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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第三章 ロマネスク
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六十六:捜索開始

 意外にも、老管理人の住まいである六畳間は、蛇川が覚悟したよりは片付いていた。少なくとも足の踏み場はある――辛うじて。


 ただし壁際には山のように荷物が積まれており、脱ぎ散らかした衣服や割れた瀬戸物、取手のとれた引き出しや綿が散乱しており、そのどれもが粗大ゴミとしか蛇川には思えなかった。


 脱ぎ捨てられた衣服は例外なく垢で薄汚れており、あちこちが破れてそのままになっている。老管理人が今着ている服はそこまでひどい有様でないから、どうやら着古したものを床に打ち捨てているらしい。

 薄目でそれらを睨み、いつまでも突っ立ったままでいる蛇川を、早々に胡座をかいた七曲(ななまがり)が見上げた。


「楽にしたらどうだ?」


 まるで自宅かのように言う。


「生憎、僕は綺麗好きでね……この家の主人は、客人に座布団のひとつも出さんのか?」


 あまりに尊大な『助手』の口振りに、老管理人は呆気に取られたようすで立ち尽くした。歳を重ねて乾いた唇が半端に開かれている。


「……おい。あんたのとこの教育はどうなってんだ」


「いやあ、すまんすまん。行儀見習いの真っ最中でね。ま、ひとつ大目に見てやってくれ」


「ふん。座布団が欲しけりゃ、押入の中なりなんなり、手前(テメ)ェで勝手に見ればどうだ」


 言われたとおりに押入を振り返った蛇川は、足の爪先でもって黄ばんだ障子を引き開けた。手で触れるのも嫌ということらしいが、無駄に器用である。

 湿気のために変形でもしたか、障子はなかなか頑固に動かなかったが、やがて耳障りな音を立てて開いた。途端、中から物が雪崩れ落ちてきた。


 そのひとつに目を留めた蛇川は、端整な顔をたちまちに歪めた。彼が見たものはかさかさに乾いた本の一(ページ)で、そこには全面に猥雑(わいざつ)な挿絵が描かれていた。本の内容は推して知るべしといったところだ。


 恥じらう風もなく佇む老人に改めて呆れた顔を向けると、蛇川は押入に背を向けた。


「やあ、あったぞ座布団」


 素っ頓狂な声を上げたのは七曲だ。確かに彼の言うとおり、その右手が掴んでいるのは座布団の隅と見える。見える、というのは、その物体が乱雑に積まれたゴミの中に(うず)もれており、全体像を把握することもできないためだ。


 よせ、と言う間もなく、七曲が力任せにそれを引き寄せた。本日二度目の雪崩が起こる。


 もうもうと立つ砂埃の中、口元を覆ったままで蛇川が喚いた。


「少しは考えて行動しろ、莫迦者ッ! 誰が(ノミ)の温床を寄越せと言った! もういい、もう十分だ!」


 言うなり、蛇川は最上荘を飛び出した。我慢の限界を超えたものと見える。

 七曲はほりほりと顎を掻いていたが、老管理人にだらしのない笑顔を向けると、破れた座布団を置いてのっそりと蛇川の後を追った。




「おいおい大将。困るぜ、あまり勝手なことをされちゃあ」


五月蠅(うるさ)いッ! 従順な下僕に躾けたいなら犬でも飼ってろ! 僕は僕がやりたいようにやる、あんなところに長居できるかッ!」


「わはは。下僕ときたか。お宅はいつも極論だな」


 蛇川は脱いだ靴下を手に持ち、苛立った様子でぶんぶんと振り回していたが、やがてそれを山なりに投げた。あの部屋の畳を踏んだ靴下で、大切な革靴を履く気にはなれなかったものらしい。


 蹴るような足取りでずんずんと進むものだから、後を追う七曲も大変だ。太った体を重たそうに揺らしながら、小走りに駆ける。やがて蛇川が足を止めると、丸い肩を上下させて七曲が喘いだ。


「しかし、依頼人に会いたいと言ったのはお宅だぜ。結局、捜索人については何ひとつ話さず仕舞いだったじゃないか」


 必死に息を整える七曲を、蛇川は侮蔑の目で見下ろした。


達見(たつけ)一男(かずお)、三七歳。戸籍謄本はなく、寄留簿(今でいう住民票なもの)もなく、よって公的に身分を証明できるものはなにもない。四年ほど前に帝都に現れたが、それ以前の足取りは不明。こちらではまるで人付き合いがなく、定職に就いていた様子もなく、たまに出掛けることはあっても友人を連れこむことは一切なかった」


