第四章
=十二道魔術分類=
魔術は一般に、以下に記す十二種類に大別される。うち最初の三種類、及び召喚術に含まれる悪魔召喚術が、通常条件下では黒魔女にしか扱えない「悪魔術」である。一方、白魔術は、原則白魔女にしか扱えない術式であり、黒魔女が扱うことは、身体に著しい負担を伴う。
黒魔術=破壊的な作用(例・触れた物質を腐らせる霧)
洗脳術=相手の精神に干渉する(例・記憶の改竄)
魂魄術=霊魂の使役や隷属(例・霊魂の召喚)
白魔術=回復的な作用(例・傷の治癒)
錬金術=物質の変換や高次化(例・ゴーレムの生成)
四元術=四大元素を操る魔術(例・手から炎を出す)
運動術=物理的運動を物に与える(例・重い物を動かす)
召喚術=超自然的存在を召喚する(例・悪魔や精霊の召喚)
予言術=未来予知。希有な才能。外れることもある
封印術=物やエネルギーを封印する(例・魔術道具の作成)
解放術=物質の内なる力の解放(例・魔術道具の使用)
万魔術=悪魔的存在に対し極めて有効な破壊魔術。
その力の性質は、『奇跡』と酷似している。
その日以来、毎朝起きてすぐ、藁のベッドの下を掘り起こすのが日課になった。そこに隠した物の存在を、念のために確認するためだ。朝起きるたびにわくわくが止まらない。
出会った日の夜、あたしとジネットはここに戻ってきた。そしてあたしは、藁のベッドの中に、魔導書と杖と、ペンダントとを隠したのだ。どうせ家を出ることなんて基本無いし、ここにしまっておいて困ることは無いだろう。
木の板の枠組みの上の藁をどけると、魔導書たちは何やら、議論を交わすようにして忙しなく動いていた。
「……おはよう、皆」
あたしが覗きこむ。あたしの顔が見えると、一斉にこちらを向き、敬礼するような姿勢になる。『白魔術の基礎的心得』だけは例外で、独特の不遜な態度であたしを見つめていた。おまけに、閉じるための革のベルトが、まるで腕を組んでいるように見える。
「日中は会えないから、夜、また会おうね」
『白魔術』以外の四人(「人」と数えるのかどうかは微妙だが)はお辞儀をしたが、『白魔術』はこちらに歩み寄ってきて、自らのページを開いた。一ページ目の、白紙だ。そこに、インクで書かれた文字が、徐々に浮き出てきた。
『この環境は若干湿度が高く、また、虫が多い。いくら我々に元々保護魔術がかけられているとはいえ、この環境はあまりよろしくない物であると小生は判断した。直ちに場所の移動を要求する』
「ごめんなさい……もっといい隠し場所、あたしには無いの」
『白魔術』が、いささか不服そうな感じで腕(の代わりになっているベルト)を組んだが、やがて、考えをまとめたようにしてもう一度開き、再び文字が浮き出てきた。
『状況は理解した。今は仕方あるまいが、移動可能になったら、直ちに頼みたい』
「勿論、分かってるわ」
『白魔術』は頷いた。あたしは軽く皆に手を振り、木の枠の上に、もう一度、どけていた藁を被せた。なかなか、見ていて可愛い。
飛び跳ねるようにして立ち上がり、目をきつく閉じ、思いっきり体を伸ばしてぐぐぐっと背伸びをする。気持ちよくて、体が少しプルプルと震える。そこから一気に脱力し、緊張を解き放つ。これまた気持ちいい。澄み渡ったようにさわやかな身体を振り回すようにして、飛び出す。
やっぱり断然寝起きがいい。とてもいい気分、リフレッシュした気分だ。今まで毎日、過酷な労働で疲れてばかりで、こんなにすっきりした気持ちで目覚めたことなんてなかった。どうやらあの呪文はきちんと成功したらしい。
ジネットと出会って、早くも一週間が過ぎている。二夜に一度ぐらいのペースで会い、その度にあたしのできることもどんどん増えていく。貰った魔導書は、大いに役に立っている。上達は順調だ――自分が予想していた以上に。
朝と夜とは、素晴らしい。問題は、中間の、長ったらしい昼だ。
