◇3話 街の外壁から
暗闇の川に写る星空はものすごく幻想的で、眺めていると山を登ったり下りたり、長時間歩いているのにも関わらず疲れを感じなくなる気がする。
「死ぬ前にこんな景色が見られるとはな、ただ眺めているだけで時間を忘れそうだ。」
幻想的な情景を眺めながら歩き続ける。
どのくらいの時間が経ったのだろうか、それまで暗闇の中に星が瞬くだけだった空の向こうが白み始めた。光と闇のグラデーションが薄く少しずつ広がって行き、星々の瞬きは一瞬激しくなったかと思うと、光のグラデーションに包まれた星から少しずつ輝きを失っていく。
それもまた見たことの無いような幻想的な情景だった。
完全に明るくなって、遠くが見えるようになったところで後ろを振り返る。
夜のうちに移動したので、自分が下りてきた山はもうどれだかわからない。
「あの二つの山のどちっちかだとは思うが、死体の場所はもうわからなくなったな。」
死体の場所を証言することはもう出来ないことに若干の罪悪感を感じつつ、今度は川の下流を見る。
例の施設は川沿いにあるはずだが、今はまだ見えない。
川自体がこの先で左に大きく蛇行しているため森を抜けるか、蛇行部分までたどり着かないとあの建物が見えることは無いだろう。
「すいぶん先の方にあったし、行き過ぎたってことはない・・・よな?」
川の上流と下流を見渡し、施設があるのはやはり下流の方だと確認する。
夜通し歩き詰めたはずだが、幻想的な星空に見とれていたせいか今のところ大した疲れは無いようだ。
「まだ身体は動くし、あの施設が見える所までいってみるか。」
また川に沿って歩き始めた。
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山の中や夜中に歩いていたときより歩みは速いはずだが、川の蛇行してるところまでたどり着いたときには日が傾き始めていた。蛇行部分はまだ森の中だが、森の切れ目から光が見えることから、もう少しで森は抜けそうだ。
「あれか・・・思ったよりでかいな。」
森を抜けた先は平地が広がっていて、その先に石壁に囲まれた巨大な施設が見える。石壁の向こうには、壁より高い城のような建物まであるようだ。まるで街そのものをレジャー施設にしたような、想像以上に規模の大きな施設だった。
「あんな大規模な観光施設が作られていたのなら、もしかしたらニュースでやってたかも知れないな・・・」
暫く前からテレビも新聞も無い生活をしていたため、報道されていたとしても、ただ自分が知らないだけなんだろうと自分を納得させ、施設へと向かうのだった。
施設に向かって近づいていると、街の入り口と思われる門が見えてきた。
もう夕方でほんの少し暗くなり始めているが、門に立っている二つの人影が見えた。
「人形?いや、動いてるから人だな、あれは。驚いた・・・ここはまだ営業してるのか。」
門に立ってる二人は簡易的な西洋風の鎧を着て、手には槍のようなものを持っている。
どうやら兵士役のアトラクションの従業員らしい。
人がいるということで、ハッと自分が事件現場を荒らしてしまったこと、あまつさえ死体漁りまでしてしまったことを思い出す。しかも死体の正確な場所も今となっては証言することは難しいだろう。
「あの死体のことは隠しても仕方がない。中で電話を借りて通報してもらおう。ついでに保護してもらって自分も被害者だと訴えれば、罪には問われないかもしれないし。」
山で見つけた死体のことを告白することを決意して、門に立つ兵士役の従業員のところに向かって歩き出した。・・・向こうもこちらに気づいたようだ。こちらの方を向いて近づいてくる。
「あの・・・」
「%#$&%$%%!!」
兵士役の従業員は聞いたことも無い言葉でいきなり怒鳴り出し、外壁のほうを指差している。
(な、なんだ一体!?外国人か?)
