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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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五十三:激闘

 目の前の男に鋭い視線をくれながら、吾妻は襟巻きを二枚とも外した。


 綿入れの男ががむしゃらに撃ったうちの一弾を受け、左腕からは少なくない量の血が滴っている。対峙する男の挙動に細心の注意を払いながら、吾妻は襟巻きをもって傷の上部を強く縛った。


 サーベルを構えた男もまた、吾妻に警戒の視線を投げながら上着を投げ捨てた。

 ワイシャツ一枚になると、シャツの右袖を引きちぎる。男の鍛え抜かれた筋肉が盛り上がり、綿の布地が音を立てて裂ける。

 布の片側を噛み締め、男はそれを指先の欠けた右手に巻きつけた。


 どちらにも言葉はなかった。しかし、どちらもが互いの行動を尊重していた。


 傷の手当てをし、その上で存分に()り合おう。


 一時(いっとき)たりとも逸らされない二つの視線が、無言のままにそう語っていた。



 日本刀を目の高さで水平に構え、吾妻が腰を深く落とす。

 男はサーベルを持つ右手を前に出し、左腕を開く構えを取った。


 機は満ちた。


「行くぞッ!」


(オウ)ッ!」


 どちらともなく咆哮を上げる。


 木屑で荒れた床を革靴が蹴り、二人の大男が爆発的な速さで接近する。


 和刀と洋刀、形状の異なる刃が交錯する。激しい衝突に火花が散る。


 交わった刃は瞬時に離れ、二度、三度と続けざまにぶつかり合った。


 再び距離を取った二人が、じり、と円を描きながら足をさばく。全身で相手の呼吸を伺う。


 その間にも寿太郎のたてる物音は絶えず聞こえていたが、これ以上なく集中力を高めた獣たちには届いていない。

 二人の耳を鳴らすのは興奮に(たぎ)る己の血液が波打つ音、ただそれのみだ。


 四度(よたび)噛み合った刃を、今度は吾妻が離させなかった。強引に押し込み、そのまま鍔迫り合いに持ち込む。


 片手持ちのサーベルが、徐々に吾妻の剛力に押し負けていく。


 とみるや、男がわずかに体軸をずらした。


 その小さな動きだけで、両腕に渾身の力を込めていた吾妻の体勢が崩れる。


 一寸引いたサーベルが、息もつかずに矢のような突きを見せた。


 身を(ひね)り、本来の間合いを超えて突き伸ばされた切っ先が、よろめく吾妻の左肩を貫く。


 焼けるような痛みに吾妻の顔が大きく歪んだ。食い縛った歯の隙間から呻きが漏れる。


 しかしすぐさま腕の筋肉を(いか)らせると、吾妻は右の掌底(しょうてい)で己を貫く(やいば)の横腹を打った。


 その衝撃で腕の傷口がさらに抉れる。しかし刃は抜けない。深く刺さりすぎたのだ。さらには膨張しきった吾妻の筋肉が、それに食らいついて離さなかった。


 刃というものは横からの衝撃に弱い。

 吾妻の狙いは武器破壊だ。


 サーベルは吾妻の想像を超えてよくしなり、ついに折れはしなかったが、しかし掌底打ちの衝撃が男の傷ついた指からサーベルの持ち手を()ぎ取った。


 獲物を失い、男が呆然とした表情を見せる。

 慌てて気を取り直すと、吾妻の追撃を危惧して飛び退(すさ)った。すかさず吾妻も身を引く。


「……ッつあ!!」


 頰を膨らませて息を吐くと、気合一発、己が左肩に突き刺さるサーベルを引き抜いた。


 鮮血が刃を濡らす。巻いたばかりの襟巻きが、ひと呼吸のうちに朱一色に染まる。


 ひと思いに抜き去ったそれを、吾妻は男の反対側へと投げ捨てた。甲高い金属音を鳴らしながら、サーベルが薄闇の中に滑っていく。



 男はわずかに視線をおろし、自分の右手を見下ろした。


 サーベルが飛び去ってしまってもなお、強い衝撃が右手に痺れだけを残していた。断ち切られた指の断面が疼く。激しい鼓動が全身を震わせる。


「……恐ろしいものだな」


 敵がこぼした、思いもかけず静かな声に、男は視線を正面に戻した。肩を上下させながら、吾妻が男を見つめている。


 男の視線を受け止めると、吾妻は日本刀を持ったままの右手で己の頬を二回叩いた。促され、男も痺れの残る手を頬へと当てる。


 ――笑っていた。


 口角を吊り上げ、歯を剥き出しにして男は笑みを浮かべていた。


 傷もない頰が引き攣るように痛む。長らく表情というものを作っていなかったためだろうか。

 木の皮のように硬くなった頰の皮膚を、男が指先で軽く掻いた。


「楽しいか? 殺し合いは」


「……そう、らしいな」


 どこか他人事のように男が呟く。吾妻は苦笑を漏らすと、日本刀をも薄闇の中へと投げ込んだ。


 男の目がわずかに見開かれる。そこには驚きと、喜びの光があった。


「お前さんもまた、野の獣だな」


 獣と呼ばれた男が、全身を狂喜に震わせて咆哮を上げた。

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