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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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五十七:激情が帰結する場所

 左側がいやに下がった蛇川の肩を見、ギンが「あちゃあ、」と間の抜けた声をあげた。


「こらあかん、完全にいってもうとる。蛇の旦那、これからどないするおつもりで?」


「無論、行く」


 間髪を入れず投げ返された返答に、眉を垂らしていたギンが一転破顔する。(うずくま)る蛇川の前にしゃがみこむと、襟巻きを外し、手早く折り畳みながら言った。


「ま、聞くのも野暮な話でしたな。止める気はありません。ただ、応急処置だけはさせてください。そのままやと、旦那、下手すると一生左腕が上がらんようになりまっせ」


 脅しかけながら、ギンはもう襟巻きを蛇川の胴に巻きつけにかかっている。

 慣れた様子で処置を施す若頭補佐の姿を見、鴛鴦(おしどり)組の若衆らも己の襟巻きを取って畳み始めた。屈強な男たちが身を屈めて畳みものをしているさまはどこか滑稽だったが、その顔つきは皆真剣だ。ギンが空いた手を差し出すと、何も言わずとも次の襟巻きが手渡される。息の合った動きだった。


「痛いッ」


「そらそうでしょ、鎖骨が折れとるんやから」


「もう少し労わりを持ってやれ!」


「難儀なお人やな。腕、ここで固定しまっせ。苦しゅうないですか?」


「構わん、急げ。時間が惜しい」


「難儀なうえに、注文も多い」


 畳んだ襟巻きを差し出す若衆を振り向くと、ギンは顔をしかめて見せた。


 軽口を叩きながらも、ギンの手は止まらない。折れた鎖骨の負担を軽減すべく、力なく垂れる左腕を胸元で固定し、襟巻きでもって巻きつける。不自由な腕の重みがなくなった分、肩の痛みが随分と(やわ)らいだ。聞けば、多少ではあるが人体学の心得があると言う。器用な男らしかった。


 吾妻(あがつま)は別の舎弟に応急処置を受けていたが、終わるなりゆったりと立ち上がった。

 自由が利く右腕を回し、肩を鳴らすと、大きな手を懐に突っこむ。やがて取り出した煙草を口の端に咥えた。


「まあ、そう急ぐこともないだろう。表門と裏門はうちの奴らが押さえている。安達泰人は袋の鼠だ」


 丸刈りの舎弟が差し出す火を受け、吾妻が一度言葉を切る。

 うまそうにひと口吸うと、問題は、と煙と共に吐き出した。


ソレ(・・)だ」


 顎で指し示す先には、(うずくま)り、身悶えしながら涙を流す『三十六番』の姿があった。


「なぜ斬らん」


「……斬るべきものは」


 蛇川が目を細めた。

 今は平静を取り戻しているが、一枚皮を剥いだその向こうには、いまだ激情が渦巻いている。


「別に在る」


「安達泰人か」


「あれは鬼だ」


「『都知事の正体見たり』だな、まったく」


 鴛鴦組組長・呉壱(ごいち)の広い背中を思い出し、吾妻はくつくつと喉を鳴らした。


「しかし案外、先生もお人好しだな。敵の敵は味方ってェのは」


 笑いを含んだその声に、蛇川が唇を捻じ曲げる。


「莫迦を言え! 僕はそんな楽観主義者でも理想主義者(ろまんちすと)でもない。信じるに足る事実的根拠からそう判じたまでだ」


「はいはい」


「もう十分に満喫したろう、その胸糞悪い煙を消せッ莫迦者!」


「はい、はい」


 照れてるよ、この人。吾妻はギンに向かって口の動きだけでそう笑った。


 気心の知れた者同士のやり取りに、部屋のそこここで小さな笑い声が上がる。

 しかし一人だけ、その空気に決して馴染まない男がいた。



 昏い目の男は、口元を汚したままで仰向けに寝転んでいた。幾度となく吾妻の拳を受け止めた厚い胸板が、荒い呼吸に合わせて上下している。


「……『なぜ斬らん』」


 靴底に煙草を擦りつけていた吾妻が、ぽつりと呟かれた言葉に顔を上げた。


「先刻、お前が骨董屋に言った言葉だ。今度は俺がお前に訊こう、なぜ俺を斬らん」


「斬られたいのか?」


 からかうような吾妻の言葉に、昏い目の男が静かに目を閉じる。鼻腔からゆるゆると息を吐き出す男に、吾妻が苦笑を返した。


「先生のように格好のいいことは、俺には言えん。ただ単純に、殺しが趣味じゃねえだけだ。まあ、もしあんたが再び俺たちの前に立ち塞がるなら、そのときはまた存分に闘うさ」