指を差しているところを見ると、自分と同じ汚いローブを着た集団が集まっていた。
(ああ。彼らと同じ格好をしているから、俺も従業員だと思われてるんだな。言葉が変なのは、そういう役作り的なものか。)
「いや、私は・・・その、ここの従業員ではなくてですね、電話をお借りできないかと・・・」
「&%&%#、%#$&%$%%!!」
再び訳のわからない言葉でまくし立てられ、やはり外壁の方へ行くように促された。
(そういえば、この手のレジャー施設では従事中は役になり切らないと違約金が発生するタイプがあると聞いたことがある。彼らもそうだとしたら、これ以上粘ると迷惑がかかるかもしれない。ここは素直に従うか・・・)
兵士役の従業員達に軽く会釈して、指を指されている外壁に向かって歩き始めた。
壁際には薄い板で庇がつけられ、その下に20人程の人物が集められていた。
どの人も自分と同じ汚らしい格好をしている。
(貧民たちまで再現してるのか・・・この中に話が出来る人がいないだろうか)
壁際の人の居ない所に腰掛け、石壁に寄りかかりながら周りにいる貧民役の人たちを観察し始める。
彼らの中に、なんとか話が通じそうな者がいないか探してみた。
しばらく眺めて見たが、みんな役になりきっている様で日本語で話してる様子は無い。
しかもこちらに関心を向ける事も無く、話しかけてくる者もいない。
(こういうことはホームレスになる前も後も苦手なんだよなあ。)
昔から自主主張ができないために自分から誰かに話しかけることもなく、話しかけられても軽く笑みを返すだけでそれ以上深く関わることはしてこなかった。
そのため話しかける相手とタイミングがわからずキョロキョロしていると、いきなり大声で怒鳴られた。
「#$&%$%$!!!」
突然の事でビクっとしながら声の方を振り向くと、そこには10歳くらいの少年が立ちはだかり、あの聞いたことの無い言葉でわめき散らしていた。暗くなり始めていたのでそれまで気がつかなかったが、目の前に迫る少年は日本人どころかアジア系の顔立ちですらないようだ。
(が、外国人!?こんな子供も何かの役を演じさせられているのか?)
「#$#%#$!」
少年の身振りから、どうやらここは自分の場所だからどけと主張しているようだ。
大声でわめき散らされているのに、周りの人はとくに気にしてる様子も助け舟を出す様子も無い。
とりあえず立ち上がってその場を離れ、人も庇もいないところまで移動して振り返ると、さっきの少年が自分が居たところで横になっていた。
(・・・これも何かの演出の一環か?それにしても子供相手にビクついてしまうとは・・・)
以前炊き出しの列に自分より相当若いホームレスに割り込まれても何も言い出せなかったことを思い出し、自分の情けなさに切なくなった。
しばらくこの場所に立っていたが、誰も何も言ってくる様子が無いことから、おそらく誰の場所でもないんだろうと確信し、その場に腰を下ろした。周りを見回したが、やはりここだと誰も文句を言ってくることはないようだ。
とりあえず落ち着ける場所を見つけられたことで気持ちが落ち着いたので、この施設について考えてみることにした。
(海外の番組で、大昔の生活習慣を徹底的に再現する祭をやってたのを見たことがある。もしかするとこの施設はそういう体験を大掛かりにやるためのものかもしれない・・・きっと期間中は自分の役を演じきらないといけないんだろう。外国人の子供にまでやらせるとは、本当に徹底しているんだな。)
「そうだ。ここでこのままここの従業員振りをするのも悪くないかもしれないな。なにせ貧民役なら現役だから、俺でも出来るだろう。くくっ・・・」
上手い計画を思いついたというよりも、己の卑屈さに笑いがこぼれた。
辺りは完全に暗くなってきたため、門では篝火が焚かれ、兵士役の人物が交代の手続きをしている姿が見える。
(あれも演技・・・だよな。)
貧民役の人たちは何人かは起きているようだが、ほとんどは横になっている。どうやら寝ているらしい。
(こんな所で寝るのも仕事の内なのか?それとも、こいつらも昔の生活を体験中の客なのか?だとしたらわざわざ貧民役を演じるなんて酔狂なやつらだ。)
そうこうしているうち自分と門の兵士役以外起きてる者はいなくなった。
「俺はまだ眠くは無いんだが・・・」
石壁に寄りかかり目を瞑る。すると吐きそうなほどの違和感を感じゾっとした。
(あれ?寝るときはどうするんだったけ?手は・・・こう組んで、足は・・・右足が上?いや、左足が上だったったか?ダメだ眠れる気がしないっ!)
こういうことは昔からよくあった。無理に寝ようとして焦燥感に苛まれ、いつまでも眠れないのだ。そうなるともう、寝ようとするのが怖くなる。
「ストレス・・・か。」
ここに連れ去られた事や、死体を荒らしてしまったことに対する罪悪感、これからの事への不安が思った以上に重いらしい。起きている間は平気だが、寝ようとすると一気に不安感が襲い掛ってくる。
「仕方が無い。いつもみたいに星でも数えるか・・・」
眠りに対する恐怖を忘れられるように、夜空の星を数え始めた。