五十三:激闘
目の前の男に鋭い視線をくれながら、吾妻は襟巻きを二枚とも外した。
綿入れの男ががむしゃらに撃ったうちの一弾を受け、左腕からは少なくない量の血が滴っている。対峙する男の挙動に細心の注意を払いながら、吾妻は襟巻きをもって傷の上部を強く縛った。
サーベルを構えた男もまた、吾妻に警戒の視線を投げながら上着を投げ捨てた。
ワイシャツ一枚になると、シャツの右袖を引きちぎる。男の鍛え抜かれた筋肉が盛り上がり、綿の布地が音を立てて裂ける。
布の片側を噛み締め、男はそれを指先の欠けた右手に巻きつけた。
どちらにも言葉はなかった。しかし、どちらもが互いの行動を尊重していた。
傷の手当てをし、その上で存分に闘り合おう。
一時たりとも逸らされない二つの視線が、無言のままにそう語っていた。
日本刀を目の高さで水平に構え、吾妻が腰を深く落とす。
男はサーベルを持つ右手を前に出し、左腕を開く構えを取った。
機は満ちた。
「行くぞッ!」
「応ッ!」
どちらともなく咆哮を上げる。
木屑で荒れた床を革靴が蹴り、二人の大男が爆発的な速さで接近する。
和刀と洋刀、形状の異なる刃が交錯する。激しい衝突に火花が散る。
交わった刃は瞬時に離れ、二度、三度と続けざまにぶつかり合った。
再び距離を取った二人が、じり、と円を描きながら足をさばく。全身で相手の呼吸を伺う。
その間にも寿太郎のたてる物音は絶えず聞こえていたが、これ以上なく集中力を高めた獣たちには届いていない。
二人の耳を鳴らすのは興奮に滾る己の血液が波打つ音、ただそれのみだ。
四度噛み合った刃を、今度は吾妻が離させなかった。強引に押し込み、そのまま鍔迫り合いに持ち込む。
片手持ちのサーベルが、徐々に吾妻の剛力に押し負けていく。
とみるや、男がわずかに体軸をずらした。
その小さな動きだけで、両腕に渾身の力を込めていた吾妻の体勢が崩れる。
一寸引いたサーベルが、息もつかずに矢のような突きを見せた。
身を捻り、本来の間合いを超えて突き伸ばされた切っ先が、よろめく吾妻の左肩を貫く。
焼けるような痛みに吾妻の顔が大きく歪んだ。食い縛った歯の隙間から呻きが漏れる。
しかしすぐさま腕の筋肉を怒らせると、吾妻は右の掌底で己を貫く刃の横腹を打った。
その衝撃で腕の傷口がさらに抉れる。しかし刃は抜けない。深く刺さりすぎたのだ。さらには膨張しきった吾妻の筋肉が、それに食らいついて離さなかった。
刃というものは横からの衝撃に弱い。
吾妻の狙いは武器破壊だ。
サーベルは吾妻の想像を超えてよくしなり、ついに折れはしなかったが、しかし掌底打ちの衝撃が男の傷ついた指からサーベルの持ち手を捥ぎ取った。
獲物を失い、男が呆然とした表情を見せる。
慌てて気を取り直すと、吾妻の追撃を危惧して飛び退った。すかさず吾妻も身を引く。
「……ッつあ!!」
頰を膨らませて息を吐くと、気合一発、己が左肩に突き刺さるサーベルを引き抜いた。
鮮血が刃を濡らす。巻いたばかりの襟巻きが、ひと呼吸のうちに朱一色に染まる。
ひと思いに抜き去ったそれを、吾妻は男の反対側へと投げ捨てた。甲高い金属音を鳴らしながら、サーベルが薄闇の中に滑っていく。
男はわずかに視線をおろし、自分の右手を見下ろした。
サーベルが飛び去ってしまってもなお、強い衝撃が右手に痺れだけを残していた。断ち切られた指の断面が疼く。激しい鼓動が全身を震わせる。
「……恐ろしいものだな」
敵がこぼした、思いもかけず静かな声に、男は視線を正面に戻した。肩を上下させながら、吾妻が男を見つめている。
男の視線を受け止めると、吾妻は日本刀を持ったままの右手で己の頬を二回叩いた。促され、男も痺れの残る手を頬へと当てる。
――笑っていた。
口角を吊り上げ、歯を剥き出しにして男は笑みを浮かべていた。
傷もない頰が引き攣るように痛む。長らく表情というものを作っていなかったためだろうか。
木の皮のように硬くなった頰の皮膚を、男が指先で軽く掻いた。
「楽しいか? 殺し合いは」
「……そう、らしいな」
どこか他人事のように男が呟く。吾妻は苦笑を漏らすと、日本刀をも薄闇の中へと投げ込んだ。
男の目がわずかに見開かれる。そこには驚きと、喜びの光があった。
「お前さんもまた、野の獣だな」
獣と呼ばれた男が、全身を狂喜に震わせて咆哮を上げた。