上空では、深く渦巻く暗雲が立ち込めている。今にもどしゃぶりの雨が降ってきそうな、しかめっ面の、重苦しい空だ。あたしは裏庭の端っこの方で、斧を振り上げては振り下げ、必死に薪割りをしていた。汗が全身を流れ落ち、肌寒い。息がゼェゼェと切れる。腕がもうくたくただ。本当はこんな力仕事、明らかに他の奴隷の方が効率よく出来るのだけれど、『主人』は必ずこの手のことを敢えてあたしに任せたがる。ここの屋敷に来てしばらくして分かったことだったが、どうやら『主人』は、あたしを「働く存在」というよりかは、「敢えて無理難題を命じ、それが出来ない度に殴る蹴るしてストレスを発散するための道具」と考えているらしい。
どうせもうすぐ雨が降ってくる。そうしても『主人』はあたしを家に入れてはくれないだろう。あたしに風邪を引かせたその上で、薪を濡らしたことを、きっと叱るのだ。場合によってはそこまで計算して、あたしを今こうしてここにほっぽり出している可能性すらある――。そう考えるとたまらなく憂鬱だった。どうも、嬉しいことと嫌なことが両方多すぎて、情緒不安定になりそうだ。
魔術について、今のあたしが知っていることは、まだあまり多くない。ただ、発動する原理だけは、最低限教わった。
魔術を成功させるためには、感覚を研ぎ澄まし、精神を統一する必要がある。そうして環境が整ったら、魔術の動力源となるのは、黒魔女なら、自らが悪魔から与えられた邪悪なエネルギー、そして白魔女なら、本人が持つ「精神体」の秘めたる力だ。精神体の力を引き出すためには、その本質を知ることが重要だという――即ち、ジネットが言っていたように、自らの性格、信条、得手不得手は勿論のこと、深層心理に至るまでの徹底した理解が必要となる。自らの理解が十分でなくとも、魔術の発動自体はできるが、威力は当然落ちてしまう。ある意味、あたしにとってはここが難しい。自分の本質だなんて、どうすれば分かるのだろう? 今のところの魔術には困っていないが、より上級に進むときには、苦労するかもしれない。
そして、動力源はそれとして、実際の「引き金」となるのは、その特定の魔術に対応する思考回路、感情、或いは意識だ。例えば、黒魔術は破壊的な意思がなければ発動しない(殺すつもりのない相手に黒魔術を使っても、何も起きない、といった具合だ)。白魔術には、慈愛の心が必要だし、錬金術などを試みるなら、向上思考が必要だ。魔術は大まかに十二種類に分類され、さらにそのそれぞれの内側にも何千、何万という魔術が存在するが、それらの全ての発動条件を満たせる魔女など存在しない。
故に、魔女一人一人によって、その個人の性格や考え方に応じ、特定の術式の得手不得手の概念が存在するといえる。例えば、別に孤独でいても何ら構わないという意識のあり方を持つ魔女がどんなに一生懸命修行しても、そいつは、召喚術だけは一生かけても体得できない。「仲間を欲すること」がその動力源となるからだ。逆に、仲間がいなければ死んでしまうというぐらいに社会的欲求が強い魔女なら、仮に下級魔女であろうとも、中級程度までなら召喚術が容易に扱える。即ち、これら得手不得手はその魔女の根本的な深層心理に関わってくる問題であり、後から都合で変えようと思っても、そう容易に変えられる物ではない。
あたしがどんな魔術が得意なのかは、大いに気になるところではあるけれど、実はまだ実際に試せてはいない。確実なのは、黒魔術、洗脳術、魂魄術、そして悪魔召喚術だけは、絶対に使えないということだ。それら四分類は悪魔の魔術であり、使用するだけで魂が邪悪な意思に浸食されていく。黒魔女ですら、使い過ぎはよくないと、ジネットは言っていた――白魔女ならばなおさらだ(っていうことは、あの聖職者たちに対して使用した魔術は、炎か風の属性の高等術式だとか、そのあたりの代物なのだろう)。
今はひとまず、白魔女としては必須の技能である白魔術と、魔女の精神状態や性格にあまり左右されず初心者でも簡単な運動術、そして召喚術、封印術を学んでいる。これらの基礎を固めなければ、敵との戦闘など不可能だし、残りの魔術の分類を理解することも難しいだろう、とジネットは言っていた。
「今はまだ、黒魔女と戦うなよ」
