表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
59/101

五十八:激情が帰結する場所

 等間隔に調度品が並ぶ廊下を、蛇川、ギン、吾妻の順に走る。その後ろから鎖を引きずった『三十六番』が続く。

 金属音の合間合間に聞こえる『三十六番』の苦しげな息遣いに、蛇川はたびたび振り返ったが、しかし足を緩めることはできないようだった。


「これだな」


 子供の背丈はあろうかという大きな壷の前で、蛇川はようやく足を止めた。薄くたなびく霧のような雲海と、そこから突き出る険しい聖山の姿が、踊るような筆の運びで見事に描かれている。


 腰元まである立派な台座には、正面に五岳真行図(しんぎょうず)が彫りつけられている。蛇川はその側面を撫でていたが、やおら正面右手に屈みこんだ。その視線を追って覗きこむと、わずかではあるが、床の埃が一部妙に偏っていた。

 そのまま、蛇川は右手の側面を丹念に調べていたが、やがて革手袋をはめた手が何かを探り当てた。かちり、と小さな音が鳴り、完全な箱と見えた台座の側面がゆっくりと開いた。扉と化したその側面の軌道は、床の埃の痕と完全に一致する。


「控え目に言って……」


 愛銃の様子を確かめていたギンが、蛇川の背中に声をかけた。


「何者かが、ごく最近この隠し扉を開けたいうんは明白ですな」


「あの男から話を聞いていなければ到底気付けなかった。急ごう」


 隠し扉の向こうには闇が澱んでいたが、奥の方は薄っすらと明るい。照明が設けられているのだろう。隙間に沿わせるように細身の身体を滑り込ませると、背後の男たちを掌で制し、蛇川は床に耳をつけた。期待した足音は、聞こえない。


「どないです?」


 続いて隠し通路に入りこんだギンが、予想外に広い廊下にわずかに目を開きながら問いかける。蛇川は首を横に振った。


「ま、多少時間も空いておりますからな」


「しかし、行くしかないだろう」


「ですな。遮蔽物があるというんはありがたい。飛び道具には気をつけてくださいや、跳弾の危険もある」


「分かっている」


 苦労して巨躯を捩じこんだ吾妻が、廊下の広さに間の抜けた声をあげたのをきっかけに、蛇川は猛然と駆け出した。慌ただしい複数の足音がそれに続く。



 廊下はまさしく一本道だった。灯りが等間隔に設けられており、『子供部屋』へと続く下り道よりはよほどか明るい。廊下の両脇には木箱が積み上げられていたが、中身を確認する暇はなかった。


 応急処置を受けたとはいえ、激しい動きに左肩が再び悲鳴を上げる。しかし蛇川は歯を食い縛って堪えた。

 肩の痛みなど、体内で(うごめ)く激情の苛烈さに比べれば、どうということもない。



 瞼の裏に念じ続けたふたつの後ろ姿を、ついに肉眼で捉えた瞬間、鋭い音が隠し廊下に鳴り響いた。すかさず、男たちは廊下の両端に身を伏せる。

 銃声は立て続けに三発ほど鳴り響き、うち一発が被弾したか、『三十六番』が悍ましい怒声をあげた。痛みより怒りが勝ったその声に、銃を構えていたマミが金切り声を上げる。


「ギンッ」


「委細承知!」


 強大な鴛鴦組を支えるふたりの男が短く言葉を交わした。


 弾除けの木箱に腕を置き、ギンが銃口を固定する。力のこもった細い目が、照準ごしに女の姿を捉える。

 その肩に担がれたくず子がもがいている。どうやら意識が戻ったらしい。銃声に怯えているのか、救いの手に勇気づけられて決死の抵抗を試みているのかは分からないが、マミが構える銃口を揺らすには十分だった。


 子供の抵抗に癇癪を起こし、マミがその小さな身体を揺すって持ち上げた瞬間、ギンの南部大拳が火を噴いた。黄銅(おうどう)の銃弾が一直線に闇を切り裂き、飛ぶ。


 狙い(あやま)たず、ギンが放った弾丸はマミの白い脹脛(ふくらはぎ)を貫いた。鮮血と同時に女の悲鳴が廊下を揺らす。衝撃で仰け反るマミの胸を蹴り、その腕から逃れようとくず子がもがく。


