第五章
=魔女=
『魔術』を行使できる者の総称。男性形は魔術師。能力を手に入れた経緯によって、黒魔女と白魔女(或いは黒魔術師と白魔術師)に分類される。また、それぞれの能力分野の得手不得手が存在する。
両者共通の性質として、魔女は死ぬと、必ず灰になる。この灰は大量の魔力を含み、超高等魔術の動力源などとして、効果的に使用できる。また魔女は、人間形態と魔女形態とを使い分け、自由意思で変身したり、変身を解いたりすることができる(ただし、能力を限界まで極めた魔女の中には、肉体が魔力の侵食を受け過ぎて、変身を解くことができなくなった者も極稀に存在する)。
白魔女と黒魔女に共通する「基礎的魔女能力」(魔力とは関係ない魔女の能力)は、①魔力を探知する第六感、②集中力の上昇、③身体能力の上昇であり、これらには大幅な個体差が存在する。また、特定の強さの段階に達して以降の魔女からは「寿命」の概念が消え、自らの姿も、半永久的に若々しいまま保つことが可能だという。
なお、魔女の方が魔術師より圧倒的に多いのは、悪魔が異性としか魂の契約を結べないからである。大半の悪魔は男性であり、必然的に悪魔との契約者の大半は女性となる。悪魔との契約を必要としない白魔女・白魔術師の場合、本来男女差はないはずだが、より多くの白魔女・白魔術師がいた時代の資料を見ても、白魔女の方が多かったと言われる。教皇庁の研究機関内で提唱される、白魔女が、元を辿れば、特殊な万魔術を用いて悪魔との魂の契約を断ち切りつつ魔力を保持することに成功した黒魔女の一派の継承的末裔であるという学説は、これを根拠としている。
夜中の「街」を訪れるのは、実は私にとっては初めてのことだ。昼間の市場になら、『主人』に何度か連れられたことがあるが、夜中こうして来てみると、あのガヤガヤと騒がしい雰囲気とは、まるで別物だ。
私はとある民家の屋根の上に立ち、冷たい夜の風を感じながら、あたりを見回していた。暗闇の中にぽつぽつと、窓の明かりが浮かび上がるが、物音は一つもしない。地面も全て石によって舗装され、緑もないせいで、動物の声すら聞こえない。
世界は眠りについていた――そう思える程に、静かだ。基本的に夜中は、外出禁止令が出されているのだから、当然と言えば当然だけれど。ただそうはいっても、昼間はあんなに活気に包まれていたこのサン=ノエル中心街が、こんな重苦しい沈黙に覆われていることは、私にとっては却って不気味に思えた。それにそもそも果たして、外出禁止令程度で、あいつらの殺人を止めることはできるのか……?
なんだか、今までの例から見るに、恐らく無理じゃないかという気がした。
先程私は白魔女の形態に変身して、こっそり屋敷を抜け出した。やはりその程度なら簡単な物で、サン=ノエルには城壁が無いことも助かり、本当に都合よく、ここまで誰にも気づかれずに来られる。尤も、誰にも気づかれないのには、別の理由もあるけれど――。
私は連なった屋根から屋根へと次々に飛び移り、黒魔女の気配を探していた。もしいれば、感覚でわかる筈だ。逆に今私は、ある程度自らの気配を消して、よほど相手が意識しない限り、或いは余程私が動いたりしない限り、一般人には見つからないようにしている。《認識拒絶》の呪文だ。
下を見下ろす。霧がかった、冷たい石の路地には、人っ子一人いない。ある意味いいことだろう――自分の魔術にまだ自信は持てない。《認識拒絶》の効力がふとしたことで切れたら、私はすぐに見つかってしまうに違いないだろうし。
しばらく屋根の上をあても無く彷徨っていたけれど、これじゃあ埒が明かない。もしかして、実はもう事件が発生していて、単に私が気付いていないだけなどということはあり得るのだろうか? いや、違う――恐らくそれはない。なにせ相手はそこまでの相手じゃないんだ、本来あの一般的な聖職者たちにも捕えられてしまうようなレベルの奴なんだ、こちら側の魔力探知を遮断する能力なんて、持ってる筈がない……。
集中すれば、きっといつか、魔力の波長を感じ取ることができるだろう。それこそ、視覚なんて今は要らない。初心者の魔女は、魔術に集中するために、時には戦闘中でも目を閉じた方が良いと、『入門書』に書いてあったじゃないか――。
私は屋根の上で立ち止まった。目を閉じ、感覚を研ぎ澄ました。探すんだ。探し出してやるんだ。黒魔女を。
待つ。必死に待つ。けれど、どんなに集中しても、何も特別な感覚が訪れない。何分間かそのまま待っていたが、あまりにも何も起こらないので、段々不安になってきた。実は黒魔女は、そもそも今日は休んでいるんじゃないのか? それとも逆に、私の魔力認知能力が低いのか? いや、冷静になるんだ――たかが何分間か待っただけで、決めつけるのはよくない。奴隷になる前、お母さんによく、家の近くの海での釣りを教わったけど、あれにも似ているのかもしれない。根気よく、待つしかない。