 論語を(そら)んじるように、苦もなく滔々(とうとう)と話す蛇川に、七曲が短く口笛を吹いて賞賛を送った。


「もしこれ以上に情報を得られるなら、例えば、出入りの前後で達見の持ち物に変わりはなかったかなどを聞きたかったが、あの老人に聞いても無意味と分かった。少なくとも、それを知れただけ、あの豚小屋を訪れた価値はあった」


「まあ、あの頑固老人からこれ以上情報を引き出すのは難しかろうなあ」


「……あんた、まさか気付いていないのか?」


 きょとんとして無精ひげをさする七曲を、蛇川はどこか憐れむような目で振り返った。


「あの男は管理人などではない。達見一男を探し出すべく、管理人を装って最上荘に潜りこんでいるだけだ。あかの他人の捜索を依頼すると、変に思われる可能性もあるからな」


「なんだってぇ?!」


「まずは衣服の趣味と、その質。部屋に脱ぎ散らかされているものはどれも無地でボロ同然だったのに対し、あの老人が着ていたものは派手な柄モノで、質もそう悪くはなかった。元の部屋の持ち主との生活水準の差は明らかだ。次に押入の下衆極まりない雑誌……いかに心臓に毛が生えていようと、己の性癖を曝け出して眉ひとつ動かさん奴はそういない。奴が押入の中身を正しく把握しきれていなかった証拠だ。最後に、畳の妙な灼け跡。あんたが座布団を引っ張り、ガラクタが崩れたときに見えたが、まるで日に灼けていない一画があった。おそらくは万年床の跡だ。ならば長らく上げられていなかった布団はどこへいったか……部屋内に綿が散らばっていたのを見たか?」


「見たような、見なかったような」


 蛇川の勢いに押されたか、呆けたように答える七曲に、遠慮ないため息が投げつけられた。足元の雑草を苛立たしげに蹴りつけながら、蛇川が言葉を続ける。


「そうもお粗末な観察眼で、よくも僕のことを『助手』だなどと言ってくれたな。あれはおそらく、布団を切り裂き、中身を探った際に出たゴミだ。中には座布団の綿も混じっていたやもしれん。なぜそうする必要があったか?」


「……あの部屋の元の持ち主がなにかを隠し持っていて……それを探していた?」


「その通りだ。あの部屋は管理人の部屋などではない、達見一男の部屋だ」


 はあ、と間の抜けた声をあげる七曲。思い返せば、不審な点は確かにあった。


「そういえば、前回訪ねたときに達見一男の部屋を見させてもらったが、あまりに物がなかった。夜逃げ同然に逃げたものなら仕方ないかと思っていたが……」


「おそらくは適当に見繕った他人の部屋、あるいは空き部屋だろうな。万が一にも、達見一男が隠していたモノをあんたに見つけられては困るもんで、部屋を見せたくなかったのだろう」


 まあ、この様子ならば杞憂だっただろうがな。忘れずにしっかり皮肉をつけ加えると、蛇川は首を左右に捻り、次いで全身を両手で払った。埃の付着が気になるらしい。


「それで、どうする」


 ひととおり埃を払い落とした蛇川が尋ねる。訊かれた七曲は、きょろりと目を丸くした。


「どうって、なにが」


「決まっているだろう、今後捜索をどうするかだ」


「そりゃもちろん、続けるよ」


 あふ、と七曲が欠伸をした。大口をあけて喉を震わせると、両手を頭上で組んで腕を伸ばす。

 欠伸で濡れた目を細めると、怪訝そうな蛇川を見、七曲はだらしなく笑った。


「依頼人が何者だろうが俺には関係ない。大切なのは報酬金、それだけだ。奴さん、達見を見つけ出したら金は弾むと約束してくれている。その一言があれば、捜索を続ける理由としては十分だ」


「達見一男を見つけ出すためには形振り構わん連中だぞ。あんたが達見を引っ張ってくれば、その後奴がどんな目に遭わされるか分かったもんじゃない」


「それこそ俺には関係ないね。俺が受けた依頼は達見一男を見つけ出すことで、その人生を保証するものじゃあない」


 それに、と七曲が続ける。


「実は達見一男こそが大悪党で、依頼人が善玉かもしれんぜ。追われるやつがいつも弱い立場とは限らんし、そもそも、弱いからといって肩入れしすぎると、それこそ不平等ってもんだろう。物事は公平に見ねばならん」


「御高説ごもっとも。……奴があんたを嫌う理由が、なんとなく分かったよ」


「んん? なにか言ったか?」


「なんでもない。こちらの話だ」

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