小鬼って実際どんなやつなの?」
フムン。
そういえば、話の中で小鬼にふれたり、どこそこで小鬼が出たみたいな話はしても、あたしたち《三輪百合》は意外にも小鬼と遭遇したことがなかったかもしんない。
冒険屋っていえば小鬼狩りみたいなところがあるくらいなんだけど、運よく出くわしてこなかったわね。
辺境にさえ棲息してるってのに。
「小鬼はほら、豚鬼の小さいやつみたいなのですよ」
「その豚鬼も話に聞いただけなんだよね」
「まあ厳密には別種なんだけど、相手するとなると大きさの違いぐらいよね」
「小鬼は名前の通り小さくて、豚鬼はそうですね、ウルウより大きいのもいます」
「そうそう。小鬼はリリオと同じかちっちゃいくらい」
「大きさ以外の情報が増えない」
まあ、ぶっちゃけそんなに説明することもないのよね。
「まあ、手足があって、二本足で歩いて、群れを作る害獣よ」
「魔獣ではない?」
「まあ、魔術使うやつもいるって話はあるけど、噂どまりよねえ」
「浪漫ですよねえ、小鬼祈祷師」
「そうかしらねえ……?」
髪を拭き終えて、寝間着に着替えると、ウルウは帳面と鉛筆を取り出した。こいつ、一度見たものは忘れないとかいう特技があるのに、几帳面になんか書き取ったりするのよね。
ウルウはさらさらっと適当に線を引いて、小さいヒト型と大きなヒト型を描いた。ざっくりした棒人間ね。
「まあ、大きさはこのくらい違うわね」
「あとは……緑色ですね! 肌が緑色をしています!」
「色鉛筆はない……緑色? 哺乳類の肌が緑色ってことある?」
「あるわけないでしょ」
「見たことないですねえ」
「こいつらは何色って?」
「「緑色」」
「哺乳類じゃないのかな……?」
ウルウははなはだ理解に苦しむという顔をしながらもなんとかそれを飲み込んだみたいだった。
そうはいっても、小鬼と豚鬼が緑色なのは、川の水が上から下に流れるように、昔からのことだしねえ。
「見た目通りの力しかないといえばないんですけれど、小鬼でも、思いっきりかみついたり、殴りつけたりしてくれば、十分危ないですね」
「まあ、もともと人間って愛玩犬相手にも勝てないっていうしね」
「それはちょっと言い過ぎだと思うけど、まあそうね。小さくたって悪意全開で襲い掛かってくるんだから、弱いけど、油断はできないやつらなわけ」
「じゃあ豚鬼も見た目通り怪力なのかな」
「うーん……まあ、見た目通りではあるわよ。ただ、恩恵とかは全然ないみたいで、ほんと見た目通り」
「あー……力の強いおじさんくらいの」
「そうね。ガタイがよければ村のおじさんでもなんとかできなくもないんじゃないかしら」
「まあ豚鬼も悪意が強いので、噛みつきも急所攻撃もしてくるんですけれど」
「じゃあヤバ目のおじさんが暴れるくらいには危ないわけだ」
「ヤバ目のおじさんって何よ」
「仕事クビになって家族もいなくて、社会的に失うものがなんにもないから、このまますりつぶされるぐらいなら何人か巻き込んで派手に死のうっていうおじさん。おじさん以外もいるかな」
「無敵の人じゃないですか」
「無敵の人なんだよねえ」
まあ、かなり特殊な例えだとは思うけど、豚鬼の縛られることのない悪意っていうのは、そのくらい危ないのは確かよ。
「危険度も幅があって、一匹二匹なら流れの冒険屋でもさらっと狩れるんですけれど、群れの規模が大きいと何十匹もそんなのがいるわけで、そうなっちゃうと合同依頼とか、もう騎士の人たち呼んだ方がいいですね」
「まあ無敵の人の群れだもんね……」
「それに道具の有無も大きいわ。自分で作るっていうか、人間から盗んだり奪ったりした道具で武装することがあるわ」
「フムン。器用なんだね」
