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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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七十四:鬼畜

「ちさは美しい娘でした。畑仕事で肌は日に灼けていましたが、ふとした瞬間に裾から覗く(もも)などは上等な絹のように白くて……村の若い男たちが集まると、いつも話題は決まってちさのことでした」


 己を取り囲む男たちの、底冷えするような目にも気付かず、達見(たつけ)六男(むつお)はだらしなく鼻の下を伸ばした。ちさという娘の美貌が、それほどまでに優れていたということだろう。


 人柱、という単語が出た時点で、蛇川が六男を見る目があからさまな侮蔑へと変わっていたが、(とろ)けたような六男の表情に、その端整な顔がますます歪んだ。汚泥を見るような目、という表現すら生易しい。


「もっとも忌むべきは無駄、無能かと考えていたが、垂れ流しの色欲というのも大概醜いものだな」


 吐き棄てるように、言う。

 遊女屋を活計(たつき)のひとつとして抱える身としては、その垂れ流しの色欲こそが金の源であるため肩身が狭いと見える。吾妻が、所在なさげにほりほりと顎をかいた。


「それで……その、ちさって娘はどうなったんだ。人柱として捧げられたにせよ、村役人が下した決定であれば、お前さんが追われるこたぁないだろう」


「そ、それは……」


 再度、六男が口ごもる。癖だろうか、血に汚れた手を口元にやると、無心に爪を(かじ)り始めた。見ていて気持ちのいいものではない。


 やがて男たちの無言の圧力に気付いたか、六男は小刻みに体を揺らし、どもりながら話を続けた。





 ◆




 ちさが人柱に――いえ、水神様の嫁御に決まった、という噂は、すぐに村全体に伝わりました。


 だって、そうでしょう。嫁入りの話は元より決まったも同然でした。ならば誰がその大役を担うのか……村人たちは、老若男女問わず、誰もがその一点ばかりを気にしていたんですから。

 若い娘は、まさか己が嫁御に選ばれてはどうしようかと不安に枕を濡らしましたし、親の世代はまさか我が子が、男兄弟はまさか(われ)の大切な姉が、妹が選ばれてはと、誰もが不安に駆られていました。


 しかし、実を言えばみんな内心ではちさに決まるだろうと思っていたのです。


 ちさには兄以外に身寄りがなく、その兄も遠く県外へ出稼ぎに出たきりもう数年も帰っておらず、ちさがいなくなったところで悲しむ身内はいなかったわけですから……


 残酷なように聞こえるかもしれませんが、しかし実際にそうなったのです。

 若く、美しく、穢れなく。(うしな)ったにしても悲しむ人間ができるかぎり少ない娘。その条件に、ちさはこの上なくぴたりと当てはまってしまったのです。


 こうなると俄然、村人らの関心は、嫁入りを申し伝えられたちさがどういう反応を見せるかに移りました。

 ……そ、そう怖い顔をなさらないでください。僕はただ、正直にことの有り様を語っているわけで……



 ある日、その日もまるで桶をひっくり返したかのような雨が降り続いていましたが、とうとうちさが庄屋さんの家に呼ばれました。


 家の周りは噂を聞きつけた村人らで溢れていましたが、ちさはそれににこと笑いかけ、なんら気負うようすもなく、上がり(がまち)に用意された水で汚れた足を丹念に洗いました。


 身寄りがないとはいえ、ちさも当然村の大切な仲間です。庄屋さんはつらい感情を見せまいと、苦心して和やかな顔を浮かべて見せながら、ちさ、喜べ、喜べ、お前はこの世でいっとう幸せな嫁御となろうぞ。お前はの、水神様の元へと嫁入りするのじゃ。


 そう、喘ぎ喘ぎ庄屋さんが告げると、ちさは、


 ――まあ、嬉しい。


 目を輝かせ、笑顔でそう答えたといいます。


 まさか、嫁入りという言葉をそのまま屈託なく受け取ったわけではないでしょう。神妻村の名前の由来は、かつて水神様の元に嫁入りし、荒ぶる川の流れを鎮めた娘を讃えてつけられたものです。神となった娘は水神様の祠のそばに祀られ、今も村人の信仰を集め、その穢れなき姿は神妻伝説として古くから語り継がれてきました。村に住まう者なら、三歳の幼児であっても『水神様の元へ嫁入りする』ということが何を示すかなど、当然分かっていたはずなのです。


 なによりの証拠に、ちさは続けてこう言ったそうです。


 ――身寄りのないわたしに、神妻村の皆さんはとても良くしてくださいました。その皆さんに少しでも御恩をお返しできるのであれば、これ以上嬉しいことはありません。


 ちさはすべてを理解し、呑みこんだうえで、それでも『嬉しい』と言ったのです。ちさは――ちさは、心根までも美しい娘だったのです!


 もちろん恐ろしくもあったでしょう。なぜわたしが、と恨む気持ちも少しはあったに違いありません。

 それでもちさは、それで村が救われるならと、大人たちの身勝手ぶりをすべて許し、笑ったのです。



 ちさの凛とした強さに、美しさに、穢れなき魂に触れて、涙したのは庄屋さんのほうでした。嗚咽に声を詰まらせながら、そうか、うん、よく言ってくれた。花嫁衣装もその輿(こし)も、村の全精力を傾け、京の帝様もかくやと驚かんばかりのものを拵えてみせよう。


 それが村人にできる唯一の報いと分かっているから、ちさも笑って、それは楽しみ、などと無邪気に答えてみせるのです。その姿がいっそう哀れを誘って……



 ちさの嫁入りの準備は、その日のうちから始められました。


 庄屋さんは、言葉の通り、せめてちさが笑って最期を迎えられるよう、ご自分の蔵から秘蔵の反物を取り出し、村で一番針のうまい女を集めて花嫁衣装を縫わせました。

 男衆(おとこし)は雨がざあと降りしきる中、力を合わせて竹を切り出し、美しい竹細工を随所に散らばらせ、神妻村ならではの見事な輿を作り上げました。子供らは、わずかに咲き残っていた花々を積んでは輿に挿し、ちさ(ねえ)の嫁入りに華を添えました。


 後にも先にも、あれほど涙に濡れた嫁入り準備はないでしょう。誰もが無理に笑顔を浮かべ、しかし頰は涙に濡らし、このうちに雨が止んでしまえばと乞い願いながら準備を進めました。


 しかし村人の祈りも虚しく、ついに嫁入り準備がすっかり整ってしまっても、雨は弱まる気配すら見せませんでした。



 (おぞ)ましい鬼が囁いたのは、ちさの嫁入りを翌日に控えた夜でした。

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