死の都デストルド
彼の地には伝説がある。それは死者を蘇らせると言う伝説。
その自然の摂理を超えた伝説を求め、多くの人間が彼の地を目指した。
だがそれは尋常ならざる道のり、辿り着けたものは未だ現れない。
しかしそれでも人間とは欲深いもので、辿り着けぬと知ってなお、それを求め旅をする。
そしていつの間にか、そうした人間が集まって村となり、町となり、都となった。
時間と共に、この伝説は信憑性を欠いていく。
だけど、人はそれを求めずにはいられない。
とくに愛するものを失った者たちは…。
狡賢く強い人間は、あまりに脆い生き物だ。
死の都デストルド。
何百年も前に死者を蘇らせる伝説を求めた人々によって作られた都で、今現在では世界で最も栄えている場所と言われている。
中央に大きな城があり、そこを中心としてこれまた大きな城下街が広がっていて、この街を真上から見ると巨大な円に見えるのだそうだ。
そんな場所に来て1日目、田舎者のトールは厄介ごとに巻き込まれていた。
「はぁ、初日からツいてない。まさか強盗に遭うなんて…」
明るく賑やかな大通りとはうって変わり、薄暗い路地裏で彼はしゃがみこんでいた。
なぜこんな所にいるのかと言うと、恐ろしい強盗から逃れてきたためだ。
「これからどうしよう…」
強盗に遭ったことは田舎者にとって想像以上に大変な出来事で、街に来て初日からトールの心を折ろうとしていた。
人が多いが故にデストルドでは犯罪が多い。強盗、殺人、誘拐、強姦なんでもござれ、もちろんこれを防ぎ民衆を守る組織「ライブス」が存在しているのだが、欲望に従順な人間がいる限り犯罪撲滅などは叶わぬ夢でしかない。
「うぅ…」
「ひっ、だ誰かいるのか…?」
薄暗い路地裏の奥からうめき声がトールの耳にゆっくりと入り込み、彼を震え上がらせた。尻込みする自分を押し殺し、彼は暗闇に目を凝らす。段々と暗闇に目が馴染んで暗闇が暗闇ではなくなっていく。
「うわ、大丈夫ですか!」
「くっ、かっ…」
完全に暗闇に慣れた瞳に映ったのは行き倒れたらしい女性だった。
その女性は血だらけで、見れば見るほど重体のようである。トールは少し戸惑ったがすぐさま彼女に話しかける。
「すぐに医者に行きましょう!立てますか?」
彼は正義感の強い男であった。悪く言うとお人好しである。
「に、逃げろ…私といるんじゃあない!」
彼女は血反吐を吐きながら必死の形相でそう訴える。トールは思いもしなかった返答に驚き、そして怒った。
「こんな血だらけで馬鹿を言うな!とにかく医者に」
「良いから…私は何とかな、る。だか、ら…」
「…。もういい!」
トールは嫌がる女性を無理やり担ぎ上げ、大通りに向かって駆け出そうとする。
刹那、何も無かったトールの目前に、覆面を着けた人物が現れた。
「どいてくれ!今この人が大変なんだよ医者に見せないと!」
「その女を置いて黙って立ち去れ。そうすればお前まで殺さずにすむ」
トールは覆面の言うことが理解できない。彼は正義を信じているから。
「はぁ?何わけの分からないことを!とにかくどいてくれ!」
「そう、だ…その覆面の言うとおり。私を置いて君は逃げるんだ」
女性が震える声でそう言った。覆面がじわりじわりとトールににじり寄る。
「やめてくれ、助かるかもしれない命を無駄にするなんて」
トールが小さく呟く。その声は誰にも聞こえない。
「お、ろせ…とにかく逃げろ。ぐっ!」
女性がトールから無理やり飛び降りて、受身も取れず地面に衝突した。
「お、おいっ!」
「ほら、お前の身体能力を上げてやる。それで逃げてくれ…1分は持つだろう…」
女性が軽くトールに触れる。どういうわけかトールは、自身の内側が暖かくなるのを感じた。
「安心しろ魔女。その男が何も言わず立ち去るなら追いはしない」
覆面が、冷たく色の無い声で告げる。
トールは無言で覆面を睨みつけた。
「まぁ良い。邪魔するのなら二人まとめて殺すだけ。まずは女からだ」
そう言って、常人にはとても捉えられぬ速度で覆面が動く、どこにしまっていたのか短剣をその右手に持って。
覆面がトールを無視し、彼の後ろに立つ女性に向かう。彼女を殺さんと覆面の短剣が唸りを上げる!
「させるかっ!」
覆面の人を超えた速度にトールは反応することができた。鋭くしなるトールの左腕が正確に覆面の右手首を弾き、その手にある短剣を叩き落す。
覆面は突飛なことに驚愕し、トールから距離をとった。
「魔女…この男に何をした?」
何故、常人を超えた覆面の動きに対応できたのか?そんなことはトールには分からなかったし、彼は分かろうともしなかった。彼に分かっているのは唯一ひとつ、この女性を守りたいと言う自分の心。
「絶対に!殺させない!」
大声で叫んだトールが覆面に向かって飛び込み、音速に近いレベルで拳を繰りだす…ハズだった。
「意気込んでいるところすまないが、素人が多少早くなったところで意味は無い」
トールは考えもしなかった。覆面が短剣をもう1つ隠し持っているなんて。そして、先ほどよりも速く動けるなんて。
一瞬の出来事だ。トールが拳を突き出す瞬間にはもう、覆面の短剣がトールの首元に触れていた。
覆面が短剣に付着した血を払うと同時に、動かなくなったトールの体が大地に倒れこみ土埃を立てる。彼の下の大地が真っ赤に濡れた。
喉元を短剣で切られる、ほんの一瞬であった。
切られた喉元からは、トールが必死に呼吸をしようとする度にヒューヒューと笛のような音がこぼれる。
「あっあ、がああ」
言葉も発せず田舎者は故郷を思い出していた。
笑う両親、近所の小うるさいジジイ、いろんなことを教えてくれた村の魔道士、お節介な幼馴染、村の人々皆を思い出す。最後に思い出したのは、愛らしい妹のことだった。
死の都デストルド。
ここでは人の死など珍しいことではない。
その日、路地裏で1人の青年が死んだ。誰にも気づかれずひっそりと死んだ。
だけどそれでも世界は動く、彼の死など無かったように。彼の存在すらなかったように。
死は隣人である。