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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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七十三:鬼畜

 吾妻は極道の男だ。暴力を生業(なりわい)として生きている。

 長く暴力に生きてきた男ゆえに、敵を制するには相手の『根幹を成すもの』を()し折ることだと、身に染みて理解している。


 根幹を成すものは、人により様々だ。決して譲れぬ己の矜持(きょうじ)、信念、主義主張、命に代えてでも守りたいヒトやモノ――

 その中でも最も多数を占めるのが『生への執着』だ。


 人は誰しも生きたいと願う。古来より、富を得、名声を得た人物が次に求めるものはいつだって永遠の命、不老不死の秘薬であった。誰もが死の恐怖に怯えながら生きている。

 その死の恐怖こそ己であると、己こそが生殺与奪の権を握る者だと知らしめることこそ、生へ執着する者を支配するための最短経路だ。達見(たつけ)六男(むつお)の場合もそうだった。




 耳朶の下半分を斬り飛ばされた達見六男は、襲いくる激痛と恐怖とに四肢をばたつかせ、ひどく暴れた。しかし伸しかかる大男はびくともしない。苦悶に歪む六男の顔を見下ろす瞳は、凪いだ海のように静かで、動揺の欠片さえ見当たらない。


 苦しげに喚く六男の口を押さえながら、吾妻は己の口元に人差し指を当てた。まるで子供をあやすかのように小さく首を振り、しぃー……と歯の隙間から息を吐き出す。


「そうも喚いちゃあ、喉が潰れる。喉が潰れりゃあ、質問にも答えられねえ……まだ若ぇんだ、魔羅を失いたくはないだろう?」


 慈悲もない脅し文句とは裏腹に、バリトンの声はいっそ耳に心地よく、その口調は聞き分けのない子供を諭すかのように穏やかだ。その穏やかさがいっそう恐ろしい。


 えもいわれぬ恐怖に、六男が次第に大人しくなった。頬を滂沱の涙で濡らし、嗚咽に全身を震わせながらも、サラシを噛んで必死に耐える。


「いい子だ」


 達見六男の『根幹』が折れる音を聞き、吾妻がその口からサラシを抜き取った。六男の唾液で汚れたそれを、店の片隅へと放り投げる。


 嗚咽を漏らすばかりで起き上がろうともしない六男を、腋の下に両手を差し込み、吾妻が立ち上がらせる。脚が折れて使い物にならなくなった椅子の代わりに、ギンが丸椅子を差し出した。


「話してもらおうか。お前さんたち兄弟はなぜ神妻村から逃げ出したんだ? そしてなぜ追われている?」


 六男は斬られた左耳を抑え、震えていたが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。


 兄弟が日陰に生きねばならなかったその理由。捨て去った故郷で起こった、(おぞ)ましい事件のことを……





 ◆




 神妻(かみつま)村は、雨と縁の薄い土地でした。


 古い人は「この村は神様のもとへ向かう花嫁行列が出発する場所だから、花嫁さんがいつ発ってもいいようにいつだって晴れている」なんて言いますが、実際のところは、険しい山々に雲が遮られ、雨が全部山向こうに落ちてしまっているんだと、偉い学者さんが言っていました。


 そんなだから、村ではあまり農業が盛んではありませんでした。何代にも渡る研究の結果、どうにかこうにか日照りに強い米を作ることには成功したものの、()は痩せていて、村人の口に入る分がせいぜいです。とても商いはできません。


 それで、先人たちは竹細工を村の名産にしようと決めたのです。竹なら、周囲を囲む山一面にいくらでもありましたから。


 また、世代を継いでの研究が始まりました。この地で(たくま)しく生き延びるため、誰もが必死でした。


 もともと、竹で(ざる)や籠を編んできた人たちです。竹の加工技術においてはそれなりに素質もあったのでしょうが、血の滲むような努力を経て、やがて神妻村の竹細工は都にも知れ渡る名品となりました。


 作られた竹細工は、上総(かずさ)道を行き来する行商人の手に委ねられました。

 村人らは自分たちが作る品の価値をきちんと把握していなかったので、最初のうちは、(こす)い行商人らに二束三文で買い叩かれていたと言います。しかしやがて都での評判が村まで届くようになり、初めてその価値に気付き、『神妻村の竹細工』は村に莫大な富を築くに至りました。


 村に富を流すのは上総道。

 その街道と村を繋ぐのは、村の西にあるただ一本の橋……いわばその一本の橋こそが、村の命綱だったのです。



 四年前の夏のことです。


 雨の少ない神妻村に、かつてない大雨が降り注ぎました。雨は二日経っても三日経っても止まず、十日間休みなしに降り続きました。


 最初のうちは、村人全員が天の恵みを喜んだものです。

 近所の子供らは競い合うようにして外へ飛び出し、天に向かって大口を開けては、雨粒が飛びこんでくるのを笑い合いました。大人たちは、普段はろくに湯浴みもできないものですから、降りしきる雨の中で嬉しげに髪を梳いておりました。裏手に住む若い奥さんの手足に張り付く、濡れた襦袢の色っぽいこと……


 その時はまさか、気紛れなその大雨が、村全体を呑みこんでしまうなどとは、露ほども思っていませんでした。



 数日を経過しても、弱まるどころか、いっそう雨脚を強める曇天に、次第に村人のため息が増えるようになりました。

 あれほど嬉しげに空を見上げていた瞳には、代わりに恨めしい色が浮かびました。


 細々と慈しんできた田畑は雨水に浸かり、土手は掘り返され、育ち始めた苗が泥水に浮かんでいるさまは、どうしようもなく無残で、涙が出ました。

 防波堤などというものはまるでなかったため、川は荒れに荒れ、子供が流されたとか、蔵が潰されたとか、耳を塞ぎたくなるような話が日々飛びこんできました。


 轟々と鳴る雨音は、まるで地獄の釜から聞こえてくる鬼の雄叫びのようにも思えました。

 そのときにはもう誰もが口を閉ざしていて、鬼の声だけが村を覆い尽くしていました。


 それでもなんとか、あと数日、あと数日持ち堪えればと、村人たちは忍耐強く雲の切れ間を待ちました。


 この雨さえ止めば、西の川の増水が治まれば、また上総道からたくさんの行商人がやってくる。誰もが神妻村の竹細工を待っている。すぐに、村人たちの努力は富となって、また村を潤してくれる……そう思い、耐え忍んだのです。


 しかしその忍耐も、ある瞬間に泡沫となって消え去りました。

 増水で荒れに荒れた川のために、西の橋が、村人たちの頼みの綱が、押し流されてしまったのです。



 ――水神様のとこさ、嫁御ば贈ろう。


 誰の口からともなくそんな話が漏れ出たのも、当時の僕からしてみれば、無理からぬことだと思えました。甘い言葉で取り繕っていますが、つまるところは『人柱』を立てよう、ということです。


 この変事は、きっと誰かが水神様の御不興を買ったために違いない。ここはひとつ、愛らしい嫁御を贈り、怒りを鎮めていただこう……そういうわけです。


 決定を下したのは村政を担う者たちでした。別に、責任をなすりつけようっていう魂胆じゃあ……いえ、すみません。


 水害がいよいよ拱手傍観できぬ状態になると、夜毎庄屋さんの家に年寄、百姓代が集まって――今の世では戸長とか、副戸長とかいうんでしたっけ――密議を交わしていたようで、僕たちがそれを知ったときには、すべてがもう決定事項でした。



 水神様の嫁御に選ばれたのは、両親を早くに亡くし、出稼ぎの兄以外には身寄りのない、ちさという娘でした。

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