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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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八十 :神妻村

 小汚い探偵と、ふらりと現れた助っ人のために、一行は神妻村で行われたおぞましい出来事について再度説明してやる必要があった。


 最初、吾妻は年若い夏見にこの話を聞かせることに難色を示していたが、蛇川は頑として譲らなかった。(いわ)く、鬼を斬るには鬼の成り立ちを知ることが必要不可欠なのだとか。

 そう言う蛇川の左腕には痛々しいサラシが巻かれているし、夏見も神妙に頷いて見せるしで仕方がない。達見(たつけ)六男(むつお)を突つき突つき、彼ら兄弟が犯した真黒い罪を再度告白させるほかなかった。


 吾妻の懸念通り、夏見は六男の告白に強い拒絶を示した。弱々しく打ち震えながら、しかしあざとくも己に甘い虚飾を付け加えようとしてはギンに小突かれる六男の姿に、夏見は嫌悪を隠さなかった。

 以前、蛇川が下世話な冗談でからかったときもそうだったが、夏見はどうも、俗っぽい話題には人一倍敏感な性質(たち)らしい。


 七曲はそこまで露骨な反応さえ見せなかったものの、兄弟の愚行にはほとほと呆れたと見える。深いため息をつくと場を少し離れ、よれた煙草に火をつけた。

 それで、再び腰縄を取り出したギンが「そういうわけで」と六男を拘束しても、誰も止める者はいなかった。


「やれやれ。俺は兄貴を追っていたはずだったんだがなあ」


 紫煙とともに恨み節を吐き出す七曲に、蛇川がふんと鼻を鳴らす。


「行き合ってしまった以上、打ち棄てていくわけにもいくまい」


「まあ、ここまできたら付き合うがね。どうせ、今更兄貴を追ったところで一文の得にもなりゃしねえんだ」


 ちびちびと、短くなった煙草を惜しげに吸っていた七曲だったが、火種の熱が指先近くまできたのを感じ、さすがに吸い殻を投げ捨てた。それを合図と見、吾妻がゆったり立ち上がる。


「さて。ではそろそろ本丸へと乗り込むとするか」


 心得たように、ギンがカンテラを差し出した。箱の三面を黒布で覆い、一方向に灯りが集中するように工夫されている。夏見は大きなガマ口の鞄を漁り、取り出した数珠を腕に巻きつけた。

 カンテラ内の種火を確かめながら、吾妻が物珍しげにそれを眺めた。視線に気付いた夏見が、ちらと腕を持ち上げてみせる。


「商売道具です」


「立派なもんだ。頼むぜ、夏見くん」


 満更でもないらしい。うふふ、と照れたような笑みをこぼす。そうしていると歳相応の、少し勝ち気な少年らしく見えた。しかしふと真顔になると、なにやら懐を探っている蛇川を振り仰いだ。


「骨董屋さん」


「ん」


「もし、(あや)しからん気配の正体がちささんだったとして……達見兄弟への恨みを募らせて鬼になったのだとして……。それでも骨董屋さんは、ちささんを斬りますか」


「無論、斬る」


 即答だった。そこにはわずかな逡巡(しゅんじゅん)もない。


 まるで躊躇いないその様子に言葉をなくす夏見。蛇川は苛烈な瞳でそれを睨んだ。


「哀れな子供を問答無用で斬り捨てようとした頃に比べれば、幾分マシになったともいえるが……しかし勘違いするなよ。相手は『鬼』だ。

 僕は鬼の成り立ちを知れとは言ったが、同情しろとは言っていない。我々と鬼とは本来住むべき場所が違う。奴らに僕らの道理など通じない。そのことを忘れていては、いずれ魂を取られるぞ」


「わ、分かってますよそんなこと! ……でも、……でも、それじゃ、あまりにちささんが救われなくて……」


自惚(うぬぼ)れるな。何によって己が救われるかなど、ちさ自身が決めることだ。あんたが口出しするようなことじゃあない。唯一、僕らにも分かることがあるとすれば、我々と鬼とは住むべき場所が違うということだけ……それに従い、動くのみだ。