十分が立つ。二十分が立つ。恐らく普段の私ならもう集中力は切れてしまっているだろうけれど、今の私は別だ。魔女になると、感覚が研ぎ澄まされ、集中力も一気に上がる。このままずっと待っていれば、敵は確実に現れるに違いない。
もし、シャルルのいるギルドの奴らを殺したのと同じ黒魔女が相手なら、そしてもし彼女が殺害する対象がギルド関係者だけなのなら、恐らくはこのあたりの地区を見張るので正しいはずだ。ほとんどのギルドメンバーは中心街のこのあたりの地区に住んでいる(『主人』の家だけは、少し離れているが、それは広い家が中心街に建てられないからだ)。狙われるとしたらここのあたりだろう。
それに、こちらが向こうを探知できるように、向こうも、私のことが探知できる。私自身が、一つの巨大なエサ針のようなものだ――。
――その時だった。突然、脳裏を謎の信号が駆け巡った。危険信号のように思えた、その一刹那の閃光を信じ、私は半ば本能的に、後ろを振り向く余裕も無く、思いっきり、横へとジャンプした。
と同時に、灼熱の炎の球体が、闇の中から飛び出した。ほんの一瞬前まで私がいた屋根が吹き飛び、衝撃波が、一瞬遅れて屋根の細かい瓦礫の嵐が、私の横を突き抜ける。幾つかの尖った破片が腕や足に突き刺さったけど、叫ぶ余裕だなんて私にはない。屋根の上を滑ってゆき、急いで半狂乱で敵の方を向き直ると、しばらく離れたところ、別の建物の屋根の上を、脈打つようなオーラを放つ影が疾走していくのが見えた。
敵がもう二発、指先から攻撃を放つ。うまく反応する暇がない。発作的に横に飛んでは、身体を捻らせ、なんとか着地に成功する。と、私のすぐ横を火球が駆け抜け、当たった屋根が爆散し、吹き飛び、破片が宙を舞う。
ひとまず避けることはできたけれど、駄目だ――まだ戦い慣れてない! 咄嗟に私を恐怖が襲った。こんな攻撃食らったら一発で終わりだ。コイツが、いや、これ程の奴でも本当に、ジネットのいう「三流四流の雑魚」なのか……!?
いや――落ち着け! 落ち着くんだ! 今の私は、クリスティアーナじゃない。白魔女Kだ! 今の私ならなんとかできる筈だ。あの聖職者らと戦った時はもっと強かった。自らを信じれば勝てるんだ!
考えろ――この火球をかわすこと自体は、今の動体視力なら難しくない……敵が攻撃を放つ一瞬前に、本能的に、ある程度の軌道が予測できる。なんでそんなことできるのか私自身分からなくて正直困惑するけれど、その勘だけで今のところ三発避けることには成功してきたんだ。このまま行けば――
いや――駄目だ! 避けてるだけじゃ勝てない、逃げてるだけじゃ勝てない! なんとかコイツに打撃を与えないと、こっちの方から! そうでもしなければ実際に敵を仕留めることは不可能だ。接近しないと!
私が前に駆けだすと、影は少しびくつくそぶりを見せた。そりゃそうだ――遠距離攻撃主体である以上は、接近されればされる程不利だろう。ジネットが言っていた――今のところ彼女が確認した下級黒魔女は、恐らく魔導書を持っていないからだろう、技のレパートリーに乏しく、実戦レベルの技なんて一つ、よくて二つぐらいしか知らない。だったら行ける! ジネットによれば、魔女の強さの基準は、技の強さというよりかはレパートリーだ。汎用性や適応力に欠ける魔女は、所詮大した相手じゃない。
段々と黒魔女の影が迫ってくる。私はどんどん加速していく。すると――相手は踵を返し、後ろに向けて駆け出した。
逃げるのか……!? それとも、何か策が――? 分からないけれど、ここでコイツを仕留め損ねたら、きっとまたコイツに何時か、何処かで暴れられてしまう。
目の前のコイツは黒魔女だ。いてはいけない存在だ。悪魔の誘惑に敗北し、周りがどうなろうと欲望に生きると決めた、そんな屑な奴だ。今、自らの破壊欲求に突き動かされ、この街の人々を殺そうとしている。ここで殺すべきだ!
「待ちやがれ!」
私は声を張り上げた。杖に力を込める。あの攻撃を放ってやる。聖職者たちを、一瞬のうちに消し飛ばした奴――あれを使えば、コイツだって敵じゃない。
漆黒の渦巻くエネルギーが、私の杖の先の周りに集束する。そこから私の腕へと、全身へと、力が流れ込んで漲ってくる。感じる――これだ! 全身が陶酔に弾け、独特の快感作用が血管を駆け巡る。まるで世界が自分の物になったかのような高揚感! 私は思わずにやけを浮かべた。これがあれば私は最強だ!
コイツには、この黒魔女には、あのシャルルを悲しませたっていう罪状がある。無力だった時代ならまだしも、こうして世界を変える力を手にした以上、そんな奴を生かしておくわけにはいかない。そんなことはこの私の魂が許さない。コイツをこの力で血祭りにあげてやる。泣き叫ぼうと命乞いしようと、コイツを絶対に許しはしない……この手で完膚なきまでに圧倒し尽くして、街中に贓物をブチ撒いてやる!