ジネットの言葉を思い出す。
「そいつぁあんたが、もっと色々できるようになってからのことだ。今じゃああまりにも危険すぎる。――一旦は、あたしに任せとけ」
一体、より高度な内容を学べるようになるためには、どれほどかかるだろうか? 魔導書は予想を遥かに超えて丁寧に書かれており、あたしでも理解はすらすら進んでいくけど、なにせ量が多い。
睡眠の節約によって生じた、あたしがこれらを読める時間は、毎晩おおよそ四から五時間だ。「魔女」になれば、暗い中で読んでも問題ないし、集中力も研ぎ澄まされる。それに、ジネットが「呑み込みが早い」と言っているのだから、きっと本来に比べれば良いペースで進んでいるのだろう。選択肢が増えるのは待ち遠しいが、実際あたしも、つい前に比べ、遥かに沢山のことができるようになった。
例えば運動術でいえば、小さいものなら、ある程度の数、それもかなり素早く、運動させることができるようになってきた。白魔術の魔導書の中に書いてあった、枯れかけた草木を緑に戻したり、切ったばかりの爪を生え直させたりする実験は実際にやってみて楽しかった。爪は逆に伸ばしすぎて、今、左の小指の爪だけ変に伸びて尖ってしまっているけど、これはこれでおしゃれだと思って敢えて残しておいた。
杖を持ち歩くのが大変だということで、収納する魔術を教わった。普段は通常の大きさだが、念じれば小さくなり、服の内側に入れられるぐらいになる。そして内側に入れてしまうと、なんと消えてしまう。そして次に取り出したいと思ったら、自分の服の胸元に手を入れれば、そこからだんだん大きくなって出てくるという不思議な仕組みだ。これは、あのペンダントにも施した。お蔭で、もうこれらを無くす心配はない。
ただ意外と、実生活に役立ってくる魔術というのは少ない。例えば、傷の治癒を早くする呪文はきちんと覚えたのだが、あたしは実はまだこれが使えない。もし使って、『主人』にバレなんぞしたら大変だ。日常生活において有益な魔術自体は非常に多いが、誰にもバレずに使う、という条件が加わると、思いの他少ない。しかも、ここ四日間は、魔術以外の面での生活自体が、ひどい有様になっている。
何故ならここ四日間、シャルルがずっと家にいないのだ。中心街のギルドの学校に泊まりに行ってしまっていて、その間は絶対帰ってこない。予定では、帰ってくるのは明日。今日は彼の顔を見ることすらできない。
……どうりで、こんなにも昼間が憂鬱なわけだ。
まぁ、そもそもこれは別に今に始まったことではない――シャルルは元から、家にいる日の方が少ないのだ。一週間のうち五日間は泊まり込みで学校だから、その間あたしの生活はずっとただの地獄だ。未だに、これにだけは慣れない。
お金の山だとか、永遠の命だとか、そういう願いを持つ人も多いかもしれないけど、あたしが今一番習いたい魔術は、シャルルにいつでも優しく慰めてもらえる呪文だ。特に頭でも撫でて貰えたら最高だ(ふとそう考えて、あたしってなんでこんなはたから見たら気持ち悪い発想しかできないんだろう、とも思ったけれど、これがあたしの本心なんだからしょうがない)。
一度でいいから、ギュッと引き寄せるようにして抱きしめてもらいたい。彼も男の子だから、きっとそういうのは恥ずかしいのかもしれないし、相手が相手だからしょうがないのかもしれないけど、一度妄想し始めたらそれこそもう止まらない。
疲労回復の魔法は、別に今はいらない。でも、シャルルの応援の言葉は、それよりずっとあたしに活力をくれる――。それさえあれば、残りなんてもう、どうでもいいかも……。
その時だった。
ガチャッ、と後ろで、裏口の扉の音がした。
あたしは振り返った。
そして、思わず、ぽかんと口を開けた。
シャルルが、そこに、立っていた。
「ただいま」
シャルルがあたしに声をかける。にっこりと、優しく笑いかける。
あたしは一秒ほど、状況が理解できずに、バカみたいに突っ立っていた。開いた口が塞がらない。どうして? 帰ってくるのは、明日のはずなのに。これって、夢?
