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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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五十六:寿太郎

 題目を唱えるように平坦な試験官の声が、次々に番号を発表していく。二十三位、四六三点、十一番。次、二十四位……そんな具合に。



 まだ名前を呼ばれていない子供らは、それぞれがそれぞれの流儀に従い祈っていた。


 ある者は握り締めた拳を腿に置いて身動ぎもせず、ある者は目を瞑って俯き、またある者は、キ教の教えに感ずるところがあったものか、組み合わせた十本の指を口元に押し当て、何事かを小声で呟いている。

 おそろしく長い時間を土の中ですごす蝉のように、皆がみな、ぴくりとも動かない。


 ようよう自分の番号が呼ばれた子供は、バネ仕掛けのブリキ人形のようにぱっと顔を跳ね上げる。緊張が安堵に変わり、目が潤み、粗悪な紙のような色をしていた頰には赤みが差す。


 しかしその喜びも長くは続かない。刑罰は必ず行われるのだ。己がそれを逃れたということは、別の兄弟が打たれることを意味する。

 自分ひとりの安寧を喜んだことを恥じ、子供らは前よりいっそう身を小さくする。蝉は、地上から這い出ると騒がしく、刹那的に夏の青空を楽しみ、じきに死ぬ。



 三十八番目の番号が読み上げられたとき、誰の口からともなく、ああ、とため息が漏れた。

 今度も、最後まで呼ばれなかったのは『三十六番』と『四番』の二人だった。


 まず『三十六番』が呼ばれ、次いで『四番』が呼ばれた。


 呼ばれた二人はしばらく俯いたまま呼吸を整え、しかしやがて決意したように立ち上がり机の前へと進み出た。青い顔をした兄弟のほうへと向き直ると、心得たように『四番』がシャツに手をかける。


 しかしその手を試験官が掴まえた。

 小さく首を振り、シャツを脱ぐ必要がないことを示すと、『三十六番』に背を向ける格好で跪くようにと告げる。続けざまに、今度は頭の後ろで両の指を組むように指示され、『四番』は当惑した様子で試験官を振り向いた。しかし眼鏡の奥の乾いた瞳は動じない。


 次の試験より、刑罰を一段重くする。


 半年前に告げられた父の言葉が、子供らの不安を煽り立てる。


 試験官が胸元から取り出したもの。その胴体の鈍い光とは裏腹に、どこかぞんざいな手付きで戸惑う子供に手渡されたもの。


 六発篭めの、拳銃だった。


 それがどういう武器で、使用すれば相手がどうなるのか、知識としては知っている。知っているからこそ『三十六番』は目に見えて狼狽した。他の子供らにも、それが瞬時に伝染する。


 兄弟のただならぬ気配を背中に受けて、『四番』は落ち着かない様子で首を(めぐ)らせかけた。しかしその動きを、試験官の鋭い声が制止する。


 同情の余地を一切感じさせない冷たい声は、続いて子供らの間を縫って走るざわめきを厳しく叱責した。常には一度の叱責でぴたりと止む囁きが、今回ばかりは二度、三度と重ねてようやく静まった。

 沈黙の中、空気ばかりが異様なほどに張り詰めていく。


 試験官の眉間にわずかな苛立ちが浮かんだが、小さくかぶりを振ると『三十六番』に歩み寄った。恐ろしい凶器を手にして縮こまった少年に、淡々と銃の扱い方を教え聞かせる……


(あゝ兄弟よ)


 強張らせた指を、引き(がね)にかけようとしない『三十六番』に、試験官の眉がわずかに動く。引き結んだ唇の奥で小さく舌を鳴らし、試験官がバルコニーを振り仰ぐ。

 怒りをはらんだその動作に、『三十六番』の心臓が音を立てて跳ねる。あのときと同じだ。あの、最初の刑罰のとき。勇気ある『四番』が、鞭を振るうことを拒絶した、あのとき……


 試験官の視線を追ってバルコニーを見上げた『三十六番』を、どこまでも冷ややかな父の瞳が見つめる。しかしそれはわずかな()だけで、すぐに視線を試験官に移すと、安達泰人は軽く顎を引いて見せた。



