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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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七十七:神妻村

 七曲(ななまがり)が大きな腹を揺すりながらやってくる。

 のたり、のたりとゆっくり歩くこの男にしては珍しく小走りだが、焦っているというわけではないらしい。どちらかといえば、今にも笑い出しそうな面持ちでいる。


 打ち水の跡から陽炎(かげろう)が立ち昇り、銀座の街並みが揺れて見える。季節はすっかり夏だった。


 定食屋『いわた』に着くころにはすっかり口の端が緩んでいた。無精髭をさすりさすり、油断すればたちまち持ち上がってしまう口角を押さえている。どうやらいい報告があるようだ。それで()いていたらしい。


 しかし、いつもの指定席に求める姿は見えなかった。


 代わりに、和装の大男がちらと手を振った。指定席のひとつ隣に座っている。確か、初めて蛇川を訪ねていった際にも隣にいた男だ。知り合いらしい。


 仕方なく、男の隣に腰を下ろす。


 カウンター上の灰皿は捻じ曲がった吸い殻で溢れており、男の手元では敷島の空箱がひとつ、くしゃくしゃに潰されていた。質量すら感じられるほどの、濃密な紫煙の臭い。かなりの愛煙家とみえた。


 にこにこと愛想よく笑って見せながら、男がカウンターの天板を指で叩いた。見れば、折り畳まれた紙が一枚置かれている。


 七曲が席に着くと、男はそれをついと滑らせて寄越した。

 かるく会釈し、紙を開く。途端、七曲の目が驚愕に見開かれた。



  達見(タツケ)一男(カズオ)ハ千葉県神妻村ノ生マレ

  六人兄弟ノ長兄(ウチ四名ハ幼少時ニ死去)

  帝都ヘノ上京ハ約四年前

  情報元ノ達見家末弟ヲ確保済ミ



 書き手の短気ぶりが如実に表れたその走り書きの内容は、七曲をもって驚嘆せしめた。これでも、平素はあまり動じない男なのだ。言動は大げさだが、あくまで表面的な振る舞いである。それがこうも素直に驚きを見せるのは珍しかった。


「これは……」


「贈り物よ、蛇川ちゃんから」


 男の口から飛び出た滑るような女言葉に、七曲は再び驚愕する。うっすらと眩暈すら感じ、垂れた前髪の上から額を抑えて唸った。


 しかし大男のほうはこういった反応に慣れているのか、特に気を悪くした風もない。垂れた目を細め、にこにこと七曲の(おもて)を見守っている。

 妙な居心地の悪さを感じ、七曲は大きな尻をもぞと動かした。


「いや……しかし驚いたな。実は、俺も達見一男の情報をようやく手に入れたもんで、大将に報告しようと思っていたんだ。苗字が珍しかったもんで、土着性があるんじゃないかと踏んでその線から探ってみたんだが……千葉の、上総(かずさ)道付近のどこか、とまでしか分からなかった」


「へえ? やるじゃない」


 ここでようやく、七曲は居心地の悪さの理由に気がついた。

 目だ。男は常に笑顔でいるが、目だけが異様に鋭いのだ。何か、責めを受けているかのような心地だった。


 しかし、記憶を手繰りよせても女形(おやま)(モドキ)の大男に恨みを買った覚えはない。そもそも、対人における記憶力にかけては自信があるのだ。こうも特徴的な男を見忘れるはずがない。


 七曲が首を捻っているうちに、さっと男が立ち上がった。


「蛇川ちゃんからの伝言。『達見一男を追いたいならば、ひと月後、神妻村で。現地集合だ』だって」


「ひと月後? あの、火がついたような御仁にしては、いやに悠長だな」


 大男は肩を竦めて見せる。ただの伝言役で事情自体は知らされていないのか、あるいはそもそも答える気はないということか。

 しかし七曲はしつこく食い下がった。


「ひとつだけ教えてくれ。お宅、あの御仁の友人なのだろ。あの人は……いったい何者だね?」


 本職の探偵がふた月かけても辿り着けなかった情報を、いともたやすく、十日と経たずに手に入れられる男……

 ただの骨董屋の亭主とは、到底思えない。


 七曲の表情を読んだか、男は少し困ったように笑った。


「ただの、気難しい骨董屋の亭主よ」


 カウンター越しに女給が差し出す岡持ちを受け取ると、それをちらと持ち上げて見せる。


「そして今は、お腹を空かせた一市民でもある」






 きっかりひと月後、廃ビルの前に一台のT型フォードが停まった。ハンドルを握る男の顔面には、縦に大きな刀傷が走っている。ギンだ。


 ギンは幌が引き伸ばされた後部座席を振り返ると、二言三言小声で交わし、運転席から軽やかに飛び降りた。座席から取り上げた真新しいサラシを手に、廃ビルの階段を上がっていく。


 しばらくの後、蛇川が階段をふたつ飛ばしで降りてきた。日除け用の中折れ帽をかぶっている。帽子の白い生地に陽光が反射し、目に眩しい。晴れの日が続いていた。


 蛇川の、今にも駆け出しそうなその足取りとは対照的に、和服の左袖は力なく垂れ下がっている。腕が通っていないためだ。

 まだ、ようやく絶対安静が解けたばかりなのだ。サラシが外れるまでは、まだまだ時間がかかりそうだった。


 幌を引き、蛇川を車内へと引き入れた吾妻は、その眉間に刻みつけられた皺の深さと、ギンのげんなりとした顔付きとを見て笑いを漏らした。先生、動けない間によほど溜まっていたと見える。


「こっぴどくやられたようだな」


「倍どころの騒ぎやあらへん……いつもの五倍は苛烈な『口撃(こうげき)』でしたわ」


 処置時の痛みついでに相当怒鳴られたらしいギンは、頭を掻きながら運転席によじ登った。


「それで。何か新たに得られた情報はあったのか」


「んにゃ。あとは実地に臨むばかりと判断したんで、客人にはゆったりと寛いでもらっていたよ。多少、身の自由は制限させてもらっていたがね」


 蛇川の尖った語調をいなすように、吾妻がわざと軽く受ける。男達に挟まれた達見六男がいっそう体を小さくさせた。その袖を、前触れもなく蛇川が捲り上げる。驚いた六男がひっと短い悲鳴を上げた。


「これが多少か?」


 震える六男の腕には、複数箇所に青痣が見える。鬱血(うっけつ)の痕もある。殴られたものとは少し様子が違うようだ。


「ギンには変わった特技があってね。人を縛り上げることに長けているんだ。しかし今度ばかりは、少し力加減を誤ったらしい」


「ふん」


 雨に打たれた仔犬のように萎れる六男を軽く突き飛ばし、蛇川はゆったりと背凭れに身体を預けた。


 蛇川同様、今日は吾妻もギンも和装姿だ。無論、七曲が来ることを見越してのことだ。


「ついてくるのは構わんが、無駄に喧嘩してくれるなよ」


 吾妻は小型ナイフを取り出し、その刃先を確かめていたが、パチリと小気味いい音を立てて(やいば)をしまった。その顔にはいつもと変わらぬ、余裕ある笑みが浮かんでいる。


「時と場合を(わきま)える術くらい身につけているさ。そう心配しなさんな」


「どうだか」


 確かに吾妻が言う通り、彼は自身を強く律することができる男だ。責め口調でいる蛇川の方が、その手の術を持ち合わせていない。


 しかし蛇川は知っている。吾妻という、眠れる竜の逆鱗の在り処を。



 蛇川の勘は、よく当たる。

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