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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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七十八:神妻村

 神妻村に近い街道沿いで宿を取る。

 宿泊費に少し色をつけてやると、女将は喜んでT型フォードを預かってくれた。街道沿いのため宿泊費は決して安くなかったが、蛇川にせよ吾妻にせよ、金に不足はしていない。


 そこからは徒歩で村に向かう。


 村に近づくに連れて道は細まり、人通りもほとんどなくなった。疫病に襲われて潰えた村に、進んで近寄る物好きはいない。


「くそっ、スーツで来ていたらな」


 道まで伸びる草を忌々しげに払い、吾妻がぼやいた。

 伸びに伸びた草は、尖ったその先端でもって遠慮なく(くるぶし)のあたりを突いてくる。痛くはないが、むず痒い。それに不快だ。


 殴りつけるように腕を振り回し、草の一本を抜き取ると、吾妻はそれを口にくわえた。


 既に日が傾き始めている。多少なりとも涼しくなったのはありがたいが、夜が近づくにつれて羽虫の数がいや増し、その(はね)が立てる微かな唸りは男達を辟易させた。

 ことに、蚊にとって一行は久方ぶりの大きな獲物だ。痩せた野犬や鼠などより、ずっと健康で魅力的なご馳走なのだろう。細い体の吸血虫がふらふらと忍び寄るたび、ぺちり、と肌を叩く音が響いた。



 やがて一行は唐突に開けた場所へと出た。藁葺き屋根の東屋(あずまや)がある。ちょっとした休憩どころのようだ。

 そこに七曲がいた。


 いつものように、やあやあ、と片手を上げて気さくに挨拶するかと思いきや、足音に気付くなり七曲はさっと立ち上がった。

 吸っていた煙草を吐き出すと、薄汚れた革靴でにじり消す。両手はポケットに突っ込んでいるが、目つきはどこか刺々しい。


 常ならぬ雰囲気に訝しむ蛇川をよそに、七曲が暗い声を出した。その目は最初から吾妻を見ている。


「俺は鴛鴦(おしどり)組に喧嘩を売った覚えはないぜ、若頭さん」


 懐手をし、鷹揚に構えていた吾妻の笑顔が固まった。表情を強張らせ、無言のままに両手を袂からそっと抜き出す。


 六男を牽制しながらその背に従っていたギンが、にわかに高まった緊張感に息を飲んだ。


「とんでもなく強い光の中にあっては、モノ本来の色や形は見えづらくなるもんだな。大男の女形(おやま)(モドキ)なんていう強烈な個性には面食らったが、俺だって莫迦じゃあない。ひと月もありゃあ、お宅の素性だって調べられるさ」


「お前……」


「押し殺していたつもりかもしらんが、お宅が俺に噛みつきたがっていることは分かっていたよ。だが何故だ? 何故お宅は俺を恨む」


 しばし、沈黙の時が流れた。神経を逆撫でる虫の羽音だけがわずかに聞こえる。


 それを打ち破ったのは、吾妻の嘲笑だった。


「さすが、人捜しが得意と言うだけあって、薄汚く人の素性を嗅ぎ回ることには長けてるじゃねえか。ええ? ――(まゆ)ちゃんよ」


 途端、七曲が目を剥いた。


 七曲(ななまがり)(まゆ)。その過去に思うところあった吾妻が、独断で調べ上げた彼の本名だ。


 七曲はぎりりと音を立てて歯を食い縛ると、大股で吾妻に歩み寄った。突き飛ばさんばかりの勢いで胸倉を掴む。


「その名前を呼ぶんじゃねえ……ッ」


手前(てめえ)極道(モン)の胸倉掴むたァ大した度胸じゃねえか、ああッ?!」


「三人とも引けッ、莫迦者ッ!」


 腹の底から絞り出された吾妻の怒声が、打ち捨てられた小道の空気を震わせる。間髪を入れず、蛇川の叱咤がそれを切り裂いた。


 鋭い叱咤に制されたのは三人。額を突き合わせて睨み合う吾妻と七曲、それにギンだ。

 一触即発の空気の中、ギンは六男を縛る腰紐を手放すやいなや、瞬時のうちに懐から愛銃を取り出し、七曲に銃口を向けていた。


「下ろせ、ギン」


 ギンは動かない。顔が憤怒に歪んでいる。常にあっては表情が乏しい男だ。こうも感情を剥き出しにしている姿は珍しい。


 尖った目は七曲に向けたまま、吾妻が少し声を荒げた。


「いいから下ろせ。俺に恥をかかせるな」


 その言葉に、ようやくギンが銃口を下ろす。しかし懐にはしまわず、油断なく両手で構えたままだ。


 七曲は至近距離から吾妻を睨みつけていたが、やがて瞼を閉じると鼻から大きく息をついた。それからゆっくりと、胸倉を掴んでいた指を一本一本引き剥がしていく。その指は小刻みに震えていた。荒い呼吸が漏れる。


