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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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七十二:追跡

 思いもかけず、再び打ち捨てられたカフェへと舞い戻ることになったふたりは、どちらともなくため息をついた。薄暗いカフェの中は少し(かび)臭い。


 和装の男を先頭に、吾妻(あがつま)、蛇川の順に店内へ入る。

 馬車の中でもずっと吾妻の凶暴な拳に脅かされていた男は、すっかり顔を青褪めさせ、もはや抵抗する気力もないらしい。促されるまま大人しく椅子へと座った。


 暑くなるにつれ、随分と日が長くなった。夕餉の時間に近付いた今も外はまだ明るかったが、しかし店内は薄暗い。店舗の両隣は空き家だから人の気配がなく、それが一層薄暗さに拍車をかけている。


 項垂(うなだ)れる男の背後に回り、吾妻がその肩に両手を置いた。痩せた肩がびくりと跳ねる。


「まあ、ゆっくりしてってくれや」


 強張るその肩から緊張を押し流すよう、腕に向かってさすってやりながら吾妻が言う。ねっとりとした足の運びで男の隣に立つと、その前に置かれたテーブルの上で、握り締めていた拳を開いた。チャリ、と甲高い音を立てて落ちてきたのは、外国製の銅貨だった。

 テーブルの上で一度跳ね、床に落ちたそれを、茫然と男が見つめる。


「実際、暴れられたらどうしたものかと思ったが、お前さんは想像力が豊からしいな。助かったよ」


 抜け抜けと言う吾妻を、男が再度茫然と見上げた。鋭利なものなど、元よりどこにもなかったのだ。


 遅れて店内に入った蛇川は、カウンターの席に腰掛けてため息をついた。顔色が悪い。この男にしては珍しく、額に汗も浮かんでいる。走ったためにかいた汗でないことは明らかだった。


 声を漏らさぬよう歯を食い縛り、激痛に耐える蛇川を気遣わしげに見遣ってから、吾妻は男に向き直った。医者にかかるよう言っても、頑固な相棒は梃子(てこ)でもこの場を動かないだろう。ならば、早く済ませてしまうに限る。


「聞かせてもらおうか。お前さんは何者だ? なぜあの家にいて、なぜ逃げた?」


 有無を言わせぬ吾妻の迫力に、男は思わず首を竦めた。口ごもりながら、か細い声で答える。


「なぜって……あそこは、僕の家ですから……。あ、あなたたちは、一体何者なんです。僕に何の用が……」


 途端、目の前のテーブルを吾妻が平手で殴った。朽ちかけたテーブルが大きな音を立てて軋み、男は再度肩を跳ね上げさせた。


「改めて確認しておこう。質問するのはこっちの役目だ。お前さんはただ正直に答えりゃあいい……分かったか?」


 冷徹な瞳に睨み据えられ、声もなく男が頷く。よし、と短く呟くと、吾妻が言葉を続けた。


「お前さんがあそこに住んでいたことは分かった。だが、一緒に達見(たつけ)という男も住んでいたはずだ。そいつについて知りたい。奴はどこへ消えた?」


 怯えているのか、男はぎゅっと袂を握り締め、吾妻と蛇川を交互に見遣った。戸惑った様子でいつまでも答えない男に、吾妻が次第に苛立ちを募らせていく。

 敏感な弱者の嗅覚でそれを嗅ぎ取ったか、男が震える声で言った。


「た、達見は……僕ですが……」





 男は達見六男(むつお)と名乗った。達見一男の弟だという。


 名前の通り、一男が長男で、六男は六番目に生まれた男児だった。間に生まれた四人の兄は早くに死んでしまったらしいが、歳が離れた一男には、幼いころから頭が上がらなかったという。あの長屋は真実六男の家で、一男はまるで関係ないと……


 カフェに戻る途中、自動電話で呼び出されていたギンは、手早く蛇川の手当てをしながらそれを聞いた。サラシを巻く手は止めることなく、なんや、と間の抜けた声を上げる。


「あのアホ、一男(かずお)六男(むつお)を間違えるやて。どういう耳の構造しとるねん」


「どいつもこいつも、うちのは皆早合点ときている。しかしまあ、思わぬ収穫ではあった。まさか肉親に辿り着くとは」


 カウンターの対角線上にあたる角へと回り、吾妻は煙草に火をつけた。口から吐き出した煙で輪を作り、戯れていたが、やがて細く吐いた息で吹き消してしまった。足元に積み重ねられた木箱を見下ろしながら言う。