「死ねっ、黒魔女!」
私は嬉々として叫んだ。黒魔女がハッとして、後ろを、私の方を向くけれど、もう遅い、もう駄目だ、もう絶対に助からない。杖を前に繰り出す。顔を引き裂かんばかりの笑みを浮かべる。やった、殺せる、私が勝った! はちきれてしまいそうな、耐えられないほど溢れ出るエネルギーを、この眼前の敵に向けて、全力で放ち――。
……え?
力が消えた。文字通り全て。一瞬のうちに、全身が脱力する。嘘のように。全てまるで、幻だったかのように。
ふわりとした、嫌な浮遊感が、全身を襲った。額を、一筋の冷や汗が伝った。
そして、次の瞬間――
痛み。心臓に針の山がぶっ刺さったかのような痛み。絶叫した。頭が真っ白になる。目を見開き、口を開き、苦しい胸を抑え、その場で倒れ込んだ。呼吸ができない――口をパクパクする。涙が滲む。何が!? 何が起きた!? 攻撃された素振りはない――何が、何が、一体――あぁあぁぁぁぁあぁ――
必死に激痛と戦いながら、歯を食いしばりながら、やっと顔を上げた。その時――
「勝った!」
上から甲高い声がした。狂喜に満ちた高笑いを張り上げながら、黒魔女が前に飛び出した。その瞬間、月明かりが雲間から差し込み、彼女を照らしだし――私は、ハッとした。
少女だ――歳も私とそんなには変わらなさそうな。真黒いボロボロのドレスを着、痩せこけていて、背は精々シャルルと同じぐらい。大きな目は紅蓮に燃え上がっている。魔女帽子の下からはみ出す髪は、栗色の癖っ毛。コイツは――まさか――シャルルの言っていた――私は絶句した。
レティシア・オラール……!
わけがわからない。シャルルの同級生じゃなかったのか!? 殺された側じゃあ、なかったのか――。頭が回転し混乱する。思考が新しく繋がっていく。いや、じゃあ待てよ、だとして、もしかして、コイツ、まさか――
コイツ――
自分自身の家族を殺した……!?
ふっざっけんな――! 私の脳髄を怒りが塗りつぶした。そんな奴に――
そんなような奴に、負けてたまるか!
レティシア・オラールが、指先からまた、何発もの火球を放つ。数撃ちゃ当たるってことらしい――が――そんな簡単にはいかせない!
私は杖に力を込めた。全身の力を振り絞り、立ちあがり、駆け出し、杖を前に振り出した。
本来私に一直線に飛んでいき、私を一瞬で木っ端微塵に爆散させる筈であったろう一発の火球が、杖の先端と衝突した。私がそのまま杖を振るい上げると、火球はそのまま打ち返されて吹っ飛んでいき、空中で回転し、天高く爆散した。周りに放たれていた、他の火球は、どれも大きく狙いを逸れて、後ろの建物を破壊していった。けどそんなの今は問題じゃない。そうだ、そうだ! これだ。これで勝てる!
「な――」
レティシア・オラールが呆気にとられ、逃げようとした。きっと、自慢の攻撃が撃ち返されるとは夢にも思わず、パニックに陥ったのだろう。だが私は容赦しなかった。そのままの勢いで彼女に杖を振りかざし、脳内で、攻撃用の完全詠唱を完了させた。
武器はそこら中にある――周りの空中に飛び散った、今のレティシア・オラールの攻撃による沢山の石の破片。どれも木っ端微塵で、ギザギザに尖り、鋭い。
それらを、こうすれば――。
周りで舞い散る無数の破片が、一斉にピタリと静止した。そして次の瞬間、勢いをつけ――まるで無数の弾丸のようにして、レティシアの身体に向かって発射された。
レティシア・オラールが悲鳴を上げる。屋根の破片の雨が、彼女の全身に襲いかかる。衝撃と共に土煙の爆風が噴き出し、拡散し、私の髪とワンピースを駆け抜けた。土煙の中から、生々しい痛みの絶叫が響く。私は、ゼェゼェと荒い息を落ち着かせながら、唇から泡を拭い、必死に前に目を凝らしていた。どうだ――これで、殺せたか――。
土煙が晴れる。レティシアは、全身に鋭い石の破片が突き刺さって、見るも無残な有様だった。周りの屋根からも、沢山の破片が突き出している。レティシアは、おびただしい量の血をあたりに流し、地面に仰向きに倒れ込み、潰れかけた虫のようにピクピクと痙攣していた。身体が動けないようだ――ゆっくりと顔をあげ、私を見つけ――ひっ、と怯えた声を出す。表情が恐怖に引きつっている。
やった――。私は思わず笑いを浮かべた。勝った……黒魔女を一人、倒せた。私自身の力で! この大したことない熟練度で、既に! 私ってもしかして天才なのか?
