死の残り香 第一話
田舎者トールに家族はおらず、故郷すら残ってはいない。
彼は貧乏な農村の家に生まれた。そこでの生活は貧しく、いつ飢えで死ぬか分からない毎日であったが、トール少年は家族に囲まれて充実した日々を過ごすことができていた。
あの日が来るまでは。
トール!リンを連れて逃げるんだ!後で必ず父さんたちも追いつく。さぁ行けっ!。
どんなに離れても母さんはアンタの味方だよトール。それとリンのこと、頼むよ。
彼の心に焼き付いた声。それは消したい声、忘れたくない声。
熱いよお兄ちゃん、死にたくないよ。助けて、ねぇ!なんで置いて行くの!助けてよッッッ!
忘れてはならない声。
妹をコロシタのはお前なんだよ。
「うわああああああああああああッッ!」
トールは自分の絶叫で目を覚ました。
ここはどこだろう。自身の寝ているベッドの柔らかさを背に、彼は視線だけを動かして周囲を確かめる。
彼がいるのは、どこにでもありそうな(トールの実家よりはしっかりしている)部屋だった。
本がギッシリと詰め込まれた本棚、何かの設計図らしい紙が敷き詰めてある机、埃っぽい空気。
どうしてか身体は重かったが、見知らぬ場所に居ることは彼が動く理由としては充分であった。
彼はベッドから起き上がった。
「ここはどこだ?それに俺は…」
トールは恐る恐る首元に手を当て、感触を確かめてみる。
「生き…てるのか、一体何がどうなって」
「少年、独り言が漏れてるぞ」
急に聞こえた声にトールが視線を向けると、部屋の入り口に白衣姿の女性が腕を組んで立っていた。
凛々しい顔立ちで赤いフレームの眼鏡をかけた白衣の女性は、まさしく女医。
「えっと…ここは?」
「ここはアルフレッド探偵事務所。君の命の恩人が経営する店だ」
「あ、ごめんなさい遅れました。助けてくれてありがとうございます。名前はトールって言います」
「ほう、貧しい身なりの割には教養があるのだな」
女医らしい人物がいうように、トールの服は簡素な作りのものが更にオンボロになっている状態でそれはそれは酷いものであった。
「アハハ、こっちに来たばかりでして…」
「しまった…、前言撤回させてくれ。私はどうも一言多い性質らしくてな、すまない」
「いえ、大丈夫ですから」
「ありがたい、やっぱり男は寛容なのが良いねぇ」
「あー…、女医さんの名前は…」
「おっとすまない。私は名探偵アルフレッドだ、わけあって今は白衣など着ているが女医ではない」
「な、なるほど」
話が落ち着いたところでトールは気になっていた疑問を口に出す。
「ところで、俺の傷をどうやって治療したんですか?」
トールの記憶には自分の喉を掻っ切られる感覚が焼きついていた。
「傷?なんのことだ。私が君たちを見つけたとき、君は無傷だったぞ。もう1人は…見るも無残な姿でいたがアレは君の知人なのかい?」
トールの記憶が混乱する。彼の記憶に居る人物は自身と覆面、そして女性。その中で死んだのは自分のはずなのに、アルフレッドの言葉と自分の現状によれば、それは間違いで…。
「まぁさっきまで寝たきりだったんだ。記憶が混乱してるのかもしれない、ゆっくり思い出していけばいい」
トールのそんな様子を見かねたのか、アルフレッドが微笑みながら声をかけた。
「はい…そうします。すいません」
「おいおい謝る必要なんか無い。不必要に謝るのは駄目だぞ」
「あ、すいません」
「…。ま、とにかく二日も寝てたんだ。風呂に入ってきたらどうだ、ウチの良い風呂を使わせてやる。それから飯にしよう」
飯にしよう。そう言われてトールは自身が空腹であることを感じた。
感じ出すと止まらない、彼はすぐにでも食事をしたかったがアルフレッドが風呂道具一式と着替えを寄越してきたのでおとなしく従うことにした。
「彼が最後の手がかりなんだ。失敗はできない」
トールを風呂場に送ってから、アルフレッドが誰へとでもなく呟いた。