 背中から着地し、咽せるくず子の足を捉えようと、安達泰人が大きな手を伸ばした。節くれだった指が今しも細い足に触れようとしたその刹那、指先を掠めて弾丸が飛んだ。被弾の衝撃で爪が弾け飛ぶ。


 熱せられた鍋に触れたかのように、勢いよく手を引いた安達泰人に、情婦が力なく凭れかかる。叱咤のために開かれた口が、常よりも数段青白いその肌に、温もりの無さに、怯えたように震え、固まる。揺れ動く瞳がマミの額を濡らす鮮血を認めた途端、半端に開かれた口から絶叫が(ほとばし)り出た。意味をなさない言葉を喚き散らし、頰を掻き(むし)るその両手は、マミの割れた後頭部から漏れ出た血と脳症に濡れている。


 愛する女の死に顔に動揺し、ただ狼狽える安達泰人に、蛇川が床を蹴って肉薄する。


「鬼め、思い知るがいい」


 平素の、よく通る鋭い声とは違い、恐ろしく低く、唸るような声が食い縛った歯の隙間から吐き出される。


「ヒトは、貴様の玩具ではない!」


 言葉と同時に繰り出された足が、事切れたマミの腹の上から叩きこまれる。動揺し、踏ん張る気力も持たなかった安達泰人は、両脚を浮かせて後ろ方面(ざま)に吹き飛んだ。


 猫のようにしなやかな動作で着地を決めると、すかさず、蛇川は安達泰人が倒れる側とは逆方向へと飛びすさった。廊下にへたりこむくず子を、その右腕に抱えこんで……


 蛇川の腕に包まれ、短く揃えられたおかっぱ頭が揺れる。

 黒髪が蛇川の頰をくすぐる。

 くぐもった声がわずかに漏れる。


 励ますように、蛇川は右腕に優しく力をこめてくず子を抱き、飛んだ。


「鬼……私が、鬼だと……?」


 人質を奪い返されたことにも構わず、呆然とマミの亡骸を抱いていた安達泰人が、譫言(うわごと)のように呟いた。


 素早く距離を取り、吾妻らが控える弾除けまで下がると、蛇川はくず子の身を吾妻に預けた。涙目で追い縋るくず子を片手で制すると、再び廊下に立ち、安達泰人と対峙する。


「私からすれば……お前こそが鬼だよ、骨董屋。我が安達家から安寧を奪い、優秀な後継者を奪い、愛する女を奪った……骨董屋、お前こそが鬼だ」


 その言葉に恨みの感情はない。ただただ虚ろに薄暗い空気を揺らすばかりだ。

 蛇川は鼻筋に醜悪な皺を寄せると、短い吐息とともに嘲笑い、それを一蹴した。


「時代は民主主義なのだろう? ならば民衆に問うがいい。貴様の行いと僕の行い、天秤にかけた際、針はどちらに振れるかを。民衆はすぐに答えを出してくれるだろうさ、僕たちどちらが真の鬼か」


 だが、と蛇川が言葉を繋ぐ。


「貴様の言うことはある意味で正しい。ある観点から見れば、誰しもが、誰かにとっての鬼となりうる。それは事実だ。道はヒトの数だけある。道から外れたものを鬼と呼ぶなら、僕も貴様も、互いにとっては一個の鬼でしかないのだろう」


 半ば独り言のように呟く蛇川の傍らを、『三十六番』が黒い旋風(つむじかぜ)となって駆け抜けた。それは一瞬の風にすぎなかったに違いないが、しかし蛇川には、まるで自動幻画のコマをひとつずつ送るように、『三十六番』の涙が、激情渦巻く顔の激しさが、迸る怒りと憎悪が――そして一片の愛情が、見て取れた。


 安達泰人の絶叫が聞こえたが、しかし蛇川は右手に目を落とし、狂人の末路を見ようともしない。


「何が正しいかなど、誰にも分からん。ただ己ひとりをおいて、誰も」




 どろりと重く、長い一日が更けていく。


 蛇川は静かに目を閉じた。


 瞼の裏側を駆け巡り、視界を朱に染めていた血潮が、徐々にゆるやかさを取り戻していくのを感じながら、蛇川は意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