恐らく、実際の戦闘は、精々一、二分だっただろうが、凄まじく長く戦っていたかのように私は感じた。心臓が未だにバクバクとうるさく鳴ってしょうがない。
「……なんだ……あんたは……っ」
レティシアの声は震えていた。
「あんたみたいな奴がいるだなんて……聞いてない……っ」
生きている、コイツ――まだある程度息がある。本来、それはまずいことだ。一刻も早く殺した方がいいのだろう。だが、今の言葉が、私にそれを止めさせた。
いるだなんて聞いてない――。私は目を細めた。ジネットの言っていた通り、か――。
何かが裏で、糸を引いている。コイツは恐らく、そいつの手駒に過ぎない……。
こうなったらある程度、汚い手段も使わざるを得ないだろう。
「あんた、誰の指示で動いてるの?」
私は唸った。極力、威圧的に。
「今すぐ答えなさい。今の攻撃が全力だとでも思うの? あんたの全身に突き刺さった石を、もう何センチか奥に食い込ませることぐらい容易いことなのよ。筋組織も内臓も、ズタズタのぐちゃぐちゃにできる。さぞかし痛いでしょうね。……死んじゃうかも」
一歩前に踏み出し、目を細める。
「あんたには、全て洗いざらい話して貰うわ。してきたことを、全部償ってもらう」
「してきたこと……!?」
レティシアは震えていた。そして――私はハッとした。そいつの目に――レティシアの目に、涙が滲んできているんだ。
「あたしは、まだ何もしちゃいない……やめて……ひどい……なんであたしにこんなことをするのよぉ」
「とぼけるな、黒魔女!」
私は杖をそいつの前に向けた。石が徐々に、肉に食いこんでゆく。レティシアが大きく目を見開き、叫びにならない叫びをあげた。
「次は両目を潰す! その次は肺だ! あんたの家族……ギルド関係者……殺したのはあんたなんでしょ!? あんたが!」
「ち、がっ……ぁああぁぁっ……げぼぉっ」
何――!? 私は杖を前に戻した。石が一時的に、食い込むのをやめる。レティシアは、口の端から血を滲ませ、涙と鼻水をだらだら流しながら、首を振った。
「……殺したのは……あたしじゃない……あたしは全部騙されたんだぁ」
「え……? じゃあ、あんたは、今まで殺人は――」
「一回もしてない! 信じて、お願い――」
「……」
目を細める。いや、困ってしまった――けれど相手は仮にも黒魔女だ、どんな変な嘘をついてくるか分かったもんじゃない、それも事実……ただどうも、この目は本当のことを言っているように見えた。いや、でも、待てよ、だとしても――
「正直に答えなさい。あんたはじゃあ、今日、誰かを殺す予定はあった?」
「……ッ」
レティシアが下を向いた。あからさまに動揺している。
「……あるのね!」
「あたしのせいじゃない!」
レティシアは食ってかかった。
「あんたが誰だか知らないけど……あたしを殺したって何にもならないことは知っとくべきね! いい、あたしは、こうせざるを得なくなった。家族を殺されて、そして、生き返らせるためには、誰かを……」
「……生き返らせる?」
私は瞬きをした。コイツ、どういう経緯で、誰からそんなこと……
「魂魄術は、予め高等魔術で保存済みの霊魂なら、呼び出して会話するぐらいのことはできるけれど……普通、無理よ。魔術で一般人を生き返らせることなんて、不可能の筈」
ジネットが言っていたことだ。
「な――えっ――」
やはり、レティシアは動揺していた。パニック状態といってもいい。
「えっ、な、何それ――えっ――嘘――」
自らの顔を、血塗れの手で覆う。
「いやああぁあ……あぁぁあ」
「……誰に言われたの?」
私は囁いた。
「誰に、そんな嘘を吹きこまれたの……?」
「……なんで……分からない」
レティシアは首を振った。
「あの人……私のこと、騙して……」
「だから!」
私は杖を振り上げた。いつでもまた攻撃を再開できるように。
「誰だって聞いてるのよ!」
「シャラバン裏通りで出会った人っ」
何度も痛みを与えたせいか、レティシア・オラールはすぐさま叫んだ。
「不気味な女の人! よく分からないけれど――黒いフードで、顔はよく見えなくて――」
「……シャラバン? 裏の歓楽街の?」
あまりいい噂を聞くところではない。賭博、水商売、麻薬販売、暗殺稼業、その他諸々――本来教会が厳重に正すべきところを、暗部の癒着関係のせいで未だに残されている、様々な違法商業がひしめく裏通りだ。
「……でも……あんた、どうしてそんなところに――」
「はっ、笑わせないで……どうせもうあたしのこと全部調べつくしてるんでしょ? あたしの家庭の事情だって……あんな赤字にでもならなければ、あたしあんな酷い商売……でも、だって……パパとママに強制されて……」
「えっ――」
私は何も言えなくなった。レティシアは、両目に涙を浮かべている。
「そこで働き始めて二週間ぐらいたって……ある日そいつが現れたの……そいつはあたしに言ってくれた……そんな辛いことしなくてもいいんだって……彼女との、簡単な契約さえ交わせば……」
彼女が、震える声を絞り出した。
「そうすれば……全部、うまくいくって――その人、言ってくれたの……だから……だから……あたし――」
「「禁則事項デス」」
二人ともハッとした。この声――誰だ!?