 吾妻も七曲も、肉質に違いがあるとはいえ、どちらも身丈が優れている。そのふたりが怒りをぶつけ合っている様はそれだけで威圧感を与えたが、しかし体を離したことでわずかに空気が緩んだ。


 乱れた胸元から引き締まった肉体を覗かせたまま、吾妻は髪をかきあげた。肩の辺りに、墨と朱。背中一面に背負った刺青だ。力強く羽ばたく鳳凰の優美な羽と、怪しげな色香を放つ鮮やかな牡丹。

 七曲の視線を感じ、吾妻は襟を整えた。


「人様の()をじろじろ見るんじゃねえ。小汚ねえ一蓮会の犬が」


「……なんだと?」


 吾妻は咥えていた草を吐き出した。ゆるりと脚を肩幅に開く。腰こそ落としていないものの、再び臨戦態勢に入った猛犬に、蛇川が大きなため息をついた。


「よせ、吾妻。時と場合を弁える術とやらはどこへいった。いいから、ここは僕に任せろ」


 吾妻は(じつ)と蛇川を睨みつけていたが、ゆるゆると首を振ると七曲から離れた。東屋に足を向けると、朽ちかけた丸太の椅子に腰掛け、懐から煙草を取り出す。


 場の空気が収まったとみたか、ギンがようやく南部大拳を懐にしまった。次いで、思い出したように六男の腰紐を取り上げる。あまりの緊迫感に腰が抜けたか、六男は草の上にへたり込んでいた。


「探偵、真実を答えろ。昔、あんたが一蓮会というヤクザの汚れ仕事の片棒を担いでいたことは知っている」


 澱んだ七曲の瞳が蛇川を見た。表社会とは遠く離れた場所に暮らす者の目だった。


「そして今回、達見一男を捜していたのも一蓮会と知れた。例の、最上荘の管理人……あれは一蓮会から派遣されたヤクザだ」


「……なんだって?」


「管理人だけじゃない、最上荘には少なくともあと三人は一蓮会のヤクザが入りこんでいる。消えた達見一男が、万が一にも戻ってきたときに取り逃がさないためにな。

 過去に一蓮会と繋がっていた男が、今また一蓮会が追う失踪人を捜している。これを無関係のものと見過ごせるはずがないだろう。

 正直に話せ。あんたは一蓮会の差し金か?」


 七曲の顔から怒りが抜け落ち、ただただ純粋な驚きが表れ、それが失望へと変わっていく。

 その表情の波間に潜む思考を見落とすまいと、蛇川はいっそう鋭い目で七曲の(おもて)を見つめた。


「なんてこった、依頼人(クライアント)が一蓮会……さ、最悪だ」


 呆然と呟く七曲は、しかし蛇川の眉間に深い皺が刻まれるのを認め、慌てた様子で両手を振った。


「いや待て、このうえお宅にまで妙な敵意を向けられては堪らん。誓って言うよ、俺は今回の件に一蓮会が関わっていることは知らなかった。というより、知ってたら決して受けなかったさ……奴等、散々無理難題を押し付けるくせ、ちゃんと金を払いもしねえッ」


 金。実に分かりやすい、七曲の行動原理だ。


 煙草をふかし、ようよう怒りを鎮めていた吾妻だったが、七曲の嘆きを聞くと呆れたように顔をしかめた。彼の行動原理は己の矜持であり、組への忠誠であり、極道としての信念だ。金も法律も、己が命さえもその原理の前では霞んでしまう。ふたりが相容れないのも当然だった。


「畜生、男ひとり捜すにしては報奨金が大きかったもんで、旨味ある案件だと思っていたのに……。想像以上に手間をかけさせやがるうえ、報奨金を受け取れる保証すらもないってのかよ。あんまりだぜ。

 なあ大将、分かったろう。俺はこういう男だ。金さえ貰えりゃなんだっていいのさ。だからこそ一蓮会とはもう金輪際関わり合いになりたくねえ。八百万(やおよろず)の神に誓って言う、俺は一蓮会とはもう切れた人間だ」


「神に誓ったところで意味などあるか。誓うなら僕という一個の人間に対して誓え」


 泡と消えた報奨金に未練たらしい顔をしていた七曲だったが、蛇川を見上げるとにっと笑った。


「やっぱりお宅は面白いな。いいぜ、あんたに誓おう」


「ならよし」


 ちょうどその時だった。


 がさり、と無遠慮に草を踏む音に、ようよう静まった緊張感が再び顔を持ち上げた。


 野犬だろうか。吾妻がゆったりと立ち上がる。


 しかし、続いて聞こえてきたのは獰猛な野犬の唸り声ではなく、どこか笑いを含んだ少年の声だった。


「あれえ、おかしいな。立ち入り禁止の札を建てておいたはずなんだけど」


 街道側、背後から投げかけられたその声に、蛇川が悠然と振り返る。その顔には驚き混じりの笑みが浮かんでいる。


「ご一同、そういうわけですからお引き取りください。ここはちょっとばかり危険ですよ」


 蜂蜜色の髪を夕陽に染めて、夏見(なつみ)少年が立っていた。

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