それとももしかしてあたし、気づかぬうちに、実は物凄い力を秘めた魔女になってて、願望を現実に返る能力を身に着けていた、とか? えぇっ、でも、どういうこと? 全然意味がわからないし、ちょっと、これって、どういう巡り合わせで――
「……聞こえなかったのかなぁ……」
シャルルが頭を掻いた。口の周りに手を当て、こっちに叫ぶ。
「ただいまー!」
「おっ……お、おぉかえりなさいっ」
顔が真っ赤になる。完全に返事するのを忘れていた。どうしよう? しまった。嫌われちゃう――それだけは、避けないと!
「そ、その……あぁっ、あぁのっ、ごめんなさいっ、あのっ、今日帰ってくるって知らなかったから、混乱しちゃって、返事するの、忘れちゃって、その、そのぉ、と、とにかくご、ごめんなさいっ」
「……あぁ、そういえば、そうだったよね。言い忘れてて、ごめん」
シャルルが笑った。笑顔で済ましてくれるその心の広さが、あたしの胸に染みる。
と、その顔が、少し暗くなった。
「実はそれがね、ちょっとしたことがあって……君にも伝えないといけないと思ったんだ。きっと、母さんは伝えないだろうから……ちょっと、内側入らない? もうすぐ……雨、降っちゃうよ」
部屋に入り、その暖かさに、あたしは思わず息を飲んだ。一階にあるシャルルの専用部屋に入るのは、何も初めてのことではないが、やはりこの卓越した設備の整いようには目を見張るものがある。
外はあんなに寒いというのに、この部屋はほんわかと暖かい。狭さも適度なのが手伝ってか、暖炉がすごくよく効いている。
シャルルの部屋のもう一つの特徴が、やはり貿易商人の息子らしく、様々な外国の品々が集められていることだった。複雑な幾何学模様の床の絨毯も外国製だし、壁の棚には、地中海中から集められたのであろう様々な豪華な品々が何段にも分けて連なっていた。羊皮紙に描かれた色とりどりの世界地図やら、星座や惑星の記された星空の観測用マップやら、どうやって作ったのだろう、あたしの腕ぐらいの長さの、驚くほど精巧な船の模型やら、そのあたりはシャルルの興味を引く物として理解できるのだが、金銀や宝石がギラギラと光るがめついアクセサリーの数々は、明らかに『主人』が、息子のことをろくに理解もせずに、喜ぶと思って与えている品物だろう。
他に家具としては、幾つもの本棚、壁際のソファー、勉強机、そしてそれに付属した椅子がある。勉強机の上は、常に沢山の書類や、鉛筆だのコンパスだの定規だのそろばんだのが丁寧に整理整頓されていて、同じ勉強道具が豊富な部屋でも、ジネットとは大違いだと思った。
そして――この部屋で一番、いやひょっとするとこの家で一番、大切な物。
その勉強机の隣には、専用のガラスケースに入れられて、純銀製のナイフが保管されている。
そもそも純銀製という時点ですごい代物だ――特に最近、銀は金より更に値段が高い。というのも、銀は悪魔的存在に対して非常に有効な攻撃手段なのだ。上級聖職者なら皆、純銀製の十字架を持っているし、下級聖職者の場合、鉄を代用品として使用し、それですら相当な効力を持つ。銀は悪魔や黒魔女にとっての猛毒であり、故にお守りとしても強いとされるし、色んな物にご利益を込めて入れられる。需要が半端無いせいで、偽物の銀製品の流通が社会問題になるぐらいだ。
しかし、それだけじゃない。
このナイフは――シャルルのお父さんの、唯一の形見なのだ。