レティシアが悲鳴を上げた。その身体から、黒い煙のような物が立ち昇っている。そしてその中から、徐々に、不可思議な何かが現れて出してきた――銀色の立方体や球体、その他たくさんの綺麗な立体が繋がって、雪の結晶に似た形状を形作った、異次元的な化け物。支えも無しに、空中に浮かんでいて、大きさは私の身長より一回り小さいぐらいだ。
中心となっている球体には、巨大で真っ赤な唇がついていて、そこからその声が発せられていた。二人同時にしゃべっているような、重なった声。甲高いのと、低いのとが混ぜ合わさって、それ単独で不協和音を織り成しているような声。話す間ずっと、周りについた銀色のパーツを、高速の風車のように回転させながら。
「「レティシア・オラール様、禁則事項デス」」
「お……お前はぁっ」
レティシアがそいつを見て、口をパクパクさせた。
「やめろ! あたしにっ、何をする気だ――」
「「禁則事項デス」」
その時だった。
レティシアの左手が、灰となって爆散した。
レティシアが、恐ろしい絶叫を上げる。けれど、全身の筋肉が引き裂かれているせいで、最早動くことができない。続いて右足が、左足が、そして右手まで爆散し、それらの箇所から、灰がどんどん上がってくる――肩まで、胸元まで。或いは下ならば、腰から胴まで。どんどん浸食されてゆき、身体が灰に染まっては崩れてゆく。そうして落ちていった灰が、この不可思議な銀色の化け物の口の中へと吸い込まれてゆく。
レティシアが悲鳴を上げていた。涙の滲む両目を見開いて、口を大きく開いて、身動きもとれず、なすすべもなく。
「やめて! 痛い! 誰か――誰か――」
そして、縋る様な目つきをして、私の方を見つめ――
「――助けて!」
私はぞっとした。初めて我に返り、咄嗟に杖を掲げた。そして、この不可思議な化け物に対して、攻撃を放とうとした――が、もう遅かった。空を引き裂くような断末魔をあげて、レティシアの身体は、完全に灰と化し――そして、その化け物に吸い込まれた。
私は呆然としていた。化け物は私の方を向いていた(少なくとも、唇の位置的に、そう思えた)。なんだ、今の……まさか……コイツが、黒幕か!? だとすると相当まずいことになる――だってコイツは今、この魔女を一瞬で灰にして殺して、そのまま吸引したんだ。私から見て謎の存在、意味がわからない存在だ。こいつに何が通用するのかもわからない。どうすれば――
と、その時だった。化け物が、突然、再度素早く回転し始めた。私は思わず反射的に身構えた――が、すぐに、それも何も要らなかったことに気付いた。化け物は回転速度がどんどん加速してゆき、やがて竜巻のようになったかと思うと、そのまま内側から徐々に消えていってしまったのだ。特に私に、興味を示す風でもなく――そのまま、その場から消え去った。
金属油の臭いを乗せた、どこか気持ち悪い風だけが残された。
「……っ……」
私は膝が震えていた。そのまま倒れこんでしまった。杖が手から離れ、横に転がり落ちた。
勝った……のか……?
いや、違う。私は勝ってなんかいない。何が起こったのか信じられない。また人を殺したということが、実感として全く湧かない。動揺だけが、脳味噌の中に渦巻いている。頭を抱え、震える手でさする。髪の中を、両手で、くしゃくしゃとかき回す。
レティシア・オラール……一人の少女が目の前で死んだ。彼女は一体何だったんだ? 善? 悪? 中間の何か? 一体……少なくとも……でも……
あの化け物はなんだ? まるで彼女に憑依していたような……黒幕? それともただの媒介? よりおぞましい何かが、裏で動いているのか? 仮に敵の正体、或いはそれへの糸口だったとして……だとしたらレティシア・オラールは、本当に死ぬべき存在だったのか? ――そう――
私は、そもそも……あんな拷問まがいのことまでしてしまって……
本当に、正しかったのか……?
白魔女……ジネットが言うには、『正義』……やっぱりそうだ。そんな崇高なものが、この私に似合うとは、到底……
その時だった。何かが迫ってくる感覚が、身体の奥を揺らした。私は急いで上を見上げ、立ち上がった。ハッとする。あれは――
暗い夜空を突っ切って、一人の少女が迫ってくる。箒に立って乗り、赤い髪を後ろで荒々しくたなびかせる、あの影は――
「――ジネットちゃーん!」
手を口に当て、声を張り上げた。ジネットが急降下してくる。私から何メートルかしたところで、颯爽と屋根の上に降り立ち、辺りをしきりに見回す。そして、私の方を向いた。何秒間か、そのまま、じっと無言で、私を見つめていた。
「ジネットちゃん!」
私は手を振った。早く伝えないと。
「ジネットちゃん! あのね、大変なの。私――」
ジネットが歩いてくる。どんどん早足になってくる。あれ、なんで、答えてくれないの――なんで、こんなに、無表情なの――どんどん早く歩いてくる――
あれ……
この、燃え盛る、目は――。
ジネットが、私の顔を、唐突に殴り飛ばした。私は小さな悲鳴を上げて突っ伏した。震えながら起き上ろうとすると、顎を垂直上に蹴られ、あまりの衝撃に身体が、嫌な吐き気と浮遊感とを以て持ち上がる。そこを、胸倉を掴まれ、胸元を殴られ、上に蹴飛ばされ、殴り倒され、腹を蹴られ、吹っ飛んだところを更に、顔を蹴り倒された。全て鮮やかな、流れるような動きで。
「……が……はぁっ……うげぇ」
息ができない。全身の骨が痛む。ゆっくりと、震えながら上を見上げる。鼻がへし折られたみたいで、血が顔の周りに広がっていく。ジネットの目の奥で、怒りの炎がはっきりと燃えている。
ジネットが自らの足を私の顔から離し、屈みこみ、私の胸倉に掴みかかった。力ない私の身体を、軽々と宙に持ち上げた。私の両手両足がだらりと下に垂れる。ジネットが、血塗れの私の顔を、自らに近づけた。
「ふざけんな」
冷たい炎の目だった。氷のように冷たい。
「……ふっざっけんなよ……テメェ」
「……ジネッ……ト……ちゃ……?」
わけが分からない。何が? 何が――
「あんたは……これでいいのか?」
ジネットが目を細める。
「最初に言った筈だよなぁ……白魔女の使命は……『救済』だって……黒魔女と戦うことも……そいつらを殺すことも……所詮は全て、それの手段にすぎない……」
そして、唸るように言った。
「周りを見てみろ」
私はハッとした。ぞっとした。まさか――。
あたり一面、建物の屋根が、ボロボロに砕け散っている。一部の家では、部屋の中身、家具やら何やらがかき乱された様子まで、ここからはっきりと見える程に。そこかしこから煙や炎が立ち上り、人々の悲鳴が聞こえる。人の名を呼ぶ者もいる。地面では人々が逃げ回って、火災から避難している。
これは……この有様は……
……のせいだ……っ……
私のせいだ……っ!
