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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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六十九:長い一日

 達見(たつけ)一男の捜索に向けての追加依頼を済ませてしまうと、吾妻らはがらん堂を辞した。

 こうなると俄然、暇になる。


 そそくさと『いわた』に向かった。


「亭主、ボードゲームをしよう。七番勝負だ」


 ドアを開けるなりそう持ちかけられ、亭主は四重の意味でぎょっとした。

 ひとつには、その左腕を固定するサラシが目に痛々しかったため。ひとつには、蛇川からの誘いはこれが初めてだったため。ひとつには、吾妻から「もしも蛇川が長居するようなら追い返すように」と頼まれていたためで、もうひとつには、かつて蛇川と対局をして勝てた試しがないためだ。


 七曲がやったように、絶妙に手心を加えて相手を楽しませる、などという技術が蛇川にはない。どだい、そんな考え自体を持ち合わせていないのだからどうしようもない。


 趣味と言い切るだけはあって、亭主の腕もなかなかなものだが、しかし蛇川には遠く及ばない。毎度ぐうの音も出ないほどに叩きのめされ、そのうち挑む気力も失せてしまった。

 それで亭主は戸惑った。さて、断り文句をどうするか……


「七番勝負とはまた無茶な。あんなもの、普通は二日に分けてやるものだ」


「暇なんだ! 暇すぎて、かつてなく死を近くに感じる」


 切羽詰まったようすで髪を掻き毟る蛇川は、確かに顔色が悪く、安静が必要に見える。その一方で、安静と共に迫りくる暇を恐れているようでもあった。


「暇すぎて死んじゃうなんて珍事件、聞いたことないわ」


 りつ子が(さか)しらに口を挟む。

 誰に似てしまったものか、女だてらに口が達者だ。蛇川がじろりとりつ子を睨んだ。


「平々凡々な人間には分かるまい、この苦しみが。断言できる、知的興奮の供給が絶たれれば僕は死ぬ。

 頼む、亭主。人助けと思って」


 蛇川の口から「頼む」などという言葉が出たことに、店に居合わせた面々が目を丸くする。よほど窮しているらしい。


 しかし亭主も譲らない。吾妻から頼まれていることもあるし、何より、娘の前でそう何度も惨敗を喫しては父としての沽券に関わる。

 主に後者の理由で、亭主は頑なに首を縦には振らなかった。


「このッ頑固(ジジイ)! 今に頭が岩になるぞ!」


 蛇川の悪態も子供じみている。

 見かねてりつ子が口を挟んだ。


「そんなに暇だ暇だと言うのなら、たまにはくず子ちゃんと遊んであげなさいよ。いっつも放ったらかしじゃない」


 こんどは蛇川が目を丸くする番だった。何を莫迦な、と驚き半分呆れ半分といった顔で言う。


「ここで遊ばせているじゃないか」


「蛇川さん、全然分かってない。あたしたちとじゃない、蛇川さんと(・・・・・)遊ぶことに意味があるの」


「女児の遊び方など知るものか。そこに関してはあんたのほうが詳しいだろう。餅は餅屋だ」


「もうッ、連れ立って街を歩くだけでも立派な遊びになるの! いいから、くず子ちゃんと一緒に散歩する!」



 半ば追われるように『いわた』を出た蛇川は、しかしむくれながらも、一度くず子を誘ってみるかという気になっている。


 他人の、しかも女子供に言われたことに従うなど、常の蛇川ではまずないことだ。

 暇に飽いて思考が鈍ったか、単なる気まぐれか、あるいはりつ子の言葉にわずかながら感じるところがあったものか……


 蛇川自身も分からないまま、気付けば廃ビルの前に立っていた。





 とはいえ、散歩に誘ううまい文句など思い浮かぶはずもなく。

 困り果てた末、蛇川はこう切り出した。


「くず子さん。連れ立って街を歩く、というのは、遊びになるかな?」


 問われて、くず子はきょとりとしながら顔を上げた。


 その手元には、目の詰まった小さな麻袋がいくつも並べられている。中身は珈琲豆の残りカスだ。

 以前は捨ててしまっていたものだが、今はこうして溜まったものを小分けにしては『いわた』に回している。臭い取りにいいとかで、りつ子がたいそう喜ぶのだ。蛇川が選ぶ豆はどれも一級品で、格別に香りがいいから余計だろう。


 すぐには質問の意味を飲みこめずにいたらしいが、やがてくず子は頷いた。どこか遠慮するような面持ちでいる。

 それにはまるで気付かず、ふうん、と蛇川は興味深げに唸った。


「その遊びは楽しいものかな? くず子さんにとって」


 再び、遠慮がちに頷く。よし、と蛇川は膝を打った。


「ならば僕と遊びませんか」


 途端、くず子の頰に赤みが差した。たちまち潤んだ黒い瞳が、(じつ)と蛇川の(おもて)を見守る。


 これまでにない反応だ。その真意を汲みかね、蛇川がちょっと困った顔をすると、慌ててくず子が頷いた。何度も何度も、勢いよく首を縦に振る。


 苦笑しながら、蛇川は乱れたその髪を撫でつけてやった。


「よし、では行こう」


 すっくと立ち上がった蛇川を、くず子が両手で制止した。もしもりつ子がここにいたなら、やれやれとため息をついたことだろう。


 怪訝な顔をする蛇川に少し待つよう伝えると、くず子は自室へと駆けこんだ。なにやら慌ただしい物音がするが、しかし一向に出てこない。



 蛇川にしては随分と辛抱強く待った。しかしやがて耐え切れなくなり本へと手を伸ばしたところへ、ようやくくず子が現れた。右腕を慌てて引っ込め、微笑みをもって出迎える。


 再び蛇川の前に立ったくず子は、装いをがらりと変えていた。慌ただしい物音は、箪笥の中身をひっくり返していたものらしい。


 くず子が着ているのは薄い水色のワンピースだ。無地で素朴な意匠ではあるが、襟や袖口、胸元の切り替えしには白い布地が使われていて、とても愛らしい。

 頭には麦わら帽子を乗せている。少し汚れた部分も見えたが、花を模した飾りをつけて巧みに隠している。花飾りはワンピースと同色の布地で作られている。特に買い与えた記憶はないから、くず子の手作りかと思われた。


 両足の踵を揃えて立つくず子は、いつもより少し背筋が伸びて見える。どうやら緊張しているようだ。

 ただの散歩だろう、と蛇川は内心苦笑したが、彼女なりの考えがあるのだろう。ならばそれを尊重してやるまでだ。


「では、行きましょうか」


 いつもの様子で立ち上がった蛇川に、くず子は少し残念そうに眉を下げたが、すぐに笑みを浮かべると軽い足取りで戸締りにかかった。

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