「そうね。簡単な罠くらいは張るみたいだし」
ウルウはあたしたちがとりとめもなく語った特徴を帳面に記して、それをなんともいえない顔で眺めた。
「二本足で歩いて、集団で連携とって、道具も使う種族」
「そういうことになりますね」
「……………前にも聞いたけど、それだけできるんなら隣人種ってやつじゃないの?」
「前にも言いましたけれど、交易共通語通じないので隣人じゃないですね」
そうそう、とあたしも思うけど、ウルウはやっぱりドン引きするのだった。
謎感性よね。
「小鬼って、慣れたら人間の言葉分かるとかいう話あったよね」
「あー…………間違いじゃないわね。でもそれってこう、犬をしつけたら、お座りとかお手とかの合図は覚えるっていうのと同じ話なのよ」
「…………言葉が通じてるんじゃなくて、あくまで条件を覚えてるだけってこと?」
「そうなりますね。いつもかわいいって言ってたら、『かわいい』が名前だと思っちゃうのと一緒です」
「はいはい、かわいいかわいい」
「かわいいわねー」
「フフフフン……あれ?」
リリオが首をかしげている間に、ウルウも小首をかしげて、それから問いかけを改めた。
「じゃあ仮に、小鬼が交易共通語で話せたら?」
「そりゃあ隣人種でしょ」
「…………本当に通じてるかはわかんなくない?」
「なんで?」
「お座りとかお手と一緒で、こういう音に対してはこういう音を返すみたいなのを繰り返してるだけだったら、会話が通じてるとは言えないでしょ?」
「あー、お座りとかお手とかのずっと細かくて複雑なやつってことね」
「そうそう」
「でも交易共通語が通じるってことは、交易共通語が通じるってことじゃない」
「…………は」
ウルウは少しのあいだ、口を半分開いてぽかんとしてた。かわいい。お菓子とか突っ込んであげたい。
それで、空気をもしゃもしゃって咀嚼して、めちゃくちゃ苦しそうになんとか飲み下したようだった。
「そういうことになってるっていうやつだ」
「まあ、そんな感じなのかしら?」
「交易共通語が通じれば隣人種、通じなければ獣、ねえ……」
「まあ、なのでもしも交易共通語が通じる小鬼がいたら交渉なんかもできそうですけれど」
「でも話ができても小鬼なんだからやることいっしょじゃない?」
「ああ、それもそうですね」
「フムン?」
「言葉が通じても、結局人を襲ったり家畜を盗んだりするんですから、野盗とかと一緒で斬るのは変わりませんね」
「おぅ……倫理観………」
まあ、倫理とか道徳って難しいわよね。
でもそういうのは諦めたり、適当な納得を見つけるんじゃなくて、考え続けることこそが大事なんだっていつか習ったわね。
絶対正しい答えっていうのはないんだから、自分が納得できて、他人とも折り合いをつけていける理屈を考えないとだわ。
「実際、言葉の通じる野盗と、言葉の通じない小鬼の違いって、交易共通語以外にあるのかしら」
「隣人種かどうかって、君らにとって大事な違いじゃないの?」
「まあ、大事は大事ですけれど、実際的な対処が変わらないなら、違いはないかもって気もしてきますね」
「ドライというか現実的というか」
「まあ、野盗なら斬って埋める?」
「せっかく言葉通じるんだから交渉とかから入ろうよ」
「辺境の野盗は猿叫とともに斬りかかるのが挨拶よ」
「初手蛮族すぎる」
「小鬼も同じような感じですし、だいたい一緒ですね」
「どっちがどっちだかわかんなくなってきた」
「どっちも害獣よ」
「あ、小鬼なら耳そぎますね」
「急に邪教の儀式?」
「どっちかっていうと蛮族のしきたりよね」
「冒険屋の習わしですよ! 右耳ひとつで換金してくれます」
「あー、討伐証明にってことね」
「ほかに使える素材があればはぎ取るけど、小鬼じゃねえ」