「まだ今は戦うなと……あれほど言ったよなぁ」
ジネットが私を強く揺さぶった。
「テメェはまだ……白魔術の防御結界の張り方も知らねぇ……だから今は、敵の黒魔術を防ぐ方法が無ぇ……それなのに市街地で戦闘なんざ、一体何考えてんだ……! それだけじゃねぇよ……テメェ……敵が周りの建物破壊すること前提で戦ってただろ!」
「ごめんな……さい……」
「何が白魔女だよオラァ!」
ジネットが轟くような声で怒鳴り、尖った歯を剥き出し、私の顔を更に近付けた。
「白魔女たる者……防御結界が使えないとしたら……周りに飛んだ攻撃には、自分から当たりに行くぐらいの気持ちでいねぇと駄目なんだよ。中途半端な力持った奴が戦うとこういうことになるんだよ……! テメェは……勝てばいいと思ってる……でも違う! こんな犠牲を出して、自己満足だけで戦うってんなら、テメェが嫌ってるみてぇなあの教会の連中より、テメェの方がよっぽど下衆だ……!」
「ご……めんな、さ……」
「謝ったってどうにもなんねーよ」
ジネットがぱっと手を離した。私はそのまま屋根瓦の上に倒れ込み、咳き込み、震えた。そこら中の建物か吹き上がる、赤く照らされる煙を背景に、ジネットは冷たく私を睨みつけて立っていた。
「おら……帰るぞ」
「ごめんな……さ……」
「フン」
ジネットは私に片手を差し出した。見ると、新しくできた傷が沢山ついている手だった。黒魔女と戦ったばかりの手。肌がすり向け、血が滲み、切り傷もある。こんな手で私を殴って、持ち上げて大丈夫だったのかって、こっちが聞きたくなるような手。
私は一瞬、呆然としてそれを見つめていたが、やがてその手を取り、震え、鼻血と涙をこぼしながら、彼女に支えられて立ち上がった。そして、荒々しい炎で照らされる闇の中へと、無言の二人きりで、静かに歩いていった。
私とジネットは、『主人』の屋敷の裏庭の芝生の上に降り立った。ジネットの箒に乗せてもらい、しばらく飛んできたのだ。
月明かりだけが照らす、静かな銀世界が広がっていた。初めてジネットと出会ったときと同じ。フクロウの声が響き、芝生の上に、なだらかな、ひんやりとしたさざ波が走ってゆく。
シャルル達の住む家や、森の木々に隠れて、ここからサン=ノエルの有様は見えない。さっきジネットが、鎮火を促進するための白魔術を使っていたし、そろそろ、火も収まってきてるといいけど……。
「立てるか」
ジネットが私に手を差し伸べた。私は首を振った。
「大丈夫……別に、問題ないよ」
本当はまだ少しくらくらする。最初殴られた時なんか、気絶するかと思ったぐらいだった。華奢な腕からは想像できないぐらいに、力が強い(白魔女になれば、ジネットの身体能力も上昇するけど、それ以上にこちらの防御力だって上昇する。恐らくジネットの身体能力は、人間の身体の状態でも、実はかなり高いのだろう)。
「……言いたいこと……分かるよな」
ジネットはぼそりと呟いた。もう目からはあの怒りの炎が消え、今は悲しく、落ちついている。なんだかその目を見て、本当に私までやるせなくなった。
「……本当に、ごめんなさい」
私は俯いた。
「私、もう、本当に……なんて馬鹿だったんだろう。ごめんなさい」
「いや……あんたに、そこまでの使命感があったのなら……もうちっとはあんたに、色々教えてやってもよかったのかもしれないな」
ジネットが溜息をついた。
「明日から、もうちっと色々、白魔術を教えてやるから。実際に防御結界を張る方法とか、色々な。だから……次に戦うのは、それが十分できてからだぞ」
「うん」
私は涙を呑んで頷いた。
「……うん。分かった」
すると、ジネットが、指を鳴らした。
私の寝室の壁の一部のはがれた木の板が、芝生の上に落ちていたのだが――それが浮き上がった。私達から少し離れたところまでぷかぷかと浮いていく。
と――突然ジネットは懐から、目にもとまらぬ速さで、何本ものナイフを振りだした。私があっと息を飲むと、ジネットはそれらを一斉に前に投げ出した。そして、一本残らず、その木の板に深々と突き刺さった。
「うわぁ……すごい」
「運動術で攻撃するなら、これが正しいやり方だ」
ジネットが言った。木の板が地面にどさりと落ちる。すると、まるで空を切っていった軌道を巻き戻すかのようにして、それに突き刺さったナイフが、ジネットの手の中へと、次々と舞いこんでいった。
「その場の物を使うのは、咄嗟の発想力とかは上出来かもしれないが、周りの被害前提でやってちゃあ駄目っつー話よ。あたしは自らに、とあるルールを課してる――遠距離攻撃は、絶対に的から外さないっていうルールだ。仮に的から外れる可能性があるなら、放たない方がいい。ちょいとしたお話をしてやる」
