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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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八十四:終焉

 もしや、二度とやってこないのでは。そうも思えた朝は、しかし当然のようにやってきた。山の向こうで、空の裾が白んでいく。


 何ひとつ(うごめ)くモノのいなくなった河原に、乾いた土塊(つちくれ)が散乱している。しかしそれも、緩やかに吹く風に崩され、徐々に姿を消してしまう。


 河原を撫でた風が、細い雨を運んできた。


 川岸に佇む男達を、雨が静かに濡らしていく。火照(ほて)った身体が冷まされていく。



 河原の石を円状に並べ、その中央に七曲が手頃な石を置いた。夏見がその前に花を供える。

 死に絶えた村のはずれに拵えられた、小さな(ほこら)。荒れ狂う川を鎮めて村人を救った娘に手向けられた、細やかな花。


 屈みこんで手を合わせ、目を閉じていた夏見がゆっくりと立ち上がる。


「ちささんは、鬼にならなかったんですね」


 ちさ。かつて鬼畜共に嬲られ、自死を選んだ哀れな少女。

 七曲に身体を支えてもらいながら、蛇川は即席の祠を見下ろした。


「彼女は立派に成仏していた。いい女だったんだろうな。……おい、なんだその顔は」


「いや……」


 疲れきった脚が絡まないよう気をつけながら、村に背を向け、ゆっくりと歩き始める。踏まれた砂利が涼やかな音を立てる。


「別に、変な意味で言ったわけじゃあない」


「分かってますけど、なんというか……骨董屋さんも『いい女』なんて言うんだ、と思って」


 やはり夏見は、蛇川という男をまだ誤解しているらしい。ふん、と蛇川が鼻を鳴らした。


「様々な女を抱けば、自然、その良し悪しも分かるようになるもんだ」


 鼻血をすっかり拭ってしまった夏見が、その顔を大きく引きつらせた。七曲が大袈裟に驚いて見せる。


「まさか、夏見くんはまだ?」


「なっ、そ……そんなことどうだっていいじゃないですか!」


 蛇川と七曲が顔を見合わせ、口を歪める。いい歳をした大人のくせ、その顔は悪戯を思いついた悪ガキそのものだ。


「いずれ帝都に来るつもりなのだろう。その時にはいい店を教えてやるよ、人生何事も経験だ」


「結構です!」


「おいおい、だったら俺に教えてくれよ、大将。こっちは需要と供給が見合っていねえんだ」


「悪いが貧乏人には敷居が高い店でね」


 草をかき分け歩いていると、やがて街道が見えてきた。幌を下ろしたフォード車の脇で、吾妻が紫煙を燻らせている。


 蛇川らの足音に気付くと、吾妻は靴底で煙草の火を消した。癖の強い髪は、亡者共に食い千切られて所々が短くなっている。


「随分と盛り上がっているじゃないか」


 蛇川が助手席に登るのを手伝いながら、笑う。


初心(うぶ)な夏見くんを、男にしてやろうと思ってな」


「へえ? そいつぁいい」


「僕のことはお構いなく!」


 顔を真っ赤にして膨れる夏見に苦笑すると、吾妻はその頭に大きな手を乗せた。


「礼を言う。お前さんがいなけりゃあ、弟分は死んでいたかもしれん」


 夏見は幌で隠された後部座席に目を向けた。そこでギンが眠っている。全身から酷く出血し、腕や肋骨を折ってはいるが……それでも生きている。


 吾妻は懐を探ると、一枚の紙片を取り出した。名刺だ。差し出されたそれをおずおずと受け取ると、夏見はそこに書かれた名前を見つめた。隅には組の象徴たる家紋が押されている。