シャルルのお父さん――あたしがここの家に来た時点でもういなかったから詳細は分からないけれど、すごい商人だったらしい。この貿易都市をこんなに繁盛させた立役者の一人で、街でも最も尊敬されていた人の一人だったとのことだ。細かい話は知らないけれど、シャルルも彼を誇りにしているらしかった。ある意味、紆余曲折あるとはいえ、この都市の商人達のせいでこんな目に遭ったあたしからすると、尊敬すべきなのか憎むべきなのか、正直よく分からないけれど。
手触りのいいソファーに、あたしたち二人は腰掛けた。窓の外を見ると、もう雨が降り始めていた。外の雨のしとしとという音と、暖炉の火の粉が舞うパチパチという音を、両方じっくりと聞きながら、こうして暖まった部屋の中二人きりでいると、心も体も幸せな暖かさでいっぱいになる。
……でも、そういえば、何か、シャルルの早い帰還には――あまりよくない、理由があったんだっけ。ただ、まぁ、正直、なんだか今はどうでもいいかな。いずれにせよ、こうしてシャルルと一緒にいられるのなら、なんでも――。
「流石に」
ぽつりと呟いて、シャルルが切りだした。
「最近やけに魔女関係の事件が増えてるって話は……聞いてるよね」
ハッとした。ジネットが言っていた奴だ。それに、この話題は――
……あたしにも直接、関係してくるかもしれない。
「……うん」
頷いて答える。シャルルはこっちを見ずに、床を見つめていた。普段はいっつもあたしの目を見てくれるけど、今はそれどころじゃないらしい。
「それに関してなんだよ。実は――ギルドのメンバーの一人が……僕の先生の一人が……」
一瞬黙りこくった後、ボソッと呟いた。
「殺されたんだ」
「えっ――」
間違いない。これは――黒魔女の仕業だ。
俯いたシャルルの目元は、あたしの角度からは見えなかった。でも、ぎゅっとひざ元で握った拳が、プルプルと震えているのが分かった。
「……彼だけじゃ、ないんだ。そこで習ってた子供の一人も、失踪しちゃって。同い年なんだ。クラスで一緒の、レティシア・オラールって女の子。しかも彼女は、その家族ごと、まるごとさ。同時に何人も、ギルドの関係者が消えた。僕が、ここに、帰ってきたのは……危ないからだってさ」
「……っ」
あたしは息を漏らした。漏らさずにはいられなかった。なんなんだ、あたしは。屑だ! こんなことが起きてるっていうのに、シャルルと一緒にいられるならそれで幸せだなんて――一瞬でもそんなことを考えた、そこまでにも自己中心的な自分が、純粋に許せなかった。
シャルルの周りの人が、黒魔女に殺された。でも、今のあたしは、以前とは違う――何かをするための力を持っている。あたしにも、今、できることがあるとすれば……
「……でも、大切な人を魔女のせいで失ってるのは、何も僕やギルドだけじゃない」
シャルルは深い溜息をついた。
「僕なんてまだきっとマシな方なんだ。中心街じゃあ最近、毎日何件も魔女の事件が起きてる。僕の知る限り、最近が一番ひどい。ここ一、二週間でぐっと増加したんだ。毎回毎回、犯人は二日三日で捕まるけど……どんなに魔女を後から殺したって、そいつらが殺した人たちは帰ってはこないんだよ。……本当に……辛いし……憎いし……それに……許せないよ」
初めて聞く、心の底から何かに怒りを覚えている、シャルルの声だった。
「……だってさ……僕らは何にも、悪いことなんてしてないんだ。なのにそいつらは、そいつらの勝手な都合で、僕らを殺す。場合によっちゃあその都合すら存在しないんだよ! 単に楽しいからだとか、何の理由もなく殺したいだけなんだとか、そういう奴らなんだ! ……悔しいんだよ。そいつらに、何もやり返せないのが」