彼女は上を見上げた。
「まだありゃあ、あたしがお師匠様に弟子入りした直後の頃のことだな。その時あたしゃ、丁度今みたいに、空中でナイフを操作する練習をしてたんだ。でも最初は全然ド下手でよ、全然的に当たらねぇの。だからあたしはお師匠様に、代替戦法を提案してみたんだ。『すげぇ沢山のナイフを持って戦いに行って、一斉に発射させれば、どれか一本は命中するだろ』ってな。考えてみりゃそうだ、あの頃あたしまだ、お師匠様にタメ口だったな」
思い出しながら、苦笑いする。
「すると、お師匠様はこう答えた」
私は瞬きをした。彼女のお師匠様――ヴェロニック・ウェルティコディア――私に力を継承させた人が、弟子になんて教えたのか。
「例えば、最近の発明品であるマスケット銃もそうだが」
ジネットは言った。
「誰も彼も、遠距離攻撃には必ず、『当たる』『外れる』の概念があるかのように思っている。まぁそりゃ、戦闘する相手を基準にすりゃあそうなるかもしれないが――ただ実際には、『外れる』弾丸なんて、この世にはたったの一発も存在しないのさ。仮に百発撃って、一発だけしか『狙った敵には』当たらなくても、残り九十九発の弾丸は決して虚空となってこの世から消え去ったってわけじゃない。必ず何かしらの物には当たっている。それは地面に突き刺さり、枝をぶち抜き、家の壁に穴を開け、或いはそれこそ場合によっては、狙ったのとは別の人間を撃ち殺す。弾丸は必ず、この世の何かを傷つける。だからこそ恐ろしい。お師匠様は言ってたよ……銃は危険な発明だって。あれは無責任な攻撃手段だって。
白魔女の仕事は、敵を傷つけることなんかじゃない。あくまでも目的は皆を守ること。ならば、周りへの被害は、最小限にとどめるべきだ。銃弾を撃つにせよ、ナイフを投げるにせよ、万魔術の光線を発射するにせよ、何であっても、遠距離攻撃をしたからには、それは自らの全責任を以て敵に命中させなければならない。黒魔女ならいざ知らず、白魔女たる者、『数撃ちゃ当たる』戦法に頼ってはならない。だからこそこの操作が、運動術が、初心者にとっては一番重要なんだって。そう、お師匠様は教えてくれた」
彼女はにやりとして、私の顔を見た。
「感銘を受けたよ。すげぇって思った。自分の甘さを思い知らされた。その後は毎日、思いっきり修行頑張りまくったな。そうやって今に至る。……ってか、そうだ、あたしだって最初分かってなかったんだから、今のあんた責めんのはお門違いか。ごめんな。痛かっただろ」
ジネットが私の傷をさすった。
「うわ……痛そ……ほんと、ごめんな。もっと最初っから、きつく言っときゃあよかった……先に、手が出ちまって」
「いや……でも、なんか、すごいって思った。ジネットちゃんのこと」
ジネットが瞬きをした。
「すごい……? あの、あれ、そういう趣味?」
「違うよ……なんだか、それだけ正義感が強いというか、それだけ誇りを持って戦ってるってのが分かって。ある意味すごくいい経験だったのかな、ジネットちゃんに殴られるの」
「……まぁ……そう、思ってくれてるならいいけどさ。ごめんな。あと……傷、そのままだと」
ジネットが私の頬をさする。
「明日、あんたん家の連中になんかあったってバレちまうな。治してやるよ」
「うん……ありがとう」
「取り敢えず、あんたが寝っ転がってた方がやりやすいからな。ちと、姿勢だけ……」
言われるがままに、芝生の上で仰向けになった。ジネットが私の頭の横で座り、私の額の上に、手をかざした。何か、外国語――響き的に言えば、ラテン語か何かだろう――の呪文を唱え始めると、彼女の手がほのかな白い光に包まれ始めた。それが照らしていくところ、私の新しい傷が、徐々に、引くようにして治っていく。
思わず目を閉じた。落ち付く……心の底まで。なんだろう、この感じ……太古の意識に還ったかのような。全身が、ふわふわと浮き上がり、安らいでいくような……
暖かい、光の海の中で眠っているような気分……本当に、今までにない感覚。文字通り……救済された気分。
これが……
……これが、白魔術なんだ。
……白魔女になるって……こういうことなんだ。
「……おらよ」
ジネットの声で、目を開けた。ジネットは、そっと、優しい頬笑みを浮かべていた。私を起き上らせる。私はまだ少し、あの温かみの余韻に浸っていた。
「人間態における以前からの傷は、怪しまれちゃあいけないからな、敢えて残しておいた」
ジネットが起き上った。