「じゃあ隣人種じゃなければ素材をはぎ取るって感じ?」
「そう言う区別もできそうですね」
「でも野盗の装備って剥ぐわよね」
「君たちそんなことしてたっけ?」
「いえ、所詮はしょっぱい装備なのでわざわざは……財布くらいでしょうか」
「どっちがどっちだかわかんなくなってきた」
「野盗が隣人種で、小鬼が獣ですよ」
「いや、君たちとそいつらのどっちが蛮族だったっけ」
「蛮族度ならあたしたちの方が上じゃない?」
「高等蛮族ですね!」
「うーん、高貴な無法者集団」
だらだらと夜は更けていったわね。
用語解説
・大菜椒(Papriko)
以前まで甘唐辛子とまとめて表記されていたもののうち、大型で甘みのあるもの。パプリカ。
ピーマンは菜椒として表記を改められた。
・南方穀(Suda greno)/東部小麦(Tritiko orienta)/外国黍(Milio d'alilando)
トウモロコシ。トウキビ。南大陸原産の穀物。
高温乾燥や寒冷には弱いが、収穫率が高く、東部から北部にかけて広く栽培されている。
帝国からの遠征隊は、南大陸において生食できるスイートコーンやつくりたてのポップコーンで歓迎されて「品種改良とか、さァッ!?」と生物学者が発狂しかけたことを記録している。
・小鬼
小柄な魔獣。子供程度の体長だが、簡単な道具を扱う知恵があり、群れで行動する。環境による変化の大きな魔獣で、人里との付き合いの長い群れでは簡単な人語を解するものも出てくるという。
この人語を解するというのは、犬猫がなんとなく言いたいことを察するとか、インコが人間の言葉を真似するとかいう程度の意味であり、隣人種としては認められていない。
解剖学的に見れば脳の構造や大きさ的に人族と機能的な差異はなさそうだというのが現在の学説。
・豚鬼(Orko)
緑色の肌をした蛮族。魔獣。動くものは基本的に襲って食べるし、動かないものも齧って試してから食べる非文明種。
人族以上の体力、腕力と、コツメカワウソ以上の優れた知能を誇る。
角猪を家畜として利用することが知られている他、略奪した金属器を使用する事例が報告されている。
解剖学的に見れば脳の構造や大きさ的に人族と機能的な差異はなさそうだというのが現在の学説。
・交易共通語(Lingua franca)
もしや解説したことがなかったのでは。いや、まさか。
言葉の神エスペラントが与えた、隣人種たちが共通して会話することのできる言語。
逆説的に、この言語で会話のできない種族は隣人種ではない。
さすがに喉を潰して喋れないから獣だ、などということはないが、拷問や脅迫としてはしばしばそれがほのめかされることもある。
西方諸国では漢字らしい文字を用いた独自言語も使用されているが、それでも交易共通語での会話には支障がない。
また言葉の神の神殿では読み書きの技能を加護として授かることもできる。
なぜその言語名がエスペラント表記でないのかは神学者たちにも分っていない。
・本当に通じてるかはわかんなくない?
ウルウは「中国語の部屋」に基づいて質問を試みていた。
これは「ある記号Aが提示されたら、ある記号Bを書き加えて返す」といったようなマニュアルが定められているとして、意味を理解しないままにマニュアル通りに作業しているだけに過ぎないとしても、外部から見ている限りでは会話が成立しているように見える、という思考実験。
ウルウとしては「通じるか通じないかだけだったらキミたちだって実際はどうだかわかんないでしょ」という方向にもっていきたかったようだが、この世界においては文字通り「そういうことになっている」ので無意味な質問である。