「吾妻、健吾……さん」


「何かあったときに使いなさい。それを見せりゃあ、大抵の破落戸(ゴロツキ)はおとなしくなるだろう」


 武闘派極道・鴛鴦組若頭の名刺だ。それがどれほどすごいものか夏見には計りかねたが、吾妻が芯から感謝していることだけは理解できた。


 呆けたように名刺に見入る夏見に笑いかけると、吾妻はフォード車の反対側へと回り、運転席によじ登った。


 一度後部座席を振り返ってから、だらしなく両手をポケットに突っ込んだ七曲を見遣る。


「やはり、お前さんのことは嫌いだ。だが感謝はしている」


「……俺には名刺をくれねえの?」


 拗ねたようなその口振りに、吾妻が思わず苦笑する。


「駄目だ。悪用するのが目に見えているからな。礼なら別の形でしてやるよ」


「なら、大将が勧める店とやらに行ってみたい。一夜(ひとよ)の豪遊、一夜の夢さ。どうだ?」


「本当に、高くつく野郎だな」


 ふたりの男は一瞬だけ目を合わせると、ふ、と笑った。


「それで……」


 七曲が萎れた煙草に火をつける。


「その鬼畜は結局、どうするんだ?」


毒雲(・・)を吐きながら僕に近づくなッ、莫迦者!」


 幌の中を覗きこもうとした七曲は、不機嫌極まりない蛇川に片手で追い払われた。よろけながら後退り、山に向かって紫煙を吐き出す。


 後部座席の足元には、茫然自失の(てい)の六男が転がされている。蛇川が一男とその母を斬ったのち、砂利の中から救い出されたものだ。吾妻は肩を竦めて見せた。


「残念だが、神妻村での件を追求はできんだろう。関係者は皆死ぬか去るかしてしまったし、時間も経ちすぎている。しかし娑婆(シャバ)に放っておくのも虫が好かんからな。まあ、なんぞ適当な罪でもかぶってもらって、檻の中に突っ込んでおくさ」


「おお怖。これだからヤクザは嫌いだ」


「いや、違うね」


 キーを回してエンジンをかける。まるで準備運動をするかのように、フォード車全体が大きく振動する。

 ゆっくりとアクセルを踏み込みながら、吾妻が笑った。


「俺達は極道だ。根っからのな」






 蝉が鳴いている。


 どうにも五月蝿いと思っていたら、敵は廃ビルの壁に留まっているらしい。蛇川は道端の石ころを拾い上げると、騒がしく(はね)を擦り合わせる蝉に向かって投げつけた。


 狙いは外れ、石は壁に当たって跳ね返った。蝉は突然の投石にも怯むことなく、嘲笑うようにして一層けたたましく鳴き始めた。


「くそッ、六本足め!」


 蛇川がもう一度石ころを拾おうと身を屈めたとき、背後でクラクションが鳴らされた。石を片手に振り返ってみれば、フォード車の助手席で吾妻がにやにやと笑っている。


「そう意地悪しなさんな。奴ら、去りゆく夏を惜しんでるんだ」


「気持ち悪いことを言うな。文豪気取りか」


 毒を吐きながら後部座席に飛び乗る蛇川に、吾妻が寛いだようすで笑った。少し湿り気の薄れた風が、短くなった髪を撫でていく。


「ご機嫌だな、いいことだ。なんせ今日は快気祝いだからな。派手にいこう。なあ、ギン」


「無論、そのつもりです」


 ハンドルを握るギンが、さっぱりと笑った。


 元より欠けていた左の耳は、下半分が噛み千切られている。左目上を走る大きな刀傷も相俟(あいま)って凄みのある様相ではあったが、本人は至って飄々としている。


 ギンは、一時は死の淵を彷徨ったという。傷からくる高熱に(うな)され、朝も夜もなく悪夢を見続けた。恐らく、鬼と深く接しすぎたせいでもあるのだろう。

 それでもこうして生きている。



 そういやあ、と長い指でハンドルを叩きながら言う。


「達見一男が一蓮会に追われていた理由が分かりました」


 腕を組み、後部座席に踏ん反り返っていた蛇川が眉を上げる。


「一連会の奴ら、クスリばら撒こうとしとったらしいんですわ。うちは絶対手ェ出さへんけど、クスリはえらい金に化けますからな。それを達見一男が持ち逃げしたと」


 ふん、と蛇川が嘲笑を漏らす。


「莫迦な男だ。金を持ち出すならともかく、クスリを持って逃げたところで、うまく捌く技量も伝手(ツテ)もなかっただろうに」


「その通りです。まあ、考えの浅い小物やったっちゅうことですわ。それで、途方に暮れていたところを鬼に喰われた……と」


 髪を風に遊ばせていた吾妻が、後部座席を振り返った。


「先生、いつか読んだ新聞の記事を覚えているか? ほれ、『珍魚ノ舞』……」


「ああ、あの下らん記事か。それがどうした」


「あれが話題になったのは、髪妻村を流れる川の下流の海だ。川底に沈んだ達見一男の懐には、高純度の阿片(アヘン)が隠されていた……」


 蛇川は一瞬、虚を突かれたようにきょとりとしたが、やがて珍しくも声をあげて笑った。吾妻も、ギンも笑った。



 男達の笑い声を乗せ、東京銀座の街をフォード車が走る。


 やがて通い慣れた定食屋が見えてきた。前で待っていた七曲が、太い腕をあげて合図する。


 今夜は快気祝いだ。





(第三部:ロマネスク  了)

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