「……それは、なかなか魅力的な提案だな」


「おいおい、よしてくれ」


 吾妻が上体を揺らしてふきだす。いつの間にか立ち上がっていた蛇川が、二人のやり取りを横目で見ながらため息をついた。鞘をはめた短刀を懐に収め、乱れた前髪を軽く払う。


「行くぞ。まだ終わってはいない」


「どっちを攻める」


「当然、裏口だ。あんたらは正面から来たろう」


「安達泰人はバルコニー上の扉から出て行きました。とりあえずはあそこから追いましょう。邸内の間取りはおおよそ頭に入っとります」


 先導します、と階段に駆け寄るギンを、「待て」と静かな声が制した。

 声の主、昏い目の男が上半身を起こしているのを見ると、やにわに部屋の緊張感が増した。行かせるつもりはない、ということだろうか。


 しかし男は立ち上がらず、口元を拭うとゆったりと胡座(あぐら)をかいた。


「この屋敷には、いざというときの隠し通路が三つある。それらはいずれも間取り図には記載されておらず、当主と、その周辺のごく限られた人間しか存在を知らん。かく言う俺自身、すべてを知らされているとも限らん。把握しているものが三つしかないだけで、実際にはもっと多くの隠し通路があるのやもしれん」


「教えろ。あの扉の向こうから行ける隠し通路は何本ある」


 昏い目の男が話し終えるのを待たず、蛇川が鋭く口を挟んだ。

 深く刻まれた眉間の皺からは、苛立ちと焦りが見て取れた。くず子はまだ敵の手中にある。安達泰人が無事逃げ(おお)せた際には、無力な子供など、どう扱われるか分かったものではない。安達泰人の常軌を逸した猟奇性は『三十六番』の記憶からも明らかだ。


「俺の知る限りでは、あの先にある隠し通路は一本だけだ。地下を走る一本道で、印旛沼近くの山間の斜面に続いている。目標(めじるし)は青磁の大きな壺だ。中国の聖山、五岳(ごがく)が描かれている。その台座の側面が扉になっている、それが入り口だ」


「礼を言う。来いッ『三十六番』!」


 聞くなり、蛇川はバルコニーへ繋がる階段に駆け寄り、入り口を封じる柵へと取り付いた。蛇川が揺らしたところで、太い鎖はびくともしない。その鍵を持つ綿入れの男は、バルコニー上で事切れている。


 大声で呼ばれ、『三十六番』は涙に濡れた顔を(めぐ)らせたが、バルコニーを見上げると総身を震わせた。子供らにとって、バルコニーは畏れ多い場所なのだろう。そう躾けるため、安達泰人がどのような手段を取ったかは想像に(かた)くない。


 蛇川は苛立たしげに足を踏み鳴らした。


「鎖は解けた、何がこれ以上あんたを縛る! 己で己を戒めるなッ! 斬るのだろう、兄弟の思いを背負って、鬼を!」


 うおうッ、と一声吼えて、『三十六番』が身を起こした。と思った瞬間、黒い旋風(つむじかぜ)となって階段へ肉薄する。あっと思う間もなく黒い嵐は柵を食い破り、勢いそのまま階段を駆け上っていった。

 右腕を上げて破片から顔を庇っていた蛇川は、呆れたようにため息をついた。


「莫迦者め。突き進むことしか知らん奴に、隠し通路の入り口が分かるものか」


 しかし毒を吐く唇は三日月状に歪められている。右の拳で壁を打つと、長い脚でもって『三十六番』のあとを追った。

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