「それで、具合はどうだ」


「……あきまへんな。折角くっついたばかりのところが、また外れてしもうたらしい。ほらここ、左っ側だけ肩が下がってしもとりますやろ」


 ギンが指し示す通り、蛇川の左肩は力なく垂れ下がっていたが、何よりも苦痛に歪むその顔こそが状況の悪さを物語っていた。


 鎖骨の骨折はとりわけ激痛を伴う。春先に折ったときには気力で乗り切っていたが、今はそうもいかないらしい。椅子を繋げ、ギンが(こしら)えた即席の寝台に身体を横たえることは頑なに拒んだが、顔色は悪くなる一方だ。


「先生、悪いことは言わん。今日はもう帰って休め」


「……この状況で帰れるかッ」


「聞いた話はすぐ伝えに行くから」


「嫌だね。僕は僕自身の口と耳で真実を聞き出したいんだ。いいから尋問を続けろ」


 吾妻とギンは顔を見合わせた。こうなってしまっては、どう説得しようが他人の意見を受け容れる蛇川ではない。


「まあ、医者に行ったところでヘデク(痛み止め)を出されるくらいでしょう。無茶な動きをせん限りは大丈夫かと」


「分かった……なら、ええと、達見(たつけ)六男(むつお)と言ったか。質問の切り口を変えようか。なぜ逃げた?」


 空になった敷島の箱を握り潰し、吾妻が問う。嘘を許さぬ鋭い眼光を背中に浴び、六男は落ち着かなさげに体を揺らした。


「それは……だって、これまで来客なんて一度もなかったのに、み、身なりのいい人がふたりも急に訪ねてきたら誰だって……」


「六男ちゃんよお」


 震える六男の言葉を、いやに間延びした吾妻の声が遮った。

 字面だけを取ってみれば親しみさえ感じさせるその呼び掛けには、しかし背筋を凍りつかせるほどの威圧感があった。


 しばらく、吾妻は足元の木箱を探っていたが、やがて何かを取り出した。日本刀だ。全身は緩い弧を描いており、桐の白い木肌が美しい。


 一切の装飾がない拵えに手をかけ、吾妻がゆっくりと(やいば)を引き抜く。絹の雨が道路を濡らすような涼やかな音を立て、磨き上げられた刀身が姿を現わす。傾き出した赤い陽を受け、曇りのない刃が血濡れたように光る。


 その光を確かめたのち、吾妻は再び涼やかな音を立てて刃を納めた。六男が生唾を飲みこむ音が、いやに大きく店内に響く。言葉はなくとも、吾妻が意図するところを伝えるにはその行動だけで十分だった。


「ガキの感想文聞いてるわけじゃねえんだ。逃げるってこたあそれ相応の理由があるはず……そうだろ? 俺はそいつを訊いてるんだよ」


「む、村からッ」


 上擦った声で六男が答える。


「村から、誰かが僕のことを聞きつけてきたのかと……! て、てっきり、連れ戻されると思って……」


「村? 達見一男もそこの出身か。どこだ?」


「か、神妻(かみつま)村というところです……上総(かずさ)道沿いの……兄も一緒です」


「千葉か。なぜ村の奴らに追われる必要がある?」


「そ、その……僕は、村を捨てて逃げてきたので……。実は、村が疫病にやられまして、それで……僕も兄も怖くなって、そのときに」


「別々にか?」


「そうです、途中からは……本当は、僕らが医者を連れてくる手筈になっていました……だけど、兄が『疫病にかかる恐れだってあるのに、あんな村にわざわざ帰る必要はない』と言って、僕を置いて……だから僕も、その」


「何年前だ」


 不意に、後ろのほうから声がかかった。蛇川だ。


「疫病をきっかけに村から逃げ出したのだろう。何年前だ?」


「……よ、四年前です」


「村を出たのが四年前。それで確かか?」


「……はい」


 伺うように六男が答えた途端、蛇川が顎をしゃくった。その合図を見るや、吾妻が六男の座る椅子の脚を蹴り飛ばした。折れた脚が床を滑る。


 悲鳴を上げ、背中から倒れこんだ六男に吾妻が馬乗りになった。驚き抵抗する六男の口に、丸められたサラシが突っ込まれる。次の瞬間、抜き身の日本刀が振るわれた――


 水気を孕んだ音とともに、斬り飛ばされた六男の耳朶(みみたぶ)が床に落ちた。六男の喉が悲痛な絶叫に震えたが、しかし詰め込まれたサラシに吸われ、音はほとんど漏れ出ない。

 豆腐を切るような軽やかさで耳朶を斬り飛ばした吾妻は、苦悶の表情で暴れまわる六男を平然と見下ろしていた。他者を傷つけておきながら、その顔に動揺の色は微塵もない。


 同じく、顔色ひとつ変えない蛇川が、カウンターからゆったりと身を起こした。


「神妻村を疫病が襲ったのは一年前……新聞を注意深く読む者なら誰でも知っている情報だ。あまり下手な嘘をつかんほうがいい。次は魔羅が飛ぶぞ」

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