 いいか、二度と同じことを言わせるな。僕はくだらん繰り返しが大嫌いだ」


 言いながら、蛇川は懐から拳を抜き出した。それを無言のままギンに向かって突き伸ばす。合点したギンが両手を差し出すと、その上に六発の南部弾が落とされた。何やら香の薫りがする。白梅香だ。


「上物でんなあ」


「僕が特別に調合したものだ。ここぞというときに使え」


「ありがとうございます」


 受け取った銃弾を、手早く既存のものと詰め替える。慣れた手つきだった。


「準備は整ったな。行くぞ」


 羽音の唸りはいつしか止んで、草の陰では虫が涼やかに鳴いている。夏の、しっとりとした湿気を含んだ闇が、男達を取り囲んでいた。





 轟々と水の流れる音がする。川が近付いてきたらしい。


 元より渋って遅れがちだった六男の歩みは、ここへきて一層粘り気を帯び、その腰縄を持って引っ張ってやらねば進まないほどになっていた。よほど村に近付きたくないと見える。しかし腰縄を持つギンは一切容赦をしなかったので、時折、縄に締め上げられた六男の悲鳴が夜の道に響いた。


「待て」


 先頭を行く吾妻が立ち止まり、片手を広げて後続を制した。蛇川らが歩みを止めると、手を口元へやって人差し指を立てる。


 油断なく前方を照らしながら、吾妻は周囲に視線を配った。音を立てないよう、カンテラを利き手から左手に持ち替える。


「何か聞こえないか」


 半ばは、多くの戦場を生き抜いてきた男の勘でもあっただろう。なにせ、今や会話すら困難なほどに水音は近付いていたのだから。


 しかし、吾妻に倣って耳を澄ませてみれば確かに聞こえた。


 ――足音だ。それもかなりの数の。


 獣どもが立てる四つ脚の足音ではない。重く苦しげなその音は、二本脚で歩くモノのそれだった。


「灯りを消せッ」


 蛇川の短い叫びに呼応し、吾妻がすぐさまカンテラの種火を吹き消した。瞬時に辺り一帯が黒に染まる。


 月明かりすらない闇の中にあっては、鼻先に掲げた己が手の輪郭すらも判然としない。湿気を孕んだ闇は、息を殺す男達の耳に、鼻に、どろりと流れ込んでくるようであった。


 ようやく暗闇に慣れた一行の目に、何か揺らめくものが見えた。灯りだ。足音が聞こえる方向で、小さな炎が揺れている。


 それは頼りげなく風に形を変えながら、しかし段々と近付いてくる様子であった。吾妻の肌を蒸らしていた汗が急激に冷えていく。


「おい」


 不意に蛇川が声をあげた。同時に鳴った草を踏む音で、どうやら彼が振り返ったらしいことが分かった。


 完全な闇の中で、しかし蛇川の鋭い目は達見六男を捉えていた。その目は冷ややかな怒りに満ちている。


「あんた、嘘をついたな」


 六男が「ひっ」と引き攣った声を漏らす。己に向けられた強い怒気を、肌で感じ取ったらしい。


「花嫁の身代わりは石だったとほざいたな。

 だが見ろ。あれは――花嫁行列だ」


 途端、激しい耳鳴りが一行を襲った。中には堪え切れなくなった六男の悲鳴も混ざっていたかもしれない。しかし頭痛を伴う甲高い音は、生きた人間には到底出し得ぬものだった。


 ――鬼!


 吾妻、ギン、夏見が一斉に身構える。


 ギンの愛銃・南部大拳の撃鉄が起こされ、夏見は首にかけた数珠の先端を突き出した右手に握った。

 吾妻は徒手だ。太い両腕は脇の横に垂らしているが、しかし全身には緊張が(みなぎ)っている。落ちた針が地面を揺らす、そんな僅かなきっかけさえあればたちまち暴力の渦と化す。その準備ができている。


 蛇川もまた、濁流のような激情を内に押さえ込み、いっそ脱力した様子でうっつらと亡者の行列を振り返った。しかしその先頭で松明を掲げる青白い顔の男を見るや、端整な顔を歪めてせせら笑った。


「探偵。あんたの出張はまったくの徒労というわけでもなかったぞ」


 脚を引きずり力なく松明を揺らすその男は、一蓮会が血眼になって捜し求める達見一男その人だった。

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