 敬愛する父。


 誰よりも清く正しく、強い父。


 帝都を守り、この国を背負い、世界へ挑もうという偉大なる父……


(僕たちが愛した父は、狂ってゐる)



 拳銃を取り上げようと伸ばされた腕を、がむしゃらに『三十六番』が振り払う。思わず驚きの声をあげ、子供が錯乱したものと見てその身体を抑えにかかった試験官を、「退()け!」と『三十六番』が一喝する。


 まだ幼さを残しながらも鋭く冴えたその大喝に、(きびす)を返しかけた安達泰人の足が止まる。


「これは、これは……」


 感心したように漏らす安達泰人の呟きは、銃声によって掻き消された。


 乾いた音が立て続けに六度響き、『四番』が前のめりに倒れこむ。かつて兄弟を庇ったためにできた顔面の醜いミミズ腫れは、最期に流した涙のために濡れていた。


 異様なまでの静寂から一転、子供部屋は金切り声の坩堝(るつぼ)と化した。


「……これだから子育ては……面白い」


 『三十六番』があげる獣のような咆哮を聞きながら、安達泰人はどこかうっとりと口髭を撫でた。









 ゆっくりと身を起こす蛇川の動きに合わせ、首に巻きついた鎖がじゃらりと音を立てる。

 左肩の激痛に顔をしかめながら、苦労の末に立ち上がる。


 閉じられた薄い瞼の向こうで、激情が、二つの眼球を震わせていた。体内を巡る熱い血潮が、泡を吹きながら叫んでいる。長い睫毛が揺れる。


 ようやく瞼を持ち上げると、蛇川は正面から寿太郎を見据えた。灰色がかった瞳に、涙を流し続ける鬼の姿が映り込む。

 ふ、と蛇川が口元を緩めた。


「あんたの涙の理由が分かったよ、寿太郎。いいや……『三十六番』。歯を食い縛っていなければ、今にも叫び出してしまいそうだ」


 事実、奥歯を噛み鳴らしながら話す蛇川の口内は、自ら傷つけた頬から流れる血にあふれ、唇の両端からは赤い筋が二本垂れている。もはや左腕は自由に持ち上げることも叶わず、流れ出る血は、いたずらにシャツを染めていく。


「兄弟の恨みと、恐れとを一身に受けて、そうしてあんたは鬼になったのだな。あんたは……『三十六番』、あんたは、望んで鬼となったんだ」


 背後で銃声が鳴り響き、にわかにバルコニー上が慌ただしくなる。何かどたばたと物音がしたが、しかし蛇川は涙する鬼から目を離さない。


 全身が疼く。

 到底堪え切れない激情が、蛇川の鼓動を速くする。

 眼前に見た、狂った部屋のありさまが、若き骨董屋の亭主を縛り付けている。


 しかし、ふと、蛇川の肩から力が抜けた。


 呼ばれた気がしたのだ。


 自由になった首を(めぐ)らせ振り向くと、見慣れた顔がそこにあった。ただしいつものような余裕はそこになく、垂れた目は血走り、癖の強い髪はざんばらに乱れて激闘のさまを雄弁に物語っている。


 なんてザマだ、相棒。


 蛇川は笑った。


 その顔目掛け、愛用の短剣が弧を描き、飛ぶ。

 首元に縛り付けられた右手でそれを器用に受けると、鞘を歯で噛み、一気に刃を引き抜いた。あまり自由の利かない右手で、それを鎖へ突き立てる。


 ただの金属音ではない、幼い子供の金切り声のようなものが無数に響く。目に見えない力が鎖に篭められ、刃を押し返そうともがく。首が締まり、気道が詰まるが、しかし蛇川は力を緩めない。口の端に血の泡を吹かせながら、なお一層の力をこめ、短剣を押しこむ。


 確かな手応えを感じた瞬間、鎖が千々に弾け飛んだ。

 飛び散った大小の破片は、一瞬のうちに長い長い時間を駆け抜けたように突如錆び付き、腐り、灰のように細かくなって床に落ちた。


 よく磨かれた、上等な革靴がそれを踏みつけ、見えない敵に見せつけるようにゆっくりとにじる。



 男たちの荒い呼吸だけが響く中、高い天井に蛇川の声が静かに反響した。


「行こう、『三十六番』。真の鬼を斬りに」

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