「ま……今日はそろそろお開きだわ。あたしゃもう家に帰らないと。ちょっと新しい調べ物もあるし。さっきあんたが言ってた話に関する」
「あぁ……うん」
先程私は、箒の上で、ジネットに、あのレティシアに関する報告をしていた。しないといけない気がしたのだ。そして、その時のジネットの動揺の仕方は、半端じゃなかった。何なのか聞いたら、別の日に、確証が持てたら教えてやる、という風に言っていたけれど――。
「あの……さ。ジネットちゃん」
「ん? どした」
「いや……」
私は顔を赤らめた。
「白魔術って、素敵ですね」
「……」
ジネットは少し、気恥ずかしそうな顔になった。
「いや、まぁ、そうだな。あぁ、そうだと思う」
にやりと、夜空を見上げる。満天の星空を。
「思うんだけどよ。――世の中誰にだって、何かを壊すことはできるだろ。それがよ、治すだとか直すだとか、そういうことになると、そうもいかなくなる――そりゃあやっぱり、あたしたちにしきゃあできねぇよ。だからあたしゃ、白魔女になって本当によかったって思ってる。世界の循環の一部として、こうして生きている実感が湧く。誰かのためになれると思うと、どんな時でも頑張れる」
「……私も、頑張ります」
私も横で立ち上がった。一緒に上を見上げる。
「もう、あんなことしません。私も……立派な白魔女に、なってみせます」
「オウ。その意気だ。頑張れよ」
ジネットが、私の背中を、ぽん、と叩いた。
「って言っても、頑張るのはあたしもだな。あたしだって、まだ一人前ってわけじゃない……まだまだ強くなれる筈だ。あたしの夢はな、K、すっげぇベタだけど、史上最強の白魔女になることなんだ。いつか絶対に、お師匠様に褒められるぐらいに強くなってやる。誰も彼も守れるように」
そして、私の背中から手を外し、何歩か歩いて行った。
「じゃあな……また、明日」
「あっ……ちょっと、ところで――ごめん、ジネットちゃん。一つだけ、質問があったの」
「ん? 何だ?」
「えっとね、私……」
少しばかり言葉に詰まったが、どうしても言わないといけないと思って、そのまま、しどろもどろでも続けた。
「本当はこれ、もっと前の時点で、言おうと思ってたんだけど。質問しようと思う度に、何かが起こって、忘れちゃって……だから、今、聞くね。
初めて魔女になった時、追っ手の聖職者を殺すために、私、魔術を使ったの。当時は魔導書も呪文も知らなかったけど、勝手に力が湧いてきたから。すごく強い魔術だった。周り一帯が吹き飛ぶような……。
それで、今夜の戦いの時、それをもう一度使おうと思ったの。そうしたら――何故か、上手く出せなくて。
二つ、質問があるの。一つ目は、どうして今夜は、それが使えなかったのか……多分、可能性を一つに絞るのは難しいかもしれないけど、候補だけでいいから、知りたいの。
それで、二つ目は、その魔術の種類。多分、炎か、風の四元術あたりだと思うけど、やっぱり気になるから」
ジネットは、不思議そうな顔をした。しばらく、考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「そうだな。……集中力が足りなかったってのは、戦闘中の魔女形態だから、一旦保留とすると……普通、自分が以前発動出来た魔術を発動できなくなったとすれば、それはその時にしかなかった感情が今は欠如していたからだ。魔女ってのは不思議な物でな、感情が爆発すると、たまに、知らないはずの魔法が使えることがある。その感情ってのが何なのか理解できれば、おのずと分類も解析できるだろう。炎なり、風なり」
彼女は顔を上げた。
「思い出してみるといい。その最初の時、お前は――どんな感情を抱いていた?」
私は記憶を辿った。答えはおのずと、すぐに出た。
でも、自分自身、その答えを言うのが躊躇われるほど、それは恐ろしい物だった。
冷たい夜の月明かりの中に、沈黙が響いていた。
「……憎しみ」
私の声は震えていた。
「世界への……憎しみ」
「……」
ジネットは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……やっぱりだ」
彼女が、俯く。
「そりゃ、そうだ……あそこの倉庫群の瓦礫見た時点で、何かがおかしいとは思ったんだが……あの破壊跡からしてな……本当にそうだったとすると……変だ。あんたは確かに、白魔女のハズなのに。そのお師匠様の杖には、そんな物使えないハズなのに」
そして、一瞬躊躇った後、付け加える。
「お前のいう、その、初めて使った魔術……それ、確実に……『黒魔術』だぞ?」