激しさを増す雨が、窓や石の壁に容赦なく打ちつけていた。
「……先生は、とても立派な、公正な人だった。僕が分からないところを、きちんと真摯になって説明してくれたし、頑張った時には、よく褒めてくれた。……家族も、いたんだよ。子供が五人。一度見たことがあるんだ。皆とても愛らしい、可愛い子供だった。
レティシアだって、別に悪いことするような、変な子じゃなかったよ。栗色の癖っ毛で、他の女の子たちからは『マロンちゃん』だなんて呼ばれてさ。明るくて、気さくで……でも、最近はちょっと、学校に来ない日もあったし、少し落ち込み気味だったかもしれない。あんなにいっぱい、事件が起きてたから、知ってる人が巻き込まれたのかもしれない。
……あの二人が、誰かから恨みを買うとは、到底思えない。黒魔女たちが何をしたいのか、僕には全然分からない」
シャルルの、今まで見たこともないほど悲痛な様子を見ていて、とある決意が、あたしの胸の中で、急速に固まり始めていた。
「……そういうわけで、さ」
シャルルがため息をついた。
「ごめんね、こんな嫌な話につき合わせて。あぁ、そうだ……それと、一番言いたかったこと、伝え忘れてたよ。つまり、最近魔女の事件がやけに多いし、僕の身の回りでも犠牲者が出始めてるから、……君も気をつけてって、そういうことだよ」
「……うん。ありがとう。……気をつける」
シャルルは、あたしのことを、こうやって気にかけてくれている。精一杯、あたしに尽くしてくれている。本来あたしを言いなりにさせる側の人間にも関わらず、だ。
彼がいなければ、あたしはとっくのとうに死んでいる。毎日毎日、はっきりとそれを実感する。それが今のあたしの人生だ。彼に生かされ、そして、彼のために生きているようなもの。彼は、あたしの世界を照らしてくれる、ただ一つの眩い太陽のような存在だ。
この恩は、返そうと思って返しきれる物じゃない。でもせめてもしあたしに、できることがあるのならば、全力を以てそれに当たり、せめてものお礼をしてあげたい。今のところのあたしは、まだ、何一つとして、そんなことできていないのだから。
「……そういえば」
ふと気付いた。
「薪割りの、仕事……やらないと」
「大丈夫だよ。ここに君を呼んだのは僕だ。例えばだよ、こうしよう――『僕は、君が薪割りの仕事をしていたのは知っていたが、自分の部屋が汚かったから、ひとまず片付けるように命令した。そうしたら雨が降ってきてしまった』……これならどう?」
「……毎回、わざわざ、ごめんなさい」
「いいんだよ。本当に、君には悪いと思ってるんだ。こんな立場になんて、本当はいたくない……できることなら、こんな形じゃなくて、もっとちゃんとした、素直に向き合える関係を築きたかったよ」
あたしは唇を噛んだ。
「ありがとう……シャルル。本当に、ありがとう」
あたしは部屋を出た。一気に廊下の冷たさが体の芯まで入り込む。暖炉の音が消え、雨音だけが、深く、耳にしみ込んでいった。
この事件を解決するのは、きっと、あたしの役目だ――あたしはそう確信した。誰が犯人かは分からないけれど、何が何でもそいつを倒して、シャルルの平穏な毎日を取り戻してあげたい。あたしだって頑張れば、黒魔女にだって、戦って勝てるかもしれないんだ。
あたしは、心の中で宣言した。
――シャルルのために、戦ってやる。